見学を検討されている方の参考になるかもしれませんので、「お菓子屋さん傍の祠」の位置を
お城さんマークにリンクしておきます。ただ、先に書かせていただいたとおり、私は実際に
歩いての確認はしておりませんので、間違えていたらすみません m(_ _)m
ついでに、庚申山城の位置であろうと思われるURLも下に貼っておきます。(プロトコル部分省略)
www.its-mo.com/map/top_z/124103823_489384455_16/
なお、国道を挟んだ北側にある南西へ延びる尾根筋が秋山城下城です。
では、失礼いたします。http://www.its-mo.com/map/top_z/124104295_489372114_18/
ポリタンクさん、
貴重な情報提供ありがとうございます。
地図確認いたしました!
壷坂口門方面の看板そばに路駐して吉野口へ。途中の高石垣が見事です。本丸下
北西部に広がる曲輪は木がぼうぼうなので寄りませんでしたが、途中で遠目ながら
石垣を確認できます。吉野口門手前の石垣を見ながら、「これもちょっとした登り
石垣だよなあ」とか考えつつ歩きますと、最初の石垣つき堀切に遭遇します。道は
左から回り込みますが、細いのでちょっと注意です。
赤土郭は取りあえずスルーしまして先に進みましたが、土の堀切がある尾根との
分岐辺りで雪あられが・・・。道がない土の堀切はあきらめて弥勒堀切へと急ぎ
ます。弥勒堀切はなかなか見応えがあり、登ったり降りたりしながら満遍なく
観察です。
先程スルーした赤土郭を帰路で見学しましたが、土塁が想像よりも大きくて少々
びっくり。土塁上を一通り闊歩して大手門方面へ戻りました。一応本丸に寄り、
七つ井戸経由で車に戻り、宇陀松山城へ。
宇陀松山城へは春日神社から。有名なお城なので詳細は割愛しますが、石垣は
破城の影響で少ないながらも横堀等の遺構多数で見応え十分です。というか、
遺構をそこそこ見逃していることに帰宅後気がつきました(泣)
宇陀松山城は秋山氏時代の秋山城上城なので、対になる下城も見学。ルートがわか
りませんで、国道沿いの資材置き場付近から延びる作業用と思しき歩道を頼りに
適当に登ったらお稲荷さんがある本郭に到達。社の北に進むと人が頻繁に通って
いると思われる道がありました。西に行ったら旧大手筋入り口に、東に行ったら
宇陀松山城二の丸かなあとか妄想しながらも、時間の都合でお稲荷さんから下って
下城を見学です。土塁や堀切はありませんが、壇状に郭が連なっているのでお城か
なあと認識できます。下った先は民家の裏付近っぽいので、国道が見える付近で
道に出ました。地元で聞き込みをしたところ、お菓子屋さん傍の祠の奥にコンク
リートの小道があり、それを利用すればお稲荷さんに着くとのこと。手元の資料と
突き合わせると、そこが旧大手筋の起点で間違いなさそうです。
出城であるらしい庚申山城を見学しようと地元で所在をきくもわからずに断念。
ただ、帰宅してから手元の資料を読み返したら、思いっきり書いてありました。
・・・、相変わらず情報を活用できてません、私(泣)
ああ、何のために下準備をしていたんだあ〜、という感じですが、下準備から
月日がかなり経過していたことが私の記憶力では仇になったようです。
ということで、折りをみての宇陀市への再訪、決定です。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、大和攻めお疲れ様です。
いいお城は二度、三度と訪れないといけませんので
やはりそういうものなんですよ(^^
私も最近多いです。
簡単に行けるところが多いのでそんなに大変じゃない
ですが、しょうもないミスに凹んでましたが。
いつしか宇陀方面にも足を延ばしたいものです。
ありがとうございました。
赤ジャンさん並びに関係各位>
素敵な企画を有り難うございました m(_ _)m
> 最大堀切の右側のロープは、安全管理の関係から残念ながら今回のみの設置と
> なります。
情報有り難うございます。次回の参考にいたします。
早速明日にでも訪城、と言いたいところですが、寝坊しなければ高取城に行く
つもりなのでご容赦ください。椿井城は春になるまでに信貴山城とセットにして
再訪します(汗)
訪城行為そのものが遺構破壊になりかねないので慎重な行動を、というご助言を
胸に刻んで臨みます。(わかっているつもりなのですが、興奮するとついつい
忘れがちになりますね。)
それと、この場をお借りして訂正を。
もらったバッチはピンバッチではなく缶バッチです。大阪城天守閣80周年記念
ピンバッチが当たった記憶に引きづられて誤記しました・・・
では、失礼いたします。ポリタンクさん
>大阪城天守閣80周年記念ピンバッチが当たった
なんですと!
私ははずれたようですね。
むぅ・・・日頃の行いのせいですね。
私も山城を訪れた際は遺構破壊には十分気を付ける
ようにいたします。
ポリタンクさん、早速の椿井城登城レポートありがとうございます。楽しんでいただけたとのこと、うれしい限りです。何度も草刈りをされた地元の皆さんに感謝です。
ただ、最大堀切の右側のロープは、安全管理の関係から残念ながら今回のみの設置となります。
またの登城をお待ちしております。赤ジャンさん、こんにちは。
>最大堀切の右側のロープは、安全管理の関係から残念ながら今回のみの設置
あぁ・・やはりそうでしたか。
なにかあると危険ですからねぇ。
やむをえませんが、かわりのルートはあるのでしょうか。
また出かける機会がありましたら確認してみたいと思います。
椿井城ツアーお疲れ様でした。
雨天順延で本日開催されまして、参加してきました。
集合場所は「道の駅 大和路へぐり くまがしステーション」でした。駐車に不安がない
のは訪城しやすいので良いですね。ここで資料と島左近家紋ピンバッチを受け取って
出発。椿井の井戸で町長さんが合流。
椿井の井戸からの道は晴天時であれば険しくなく、尾根筋まで登って南郭群へ。土橋では
主催者の方による土橋で攻撃に遭った場合の実演があって面白かったです。
南郭群の中心部で中川貴皓さん(三重大学大学院の方?)による解説が始まる前に石積みを
激写。中川さんの解説はわかりやすい内容で理解が深まりました。事前にちょこっと勉強は
していったのですが、調査経験のある方から生の情報を得ることができるのは非常に有益
でした。
南郭群の見事な切岸を横目に見ながら北郭群へ。鞍部からの登り始めに穴ぼこがあるので
注意です。中心部手前のとんでもない切岸をロープを頼りに直上。(切岸西側にもルートは
あります。)
内枡形虎口等の説明を現場でも聞きながら北出郭まで闊歩。その先の堀切がこれまた見事
でしたが、ツアースケジュールの都合上堀底には降りませんでした。この堀切から東側の
横堀に行く事ができるようなので、こりゃ再訪しないといけないなあという思いを残して
下山。春日神社でアンケートを書き、島左近キャラピンバッチをもらって一応解散となり
ましたが、道の駅に帰る途中で平等寺館のそばも通りました。
城内は関係各位のご尽力で適度に整備されており、要所にロープもあるため堀切や切岸が
見事な割には移動しやすいです。堀切&切岸好きにはたまらないお城でしょうね。先に書き
ました北出郭の堀切あたりを見学するために今シーズン中に再訪しようと思います。
全体として非常に楽しい訪城となりました。というか、団体での訪城は実は初めてでして、
ペースについていけるかとか不安がありましたが、全く無理のないものでした。信貴山城
ツアーも面白かったんだろうなあ。
道の駅でカツ丼(おいしかった)を食してから、ついでなので下垣内城を西宮城にも寄り
ました。駐車場の門が閉まる時間(午後5時)までのちょっとだけでしたが、地形から
雰囲気をちょっと味わってきました。遺構は地中なので見ることはできませんが、西宮城の
時計台付近(土橋があったらしい)の斜面はいい味を出しているかもしれません。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
椿井城のモニターツアーご参加お疲れ様でした。
詳しいガイドつきで、なおかつよく整備され遺構が見やすくなっている山城は最高ですね。
ポリタンクさんのレポを拝見しているだけでうずうずしてきます。
特にロープで直登のあたりが・・(^^;
というかそんなところ登っちゃって大丈夫なのでしょうか(笑)
平群町は城跡をうまく活用されているようです。
大変だと思いますが、今後とも維持活用していただきたいものですね。
ブレイズマンさん>
> 一応、今時の方ですので、iPhoneも当然お持ちです。
>
> この前一度使いましたが、めちゃ便利でした。
そういえば、城めぐTOUCHを即効でインストールされてましたっけ。
ともあれ、お役に立ったようで何よりです。
> 石清水八幡宮の周辺には、男山城の遺構も指定のされたりするのかな?指定理由の
> 一つに男山城の記述があればいいですね。
残念ながらお城は評価対象に入っていなかったかと。
> 烏帽子形城、実はまだ行ったことないんですよ。
機会があれば是非訪城ください。規模はそこそこですがよいお城だと思いますので。
あと、この場をお借りして・・・
No.2451にて「京都トレイルのコースになったお陰が」とあるのは「京都トレイルの
コースになったお陰か」の誤りです m(_ _)m
他にも文章中変なところが多々ありますが、雰囲気で補正していただくと幸いです。
では、失礼いたします。
ご無沙汰しております。
折角の山城シーズンにもかかわらず、天候やら用事やらでお預けを食っている状態で
したが、今日の午後は体が空いたので行ってきました。
高取城の弥勒堀切を見に行こうかとも思案しましたが、雪が降る前に、と周山城に
決定。土の城のリベンジです。
京都トレイルのコースになったお陰が、道の状態はよくなり、目印も増えています。
二の丸への道標は切岸直上階段ではなく本来の登城道へと導いてくれます。
二の丸北方の尾根筋には切岸直上階段下から回り込みました。食い違い虎口へ向かう
途中の眺望がよかったです。その先の竪堀(東側)には目印がつけてあったので、
ひょっとすると麓から登ってくることができるのかもしれません。
主目的の土の城、今回は行くことができました。途中で出会う2つ目の堀切、郭の
中央にある土塁が素敵でした。霄漢さんがおっしゃっていた(No.2233 周山城)
林道は確かに曲輪の直下をかすめていましたが、曲輪そのものは辛うじて無事です。
本丸に戻る時に黒尾山方面の道標に従う道を逆に歩きましたが、小姓丸南面にもそこ
そこ石垣が残っていることがわかってにんまり。
余談ですが、『図説近畿中世城郭事典』(城郭談話会)掲載の周山城(西峰曲輪群)
ですが、北を西に読み替えると現場ではわかりやすいです。
本丸北方の尾根筋へは二の丸にある北側の虎口から行くのが本筋かと思ったのですが、
一見では道筋を見極める事ができず、本丸から降りました。小姓丸ほどの残存度では
ないながらも隅部を残した石垣が途中にあります。観音堂へ向かう途中には綺麗に
整形された土塁もあります。観音堂は樹木がなければ見晴らしがよさげなので、当時
でも見張りに使っていたのかもとか妄想・・・
そのまま観音堂から北へ下ろうかと思いましたが、急斜面なので断念して本丸方向へ
戻りました。本丸まで登るのが面倒だったので、途中で二の丸北側虎口方向へ適当に
進みました。虎口近くで四つん這い状態にはなりましたが、二の丸北面に石垣がいい
感じで残存しているのを目の当たりにしてちょっと興奮しました。ただ、この時点で
あたりは暗くなりかけていたのと、急いで戻ったために体力が尽きかけていて踏ん
張りがあまり利かなかったのとで、当該石垣はほとんど写真を撮っていません。見学
しづらい場所ではありますが、明るい時にきちんと見たいと心底思いました。
東曲輪等もきちんと見たかったのですが、状況が状況なので諦め、懐中電灯片手に
下山しました。全行程で3時間ちょっと。やっぱり午後から出発というのは無理が
あったかなあと反省・・・
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
無事、周山城のリベンジがかないましたね。
実は私も未踏の土の城、いい勉強になりました。
とっても丁寧に散策されているのがよく伝わってきましたよ。
虎口付近でよつんばい・・イメージトレーニングもばっちりです!
お疲れ様でした〜
今年最後の山城会は、オジジ3人で山城+温泉。
9:00に津山市福田のR53駐車場集合。
図書「美作国の山城」から縄張図をA4拡大コピー。
奥津湖畔を目指す。
最初に浮島と表示されている「城峪城」訪問。
湖岸道路に駐車。
島への橋を渡る。
公園化されているので縄張図のとおり良く見える。
駐車位置の上の比丘尼ケ城は以前登ったが、ヤブこぎ45分なので今回はパス。
二つ目は「東山城」。
山頂まで舗装道路で行ける。
一か所、垂れ下がった枝でボディーを擦る。
山頂のアンテナ脇から登ると、二重堀切、主郭、浅い烽火穴。
奥津湖が眼下に見える。
三つめは「久田上原城」。
湖岸道路に駐車。
南側の旧道に少し入り、細い山道に入ると直ぐに二重堀切。
二段の郭から土塁のある主郭。
先端部は湖岸道路建設で消滅。
四つ目は女原の「小丸城」。
ここも、搦め手側に舗装林道。
「小丸城」の標柱が立っている。
北側に廻って堀切・竪掘の残骸。
急な切岸を登ると一部土塁のある帯曲輪。
二段登って主郭。
西側の対岸にある西屋城攻めの陣城の一つとして使われたらしい。
五つ目は旧富村の「岡の乢城」。
今日一番の見所だ。
宝泉寺から約150m北の二軒ある民家の間から快適な山道。
民家の老人に挨拶するも「城なんか無いよ」との仰せ。
峠の堀切まで登って右折。
尾根筋を竪に削った竪掘の土橋を進むと広い主郭。
西に進んで堀切。
東の細尾根の郭と帯曲輪。
東の細尾根の先端は急勾配に削られてすごい切岸。
その下に竪掘群。
すごい土工事量。見所満載。
ひょっとすると関ヶ原後の築城かと全員妄想。
六つ目は「城山城」。
居館部と地蔵の郭。
その先の小郭のみで、地元の豪族のものかと思われる。
城攻めはここまで。
のとろ原温泉「天空の湯」に向かう。
積雪20cm。
雪見の露天風呂満喫。
帰りは後ろの席の方々居眠り。
やぶくぐりさん、こんにちは。
その辺はもう雪なのでしょうねぇ・・。
今回は私でもできそうな難易度低めな山城のようですね。
助かります。
山城を楽しんだあとは温泉で疲れを癒す。
イイですね。
あとは熱燗があれば・・(笑)
お疲れ様でした。
今回の発掘現場の地図を入れておきました。
ご覧くださいブレイズマンさん
地図確認いたしました!
ありがとうございます。
さて、私は城好きではありますが、歴史好きでもあります。
で、今回、三好三人衆VS松永久秀の戦いの舞台となった、東大寺大仏殿の戦い、東大寺の発掘調査報告会にいってまいりました。
城とはちと関係なんですけどね。
お城さんマークに資料を入れておきましたので、ご覧下さい。
東大寺は下水道工事を行うため、遺跡の有無を確認するため、断続的に試掘調査が行われています。今回はその一環として行われた発掘調査です。
東大寺は何度も火災にあっています。
・1180年の南都焼き打ち
・1508年、原因不明の火災
・1567年の東大寺大仏殿の戦い
です。
今回発掘調査が行われた場所は、大仏殿の裏、
・講堂
・僧坊
・食堂
という3つの巨大な施設がありました。鎌倉時代に再建されたと言われています。で、1508年、原因不明の火災でこの施設は無くなってしまい、その後この周辺は建物は再建されなかったのではないかとされています。
で、1567年で東大寺大仏殿の戦いがおこります。私現地に行きましが、
> 焼土層の上で、大仏殿の焼けた瓦など炭混じりのがれき層> (約5〜30センチ)が出土
とありますように、1508年の建物が全部焼け落ちた焼土層より、建物が無かった1567年の焼土層が厚く積み上がっていました。
これはなぜか?
いろいろ考えられますが、東大寺大仏殿の戦いで焼け落ち大仏殿をこの周辺をゴミ捨て場のように使用した可能性があるとのことです。これは一説で他の可能性も考えられます。
ここには、1508年以前の瓦も出土しており、複合遺跡のような形になっています。
1567年で東大寺大仏殿の戦いで焼けた瓦も出土していましたが、見た感じひどい焼け方でしたね。
後程、写真UPします。゜
この時の火事のすさまじさがよく解りました。
雨の中でしたが、多くの方が見学に来られていました。
まだ、発掘途中だと思いますので、頑張れば最後の方ご覧できるかもしれません。奈良に行かれる時は、ご覧になってもいいかもしれません。
続きがあります。http://www.asahi.com/national/update/1205/OSK201112050090.html
ブレイズマンさん、こんにちは。
すっかりノーマークでした。
これは大勢の方が押し寄せそうな現地説明会ですねぇ。
下水道工事ということは、見つかったものは破壊されてしまうのでしょうか?
なかなか面白いですねぇ。
調査報告書が出るのが楽しみです。
ありがとうございます。
いやーーーん、幻の飯盛城跡、素晴らしいですね。
> こういうニュースは元気をもらえるなぁ。
いやーーー全くですね。
甲陽園城もこのように新聞発表されればいいんですけどね。
しかし、この城、高さ約2メートルの大変立派な石垣ありますね。写真で見る限り、野面積みの中でも初期の印象があります。
> 石垣が取り壊されたかのように石塊が散乱した場所もあ
> る。
としている部分は、廃城の時に破壊されたよう印象もあります。
> 江戸期に廃城になったとされる
とするならば、記録もたっぷり残っている印象がありますか・・・また、うちの甲陽園城のように1mも満たない土塁しか残っていなかったのに比べて、近世の石垣があるなんて、なんで今まで解らなかったんでしょうかね。
これが城の遺構とすれば、曲輪留の石積みとは考えられません。防御目的の石垣であった可能性が高いですね。となれば、その上部には主要な建物がある可能性もあります。早く縄張り図も作成されたらいいですね。
続きがあります。http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20111208/08.shtml
ブレイズマンさん、こんにちは。
新発見のニュースはなぜかご高齢の方が長い年月を
かけて調べてきたといった内容のものが多いですから
(あえて苦労した感を演出してるのかもしれませんが)
じっくり腰をすえてがんばってくださいませ。
私も近所にあったはずの三木合戦の付城群や兵糧道をネタに
最近本を書きましたが、もうちょっと深堀して検討してみようかなと
思ってます。
楽しい作業ですよね(^^
> ブレイズマンさんのiPadって3Gモデルですか?
いえいえ、iPadは初期型Wi-Fiモデルです。
一応、今時の方ですので、iPhoneも当然お持ちです。
この前一度使いましたが、めちゃ便利でした。
> No.2342「鹿背山城」にておっしゃっていた鹿背山城と芥
> 川山城の雰囲気の類似、現地を訪れておっしゃっているこ
> とが理解できました。
おーーー、とーとー行かれましたか。
でしょー。
松永さんが三好義継の事を想って、芥川山城と似た城を作事したのか、まーなんかその辺の事を感じることができます。
> 柵があったので東の尾根筋には踏み込んでおりませんが、
> そこも寄っていたらなお疑似体験ができたかもしれません
そーなんですよねー、あれ多分イノシシ対策と思いますが、戦国の城に柵が巡らされているなんて…って思ってしまいますが。まーしゃないですよね。
ただ、やっぱり鹿背山城の方が、かなり新しさを感じます。
> ブレイズマンさんが話題にされた男山城跡地にある石清水
> 八幡宮が国史跡に指定されるそうです。
えーーーーーーーーまじですか。
それは素晴らしいですね。
石清水八幡宮の周辺には、男山城の遺構も指定のされたりするのかな?指定理由の一つに男山城の記述があればいいですね。
烏帽子形城、実はまだ行ったことないんですよ。まー越水城と関連性が今のところないので。しかし、是非国指定史跡になるのならば、今度是非行ってみたいと思います。
> 地権者の方や地元の方のご努力によって、山城は現在に受
> け継がれています。
> そうした地元の山城への愛によって、お城めぐりをさせて
> いただいているんだということは忘れてはいけませんね。
いやいや、まったくでごじゃりまする。
感謝の気持ちは大切です。
続きがあります。ブレイズマンさん、こんにちは。
うーんipadとiphoneの2刀流でしたか
いまどきはこういうのを持つ方と山城で出会えるのですね(笑)。
すばらしい〜
備前岡山御津紙工付近の3城攻略。
最初は図書「御津の山城」をコピーして宮脇の「城の段」。
進学校で有名な私立中学校付近から橋を渡り、宇甘神社付近に駐車。
新池の東から山道に入る。
入口付近から北は麓の居館跡のようだ。
墓地脇からほぼ直登道だが下生えも無く快適。
小郭、虎口、土塁と進むと主郭。
低土塁が廻っている。
切岸から一段上がって堀切、小郭で終わっている。
二つ目は「紙工天満所在城」。
天満集落入口に駐車。
民家が終わる手前から竹林に向けて箱瀬神社への参道を北へ入る。
動物除けネットの入り口を開閉。
正月には地元の方が参拝されるとのことにて快適な山道。
比高180m。
神社から右(東)へ進むと堀切を経てTV受信アンテナのある主郭。
その先にも削平の甘い郭。
箱瀬神社から西の尾根筋の切岸を登ると岩場の小郭。
堀切、細尾根、郭、堀切と続く。
尾根道を300m程進むも遺構無し。
三つめは「金高城」。
駐車場に戻って、道を横切り、南側の山を目指す。
小川の橋を渡り、作業中の老人に挨拶。
図書「御津の山城」に書かれている谷道は消滅とのこと。
そのまま奥の池の右岸にある作業道を進むと尾根に出るので、終点から左側の山道を進むと途中まで行ける。
山道の終点から直登すると「金高城」の南西のピークに出るので尾根を北東に進めば「金高城」とのこと。
ご教授に従いGPSの地図で検討を付けて、赤テープを結びながら直登。
尾根より30m下で赤テープの袋を失う。
そのまま登って尾根先の平坦地。
下生えは、そんなに多くはない。
ダラダラした尾根筋を進むと本丸。
その先の堀切と記されている所は尾根を横切る切岸。
二の丸、三の丸と進むもほとんど遺構らしきもの見当たらず。
先客が小枝を曲げてある。
三の丸から尾根の方向が北に変わって、出丸まで進む。
郭二つ。
三つめの郭に素晴らしい石積みの烽火釜。
切岸を登り主郭。帯曲輪、その北に郭段々。
下りは三の丸と二の丸の中間の谷を下るように地図に書かれていたのでチャレンジ。
竹の倒木、太い木の倒木と続く。
完全ヤブこぎ。
地元の方が道は消滅と言われた通りになっている。
やっと池の方から来た作業道に出る。
側溝の蓋で滑って転倒。
痛みをこらえて駐車場へ。
やぶくぐりさん、こんにちは。
幻の名著「御津の山城」ですね。
登城道がなくなってしまっているのはありがたい
情報でした。
やぶくぐりさんの情報を本に挟んでおこうと思います。
お怪我は大丈夫でしたか?
お大事になさってくださいね。
11月度の山城会。
オジジ4人で「置塩城」。
ボーイスカウトがキャンプしている。
手旗の練習、50年前を思い出す。
登城路を18丁登って南曲輪群。
石垣、茶室郭、案内板、馬場、三の丸。
土塁、台所跡、二の丸北曲輪群から本丸へ。
本丸の尾根続きにも郭が見える。
本丸南曲輪群に寄り道して、二の丸の土塁。
一旦、看板まで戻り、南西曲輪群、大石垣。
ここから馬場下の通路に入ると倒木、下生え。
竪掘を4〜5箇所横切って西曲輪群上部に至る。
広大な城域だ。
麓の神社まで降りて昼食。
二つ目は「播磨・林田陣屋」。
駐車場が見当たらず周囲を一周。北側の堀跡は公園化。
藩校跡から神社方面に入り駐車。
神社が副郭。
その上が主郭で石垣が廻る。
主郭の土塁、梅林。
肥料の匂い。
三つ目、四つ目は「龍野城」と「龍野古城」。
城への道はオータムフェアーのイベントで歩行者天国化。
駐車に苦労。
駐車場の自転車を除けようとしたら、持ち主のネーヤに凄まれる。
「龍野城」の模擬天守を見ながら城門を入ると御殿も人波。
「鶏籠山城(龍野古城)」への山道も整備されている。
上から普通の街歩き用の靴を履いた家族連れが降りてくる。
郭、武者走り、連続する郭、土塁、石垣。
二の丸から一旦低くなり本丸へ。
八幡神社跡。
下ると、堀切・土橋セット。
郭、土橋、堀切、番所跡。
モミジ谷コースを下ると観光客多数。
歩行者天国に戻り、土産を物色。
醤油饅頭と最中をゲット。
車も傷つけられておらず帰路につく。やぶくぐりさん、こんにちは。
播磨に来られていたのですね。
置塩城も見やすくなっていたでしょうね。
ちょうどニアミスだったと思うのですが、私も
この頃に龍野城に行っていました。
ものすごい人出でびっくりしましたが、紅葉はイマイチでしたね。
管理人様今日は。
城行き2題
11月13日、兵庫県多可町(旧多可郡中町)妙見山山頂西下(標高670m付近)に有る
妙見山砦を目指す。登山道が整備され以前と比べると登りやすくなっている。
途中貝野城との分岐が有るので先に貝野城に向かう。昨年伐採が行われており見やすく
なっていた。但し特徴の一つである北の郭の畝堀に伐採した樹木を放り込まれており
見づらくなっているのが残念です。
再び登山道に戻り登ること1時間30分、天主台と見間違える様な石組が見える。
早速、縄張り図を取る為に仔細に見ると、尾根上の岩盤周辺に石垣を積み盛土をして
5m×8mの2段の郭を作っているのが分かりました。
他に堀切、竪掘り等無く簡単な構造で本当に城なのか疑問が湧く。
此処から西に尾根を下ると段の城、段の垣内構居に行く事が出来貝野城を含め関連する
城なのかもしれません。
11月26日、鳥取県北栄町茶臼山城へ、天正8年羽衣石城攻めの再に吉川元長が陣を
置いたと伝えられています。
50m×50mの主郭とその東に元は郭であった所を天端20m、主郭よりの深さ8mの空掘りが掘られておりその東側は約10mの切岸で落ち込んでおり郭を作っている。
この地方では他に余り見ない珍しい遺構が見られました。
この辺が毛利氏による改変の後かと考える。
この城では10年程前、公園化目的で伐採が行われた様ですがその後放置され、
伐採した樹木を郭周辺に積み重ね藪化しており非常に見にくい状態になっていました。
各地で、安易に公園化しその後ろくに整備せず藪化している城がたくさんあります。
継続して整備できないのであればそのままにしてほしいと考えます。
公園化ではないが、京都府綾部市の位田城では伐採した樹木をこの城の特徴で有った、
畝堀に放り込まれているので現状全く確認できない状態になっています。
こちらは山仕事なので文句の言いようもないのですが。
ただ、畝堀なら位田城から東の高津地区の将監山城には約100本の畝掘が掘られており
数だけであれば、北九州の長野城につぐものですが規模は1/3程度で良く似た城が有ります。現状が、維持される事を願っています。霄漢さん、こんばんは。
妙見山砦に行かれましたか。ずっと前に体力不足を感じて
断念したまま忘れてしまってました。
あのあたりは一日じゃとても足りない見所多いお城が
ありますね。
山城の整備についてが主テーマで書いていただいておりますが、「維持できないなら最初から公園にするな」
というのは最近別の方からも聞いていた言葉でした
ので、すんなり入ってきた言葉でした。
田舎は大変だから、とはよく聞きます。
とても城跡にまでは手がまわってないのでしょうけれど
荒れ果てた公園が城跡にあると、確かに私も霄漢さんの
お気持ちがよく分かります。
でもほっておくだけでも山は荒れますし、いよいよ
立ち入りがしにくくなるのも嫌ですしね。
どうしたらいいものか・・。
あ、それはさておき将監山城はよさそうですね。
メモらせていただきました。
備前児島半島の常山城と麦飯山城の中間にある山城伝承地訪問(名前は無い)。
国道30号線を宇野方向に進み、秀天橋を渡り横田口交差点で左折。
200m程進むと左手に石の鳥居。
鳥居をくぐり、突き当りの神社脇に駐車。
人家に囲まれた小山が目的地。
おかやま全県統合型GISでは「独立丘陵頂部。最頂部から東へ一段下がって平坦面があり、東端は急峻。西側の尾根上は比較的広く平坦であるが、堀切などの施設はない。山城か?」と記されている。
西北の神社の鳥居から参道のコンクリート階段を登ると、急斜面に竪掘らしき溝を横切る。
ヘアピンカーブの先にも二つの竪掘らしき溝。
その下には郭らしき平坦地。
港湾施設の遺構かと妄想。(戦国末期にはこの小山は陸繋島)
尾根に出ると神社。
刈払いから常山城が指呼の間。
陣城に使われたか。
山頂へは300m程だが、今日はヤブこぎはやめておこう。やぶくぐりさん、こんばんは。
なかなか難しい城跡に挑戦されましたね。
おかやま全県統合型GISで「山城か?」と言われても
困りますね。
史跡の指定はされているのでしたら、もうちょっと城好きよりの言葉にしてもらいたいものですね。
「山城だが、詳しくは不明」とか。
本岡です。
いつも反応が遅くてすみません・・。
先週は浜松の山城サミットを観て、春野山城まつりに参加
してきました。
前者はちょっとおいておきまして、春野山城まつりについて。
浜松市天竜区春野町には犬居城や堀之内の城山など、全国的
に見ても遜色のない山城があります。
また犬居城周辺には天野氏関連の山城が30ほどある、山城
の宝庫のような場所なのです。
ここでトークをさせていただきましたが、テーマは山城と地域振興。
前日の山城サミットでも出た話題が頭をよぎり、なかなか話づらかった
のは内緒です。
しかし私がその場でお伝えできなかったことがありましたので
改めてここで書かせていただきたいと思います。
山城を好きな我々から見ると、訪れた山城が綺麗に整備され
(といってもコンクリート道となったり、堀を埋めたりするのではなく)、
気持ちよく散策できるようにしていただいているのを見ると
いつも感謝の気持ちで山城を観させていただいております。
以前は「よくぞこんなに良好な状態で残ってくれた」と山城遺構を
前にして感動していたものでしたが、最近になって「残されていた」
んだと考えるようになっています。
地権者の方や地元の方のご努力によって、山城は現在に受け継がれています。
そうした地元の山城への愛によって、お城めぐりをさせていただいているんだということは忘れてはいけませんね。
当日はお礼の気持ちが言い表せていないことに気づき、とても
残念に思っておりましたので、ここに書かせていただきました(^^;。
すっかり寒くなりました。
いよいよ山城シーズン本番ですねぇ。
こんにちわ
かなり前に訊ねました赤松氏支流の城跡と館跡がわかりました。
雪解けころに現地に入ってから、教育委員会に申請する予定です。
手つかずのままで、なんら調査されておりませんので、かなり期待できると思っています。
この一族のひとりのみが検索でHITしますが、本家の方によりますと記載内容は誤りがあり、
わたしが持つ家系図の写しの内容が正解だそうです。
ちなみに家系図の写しと直系の方の系図、
ならびに口伝などが完全に一致しましたことも報告しておきます。
城跡でなにか見つかれば、また書き込みます。まるさん、こんにちは。
何やら楽しみな内容ですね。
まったく想像できませんが、楽しみにしておきます。
教育委員会や公の調査が入るのでしたら、その線から
何か伝わってくるのかもしれません。
そちらのほうもアンテナを張っておこうと思います。
しかし雪解けとは・・・。うーん。
図書「美作国の山城」161ページに縄張図のある「五郎丸城」(五郎やぶ城)探訪。
麓から見ると竹やぶ山のようだ。
猪避けの鈴を付ける。
鏡野町下入の小学校南側の山裾(橋付近に駐車)の小道に入り、城の西側の民家左側(近くに消えかかった五郎丸城の看板)から竹やぶに続く道を進む。水路、墓地から谷に沿ってヤブこぎ。かなり倒木があるので苦労する。
谷を詰めると堀切、郭と小道。
小道を東に進むとすぐに消滅。
尾根筋の倒れた竹の多い竹やぶを登ると再び堀切、郭。
更に登って主郭と三角点。小さな腰曲輪。
西南側の二段の郭と東の郭は竹やぶに阻まれて断念。
来たルートを最初の堀切まで戻り、北側へ尾根道を辿る。
約50m進むと20mの土橋。
土橋の両側は平坦地。登り斜面に到達。
ここで尾根道は消滅。
再び、最初の堀切まで戻り、登って来た谷をヤブこぎで下る。
やぶくぐりさん、こんばんは。
今回の城攻めはやぶ攻めなんですね。
言葉は少ないですが、大変そうだなぁというのがよく
伝わってきた気がします。
お疲れさまでした。
はじめまして。昨日、地元の老人から私が子供の頃から住んでいる大阪府高槻市梶原の自宅付近が、梶原台場であったことを初めて聞き、ネット検索してこのサイトにお邪魔しました。近所の高浜台場や樟葉台場のことは、子供の頃から知っておりましたが、四十数年間、住み続けた住宅が、歴史ある場所であることに驚くとともに、またこのような立派なサイトでお取り上げいただいていることに、感謝しています。
これからも、益々のサイトのご発展をお祈りしています。http://www.h3.dion.ne.jp/~hi1234/
男の放課後さん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡と申します。
梶原台場の跡地に慣れ親しまれてこられた方なのですね。
新しい住宅が多く建っていますから写真には苦労いたしました(^^
また、城跡ではなく台場跡ではなかなか認識していただけてないことも多いですので
地元の方がご存じでいてくださったことをお聞きすると
私も嬉しくなってきました。
ぜひともその地元のご老人の方から貴重なお話をうかがってみたいものです。
大変遅い反応となってしまい、申し訳ありませんでした。
これを機に今後ともよろしくお願いいたします。
ブレイズマンさんが話題にされた男山城跡地にある石清水八幡宮が国史跡に指定
されるそうです。
www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20111118-OYT8T01365.htm
あと、烏帽子形城も。
www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20111119-OYT8T00068.htm
#URL中のプロトコル部分を省略しています。
何故かちょっと嬉しかったのでご報告してみました。
では、失礼いたします。
「謎の石垣」特別公開、重要文化財「乾櫓・ 焔硝蔵」特別公開のために有給休暇を
とって行ってきました。
#豊臣期大坂城の石垣とほぼ断定されているので「謎」かといわれると・・・
二の丸南側の堀を見学しながら本丸に向かいます。四番櫓跡付近石垣の算木済みが
ずいぶん痛んでいるなあと見つめてしまいました。
で、「謎の石垣」ですが、管理人様がtwitterでつぶやかれているとおり、上から覗く
形式の見学です。以前の公開時の写真でその予想はしていたのですが、グレーチング
みたいな蓋越しだったのが予想外で、写真撮影に難儀しました。落下防止だとは思い
ますが、もうちっと目の荒いものにしてほしかったです。交換式のズームレンズですと
ちょっときついです。口径の小さいコンパクトカメラや携帯のカメラの方が案外撮影
しやすいかもしれません。レンズ交換式の場合は、パンケーキ風の単焦点の明るい
レンズがあればかなりましです。
大阪城天守閣で大阪城天守閣復興80周年記念特別展見学と目当ての図録たちの購入後、
櫓たちを見に西の丸へ。(次の土日は無料開放ですが、天気が微妙・・・)
乾櫓と焔硝蔵の内部を見学するのは大阪城博覧会以来です。ただ、その時は始皇帝の
兵馬俑のインパクトが大きくて、櫓たちを見学したという記憶が曖昧です。当時無理
矢理同行させた親曰く、入ったのは間違いないらしいのですが・・・
乾櫓は窓越しの風景としては大手門の横矢がかりになっている千貫櫓ほどインパクトは
ありませんが、日頃見れない風景を内部見学とともに堪能。焔硝蔵は普段お目にかかれ
ない天井部分をジーと観察。いやいや、よい経験でした。
京橋口から伏見櫓跡とOBPのビルのセット(個人的には二の丸南側、本丸東側と並んで
好きな風景)を拝み、大阪経済新聞社、ドーンセンターそれぞれにある石垣を拝んで
帰りました。大阪経済新聞社のはドーンセンターと同じ筋にあるにも拘わらず知名度が
低いような気がしますね。きちんと説明板もあるのですが・・・(ドーンセンターの
方も一般的な知名度は何とも言えませんけど。)
あ、説明板といえば、大阪府警のところにも障子堀が確認された際の発掘調査の解説が
ありますね。あれも結構素通りされてます・・・
途中で旧大阪市立博物館特別公開も挟んで凡4時間くらいウロウロ。大坂城は私が一番
好きなお城だけに長居してしまいます(自己最高記録は8時間、笑)
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんばんは。
幻の石垣の撮影には苦労されていますね。
私もそうでした。
ひょっとして下に降りられるのか?と期待して喜んで
平日出かけていきましたのに・・考えてみれば妥当な
公開だなと現地で納得した次第でした。
大阪城は内堀の掃除をしてからは私も親近感がわいてしまい、好きなお城のなかでも
かなり上位にきてますよ。
また掃除させてほしいくらいです(笑)
ブレイズマンさん>
No.2342「鹿背山城」にておっしゃっていた鹿背山城と芥川山城の雰囲気の類似、
現地を訪れておっしゃっていることが理解できました。私の場合は芥川山城が
後になりますが、尾根と尾根に挟まれた谷筋を歩いていると、より実感しますね。
柵があったので東の尾根筋には踏み込んでおりませんが、そこも寄っていたら
なお疑似体験ができたかもしれません。
因に、帰りに今城塚古墳のそばを通りましたが、夕方に発生が予想される国道
等の渋滞に巻き込まれるのが嫌だったのでスルーしてしまいました。「近いから
いつでも来れるや」病、再発です・・・
では、失礼いたします。
取り急ぎ・・・
> 『FieldAccess』かー、うーーーーーん・・・・
> 買います。
ブレイズマンさんのiPadって3Gモデルですか?もしWi-FiモデルであればGPSを
搭載していないと思いますので、開発元に挙動を質問した方がよいと思います。
#Wifiモデルだと無線LANアクセスポイントによる位置捕捉だったと思います
#ので、山城向きではないかもしれません。
ついでに・・・
> あれってシンポジュームじゃなかったでしたっけ?
11月27日(日)がシンポジウムで、12月3日(土)が見学会です。事前申込が
必要なので、興味がおありなら定員が埋まる前にお早めに。ただ、12月3日って、
平群町の2回目と被ってます。
> えーーーーー、水準器をつけて撮影するのですか?ぎょえー、それはまた
> 本格的で。
あー、写真を生業にしているわけではないのでが、何故か癖になっています。
記録写真としては切岸とかの角度がわかっていいかなと考えて癖を矯正して
いません。
では、失礼いたします。
> ブレイズマンさんのご都合がつくなら、12月の飯盛山城見
> 学会に参加されて道すがらお話することに挑戦するのも一
> 考かと思いますよ。
え、あれってシンポジュームじゃなかったでしたっけ?
見学会もあるのですか?
> 今回デジカメ用の水準器を忘れたので、
えーーーーー、水準器をつけて撮影するのですか?ぎょえー、それはまた本格的で。私なんか、いっつもいがんで撮影しています。
> 電子国土の地図情報を位置確認等に利用できる
> 『FieldAccess』はめっちゃ便利でした。
そーかー、それはまったくの盲点でした。
『FieldAccess』かー、うーーーーーん・・・・
買います。
では、では。
芥川山城の駐車場所ですが、看板が出ている場所の手前の木の傍(登城口のすぐ傍)に
5ナンバーのセダンが駐車してありました。通行の邪魔にはなっていなかったので、大きく
ない車で通行に配慮しつつギリギリに止めるならなんとかなるかもしれません。
須知城に引き続き、芥川山城でも先客がいらっしゃいました。今回は熊に間違えられて
おりません(笑)。短い時間でしたが麓の石垣はいつの?みたいな話をしました。現地の
お城談義というのはいいものですね。この方、ブログをされているとおっしゃっていま
したが、ブログ名を忘れてしまいました・・・。すみません > 先客の方
芥川山城については、管理人様ご提供『城めぐTOUCH』にもデータがあります。訪城の際の
ルートがある程度わかっていて、且つGPSログをとらないのであれば、お城情報が読めて
位置確認もできる『城めぐTOUCH』の方が有用かなあとは思いました。なぜって、先程から
訪城済等をタッチしているのですが、データを拝見していると、訪城しているにもかかわ
らず見落としている見所が結構ありまして・・・。とほほ。
あと、この場をお借りして、管理人様のコメントについていくつか返信を・・・
[2380] 大阪城天守閣復興80周年記念
> 特別公開ものは特に平日がいいですね。
実は、有給休暇を取って平日に行くつもりです(笑)
[2387] Re: 今城跡、ほか
> 前から思ってましたが、よく調べられてますね。
いえいえ、とんでもないです。単にたまたま手元の本に書いてあるネタをごそごそ引っ
張り出しているだけでして・・・。図書館に行ったりとかはしていない無精者です。
[2397] 三ノ宮東城跡発掘調査現地説明会 and more
> ひょっとして黄色いTシャツを着ておられた方ですか?
違います、黒です(笑)
Mötley CrüeというメタルバンドのツアーTシャツで、背中に日本の国旗がプリントされて
いました。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんばんは。
城めぐTOUCHをオススメいただきありがとうございます。
実は駐車場情報も極力載せたいのですが、路駐の場合は
こういう場での書き込みも含め、自分からは言わないようにしています(^^;
あとで問題にならないとも限りませんので・・とっても残念なのですが。
ということで駐車”スペース”情報は載せられていない
苦しい事情の言い訳をさせていただきました。
うーん・・黒いTシャツの方でしたか。
チェックできてませんでした。
これまた残念・・・。
『FieldAccess』使用時の電池消費を見てみたかったこともあって行ってきました。
登城口付近には面積としては車をとめることができる場所がありますが、関係者以外
駐車禁止の看板があります。No.2352で記載した祥風荘そばの有料駐車場を利用する
のが無難かと思います。
あとは、管理人様の記事に寄生する形で書きます(汗)
> 土橋を渡ると南側に大きくせり出した郭が
この郭は動物除け柵が邪魔をしており、私は進入しませんでした。たぶん大手筋の下
から斜面を登れば行く事ができると思います。
> 北側郭には虎口と堀切が、そして少し藪でしたが尾根先まで行くと止めの堀切が
今日のコンディションは虎口に至る前から薮でして、ヤマダニが怖くて諦めました。
> 南側は20メートルほど下へ降りた先に大堀切と土塁が作られています。同行の方
> には申し訳ないかなと思いつつ、斜面を滑り降りて
実はここ、遠回りしても良いのであれば斜面を滑り降りる必要がありません。主郭部
南側の堀切の次の郭の段の境目くらいからかすかな痕跡ですが道があります。
大手筋から進行した場合、途中で動物除け柵の向こうに進入するための扉がありますが、
これを通って左に逸れると、管理人様が下山した道になります。この道、大手筋から
進んでみると二股に分岐しておりまして、右に行くと前述境目に辿り着きます。
で、『FieldAccess』の電池消費ですが、
・予め周辺地図をキャッシュ、位置情報は電子コンパスと『FieldAccess』のみオン。
(iOS 5.0.1)
・『FieldAccess』以外に起動したアプリは大手筋の石垣の写真を撮る際に使用した
『プロカメラ』のみ。(撮影後にすぐ終了させた。)
#今回デジカメ用の水準器を忘れたので、こちらの方が水準がとれるという悲しい
#状態に・・・
・登城口からログ開始し、城域の東端まではiPhoneの画面を見ながら、あとは所々で
位置確認のちら見をした以外はスリープで放置、という使い方。
・最後にログ情報を保存し、ついでに『FieldAccess』の画面上の軌跡をスクリーン
ショットで保存。
で、結果は1時間38分稼働で19%の消費でした。ログもきちんととれています。
一応バッテリーの予備を持参していましたが、全く必要ありませんでした。規模にも
左右されるとは思いますが、1日で3城ほどであればiPhone内蔵のバッテリだけで概ね
大丈夫そうです。淡路島の猪鼻城にトライした時にiPhoneを持っていたら、ちゃんと
辿り着けたのだろうなあとじみじみ思いました。宣伝要員ではありませんが、現地で
電子国土の地図情報を位置確認等に利用できる『FieldAccess』はめっちゃ便利でした。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、
FieldAccessはなかなかよさそうですね。
iphoneの回線でもなんとかなるものなのですね。
それが一番驚きだったりします(笑)。
しかしまぁ確実にツールをものにされていますね。
素晴らしいです。
今月からiPhoneを利用するようになりまして、現在いろんなアプリを漁っている
最中なのですが、お城用によさげかな思ったものを参考までに列挙します。
他にもいいものがあればご紹介いただけると幸いです m(_ _)m
#有料、無料の別は投稿時点です。
#興味があるものの詳細はApp Store内の紹介等をご覧ください。
#有用か否かの判断は十人十色です。ダウンロードの際は熟考を。
--
『城めぐTOUCH』(無料)
こちらでは言わずと知れた管理人様ご提供のアプリ。
『山川MOOK日本の城』(有料)
書籍を持っているにも拘わらず購入・・・
『FieldAccess』(有料)
電子国土の地図閲覧やキャッシュ保存ができます。GPSログもとれるようです。
『三角点マップ』(無料)
三角点を元にお城の緯度と経度を調べるのに使えそうです。
『Genius Scan』(無料)
携帯したい資料のページをお手軽にPDFにできます。
『LED Light』(無料)
携行した懐中電灯が切れた時の予備にはなるかもしれません。
なお、天気予報用もいくつかダウンロードしていますが割愛します m(_ _)m
--
あと、ダウンロードはしていないですが何個かを。
GPS系ですと、『GPS-Trk 2』(有料)は少々値が張りますが省電力を謳っていて
ロガーとしては魅力的で、自動メールは万が一に備えての家族等への経過報告と
しても有用かもしれません。お手頃価格で且つiPad共用な『GPS Recorder X』
(有料)というのもあります。他者に探してもらうためであればiCloudを利用する
のもありかと。
個別のお城紹介ですと『姫路城』(有料)や『ポケット弘前城』(無料)があり
ます。今後同様のアプリが増えていく事を期待したいです。
ナビ系は数が多いので好きなのを選択するしかないですね。私はPNDを持っている
ので多分買いませんけど・・・。コンビニやガソリンスタンドを探すものは、案外
トイレ探しの代用として有用かもしれません(笑)
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんばんは。
城めぐTOUCHも地図データのキャッシュが利用できるんですよ。(^^;
いろんなアプリが出てきて、城ファンが今まで以上に
多くなっていけばいいなと思います。
私が知らないものもありましたので確認させていただきますね。
ありがとうございます。
# 早く城めぐTOUCHもなんとかせねば・・・(焦
朝食後、思い立って蒜山黄葉ドライブ。
蒜山インターから新庄・ベアバレースキー場方向に進み、米子道のガードを潜って側道を左折、タヌキが道をゆっくり横断している。
そのまま、広めの林道を登る。
モルタル吹付のオープンカットを過ぎて、最初のヘアピンカーブの広場に駐車。
図書「美作国の山城」112ページの「波作利山城」の拡大縄張図を手にヘアピンカーブの法面脇から笹ヤブに登る。
直ぐに郭のピーク。
ここから尾根筋を北に進む。
次から次にピークの郭と細尾根の土橋セットが三つ。
岩場を過ぎてようやく堀切、郭、二重の堀切、郭となり土塁の有る主郭群に出たと思いきや腰郭が無い。
縄張図とかなり相違している。
搦め手の虎口、崩れた石積み、郭、一段下がった箱掘風の郭、その先が主郭。
主郭の西側に虎口、腰曲輪。
更に進むと出郭になっている。
高速道路の走行車両が見える。多分、標高610mラインまで降りたみたい。
城の延長は500mを越えているようだ。
帰りは腰までの笹原を駐車場へ戻る。
二つ目は「初和城山塁」。
湯原湖の最奥に位置しており、今でも国道脇の小山の物見。
ここも図書「美作国の山城」115ページから縄張図をA4に拡大。
国道から麓の居館部に登る階段。
竹やぶになった居館部に土塁、古い墓5〜6基。
木につかまりながら直登すると中腹に郭。
こんもりした主郭から長郭、低い切岸で二段になっている。三角点と小さな地籍点Qの杭。
ここも、縄張図と現地相違。
三つめは湯原インター近くの「目地城」。
「美作国の山城」90ページの縄張図A4拡大コピー。
米子道の下を潜り、米子道の側道に駐車。
高速道の盛土と切土の境から笹ヤブ。
切土法面の肩に沿って直登。
出郭、斜面、郭、堀切、切岸、主郭。
主郭東に堀切、郭、一段下がって小郭。
主郭北に大切岸、箱堀風の郭、堀切、集水装置付き溜井らしき溝。
登ると平坦な尾根。
見はらすと国道バイパス工事で消滅したヤブタワ城の上の尾根にいることが判明。
四つ目は湯原インター正面の「土居城」。
郵便局の南側にある道から入り、奥の民家前広場に駐車。
家の主に挨拶するも、城跡とは御存じなかった様子。
ここも「美作国の山城」93ページの縄張図A4拡大コピー。
道なりに谷筋を進み、直登して東側の主郭を目指す。
歩きやすい。
郭の南北を繋ぐ武者走り。
主郭から二重堀切、竪掘。
登ると平坦地が続く。
南側の郭群を下る。
犬がおびえて吠える。
五つ目は「美作国の山城」74ページの「大壇城」。
密来寺の駐車場を借りる。
住職が駐車場脇の作業道から登るよう教えてくれる。
縄張図の点線に従って登り付くと濃い笹ヤブ。
南側の斜面に一旦逃げてから尾根に出る。
郭は縄張図のようには連続していない。
主郭までに二段の郭。
土塁は低すぎて良く解らなかった。
北に一段の郭。
堀切に作業道。
作業道を西に進むと北の腰曲輪を通過。
そのまま下ると、最初の作業道に出た。
こちらの道を通ればヤブこぎ無し。
六つ目は「美作国の山城」80ページの「出羽屋敷」。
ここも縄張図の通り、国道脇の家の前の広場に駐車。
縄張図の城北幼稚園の向かいが店屋。
民家の脇から墓地。
「殿屋敷」の東側の小川を渡って山道を登ると曲輪、堀切。
上の小郭。
下ってオババに聞くと「お福さん(戦国史上有名な女性)」が居たとの伝説。
やぶくぐりさん、こんばんは。
(私には)なかなか行きにくい場所にいかれましたねぇ。
いくつかは近くを通るかなと思ってチェックしたことが
ありましたが、結局1つもいけませんでした。
しかし、縄張り図と違うのは面白いじゃないですか。
私は縄張り図までは書けませんが、書ける方なら楽しい
瞬間なのでしょうねぇ。
うーーん・・最近ほんとに山城行けてないです。
リハビリが必要なほどですが、刺激だけは十分いただきました。
ありがとうございました。
岡城址が九州自然歩道のルートにあり、11月19日に行きます。その前準備に大変参考になりました。原 正武さん、はじめまして。
書き込みありがとうございました。
管理人の本岡と申します。
岡城はあまり詳しくかけてなかったと思うのですが、
何かのお役にたてたのだとしたら良かったです。
大変遅い反応となってしまいまして、申し訳ありませんでした。
> いっちょ、やっちゃいますか。
ブレイズマンさんのご都合がつくなら、12月の飯盛山城見学会に参加されて
道すがらお話することに挑戦するのも一考かと思いますよ。
それと、神戸大学大学院人文学研究科地域連携センターの関連情報のご紹介、
有り難うございます。常設展示室Aをブックマークしました。(センターからの
リンクがどこにあるのかわからなかった・・・)
位置関係がすごくわかりやすいですね。
では、失礼いたします。
#前回、「ではでは〜」と締めておりますが、知人に「iPhone 4Sきたー」と
#いう連絡をしまくっていて、締めの言葉に使っていたフレーズを連打していた
#ため、癖でそのまま打ってました・・・。すみません m(_ _)m
このお城いくつか、不思議な点があります。
まず、歴史ですね。管理人さんのホームページにもありますように、
> 隣接する三ノ宮城(三ノ宮西城)の山内氏との関連する城
> であるという見方もあるが、はっきりしていない。
とありますように、山内一豊のおじいさんが、この城出身という江戸時代の記載があるが、不明ということらしいです。
で、廃城は、あったとしても安土時代までで桃山時代は無いとのことです。この城で戦乱は無かったとのことです。
かなり古いタイプの城でありますが、本丸には礎石跡を含む建物があり、天守の代用とも考えられる櫓が2つ、しかも「かまど跡」「貯蔵地跡」もあり、生活空間としても考えられます。しかも本丸は近世城郭を思わせる垂直に縄張りされています。また、本丸への虎口は、通常狭くするのがセオリーですが、ここは広くとられており、大きめの門があった可能性もあります。
非常に近世城郭のような感じになっていますが、ただし瓦はまったく出土しなかったようですので、建物は板張りであったと思われます。
今回の発掘調査では、曲輪1,2のみに建物が建っていたということですが、実は、曲輪3,4,6に関しては、土の中にかぶっていた部分で掘り返してみると礎石が見つかりましたが、対の礎石は見つかりませんでした。また建物が無いのにも関わらず、排水溝があるのは不自然です。対の礎石はどなたかが持ち去ったか、壁を利用したなにかの建設物の可能性もあるのでは、とのことでした。基本的には不明ですけどね。
私の個人的な印象は、確かに、竪掘や堀切などの防備施設あるものの、なにか優雅さみたいな雰囲気がありました。
本丸の建物跡の中に釜戸があったりするところから、茶室のような感じもします。門も立派に見せようとしている、櫓が2つもあるなど、単純な戦闘施設としての城という事だけではなく、規模は小さいですが、後の近世城郭に繋がる見せる城としても考えられているような気がしました。
とにかく学芸員の人が本当に詳しく説明して頂きました。有難いと思っております。とっても楽しい三ノ宮東城でした。
では、では。http://www.lit.kobe-u.ac.jp/~area-c/tomatu/mapa.html
ブレイズマンさん、こんにちは。
三ノ宮東城は書いてくださっているように不思議な城で、面白いお城です。
いろんなお城の不思議が寄せ集まると自分なりに考えられる
こともあるかもしれません。
まさに城めぐりの醍醐味ですね。
でもふとした発見で一気に問題が解決(その時点では)
されてしまうこともあるのも、面白いんですよねぇ。
> 多忙な方と想像しますので、お返事がいつになるかわから
> ないという気構えでならいいんじゃないでしょうか。
いっちょ、やっちゃいますか。
> 個人的には次の点を加えると尚よいかなあとは思います。
有難うございます。早速検討します。
> ・越水城包囲時の他の陣城の場所を可能な範囲で地図に落
> とし込む
こちらの方に関しましては、ホームページが出来ていますので、お城さんマークに入れておきます。
これを見て見てもらえば解りますように、神呪寺だけでが少し飛び出しています。これでは、越水城を包囲したことにはなりません。で、こちらのホームページにあります、
> 澄元が神呪寺の南の鐘の尾山に布陣した
としている場所が甲陽園城ではないか、と思っております。
ところで、三ノ宮東城、行ってきました。
私が行ったのはちょうどPM3:30程度でしたので、そろそろ発掘調査の終了しそうな時間帯でしたので、学芸員の人もひと段落終わったところらしく、約1:30程度、めっちゃ詳しく説明して頂きました。
豊地城もそうだったんですが、現地説明会終わった後、というのは、非常に狙い目ですよ。
続きがあります。http://www.lit.kobe-u.ac.jp/~area-c/tomatu/mapa.html
ブレイズマンさん、こんにちは。
>いっちょ、やっちゃいますか。
密かに楽しみにしてますよ。
三ノ宮東城に行かれたんですね。
間に合ってよかったです、ほんと。
> 中井先生にお手紙書いてみるというのは、どー思われます?
多忙な方と想像しますので、お返事がいつになるかわからないという気構えでなら
いいんじゃないでしょうか。
地域の情報に詳しい地元のお城グループを探してみるのも一考かとは思います。
いずれにしても、この掲示板をご覧になっていない(経過を知らない)方にプレゼン
なしでレポートをお見せになるのであれば、個人的には次の点を加えると尚よいか
なあとは思います。
・写真撮影場所及び方向を地図に落とし込む
・越水城包囲時の他の陣城の場所を可能な範囲で地図に落とし込む
・小堀城等の写真は例えば「類似例」という表題でひと括りのグループにする
余談ですが、レポートご提供のサイトですが、cookieを拒否しているとダウンロード
できません。私が利用しているWebブラウザのプロファイルは原則拒否で設定していた
ので少々悩みました。訪問先のcookieまで拒否設定している方はあまりいないような
気はしますが、ご参考まで。
ではでは〜
> レポートのご提供有り難うございます m(_ _)m
おーーーー、見れました?よかった、よかった。
もし、見れない方がおられましたら、ご連絡いただければなんとかお渡ししたいと思います。
> 神園町と若江町の間を流れる小規模の水路です。
はいはい、ありますね。
> 農地用水等のための人工的なものか否かが
私も詳しいことはよく解りませんが、現在は完ぺきに宅地化されていますので、面影は殆どありませんが、この周辺は「神園」という名称から、農業用水路の可能性があります。城の堀を流用したかについては、よく解りませんが、陣城とした場合、あまりにも短くそこまでの改修は難しかったのではないかと思います。
Googleマップでもうしますと、
「甲陽園若江町」
「神園町」
と記載がある箇所は、少し高低差があります。神園町の方が高いわけです。越水城から城をうって出て瓦林軍が攻めてきても、細川軍は上の段から攻撃が可能となっています。
本陣は西山に着陣、前衛部隊が一段上の甲陽園神園町で防備を固める、てな感じではないかと思います。
> たぶん、ブレイズマンさんも同じではないかと。
そです。「北側曲輪群」と申しておりました。
> 石垣まで室町時代からあるものと勘違いする人が続出する
> 気がしました。
TV局の連中もよく解っていないと思います。まーしゃーないですよね。
> 交野市の市民文化財講座「私部城」に参加してきました。
しまったーーーーーーー。今日でしたか。
電話で予約していたのに、すっかり忘れていました。
あーーーーーーーーーーーーーーー。
> 中井先生
そーだ。ご迷惑かも解りませんが、一度この甲陽園城の件で、中井先生にお手紙書いてみるというのは、どー思われます?
中井先生は、学芸員の方から多くの助言を求められる方で、ご自身も発掘調査を何度も行っており、取り敢えず今回のレポートを送付してみて、ご意見を伺うというのはどーでしょうか?
> 「飯盛山城と戦国時代の河内」
こちらのセミナー面白そうですね。
一度行ってみようかな。
情報有難うございます。
では、では。
交野市の市民文化財講座「私部城」に参加してきました。
発掘調査の回数が学術発掘調査よりも開発のための緊急発掘調査の方が多いことに
ちょっとびっくり。中井均先生が信長公記の一節に注目して私部城と織田信長の
かかわりを指摘されるといった内容を拝聴するなどで、大変満足して帰路につき
ました。レジュメの中で昨年中井先生が作成された飯盛山城縄張図も紹介されて
いて、ちょっと得した気分。
講座で拝聴した発掘のことが気になって城跡も見てきたのですが、いやー、結構
雰囲気が変わっています。二郭(字天守)の西面と南面はすっかり宅地造成されて
います。郵便局から東へ延びる道沿いあった石碑も見当たりません。個人所有地
だそうなので仕方ありませんが、開発が極端に進まないことを祈るばかりです。
余談ですが、会場に「飯盛山城と戦国時代の河内」というシンポジウムのビラが
ありました。大東市提案公募型委託事業だそうで、主催は摂河泉地域文化研究所と
いうNPO法人、後援は四條畷市ほか多数です。ネット掲載の情報としては「城郭
情報部」というWebサイト内の「城郭に関するセミナー、講演会、企画展等の情報
-> セミナー・シンポジウム」(リンクあり)にあります。
私は不運にも全て予定とバッティング・・・(泣)
では、失礼いたします。http://www.geocities.jp/joukakujouhoubu/seminar.htm
ポリタンクさん、こんにちは。
私部城はかなり状況が変わってしまっているのですね。
以前は適当な見方しかしなかったのが悔やまれます。
「飯盛山城と戦国時代の河内」の情報ありがとうございます。
私もいけませんが(T−T)、どなたかが行かれることを期待しましょう。
飯盛山城もそうですが、周辺の細かい城の情報も整理したものがあればいいなと思ってました。
当日の資料で何かあればいいんですけどねぇ。
プレイズマンさん>
プレゼンお疲れさまでした。
> 「これは城の遺構かなー」と思いながらぶらぶら
レポートとGoogleマップを画面上で並べて「バーチャル城めぐ」させていただき
ました。レポートのご提供有り難うございます m(_ _)m
ちょっと気になったのが、神園町と若江町の間を流れる小規模の水路です。農地
用水等のための人工的なものか否かがバーチャルではわからなかったのですが、
もし往時から存在する水路だとしますと、推定土塁との位置を考慮すると大きな
道路(推定竪堀)が城域北限?とか妄想に耽ったりできました。
みんぴかさん>
> 『北曲輪』って三丁石より左手方向のことですか?
私は山頂よりも北側半分の山麓全てを指していたつもりです(汗)
たぶん、ブレイズマンさんも同じではないかと。
> 女性一人で参加してもいいのでしょうか。
たぶん杞憂かと思います。足腰の弱いメタボなおっさんである私でも、参加したい
ものには周りを気にせず参加しておりますので。って、あんまり参考になりません
よね・・・
余談ですが、先日「ありえへん∞世界」というテレビ番組で竹田城が取り上げら
れていましたね。「ありえへん集落」・・・、集落のくくりで城を紹介することが
私にはありえへんことでしたが、また来場者が増えるでしょうね・・・
なお、築城が室町時代という説明は間違いではないけれど、あの紹介の仕方ですと
石垣まで室町時代からあるものと勘違いする人が続出する気がしました。時間の
制約はあるのでしょうけど、テレビは影響力が大きいので、もうちっと正確に紹介
してほしかったです。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
「ありえへん・・」は集落として紹介されてたんでしたか。
少し前に放送されることは聞いていたのですが、とても
あんな早い時間では見れませんでした。
テレビもそうですが、Webで情報発信しているのも含めた話として反省させられました。(^^;
また近々竹田城はふらっと行こうと思っているのですが
駐車場の確保が大変みたいですね。
下からあがろうかなぁ。
岡山県笠岡市の真鍋島。
朝5時37分津山駅出発。
8時10分笠岡港発の定期船に飛び乗る。
9時35分に岩坪港着。
狭い路地を抜けて五輪塔群から案内板に従い「城山城」(標高127m)へ向かう。
尾根に出てミカン畑。
道を尋ねたらミカン一つプレゼントされる。
狭い舗装道は快適。
長曲輪らしき平坦地。畑の石垣。
疑木階段から山頂の平坦地と東屋。縦ロープのある南側に小郭。
360度の展望。北東側は採石で崖。遺構は無いとのことだったが、帰りに疑木階段の樹名札が沢山ある辺りから北側の斜面を探る。
二連の竪掘と小郭残存。
一旦畑まで降りる。
そのまま案内板をたよりに南西方向に刈り払った尾根を進むと、すぐにアンテナのある「真鍋城」(標高84m)。
低い切岸、長曲輪。クランクになった低い切岸。
電波塔の向こうに石垣。
主郭だ。
東側に腰曲輪点在。
西側は岩場から崖。
南へ進むと廃屋、畑。
島宿三虎への山道に出る。
ここから更に山道(一部ヤブ)を進む。丁度、本浦港の南側までの山歩き。
再び尾根に出て島めぐり八十八か所。
「沢津城」(阿弥陀山121m)だ。
一旦、東に向かい長曲輪端まで行くと急斜面。
戻って西に進むと比較的緩い傾斜の斜面の遊歩道の両側に十本以上の畆状竪掘が連続。
祠のある主郭から南、東、北方向に仏像の光背のように延びている。
三角点で湯を沸かして昼食。
南の十字路目指して下ると少々草が邪魔をする。
女郎ぐもの巣連続。
本浦の十字路から円福寺へ下る。親切な住職。
本浦港で13時20分の高速船を待つ。
ナンバープレードの無い車が何台か走っている。
島猫の群れに御挨拶。
店先でおばあさんが腰が立たないと座り込んでいる。
島のみんなが心配そう。
診療所の先生、看護婦さん、店のご主人。
若い女性が119番をかけると海上タクシーが救急車(船)に出動。
診療所のストレッチャーで搬送。
大したけがでなければいいが。
やぶくぐりさん、こんにちは。
これはいい情報をありがとうございます。
離島を船で渡っての城攻めは私も好きなのです。
こういう場所があったのですねぇ・・・。
でも島は起伏が激しくて登り降りが大変じゃなかったですか?
場所を確認して、またいつか行ってみたいと思いました。
ありがとうございました。
おばあさんが無事であったことを祈りつつ・・。
なぜかはよく解りませんが、開いたページの
htt@://
部分を削除していただき、
https://box・・・・
という部分から始めて頂ければ、私の作成した資料が閲覧可能ではないかと思います。
では、では。ブレイズマンさん、こんにちは。
原因はこの掲示板のプログラムの仕様によるものです。
HTTPS://からはじまるURLを張り付けることができなくなっているのです。
入力ミスを補う格好で固定でHTTP://が補完されている
のが問題なんです。
ご迷惑をおかけしてすみませんでした。
でも無事拝見できましたよ。
大変な力作でしたね。
お疲れ様でした。
原因解りました。
これで、うまくいきましたら、下記のコメントは削除して頂けると有難いです。
では、では。
YAHOOボックス開けません?
再度記載しておきますね。
では、では。
先日、信貴山城へ行って来ました
みなさんが、信貴山城のことを語っているとも知らず・・・
で、私は朝護孫子寺から山頂にある空鉢堂の一つ下にある信貴山城の石碑から城域へ向かいましたよ。
まあ・・全く目印になる物のなく歩いていて気が付いたら
『五丁石』まで来てました。
この周辺にも曲輪や堀があり、びっくりしました。
三丁石を探しながら北上し歩きましたが、いくつかの曲輪もありました。そして、右手にあった草の茂みの間に道がありそこから入りました。
この道の先には『虎口』みたいのがありました。
そして、急道を登りきった所に壇状の曲輪があり、
たぶん『松永屋敷』だとおもいます。ほどよく木々も伐採しており想像してたより整備されてました。
そして、崩れかかっている『三丁石』を見つけ堀切をよじ登った先に数十mの切岸?土塁?がありました。
あとは、高安山方向に行ける道にもいくつかの曲輪も見てきました。
そうそう、みなさまを話してた『北曲輪』って三丁石より左手方向のことですか?
それでしたら、空鉢堂へ戻る道左手に道がありましたよ。
私は、バスの時間があったので行ってませんが・・・
あと、『城跡ウォッチングモニターツアー』ですが
信貴山観光iセンター内にパンフレットがありました
私も、都合を合わせて『椿井城跡ツアー』に参加したいと
おもってます。
こういう、ツアーって行ったことがないのですが
女性一人で参加してもいいのでしょうか。
これをきっかけに、城めぐり友達ができればいいな〜と
ちょっとおもっている私ですみんぴかさん、こんにちは。
精力的に城攻めされていますね。羨ましいです。
実はまだ私自身は信貴山城へ行ったことがありませんので
そこには触れませんが、お城ツアーへ女性1人で参加
するのは全然問題ないと思いますよ。
その場でお友達ができるかどうかはわかりませんが、
お城好きが集まっていると思いますので、話をしながら
楽しくお城歩きができるのではないでしょうか。
あともしよかったらmixiを覗いてみてください。
今は招待制じゃなくなっているのでしょうから、気軽に
参加いただけると思います。
多くの城好きが集まってますよ。
ではでは
数年かけて秀吉の鳥取攻めの陣城を調べてきました。
先日、鳥取県郡家町上峰寺にある「峰寺御本陣」が天正8年の第一次鳥取攻めの秀吉の陣城の可能性が有るので調べに行きました。
南北に連なる三つのピークの西(鳥取城方向)に数百メートルわたって空堀が掘られており、その下には2〜3メートルの切岸が延々と続いていました。
これはえらいものを発見したと喜んでいました。
続けて調査を行おうと思っていたところ、
地元で聞き込みを行ったところ、その場所は鳥取40連隊が
演習を行った場所で有る事が判明しました。
空堀と見たものは塹壕の跡、切岸は野戦陣地の跡、
日本陸軍の陣城が良好に残っていたと言う事でした。
改めて地元の聞き込みの重要性を思い知らされました。
とんだ早とちりでした。霄漢さん、こんにちは。
最近私がはまっている鳥取城攻めの話題ですね。
せっかくの大発見が一瞬で消えてしまった悔しさは
よく分かります。
でもその場で日本陸軍の情報が入手できてよかったのではないでしょうか。
私もできるだけ地元の方に遭遇したらお話を聞けるように
していますが、たまに相反する情報が2人の方から出る
こともあり、悩んでしまうこともしばしば(^^;
なかなか難しいものですね。
> 西宮の学芸員の方に火曜日前後でアポイントメントを頂
> き、本件を説明することになりました。
ということで、早速行って来ました。
で、一通り説明した後、学芸員さんの見解をお聞きしたところ、下記のような回答が返ってきました。
1.まずは現地を見ていないのでよく解らない点がある
2.城跡の可能性はある
3.しかし、城跡を断定するためには、発掘調査や現地調査から土塁の中や、その周辺から当時の遺物を発見する必要がある
4.絵図などがない城で、遺構の形状だけで城跡を断定するのは大変難しい
5.現時点では、肯定、否定も難しい
という事でした。
甲陽園西山町についてですが、この周辺は大阪城の石切場として確認されており、かなり深く調査したが、鐘尾山、もしくは鐘という言葉が、この周辺で文章として残っていたかについて、現在のところ確認していない、との事でした。
土塁は、城跡の可能性はあるものの、管理人さんご指摘の通り整地の残土の可能性も否定はできない、との事でした。
時間がある時に現地は見てみる、との事でした。
以上が回答となっております。
ここは私有地ですので、発掘調査は難しいと思います。仮に私の狙い通りで細川澄元が陣城を築いたとしても、3ヶ月という短い間でしたので、遺物が残っている可能性は極めて低いと思われます。
今回の纏めとしては、
1.甲陽園にある遺構は、城跡の可能性はある
2.西宮市として、この周辺をきっちり調査したことはない
ではないかと思います。
ただ、実証主義に基づき城跡と断定するために、発掘調査が必要となれば、残念ながら個人レベルではどうすることもできません。
> どーしよ、新聞でインタビューうけたりして
ということは、今の時点では無くなったかな、と思っております。
うーーーん、残念。
まーしかし、否定されなかっただけでも前進かな、とも思えます。
皆さんも、お時間がある時に、甲陽園の駅から5分程度で行ける場所にありますので「これは城の遺構かなー」と思いながらぶらぶら歩いてみても面白いかもしれません。
> 仮に城でなかったとしても、私が作成しましたレポートは
> 後日公表させて頂きます。
としていました通り、お城さんマーク、YAHOOボックスに私の作成した資料を入れておきましたので、ご興味がある方はご覧ください。
では、では。ブレイズマンさん、お疲れ様でした。
素晴らしい成じゃないですか。
でもまぁ「現時点では、肯定、否定も難しい」
と言われてしまいますよねぇ・・・。
でも引き続き長期で活動していってください。
地元の聞き取り、文献、あと現地所有者から現状の
地形の経緯が何か情報があるかもしれませんし。
たまに新聞でとりあげられている方も何十年も追いかけた
成果として出てるわけですから、ブレイズマンさんも
これからですね!(^^)
関連情報をご紹介いただき有り難うございます。当該情報を掲載されているブログは
嵐山城訪城時に参考にさせていただいた(No.2257「嵐山城」)のですが、信貴山城の
石垣の写真もあったのですね。見落としておりました。
私も大谷池方面から訪城したのですが、途中で車を止めて搦手側から登りました。あの
辺りは今もたまに夜に徘徊しており(No.2295「七尾城の補記 & 高地性集落」)、おぼ
ろげながらも道や周りの雰囲気を知っておりましたので。
大谷池のまわりも含めて、少ないながらも通行の邪魔をせずに駐車する場所があります。
なお、道の終点は朝護孫子寺多宝塔ですが、そこまで車で行くと顰蹙を買いそうな気が
しますので控えた方がよいでしょうね。
#十三峠は車両感覚を鍛えるのにお世話になりました。暗峠と違って辛うじてすれ違い
#可能です。
> 簡単なルートがあるかもしれませんが、探索されるときは十分お気を付け下さい。
お気遣い有り難うございます m(_ _)m
再訪する時は北麓を徘徊するつもりなので、ご紹介いただいた情報に倣うと思います。
石垣は地図を拡大すると尾根筋まで道が延びているように見えますので、そこから行く
のもありかなあなどと考えたりするのですが、車を移動させるのも面倒ですし、
駐車スペースがあるかわかりませんので、北麓徘徊の一環で踏破しようかなあと思って
います。
そうそう、iPad、いいですねえ。最近はハンディスキャナもお手頃な値段になったので、
必要資料を電子化して携行するにはうってつけで大変惹かれます。ただ、私の物の扱いが
雑ゆえ、直ぐに壊すかもという恐怖心から手を出していません(泣)
資料を鞄にしまうのが面倒になって、口にくわえたりしますから・・・
では、失礼いたします。
> 松永屋敷付近に新しい築城技術とか強大な土木量を投入し
> ているので、その中心部に造営された可能性を指摘してお
> く
なるほどーーーー大変詳しい情報有難うございます。
理解できました。
私も、
> 一方、北側曲輪群に天守をしのぐ、建物群があった可能性
> はあるかなと思います。
としていますように、天守かどうかは別としまして、現地を見て回った感じとしては、松永屋敷付近にはなにか巨大な建物があった雰囲気はしました。
> 位置は現地(二の丸)案内板にて紹介されているあたりと
> 一致しています。多分このあたりかなあと思われる場所を
> お城さんマークにリンクしておきます。
えーーーーーーー、そんな記載ありまりましたか。
またしても完全に見落としていました。
信貴山城を見ていない方に簡単に説明しておきますが、
・芥川山城
・鹿背山城
は、山字型、M字型、鶴翼の陣に曲輪を配置していますが、
・信貴山城
は、V字型に曲輪を配置しています。ご指摘の部分は、Vの字の片方の最先端部分だと思われます。
お城さんマークに信貴山城の関連ホームページを入れおきました。
この方、信貴山城の石垣発見されていますね。すごーい。ただ、写真を見ただけなのですが、石が4つ程重ねっているだけで「石垣」とまで言えるのかに関しては・・・・。ただ石垣らしきものは確かにありますね。が、破壊も激しいような印象もあります。
いずれにしても、たぶんこの石垣がある周辺は曲輪下の危険地域だと思われます。簡単なルートがあるかもしれませんが、探索されるときは十分お気を付け下さい。石垣が発見できなくても、他の見ごたえがある遺構はたっぷりとあります。
いずれにしも、情報有難うございます。今度行く時は私も気を付けますが、探してみたいと思います。
> いただいた現説当日資料の印刷をお忘れなく。
有難うございます。
実は、もうiPadの中に入っております。楽しみです。
では、では。http://blogs.yahoo.co.jp/jyamasiro/22758832.html
ははは・・。
すっかり出遅れてしまってます(^^;;
楽しく読ませていただいております。
天守の話ですが、古い文献を根拠にして書いたわけではないです。すみません m(_ _)m
『図説近畿中世城郭事典』(城郭談話会)にて「松永屋敷付近に新しい築城技術とか
強大な土木量を投入しているので、その中心部に造営された可能性を指摘しておく」と
いう感じで書かれています。それを読んで、「あー、そんなのもありかもー」という
感想を持った次第です。
石垣ですが、私が思っているものがブレイズマンさんのおっしゃるところの「石垣は
完全に破壊された」場所である可能性がありますが、一応記載いたします。
取り急ぎ探したところ、石垣に言及していたのは以下の書籍でした。
『図説中世城郭事典 二』(新人物往来社)
『図説近畿中世城郭事典』
『織豊系城郭の成立と大和』(大和中世考古学研究会・織豊期城郭研究会)
位置は現地(二の丸)案内板にて紹介されているあたりと一致しています。多分この
あたりかなあと思われる場所をお城さんマークにリンクしておきます。
余談ですが、三ノ宮東城に行かれる前に、No.2399のお城さんマークにリンクさせて
いただいた現説当日資料の印刷をお忘れなく。
#見逃されていたらまずいと思いましたので、念のためのご紹介です。
では、失礼いたします。http://portal.cyberjapan.jp/denshi/opencjapan.cgi?x=135.66873611118&y=34.616265768396&s=4500
ぎゃーーーーーこの情報完全に見逃していました。
> 現地で質問したところ、今の状態が見れるのは11月一杯くらいじゃないか
> ということでした。
> どうも12月から工事に入るということで・・・(;_;)
えーーーーーーーーーーーー、私、こーゆー情報ちょくちよく見逃します。
それはやばいです。
今月中に行きます。
朝日新聞に今回の記事を発見しましたので、お城さんマークに入れておきます。
では、では。http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000001110140002
ブレイズマンさん、こんにちは。
無事消滅前にご覧になられたようでよかったです。
日本全国こうやって消えていく城跡は少なくないですが
できるだけ自分の目で見て、その時の様子をご紹介できれば
いいなと思ってます。
ほんとはできるだけ残ってほしいとは思いますが・・。
> 信貴山城の天守建築ですが、山頂ではなくて北麓にあった
> のではないかという意見もあるようですよ。
なるほど、そーゆー話もあるのですか。
ただ、私が見た信貴山城想像絵図には、山頂に天守が描かれておりました。
山頂に天守がないとしたら、かなり不格好な城となりますよね。城名人、派手好きな松永がそのような不格好な城を普請するとは、私自身は思えません。
山頂下に二の丸はありましたでしょ。天守があったとしたら、ですが、はやり本丸ではないかと思います。山頂には礎石跡と思われる石いくつ発見できましたが、これは寺関係の礎石の可能性もあります。
一方、北側曲輪群に天守をしのぐ、建物群があった可能性はあるかなと思います。
> 私は朝護孫子寺方面から山頂までの訪城のみで北側は
> 未踏なのですが、縄張としては北側が正面かなあと思いま
> すので、
それは、その通りです。私は北側、わりと細かく探索しました。北側の曲輪群は実に見事です。一言で申しますと堅固ですね。
織田信長軍も大変苦戦したのはよく解ります。
> 妄想はさておき、北麓には石垣もあるそうなので再訪した
> いなあとは思っています。
え、そーなのですか。
私の資料には石垣は完全に破壊された、とあり石垣は残っていないとのことでした。私自身も発見することはできませんでした。どの辺に石垣があるかご存知ですか?
> 幻の甲陽園城についてですが、レポートまで作成されまし
> たか!素晴らしいです。
にぁははははははは、まだどーなるか解りませんけどね。
有難うございます。
ご両名より、城の遺構の可能性あり、と少し勇気を頂きました。結果はご報告いたします。
そそ、それと、管理人さんより、
> ちなみに細川両家記にはなんと書かれているのですか?
と問い合わせいただき、その時は曖昧な返事しか致しませんでしたが、レポート作成するに辺り、再度資料を読み直しました。それによると、
・鐘尾山
と書かれております。おそらく神呪寺の鐘と関係するのではと思われます。
鐘尾山、現在、どの場所か不明なのですが、仮に甲陽園城が私の狙い通りだとした場合、甲陽園西山町一帯つまり
西山=鐘尾山
ではないかと思います。
鐘尾山につきましては、今後の私の研究課題になるかと思います。
地図をお城さんマークに入れておきましたので、ご覧下さい。
では、では。
ならさん>
面白そうな企画ですね。椿井城についてちょこちょと検索していたら、最近
有志の方が登城道を整備されたという情報を見たので、折りを見て行って
みようか思っていたところでした。都合がつくか検討してみたいと思います。
#信貴山城の方は既に日程的に難しいと予想しています・・・
ブレイズマンさん>
信貴山城の天守建築ですが、山頂ではなくて北麓にあったのではないかという
意見もあるようですよ。私は朝護孫子寺方面から山頂までの訪城のみで北側は
未踏なのですが、縄張としては北側が正面かなあと思いますので、あり得ない
話ではないような気はします。私的に妄想するなら、鳥取城二の丸御三階櫓
みたいな雰囲気だったのかなあと。
妄想はさておき、北麓には石垣もあるそうなので再訪したいなあとは思って
います。
伏見城の移築遺構ですが、明石城切手門は移築先である月照寺Webサイトにて
豊臣時代の伏見城の移築である雰囲気を匂わしています。
幻の甲陽園城についてですが、レポートまで作成されましたか!素晴らしい
です。仮にお城でなかったとしても、考察することそのものが大切ですよね。
例えとして不適切かもしれませんが、宝くじも買わないと当たりませんし。
最近は成果第一主義の弊害で末葉に目を向けない世情だなあとちょっと悲しく
なっていたのですが、ブレイズマンさんの姿勢を拝見して元気になりました。
有り難うございます。レポートを拝見できることを楽しみにしております。
あ、話は変わりますが、iPhone 4Sを予約しました。管理人様ご提供「城めぐ
TOUCH」を利用できるかと思うとわくわくします。ただ、肝心のiPhone 4Sの
納品がいつかはわかりませんけどね・・・
では、失礼いたします。
> 土塁としてあげておられるものが実に城っぽく見えます
> ね。
おーーーーーーーーーーーーーー、そー思って頂けます?
> で、土塁の外側が段差があって道路になっているのです
> ね。
おーーーーーーーー、さすが管理人さん、細かい点までチェックして頂いておりますね。まさにその通りなんですよ。
> 整地した際に余った土を周辺に集めたものなのかどうか
> も気になりますが、
そーなんですよねー、まーそーゆー可能性もあります。
私もその可能性は考えましたし、あると思います。
ただ、写真を見ても分かるように、端ぎりぎりに盛土されています。「土を周辺に集めた」可能性は否定しませんが、にしてはここまでぎりぎりに盛土する必要があったのか?という部分に疑問があります。盛土した外側は崖となっており、城の遺構としての可能性もあると思っております。
> しかも宅地化されたり、整備されたなかにわずかに残って
> いるところがさらにテンションがあがりますねぇ。
めちゃくちゃ上がります。カベノ城は今だ発見できませんが、甲陽園城を発見できたらめっちゃ嬉しいです。
> がんばってくださいませ〜
有難うございます。
> もし、管理人さんも「城っぽく見えます」というお墨付き
> をいただけたら、ちゃんとしたレポートに仕上げて、西宮
> 市の考古学をやっている方に相談してみようとおもってい
> ます。
ということで、管理人さんからのお墨付きを頂けましたので、一応本件に関するレポートを作成しました。で、西宮の学芸員の方に火曜日前後でアポイントメントを頂き、本件を説明することになりました。
さーて、さてどうなるでしょうか?
経過報告は後日させて頂きます。
仮に城でなかったとしても、私が作成しましたレポートは後日公表させて頂きます。
では、では。
> ブレイズマンさん、(ひつこいかもw)城好きに美人はい
> ますよ!(^^
いやいや、そこは否定していませんよー。
いた方がよい、いや、いると思います。
ただ、そこはイケメンの城好きってそんなに多くないので、それは比例いるのでは、と思ったりします。女性から見ても、城好きのイケメンって好きないよねー、と思われていたりして。
> 私のことじゃないですからね。(と一応今後ここを見られ
> た方に訴えておきます。)
> 私も十分気を付けて運営していきますが。
あははははははは、管理人さんが美人写真を掲載していたら、それはちょっと笑えますね。それは、それでちょっと面白いかも。
> 伏見城の移築遺構は調べていけばますます面白く感じてき
> ました。
伏見城の移築遺構は、特に徳川家康自身も普請に深く関わった、あまりの戦闘力のため、のちの大阪の陣に繋がったと言われていますので、欲しい方は沢山いてたと思います。
> また、豊臣時代の移築という話も少なくないですしね。
少ないですが、確かにあります。
続きがあります。
城跡ウォッチング モニターツアー、非常にいい企画ですね。歴史資源としても、有効活用すべきではないかと思っております。
これって、なにか現地説明会のようなことはして頂けるでしょうか?
特に信貴山城に関しては、山頂部分、あんな岩ごろごろしたところに、四層天守がそびえるのか?大変疑問を持っておりました。
椿井城は行ったことなかったので、ぜひ参加したいと思っております。
大変面白そうなツアーですので、前向きに検討したいと思います。
続きがあります。http://www.town.heguri.nara.jp/topics/topics/topics01.html
ブレイズマンさん、こんにちは。
さっそく検討されてますね。
行かれましたらぜひぜひお話をお聞かせくださいませ〜
奈良県でこのような見学会がありますよ。
城跡ウォッチング モニターツアー参加者募集
奈良県平群町では、戦国時代の歴史を物語る「信貴山城」と「椿井城」の二つの山城跡を町の歴史資源として活用していきたいと考えています。この二つの山城跡を多くの方に知ってもらい、訪れてもらうための整備に向け、実際に山城跡に登り、城跡探索などを行っていただく「モニターツアー」を開催します。山城やハイキングなどに興味のある方のモニターツアーへの参加を募集します。
A:信貴山城跡ツアー
とき 11月26日(土) 午後1時〜4時
B:椿井城跡ツアー
とき 12月3日(土) 午後1時〜4時
※詳細行程については、参加申込者に別途通知します。
対象者 山歩きが可能で体力のある中学生以上の方
募集人数 各回30名 ※A、B両方に参加することも可能
参加費 無料
申込期限 10月31日(月) ※応募多数の場合は抽選
申込方法 郵送・FAX・Eメール
<記載事項>
(1)住所(郵便番号) (2)氏名 (3)年齢 (4)性別 (5)電話番号 (6)FAX番号 (7)メールアドレス
※(1)〜(5)は必須
※応募いただいた個人情報は、「城跡モニターツアー」に関する確認などの目的のみに使用し、それ以外の目的には使用しません。
<申込先>
(郵送の場合) 〒540-0001 大阪市中央区城見1-4-70 住友生命OBPプラザビル15階
(株)地域計画建築研究所 「平群町城跡ウォッチングモニターツアー」係
(FAXの場合) 06-6941-7478
(Eメールの場合) yamajiro@arpak.co.jp
<問い合わせ>
平群町経済建設課 0745-45-1017(直通)
ならさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡です。
城跡ウォッチングの情報ありがとうございます。
個人的には信貴山城に惹かれています。
あ!申込み期限が終わってました。
でも地元でこういう山城を紹介する機会がほかでも増えて
くればいいなと思います。
こういうのって地元のお年寄りの方が多いのでしょうか。
参加された方がいらっしゃったら、よかったらまたその時の
様子もお聞かせくださいませ。
霄漢さん>
現説開催の情報提供をいただいたおかげで有意義な経験ができました。有り難う
ございます。
当日の画像データはまだパソコンにコピーしていないので、等倍表示で見ており
ませんが、多分管理人様は写り込んでいると思います(笑)
#データ保管場所が満杯になり、只今環境変更作業の真っ最中です。とほほ。
そういえば近くにありましたね、青のスバル。綺麗な色だったので覚えており
ます。ただ、残念なことにオーナーである霄漢さんがどなかたは識別できており
ませんで、すれ違ったことに気がついておりません・・・
おっしゃるとおり関係各位の気合いが伝わる現説でした。ただ、時間の都合上、
説明されている方に悪いと思いつつも、途中から勝手に動き回っておりました。
折角の説明を聞かないのも勿体ないなあとは思ったんですが・・・
では、失礼いたします。
管理人様今晩は。
行かれたとは気が付きませんでした。
なるほど当日写した写真には、赤い鞄を持っておられる
管理人さんが写っていました。
ポリタンクさんとは何度かすれ違った気がしますが。
車も近くに止めておられたようで、
私の車は、青のスバルです。
当日は快晴で気持ちよく、発掘担当の熱意が伝わる
素晴らしい現地説明会でした。霄漢さん、こんにちは。
このたびは発掘時の情報から、説明会の情報がOPENに
なる前から教えていただきまして、ありがとうございました。
あんなに素晴らしい現地説明会と発掘結果を拝見できる
のは幸せでした。
やはり「赤い鞄」は分り易すぎましたか(汗)。
よく考えたらこちらでお世話になっているお二方に
お目にかかれるチャンスでしたのに、ご挨拶できなかった
のは実に残念でした。
またどこかのお城に行かれる場合は、事前に教えてください(笑)。
管理人様>
> 現地で質問したところ、今の状態が見れるのは11月一杯くらいじゃないか
> ということでした。
> どうも12月から工事に入るということで・・・(;_;)
こういった情報もその場で入手した方がいいですよね。私は自己中なせいか
気が回りませんでした(泣)
そうそう、京都府埋蔵文化財調査研究センターWebサイトに当日の資料がアップ
されています(pdf)ので、お城さんマークにリンクしておきます。工事に入る
前までの訪城時に携行するとよいかと思います。
高速は渋滞していたんですかね。大阪方面の国道は能勢あたりまでは順調で
した。能勢からは妙見山の方に逸れたのでわかりませんけど。
赤いカバン・・・。私の右隣の方はやはり管理人様でしたか。脱着式のサン
グラスを途中までかけていたおっさんが私です(汗)
あと、この場をお借りして須知城についての情報を3つ追加します。
先客の方に伺って確認できたのですが、城域の山は止め山になる時期がある
そうなので注意してください。
最後は斜面を直上しますが、多少の遠回りになっても道がUターン気味になる
ところまで行ってから直上したほうがよいです。目印(四角くて赤い杭)が
あるので、下りの際に迷わなくてすむと思います。
東端の曲輪とその左側の曲輪の間の斜面上に10cmくらいの穴がありますが、
多分スズメバチの巣の出入口です。穴に気付くというよりは、視界の端の足元
付近で蠢くものが気になって視線をそちらに向けたら、それらは穴に群がる蜂
たちだったという感じです。威嚇でちょっと追っかけられました(号泣)
穴は斜面中央ちょい南寄りにありましたので、現地では北側に沿って移動した
方が蜂を刺激しないと思います。
では、失礼いたします。http://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/gensetsu-pdf/gensetu-siryoupdf/h23pdf/h23-sannomiya.pdf
ポリタンクさん、こんにちは。
改めて資料を見直してきました。
あと・・・赤い鞄という情報はバレバレとなってしまいましたか(汗)。
あの時は夢中にメモったり、散策モード全開でおりましたので、恥ずかしい行動をとっていたかもしれません。
また、貴重な追加情報助かります。
参考になります!! m(_ _)m
本岡です。
昨日、三ノ宮東城の現地説明会に行ってきました。
情報を下さいました霄漢さん、また直前に三宮小学校の情報を下さったポリタンクさんありがとうございました。
大変素晴らしい城、いやそれ以上によくここまで発掘調査していただけたなぁという感動が大きかったです。
詳しくはまた書きますがまずはお礼が言いたくて書かせていただきました。
現地で質問したところ、今の状態が見れるのは11月一杯くらいじゃないかということでした。
どうも12月から工事に入るということで・・・(;_;)
あと三ノ宮城も見て帰宅しました。
篠山の陶器祭りさえなければもっと時間があったのですが、あの渋滞の存在は忘れてました。
ポリタンクさん、私は赤いカバンを持っていましたよ。
事前にここで目印を決めておけばよかったですね(^^;
貴重なお会いできるチャンスだったのに残念です。
またどこかのお城でお願いいたしますね。
行ってきました、現地説明会。ついでに園部城、黒田城、須知城、上野城、
三ノ宮城に行ったのでヘロヘロです。
三ノ宮東城跡発掘調査は素晴らしかったですが、詳細はいずれ主催者が
情報をアップするような気がしますので、とりあえずは割愛いたします。
高速道建設による破壊のための調査なので、複雑な気分ではありました。
他の城について、現地で思ったことなどを少々。ヘロヘロの主原因である
黒田城と須知城についてです。
黒田城ですが、獣除けの電気ショック付鉄線が張り巡らされています。通り
すがりの方に尋ねたところ、訪城を禁止しているわけではないそうです。
出入りの際に線の付け外しをきっちりすれば問題ないかと。また、途中の
尾根筋が粘土質っぽいので雨上がりでは注意を要します。「プチ有子山城
遊歩道」みたいな状態です。
須知城へは玉雲寺から向かうことになりますが、その方向からですと「隠し
虎口かいっ!!」ってツッコミを入れたくなるほど登城口に気がつきません。
未舗装道の斜面に石を積んでいるところまで行くと行き過ぎです。それより
ちょっと前で振り返るといとも簡単に見つかります。また、現地では先客の
方がいらっしゃいましたが、私の気配を獣と勘違いされたようで、鈴を鳴ら
して警戒されてしまいました。てへへ。
あと余談ですが、現地説明会冒頭の麓での解説の時、私のすぐ傍に管理人様が
いらっしゃったような気がしたのですが、ご本人か否かの確信が持てなかった
ことと、もしご本人であっても邪魔してはまずいとか考えてしまったことで、
声をかける勇気がありませんでした・・・
では、失礼いたします。ポリタンクさんこんにちは。
あの日はほとんど時間がなくてせっかく丹波まで出かけた
というのに三ノ宮城、三ノ宮東城の2つのみでした。
隣にいらっしゃったということでかすかな記憶を
呼び起こしながら・・・・・・
ひょっとして黄色いTシャツを着ておられた方ですか?
違ってたらすみません(^^;
山城シーズン突入。山城会オジジ4人で「鳥取城」「太閤ケ平」攻略。
幸いにも県立博物館脇駐車場に駐車出来る。
「鳥取城」右麓の丸から二の丸の登り石垣、天球丸を経て直登道を約40分で山上の丸。
快晴で展望良好。家族連れも多い。
山上ノ丸の天守櫓跡、二の丸、ロープウエイ跡。
「十神砦」の岩場に寄り道。
十神砦前の桝形虎口から尾根筋をひたすら進む。
イノシシ情報で笛と鈴の四重奏。
十神林道出会いから「水道奥西端の陣所」「中水道北尾根の陣所」らしき遺構。これから陣城の連続。
ひようたん池分岐を過ぎて、「秀長の陣所」手前の二重堀切は見所。
展望所を過ぎて「太閤ケ平」。山上ノ丸から2.2km。
すごい土塁囲みと横堀だ。
帰りは栗谷町方面に山道を歩き内堀に出る。
さすが人気スポット。クモの巣が顔にかかることも無く気持良い山城歩き堪能。
やぶくぐりさん、こんにちは。
鳥取城の天球丸はなかなか完成しませんねぇ。
先月もふらっと行ってしまいました。
さて、私も最近気になっている太閤ヶ平はお気に召された
ご様子ですね。
あそこ一帯は鳥取市が力を入れて、遊歩道をもうちょっと整備して案内板を設置すれば陣城めぐりがメジャーに
なるのになぁと思ったりしています。
山城シーズン解禁、これからも楽しみにしております。
今回の城巡りでの三重県内の移築建築に関しては、ミッシー様が管理されている
『お城ガイド』の情報を参考にしております。ミッシー様にリンクの許可をいた
だきましたので、URLをお城さんマークに入れておきます。
では、失礼いたします。http://www.asahi-net.or.jp/~xt8k-msm/
ポリタンクさん、こんにちは。
移築門の情報は事前にチェックしておかないと
まず行き漏らしてしまいますから、大事ですね!
ありがとうございます。
霄漢さんから情報提供いただいている三ノ宮東城現説ですが、京都府埋蔵文化財
調査研究センターに電話で照会したところ、三ノ宮小学校に場所を借りている
ので、車で来ても大丈夫という回答をいただきました。
では、失礼いたします。
外国山、三谷山登山とセットで瀬戸内市長船磯上にある「備前・油彩城」訪問。
カーナビを頼りに森下化学工業南側から東へ「長船美しい森」に向かう。
長船美しい森のすぐ手前に池があるが、この池の西側が目指す「備前・油彩城」。
磯上地区には風夢氏のホームページ「落ち穂ひろい」に記載された「堀城(方形居館)」もあるが、「備前・油彩城」は小山一つ越えた南側の谷になる。
民家脇に駐車。いかにも砦のありそうな二段の小山。
東側をうろつくがヤブ。
畑を降りて池の土手から堰の鉄橋を渡り搦め手に入る。
竹林に小郭3つ。主郭は10m四方程度の甘い平坦地。
周囲の切岸以外には防御力に乏しい。
ごく小規模な砦。
やぶくぐりさん、こんにちは。
ほとんど記憶がなくなってますが、油彩城は
以前行こうとして諦めたんだったと思います。
回り込めば行けたのですね。(といってもおそらく
私だったら諦めてしまいそうな状況なのでしょうけれど)
ちょっとした空き時間も隙なく攻めておられるようですね。
流石です。
まず、No.2390「Re: 三ノ宮東城現説」中、「京丹後町」は「京丹波町」の誤りです。
すみません m(_ _)m
霄漢さん>
お城さんマークにリンクした情報(pdf)を見つけました。京都府埋蔵文化財調査研究
センターが現地説明会の主催者っぽいので、電話で照会してみます。
では、失礼いたします。http://www.kkr.mlit.go.jp/fukuchiyama/road/pdf/tanbaayabe2.pdf
#誤記修正及び加筆のために削除後に再投稿
連投稿になりますが、連休中に他の用事ついでに以下の行程で城巡りをしましたので、
一応ご報告を。
【兵庫県】明石城(2回目) -> 赤穂城 -> 姫路城(たぶん5回目)
【三重県】田丸城 -> 松坂城(2回目) -> 松ヶ島城 -> 津城
全部をまともに書くとどえらい事になりそうなので、情報提供を兼ねたつまみ食い
状態で・・・
明石城の櫓公開ですが、No.2348にて書いたとおり坤櫓と巽櫓をそれぞれ奇数月と
偶数月の隔月、日時は土日祝午前10時から午後4時。ただし、7・8・12・1・2月は
公開休止月です。
姫路城「天空の白鷺」は午後4時までに城内有料区域に入れば何とかなりますが、
リの一渡櫓の内部公開は4時頃までなので、両方見るのであれば少し時間に余裕を
持った方がよいと思います。(私は時間の都合でリの一渡櫓は断念しました。)
赤穂城の二の丸庭園は整備中で入れません。
松ヶ島城からの移築伝承があるらしい龍泉寺三門(三重県登録有形文化財)は現在
保存修理中で、来年の2月末に修理完了のようです。
移築門といえば、田丸城と松坂城のそれを拝見できる転輪寺(順に表門と南門)も
寄りました。その近所の新茶屋公民館から西北西に延びる歩道沿いにも田丸城の
移築門が明和町教育委員会と郷土文化を守る会の名を併記した標識とともにあり
ます。
なお、津城については目新しい情報や注意点がないので割愛します m(_ _)m
この連休中で一番印象深かったのは田丸城ですね。「天空の白鷺」も貴重な体験で
よかったのですが、田丸城は中学校校門からの眺めが花屋敷下から望む竹田城を
重なり、ちょっとした衝撃を受けました。南西からの遠望も良い感じ。管理人様が
Webサイト上の記事でお書きの感想に賛同でございます。
あと、松ヶ島城では偶然出会った地元の方(御年80歳超)にお話が聞け、出土した
金箔瓦や麻袋に入った眼帯など、昔の貴重な情報を知ることができました。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
その偶然の出会いはほんと貴重ですよね。
私は地元のお年寄りがいらっしゃらないかキョロキョロ
してしまいます(笑)。
津城は石垣の調査をやるというのも小耳にはさんだのですが、まだなのかな?
私は戦国名像という新たなテーマを推進しているのもあり、津にはぜひとも行っておかねばならないのです。
あちこち行かねば(汗)
#連投稿が重なってすみません・・・
霄漢さん>
情報有り難うございます m(_ _)m
都合が悪くなければ参加しようと思うのですが、駐車スペースがあるかご存知でしょうか?
京丹後町や同教育委員会のWebサイトをさっと拝見したのですが、情報を見つけることが
できませんでした。もしご存知であれば御教示いただけると幸いです。
以前お知らせしました、京丹波町「三宮東城」の
現地説明会が10月16日(日)14時から有ります。
国道9号と173号線の和田の交差点を173号線を北に4km位の所です。霄漢さん、ありがとうございました。
この情報のおかげで訪問することができました。
大変おそくなりましたが、お礼申し上げます。
今城ですが、これも行こうと思いつつ未訪です。整備(といっても古墳として
ですが・・・)が終わったようなので、ぼちぼち頃合いかなあとは思っています。
管理人様がWebサイト記事で「今城」という名称に物足りなさを感じていらっ
しゃるように見受けられますが、『日本城郭大系 11 大阪・兵庫』では名称を
「今城」としながらも『攝陽群談』という書物では「郡家古城」という名称で
登場する旨記載があります。また、『探訪ブックス 日本の城 5 近畿の城』
では「郡家城」として紹介されています。ここはブレイズマンさんの情報も
加味して「郡家砦」なんていうのもありかなあと思ったりします。
あと、この場をお借りして・・・
管理人様がNo.2370のみんぴかさんへの返事として秋山城に触れていらっしゃい
ますが、最終形を指すことを意図して「(宇陀)松山城」と呼ぶ方が多いかも
しれません。秋山城という呼称の時代に対となる秋山下城もセットで行こうか
なあと考えてはいるのですが、これまた未訪です(泣)
では、失礼いたします。ポリタンクさん、フォローありがとうございます。
前から思ってましたが、よく調べられてますね。
郡家城、城の名前の由来を調べるのも楽しいものです。
ありがとうございます〜
高槻市に今城塚古墳があります。
ここは、管理人さんのホームページにもありますように、
> 案内板によると三好長慶が出城を築いたとあります。が、
> 一方で数度にわたる発掘調査により、織田信長が三好長慶
> を攻めるために居城としたという見方もされているようで
> す。
という見方も以前は確かにありました。
で、今回「今城塚古代歴史館」が新たに出来上がりましたのでそちらに出向き、そこにおられた学芸員の人に詳しく話を聞きました。
それによりますと、
1.当初城跡と思われた部分を丹念に発掘調査した結果、伏見大地震によって墳丘が崩壊し、城跡と断定できる改変は発掘調査からは確認できなかった
2.この城跡に関する1次資料、当時の記録は全くない
3.唯一鉄砲の弾1発だけ発見されたが、これだけを持って城跡であるとは断定できない
以上の点を総合的に考え「戦国時代に砦として使用された伝承がある」という短い一節のみ「今城塚古代歴史館」では記載し、他の「三好長慶・・・」云々という部分は、現在は削除されているそうです。
これだけの大規模の古墳跡が自由に出入りできるのは、日本でもここぐらいだと思いますので、一度行かれてみるのはいいかと思います。
ただ、一時時に陣城に使用した可能性はありますが、城へ改修したかどうかは不明で、城にしたという根拠はかなり希薄だそうです。
では、では。http://www.siromegu.com/castle/osaka/imasiro/imasiro.htm
ブレイズマンさん、こんにちは。
今城は高槻の台場や高槻城の石垣を追いかけた日にセットで
行こうと思ってたんですよねぇ。
時間がなくて断念しましたが。
たしかに書いてくださったように、城跡という見方が
どっか行ってしまってるようになっているのですね。
たしか霄漢さんも以前書いてくださってたような・・・。
ぜひとも再訪したいと思います。
秀次の陣ですが、アンテナのピークに登って西に向かったほうが楽なような。
南側の池を挟んで対峙した陣の鉄砲よけと思われる北側が一段下がった不思議な郭を構成し。東側には一列に鳥取城に向けた郭群があります。ぜひ見てほしいです。
個人的見解ですが天正八年の秀吉本陣ではないかと考えています。
南側の池の成立について色々文献を探っているのですが、天正にあったかどうか不明です。1630年ごろの絵図には描かれています。この池に面して南側に不思議な遺構がたくさんあるのですが年代が特定できていません。
猪ですが、確かに、以前訪問したとき、アンテナの近くで寝ていて、獣の癖に近づいても起きませんでした。爆竹10本耳元で鳴らしたらものすごい勢いで逃げて言った記憶が在ります。幸田屋さん、ご無沙汰しております。
実は幸田屋さん反応してくださらないかなと内心思っておりました(^^;
>秀次の陣ですが、アンテナのピークに登って西に向かったほうが楽なような。
そうですか。
西からは住宅の人の目が気になりますが、東はとりあえずアンテナまでは簡単にいけますからねぇ。
でもそこから斜面を下って、また登ってがきつそうだなと思うのですが。あ、私には・・ですが。
あまり重要視してなかったのですが、こうやって改めて
鳥取城にお詳しい幸田屋さんのお話を拝見しておりますと
そのつもりでじっくり見てきたくなってきます。
また年末か正月明けを狙ってみます。
猪は15時過ぎから活動開始するからそれまでに山を
降りろよ、と工事のおじさんにアドバイスいただきました。
あんなでかいやつを相手にするのは怖すぎます。
爆竹・・いいですね。
小学生がランドセルにぶらさげてる防犯ブザーとかどうかなあ。
続けてです・・・
兵庫県神戸市西区にあります「端谷城」
地下鉄西神中央(せいしんちゅうおう)駅からバス移動
寺谷停留所下車(終点¥260)
橋の近くに駐車場みたいのがありました
無料かな?誰もいませんでした。一応参考まで
バス停から川を挟んだ前方の山です
大手道と呼ばれていた道は現在急な石階段
右手にチェーンをしている道もあります。
私は、チェーンをしている坂道から行きました。
チェーンの役目はたぶん、車止めだと思います
三の丸に寺が建ってます
その右手から本丸へ行く道があります(標識あり)
するとすぐ左手に堀切があります
これ、幅も深さもありびっくりです
そのまま進むと二の丸・一段高くなって本丸・左手に隅台
この二の丸も広く、二の丸と本丸との間にも堀があります
本来なら、本丸の下には大規模な堀切があります
が、藪化となっており本丸から確認は不可能です
しかし、二の丸と本丸の間にある標識あたりから
「南曲輪」へ行く道があります
正確にいうと、「道らしき道です」
でも、竪堀がいくつもあり曲輪の匂いがプンプンします
ずっと進むと階段状になった曲輪があり、右手方向に進むと
少しだけですが堀切が見えます
ここの堀切は、幅&深さ&長さが半端ないくらいです
たぶん、この堀切が本丸下にある堀切と繋がっていると
思われます。
あともう少し、手入れしたらめちゃめちゃいい城跡なのに
本当にもったいないです。
しかも、この端谷城周辺にはあと3つも城跡があります
端谷城真向かいにある「城ヶ市城」
端谷城より車で5分くらい駅へ戻った北側にある「福谷城」
(現在秋葉寺)その南側にある池谷城です
また、時間を見つけて登城します
行ったことあるかた情報下さいね。
よろしくお願いします。
でわ、また報告しますみんぴかさん、こんにちは。
今度は兵庫県ですね。
端谷城はおっしゃる通り遺構の状態もよく、すばらしい
お城です。
でもやっぱり藪は育ってきてしまいますねぇ。
(あぁ・・ここの現説も全然アップしてない。)
周辺のマイナーなお城もご存じとは素晴らしいです。
でも見応えあるのは池谷城くらいです。
ここは竹藪ですので整備がされていないと思います。
蜘蛛の巣を払い、藪コギ覚悟で行ってきてください。
でもその苦労以上に遺構が残ってますから楽しめますよ。
季節を選んでできるだけ冬枯れの時がいいでしょうね。
奈良県 柳生へ行って参りました
まず、『柳生古城』
私みたいに電車&バス利用のかたは
近鉄奈良駅前バスのりば4番から乗車です
本数が少ないので要注意です
私は、9:40発に乗車。運賃は950円約1時間
下車場所は柳生上・もしくわ柳生
柳生上で下車した場合は「今川橋」を渡って左手の山です
(柳生下車の方はバス停裏手の山)
車のかたは、観光用Pがあります
鉄製階段を上り約10〜15分で城内です
まず、左手にクランク状の横堀→それを過ぎると曲輪が上下に2つ→その奥に堀切→虎口らしきものがあり主曲輪→
剣塚があり→堀切→曲輪→堀切です。
その先にも道がありましたが未登城です
柳生城
柳生城は、芳徳寺(ほうとくじ)を目指して下さい
この芳徳寺も柳生城の曲輪の一部です
(柳生一族の墓所もあります)
芳徳寺の近くに「正木坂剣禅道場」があります
その道場を挟んだ右手(芳徳寺を正面にして)にある山が
柳生城です。かすかに、道がありますので大丈夫です
ただし、くもの巣ありです
5分くらいで堀切が見えます
その左手に奥に続く道がありますが、竹の倒木で悪路です
しかし、なんとか進むと土橋?らしきものが左右の曲輪を
繋げているように見えました。その曲輪にはかなり悪路
だったので断念しました。あと、いのししがいます
あきらかに、動物がかじった木や土を掘り返した跡がありました。一応、注意して下さい。
最後に、柳生陣屋
柳生城から徒歩で15分くらいで到着です
・・・まあ、あんなものでしょう。
公園化となっていて休憩しながら遺構も見れる場所でした。
ついでに、「柳生藩家老屋敷」「小山田家分家(非公開)」
にも行きました。家老屋敷は別途350円いります
私で、3時間半で見て回れました。
そうそう、食事処がほとんどありません。
駅前でお弁当等購入したほうがいいとおもいます
トイレ施設も少ないです
今川橋にあるスーパーと家老屋敷くらいだったかな。
そうそう、帰りに「多聞城」も行きました
本当に、学校の中にあるんですね
びっくりしました。みんぴかさん、こんにちは。
公共交通機関で行かれる方には素晴らしい情報です。
トイレや食料調達の場所も忘れてしまいがちですが
とっても大事ですね。
私も山中で水が切れて、2時間さまよって焦ってた
こともありました。井戸はないかとか(笑)
多聞城はきっちりアポとって中に入れないかなぁと
思ったりしますが、なかなか動けてません。
確か社内で生徒向けだったかパンフを販売してたような
記憶がありますが・・あいまいです。
広島に用事があって「広島城」訪問。
堀幅はかなり広い。二の丸(馬出し)は建物が復元されており見所満載。
郭周辺の石垣は弾除けの石塁状。
本丸に入り、大本営跡。
原爆で吹き飛んだ天守閣も復元されている。
門、矢倉等の建物は下見板を多用しており比較的古風な印象。
足を延ばして厳島神社参拝。
船着き場近くの「宮尾城(要害山)」は一部工事中で東北の神社参道から登る。
まことに小さな砦だが三方断崖。
郭部は二段。腰郭と堀切のみ。
囮の城説に納得。
「塔の岡」は「宮尾城」と指呼の距離。
陶軍の砦跡だが完全消滅。
五重塔を目指す。天正15年に秀吉が作らせた千畳閣拝観。
厳島神社を参拝してから弥山登山。
紅葉谷コースから獅子岩、弥山、駒ケ林古戦場(龍が馬場)
へと廻る。
「龍が馬場」は厳島合戦での陶軍最後の組織的抵抗地。
三方が断崖絶壁の細尾根ピークで海上からもよく目立つ。 手前に毛利軍築いた向城らしき遺構があるという噂だが尾根の平場があるだけで判別つかず。
陶軍が退却した大聖院コースを下る。
やぶくぐりさん、こんにちは。
広島城は私も久々に訪問してきましたが、随分印象が違ったなと思いました。
近世城郭もイイですよね。
で、そこから宮島に行かれるのが面白い。
しかもしっかりと見るべきところは抑えておられますね
安芸遠征お疲れ様でした。
管理人様
「秀次の陣」は西端の切り取った斜面を這い上がり尾根に出て人の踏み跡を辿れば行きつきます。土塁で厳重に守られた郭で見ごたえのある陣跡です。同じ尾根の62mのピーク(アンテナが有るところです)にも尾藪の中ですが土塁の残る陣跡が有ります。此処は麓から道が有るので簡単に行けると思います。
「昼飯山砦」は麓の宅地造成のため削り取られており、とても登れません、私も最初小学校付近から取り付きましたが断念しました。この山はかって南に張り出した尾根が有り
その上に土塁囲みの砦が存在しました。(鳥取市文化財報告書8 「ヒル山砦」「熊田古墳」発掘調査報告書)
「昼飯山砦」には、憚れる方法で行きつきました。(分かってもらえると思いますが)霄漢さんこんにちは。
情報ありがとうございます。
秀次の陣は西側からだと民家がそばにあるので遠慮してしまっていました。
でも確かにあそこを登れば簡単に行けそうですね。
次回勇気をもって(笑)、がんばってみたいと思います。
それとアンテナのところも陣城として扱われていたのですか。確かに気になる状態でしたが、手持ちの資料では
紹介されていませんでしたので、見過ごしておりました。
「昼飯山砦」はよく分ります・・・。こちらも次回もう少し
うまく取りつけないか考えてみます。
実は麓からしようかと思っていて悩んだのですが、これで
すっきりしました。麓からは諦めます。
ありがとうございました。
『大阪のシンボルを祝う2月間 「大阪城天守閣 復興80周年祭」を開催します』
(リンクあり)だそうです。
千貫櫓、多聞櫓と金蔵は最近は毎年公開されていますが、乾櫓と煙硝蔵、豊臣期
大坂城の石垣遺構は5年ぶり。楽しみだあ〜
では、失礼いたします。http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/yutoritomidori/0000141072.html
ポリタンクさん、こんにちは。
80周年記念イベントが目白押しですね。
私も豊臣期の石垣は見に行こうと思っています。
先日は久々に天守にあがりましたが、エレベータ待ちの
行列がすごいことになっていました。
すべて階段を使いましたので待つことはありませんでしたが、
ものすごい人の数に辟易してほとんど立ち止まらずに
図録だけ買って帰りました(^^;
特別公開ものは特に平日がいいですね。
> 現地で想像力を働かせるのって、ある意味、城巡りの醍醐
> 味ですよね。私の周りでは中々理解してもらえないのが悲
> しいです・・・
にひひひひ、解ります。
家族に話しても、「何言ってってんのこいつ」という顔で見られます。
この城、北側に土塁、つまり神呪寺城側に土塁があります。私は、
> 細川澄元軍の陣城的な役割を果たしていたと思います
と思っていたのですが、ひょっとして越水城側の出城の可能性もあるのではとも思えます。
まー南側の土塁は崩れて無くなってしまった可能性もあるので、なんにしても憶測でしかないのですが。
> 私部城ですが、比較的駅から近いのにしっかり残ってます
> よね。十間掘の名残と思われる田んぼと本郭、二郭をセッ
> トで拝んでちょっと感動した記憶が蘇ります
そーなんですよね。この城一時期筒井順慶が持ち城としていた可能性もありますが、史料がそれほど多くが残っておらず不明な点が多いです。
またこの城「天守」という名の残っている土地があるんですよね。仮にあったとしても、櫓程度のものだと思われますが、中世城郭に近世城郭の天守があったとしたら、なかなかユニークですよね。
その辺セミナーでなにか発言があるかもしれません。
では、では。
> 写真を拝見しました。私には城っぽく見えますね。
にひひひひひひ、嬉しいこと言ってくれますねー。
見えますよねー。
どーしよー、新聞に掲載されて、インタビューうけたりして。
私はこの近所に住んでおりますので、結構な頻度でここを通ります。それまでは普通の土地でした。
私がなぜここを気にしたのかというと、小堀城を見た後です。管理人さんのページをお城さんマークに入れておきましたが、小堀城はドデカイ土塁があります。さすがにこれと甲陽園城は比較になりません。
私が気にしたのは、小堀城「東側土塁」との記載がある土塁です。これ見た時「あ、甲陽園にも似たやつがある」と思い出しました。そこから、ずーーーと私のわくわくは続いております。
ただ、この城ひとつ弱点があって、都心部、甲陽園の駅からすぐにありまして、私以外にも調べた方いるんじゃないかなー、とも考えています。
なにか、城跡ではない土塁かもしれません。そこはがっくりなんですけどね。
もし、管理人さんも「城っぽく見えます」というお墨付きをいただけたら、ちゃんとしたレポートに仕上げて、西宮市の考古学をやっている方に相談してみようとおもっています。
いやーん、新しい服買いにいこーかなー。
では、では。http://www.siromegu.com/castle/hyogo/kobori/kobori.htm
新聞でお顔を拝見できる日を楽しみにしておりますよ。
がんばってくださいませ〜
ブレイズマンさん>
写真を拝見しました。私には城っぽく見えますね。調べ物中に写真で見た淡輪城
(未訪)の土塁が頭を過りました。
現地で想像力を働かせるのって、ある意味、城巡りの醍醐味ですよね。私の
周りでは中々理解してもらえないのが悲しいです・・・
私部城ですが、比較的駅から近いのにしっかり残ってますよね。十間掘の名残と
思われる田んぼと本郭、二郭をセットで拝んでちょっと感動した記憶が蘇ります。
では、失礼いたします。
じゃーんじゃーん。
ま
> まー近日中に写真を撮ってきますので、それをご覧くださ
> い。
撮ってきました。
恐らくお城さんマークをクリックすると見れると思います。
この写真をご覧いただきながら、
[2326]
[2317]
もご覧いただけたらと思います。
どーです?城の遺構に見えません?
どー思われるか是非感想をお聞かせ下さい。
また何枚かUPしていませんので、全部アップが終わりましたら、改めてご報告させて頂きます。
では、では。ブレイズマンさん、拝見しましたよ。
土塁としてあげておられるものが実に城っぽく見えますね。
で、土塁の外側が段差があって道路になっているのですね。
整地した際に余った土を周辺に集めたものなのかどうか
も気になりますが、私も近所だったら絶対城跡として想像して楽しんでますよ!
しかも宅地化されたり、整備されたなかにわずかに残っている
ところがさらにテンションがあがりますねぇ。
> はははははは。
> いや、城好きにも美人は多いはず(笑)
まーそーですけどね。
あったらいいなー、とは思いますが、なかなかね、歴女さんとか増えているそうですが、現実は厳しいのではないでしょうか。
苦言をひとつ。
他人の写真を勝手に使用して、自分のホームページに掲載することは、著作権の侵害にあたります。無断使用された方も、おそらく気分が悪いと思います。
このような行動はなさらない方がいいと思われます。
大和コクジン衆のホームページに関しては、特に問題がある部分はなかったと思われます。こちらは私としても復活を熱望しております。
> しかし伏見城ってなんであんなにあちこちに移築されたん
> でしょうね。
> 縁起物としてゲンを担いだりしたのかな?(笑)とか。
この件は、伏見城のセミナーでその理由が解説されていました。
前に書き込みましたが、豊臣時代の城を誰かが譲り受けるということは無いと思います。徳川の城だからこそ、譲り受ける人も沢山いたと思います。権威づけですね。当時は、江戸幕府とは言わず、伏見幕府とも言われていたそうです。
勿論、豊臣幕府が続いていれば、状況が変化していたと思いますが。
> 財団法人交野市文化財事業団が開催する表題の講座(リン
> クあり)があるという情報を入手しました。有料(300
> 円)ですが、講師は中井均先生です。先着80名みたいなの
> で、興味のある方はお早めに。
おーーーー、大変有益な情報を有難うございます。
私部城に関しては、歴史が不明な点が多いわりには、都心部で遺構がしっかり残っている大変まれな城です。
行ってみよかなー。
続きがあります。ブレイズマンさん、(ひつこいかもw)城好きに美人はいますよ!(^^
それと念のため
過去のやりとりは削除されていると思うので
>他人の写真を勝手に使用して、自分のホームページに〜
私のことじゃないですからね。(と一応今後ここを見られた方に訴えておきます。)
私も十分気を付けて運営していきますが。
伏見城の移築遺構は調べていけばますます面白く感じてきました。
伝承レベルで伝わっているのも多いですし。
また、豊臣時代の移築という話も少なくないですしね。
また整理していきたいなと思います。
財団法人交野市文化財事業団が開催する表題の講座(リンクあり)があるという
情報を入手しました。有料(300円)ですが、講師は中井均先生です。先着80名
みたいなので、興味のある方はお早めに。
みんぴかさん>
秋山城、状況がよさそうですね。前から行こうと思っていながら未訪だったので、
10月中に行こうかなあと思います。
ヤマダニ、お悔やみ申し上げます m(_ _)m
ブレイズマンさんに背中を押されて芥川山城も今シーズンに行こうと思っている
のですが、大手筋はヤマダニ発生箇所ありという情報をちらほら見ますので、
行くならヤマダニが活動しない時期が無難そうですね・・・
では、失礼いたします。http://www.city.katano.osaka.jp/koho/kohosi/2011/10-01/shisei04.html
ポリタンクさんこんにちは。
いい情報ありがとうございます。
それにしても、中井さんあちこちで大活躍されていますね。
先週は大阪城でお見かけしましたし。
山ダニは足元から入ってくるヤツなら下山時によくチェックしたらいいんじゃないかと思うのですが、
上から落ちてくるんだったらもう恐ろしいですね・・。
私もたまにやられますし、くっついているのを目撃しますので
奴らはほんとに天敵です。
三徳山登山のついでに「伯耆・羽衣石城」と中国自然歩道歩き。
羽衣石集落で左折する橋が台風の影響で通行止め。
少し上流のう回路から入る。
駐車場、休憩小屋、トイレは異常なし。
トイレ脇から右登城道と左登城道がある。
ここは縄張図(吉田浅雄氏作図)に従い右登城道を選択。
すぐに小郭、石塁。
八幡神社の郭群。
東屋方向に進み石垣。お茶の水井戸に脇道する。
主郭群は広い。桝形、石垣、模擬天守。
主郭群の東側から中国自然歩道に入り、搦め手の大切岸、堀切・土橋セット、郭、箱掘状の郭、二段の郭、堀切、二段の郭と続く。
395mピーク、400mピークを過ぎて羽衣石城から三つめのピークから北西に約400mヤブこぎすると番城だが、無理は禁物とヤブこぎはやめる。さらに進んでアップダウンを繰り返し518m三角点(羽衣石城から2.1Km)。
ここから西南に方向が変わり、約600mで尾根端。
羽衣石城に戻り、最初左に見た登城道を下る。
台風の影響で洗掘されてボロボロ道。
二人連れが登ってくる。
挨拶をして駐車場に戻る。
やぶくぐりさん、こんにちは。
羽衣石城というと随分昔に訪れたきりですのであまり
覚えていないのですが、それでも私のイメージとは全然違う城攻めをされていますね(^^
少し前に鳥取市内の城は攻めていましたが、台風の影響は
ありませんでした。
そうか・・・そちらのほうは被害が大きいのですね。
お疲れ様でした。
管理人様
「三津ヶ崎本陣」「樗谿 仙石権兵衛の陣」などに行かれているようですね。
樗谿北の陣城群では、北に上り詰めた「高場之陣場」が良好に遺構が残っています。
鳥取城攻めの太閤ヶ平方面の陣城を歩く際には、私はいつも吉川経家の墓所公園の駐車場に車を止めて遊歩道を利用します。
途中、「五反田平陣所」「秀長ノ陣所」「秀長ノ陣所」の手前で鳥取城に遊歩道が分岐しますが少し進むと「中水道北尾ノ陣所」等が遺構がよく残ります。(いずれも標識等有りませんが)
「秀長ノ陣所」から南に約1キロ2重の空堀が尾根三つを超え続いています。かなりキツイですがぜひ見ていただきたい思います。(遊歩道がこの空堀を超えていますので分かり安です)
他の、陣城では八幡池北の「秀次ノ陣」、その北にある「昼飯山砦」(行きつくには苦労しますが)、経家の墓公園の北の高地には、100メートル以上ある陣城が残っています。
他に、鳥取には秀吉(織田)に関連する城が、鹿野、羽衣石に有ります。
特に羽衣石城の北の尾根上に「番城」、三朝に抜ける街道を見下ろす所に「十万寺古城」等興味深い城が有ります。
以上、すでに行かれているかも知れませんが参考になればと思いお知らせします。霄漢さん、こんにちは。
鳥取の陣城をよく踏破されているのですね。
私もすっかりハマってしまいまして、ちょくちょく行くようになりました。
今年の初めころに空掘が延々と続く様子を確認しにいきました。
見所一杯ですが、どうサイトで紹介しようかと悩んでおりましたので後回しになってしまいます。
また秀次の陣は何度かチャレンジしたのですが、猪に追いかけられたこともあり未だ城域には到達できておりません。
西側から登れればいいのですけどね。
また昼飯山砦にも行かれましたか!
あそこはすぐに行けそうにみえたのですが、実際は
入れないようになっていますので、麓から登って行かないといけないようなんですよねぇ。
またの機会に挑戦してみようと思います。
ありがとうございました。
岡山県玉野市田井4丁目の「駿河山城(田井城)」登城。
岡山から児島湾を渡り南下。
八浜城の東側を通過して長いトンネルを抜けてT字路左のコンビニに駐車。
少しトンネルの方に戻り、右斜めに舗装路に入って集落を抜け、池の土手で左折。
いかにも砦のありそうな小山。
水路に沿った山道に入る。
まもなく草の茂った参道へ右折。
山頂の平坦地に鳥居・三つの祠。城としては、ほぼ単郭のようだ。
腰までの草ヤブで堀切は確認できず。
近年、人の手が入った様子無し。
やぶくぐりさん、こんにちは。
駿河山城、ありがとうございます。
腰までのヤブですか・・・!
冬場でも厳しそうな気もしますね。
お疲れ様でした。
いつも、拝見させて頂いてます。
最近、登城したお城です
滋賀県 長光寺城
北ノ庄城
奈良県 秋山城 です。
長光寺城は、柴田勝家の『瓶割り柴田』という名前の
由来となった城跡です。
日吉神社までレンタサイクルで向かいました。
神社右手裏から登城口あり
少しだけ石階段ですがすぐ荒れた山道になる
くもの巣だらけなので木材等で払いながら登りました。
二の郭・一の郭とも草薮だらけ・・
しかも、一番の見所の『石垣』草木の覆われてほとんど
見えません。近くに行こうとしても足元も見えないくらいの
草で肉眼でも確認は断念。
デジカメで超ズームで撮影してしぶしぶ納得。
で、帰りは一の郭の北側にある『武者溜まり』『倉庫跡』
から下山。ここにある、竪堀は確認できました。
ここの道は比較的歩きやすい道です。でも、くもの巣あり
このままなにもなく下山・・・とおもっていたら
自然の巨石を生かして築いた石垣がありました。
何mくらいあったかな〜
私が、153mなので倍以上はありました。
棚からぼた餅状態。疲れも忘れてしまいました
近江八幡駅で軽くお昼を取って『北ノ庄城』へ
目指すは『近江八幡城』の東北の山です
麓に『北ノ庄神社』があります
この境内の階段を上がり右手にある道から登城です
ここは・・・悪路です
しかも、『山ダニ』います
下山して気付いたのですが。いっぱい刺されました(涙)
あと、ここもくもの巣だらけです。
遺構は、土橋・堀・切堀・土塁・曲輪です
七つ井戸があるらしいが草薮で確認できません。
でも、主郭まで登ると絶景が見れます
八幡城・その北側にある水茎岡山城も確認できました
八幡城からも北ノ庄城へのルートもありましたが
もうそんな力もなく・・また悪路を下山。
不安な方は、テープでマーキングをおすすめ。
あと、あちらこちらに
いのししの足跡と強烈な獣臭もしました。
一応、ご注意下さい。
それと、奈良県秋山城
ここは、最高でした。
ちょうど、草刈をした後だったらしく
すばらしいものが見れました。
ただ、石垣が崩れている場所は土嚢で補強してました
でも、観光案内の方によると、『石垣で復元作業をする』
って言ってました。たしかに、本丸には、無数の石がありました。
本丸・天守台・西曲輪・東曲輪・二の丸(一部草薮化)
横堀・竪堀とすべて見て周りました。
本当、『今がチャンス!』です。
そうそう、春日神社からの登山道ですが綺麗に整備されて
います。20分くらいで城域であのような光景が見れて
最高でした。久々に、鳥肌がたちました。
長々と報告してすみません。
また、おじゃまします。
来週は、奈良県柳生へ行きます。
柳生陣屋・柳生城・柳生古城を回る予定ですみんぴかさん、こんにちは。
ほんとにお城を愛してるんだなぁと伝わってくる文章が
ステキですね。
山にあがってみて、中心部がヤブヤブだとものすごくがっかりしますね。
写真に撮ってもさらにわけわからないものができあがりますし(^^;
でもダニにはほんとお気を付けください。
今年は私もかまれました。しかも2〜3日体にくっついて
いたのを剥がしました(泣)。
奴らの生命力には恐れ入りますね。
秋山城初めて聞きました。(というか奈良県はほんと弱いです。あと和歌山も)
柳生もよさそうですね。楽しんできてください。
ありがとうございました。
管理人様>
twitterをしていないもので、こちらに書き込みます。
> なんちゃって天守が老朽化のため修復が必要。でも修復するなら500年前の
> 姿で、でも外壁補修レベルなら現状維持も可。遠目には格好いいんですけどねぇ。
> 遠目には格好いいんですけどねぇ。
洲本城なんちゃって天守ですが、確かに遠めにはかっこいいですよね。私は北側
から望む姿(三熊山の斜面とのセット)が好きです。現状の価値(昭和初期の
鉄筋コンクリート建築)を認められて登録有形文化財になった大阪城復興天守
みたいに、修復時に逃げ道はないものでしょうかね・・・
お城とは関係ありませんが・・・
> 仕事でかけた電話の相手先の保留音楽が Bruce Hornsby and the Range の
> The Way it isっぽいピアノ曲が流れてきてうっとり。電話を終えてとりあえず
> youtubeでリピート。懐かしいなあ。
Bruce Hornsby and the Rangeの"The Way it is"、いいですよね。デビュー前に
Huey Lewis & The Newsの弟分みたいな情報(だったような気がします)を聞いて
いたのでどんなのかと思ったら、音楽性が全然違っていて良い意味でびっくり
した記憶があります。なお、余談ですが、私がここ数日リピートしているのは、
(全く音楽性が異なりますが)SUBARU FORESTERのCMに使用されているMy Chemical
Romanceの"Welcome to the Black Parade"です。今聴いても良い曲やわあ。
・・・、"The Way it is"という懐かしい曲名を拝見して思いっきり脱線して
しまいました。すみません。iPhone 5を買ったら、それを機にtwitterも始めようか
なあとか考えたりしていますので、今回はご容赦くださいませ m(_ _)m
では、失礼いたします。ポリタンクさん、
まさかツィートを拾われるとは。
改めて見ると恥ずかしいものですね。(笑)
ここ1、2年で随分と北側の木が伐採され、登り石垣
(西側)も見やすくなっていますし、展望台状(これは
いいかどうか・・)の平地も作られています。
遠目にも一層天守が映えるのですが、これがなくなってしまうと寂しいですよね。
もうあれはあれでいいですから(^^;、残して行っていただきたいと思います。
The Way it is を共感していただけるとは意外でした。
私は80〜90年代の洋楽を幅広く聞いていましたので
たまに思い出したら探し出して聞いています。
ポリタンクさんがあげてくださった"Welcome to the Black Parade"もいい曲ですね。
知りませんでしたが、好きな感じの曲です。
お城に車で行くときは、今日はこのCDでといった感じで
用意することがあります。
と書いていたら去年NHKラジオに出てたことを思い出しました。
恥ずかしい〜・・
お城に合う曲をということだったので、Gilbert O'SullivanやKennyGをリクエストしたのでした(-_-;;;
うひゃ・・。
はじめまして、大野と申します。
小学生の頃の夢は、阪神タイガース4番、兼、日本城郭研究者1番だった者です。その後、文学に目覚めて、現在は文学研究と創作を細々と続けており、城郭は忘れておりました。
ところが、
先日、ふとしたことから、観音寺城に訪れ、城郭の魅力に打ちのめされました。近頃は、旅行先に城跡があっても、訪れないことがあるほど、興味を失っておったのですが、完全に登城への夢が蘇りました。
個人的には、
観音寺城のような、寺の石垣と、参道と、虎口と、大手道が、混同したような、寺か城跡か分からないような史跡に、
非常なロマンティシズムを感じます。
城と認定されていない寺に、かつて戦陣が張られた、という話を聞くや、にわかに、それまでの苔むす和やかな石垣が、城跡へのロマンと転化する、瞬間が好きなのです。
踏破された城跡をちょっとずつ追体験させていただこうと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。大野様、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡と申します。
小学生の頃からお城がお好きだったんですね。
私も天守よりも山中に残る遺構を探しながら、往時に
思いを馳せるといった城めぐりが好きですので大野様の
お気持ち、よくわかります。
ほとんど何も残っていないものも多く紹介しておりますが、
またご覧になってください。
今後ともよろしくお願いいたします。
霄漢さん>
事後報告になりますが、何卒ご容赦ください。
余湖様が管理をなさっている『余湖くんのお城のページ』というWebサイトにて木津城の話が
出ていましたので、No.2332でご提供いただいた情報を紹介させていただきました。
お城好きの情報共有の一環ととらえていただけると幸いです。
では、失礼いたします。
#連投稿失礼します m(_ _)m
今日、同僚から表題の情報(リンクあり)を教えてもらいました。JR区間の乗り
放題だけでも場合によってはお得ですね。私は明石城、姫路城及び赤穂城を巡る
のに利用しようかなと思ったりしました。
では、失礼いたします。
築城400年イベントで盛り上がる弘前城がお目当てで、行程は次のとおりです。
浪岡城 -> 弘前城 -> [宿泊] -> 弘前城(もう1回)-> 堀越城 -> 根城
-> 八戸城 -----> 名古屋城(おまけ)
大阪から仙台まで夜行バス、仙台からはレンタカーで移動、仙台から名古屋まで
夜行バス、名古屋から大阪まで電車、という1泊3日のプチ弾丸トラベラー状態で
した・・・
◎浪岡城
北館周囲の多重堀も素敵でしたが、個人的には西館と内館の間の中土塁から望む
西館南面と浪岡川のセットが印象的でした。
◎弘前城
2日に亘って合計で5時間以上滞在したので全体を堪能できました。イベント中の
特別公開(辰巳櫓と東内門の内部)と流鏑馬競技準備のために東内門を通るお馬
さんというレアな光景にも満足。
これで現存12天守を制覇できました。
◎堀越城
堀や土塁が思いの外良好に残っていたのが嬉しい誤算でした。
◎根城
本丸は整備もよかったのですが、そちらよりも柵越しに望む本丸北西面や、本丸と
中館の間の堀から城域北面に沿って東善寺館東の堀へ至る道程が格別でした。
着いたのが昼だったので、移築されている八戸城東門(その前は根城大手門?)が
逆光になったのが残念です。
◎八戸城
角御殿表門は八戸市庁(市役所と呼ばない拘りを感じます)の傍なので直ぐに見学
できました。三八城公園内の土塁上に作られた展望台から北西方向を望むと、そちら
方面は結構急峻だったのでちょっとびっくり。
そういえば、時間の都合上、根城でボランティアの方の案内申し出を断ってしまった
のですが、大阪から来たというと石津合戦のことに言及されたので、「ああ、石津
ならたまにラーメン食べに行きますね」、「ラーメンを食べながら南部師行のことも
思い出してください(笑)」みたいな会話を交わしました。ラーメンは龍旗信のこと
ですが、難波に支店ができた今は石津まで行く事は減りましたね・・・
時間の都合上といえば、移動中に可能なら訪城したかった三戸城と九戸城は、渋滞を
考慮したため行けずじまいでした。結局渋滞にははまらなかったので余った時間で
仙台城に向かいましたが、営業時間を過ぎていたため、大手門脇櫓をちら見したあと、
車で竜ノ口狭谷に架かる橋を渡りながら要害っぷりをちょっと味わいました。
◎名古屋城
おまけとしていますが、実は初訪城です(汗)
入城開始時間よりも早く着いたので、ぐるりと堀を一周してから城内に入りました。
見事な石垣や本丸御殿の復元作業見学などを堪能できましたが、ご存知のとおりあち
こちで工事をしていますので、見所が一部見れません。
ちょっと残念だったのが本丸東南隅櫓。屋根に草が生えているのが裸眼でもわかり
ます・・・。御殿の復元も結構ですが、そこいらあたりの手入れもしてほしいと思い
つつ去りました。
帰りの電車で印象的だったのは佐和山遊園ですね。スーパーデフォルメ彦根城天守や
金閣もどきに度肝を抜かれました(笑)
では、失礼いたします。ポリタンクさん、遠距離の城攻めお疲れ様でした。
無事に帰還されたのがまずは何よりです。
あげてくださったお城はいずれも見応えあるところですし
個人的には浪岡城への再訪熱が高まりました(笑)
あと、名古屋城も行きたいんですよねぇ。
人の訪城話は刺激が強くていけませんね(^^
やっと繁忙期も過ぎ佐用町の城廻り。
上月城の西にある織豊系の「目高の築地(大成南の砦、大成北の砦と、その間を繋ぐ土塁線、延長450m)を目指す。
目高の集落から細い舗装道を登ると「利他の花咲く村」。
ここに駐車して、そのまま舗装道をKDDI上月基地局のアンテナ脇を通り林道出会いから林道へ左折。
イノシシの足跡が続く。
小さな峠にさしかかると「目高の築地」の土塁を林道が切っている。西側の敵(毛利)に対抗している。
右折して疎林を土塁に沿って直登。
「大成南の砦」は西側が長方形の土塁囲み。東端近くに虎口。
東側は段々の郭。
一旦、下の林道まで下りて、今度は「大成北の砦」に向けて土塁線を辿る。
郭群から山頂の主郭。
郭の西の土塁線は駐車した方向に延びている。
林地から利他の花咲く村の住宅に出て駐車位置へ。
お弁当を広げる。
二つ目は佐用町福原の「福原城」。
国道179号線を佐用の方へ向かう途中に小さな看板。
左折してすぐ集落に駐車。
民家の裏に首部神社が見える。ここが主郭。周囲の郭は段々畑。
郭、切岸、堀切、土塁。
三つめは「播磨・三日月陣屋(乃野井陣屋)」。
石垣、橋、門、長屋が復元されており大満足。
四つ目は中国道佐用インター近くの「長谷高山城」。
北に向かって国道373号線が中国道の下を潜る手前を右折。
すぐに中国道を潜るボックスカルパート。
ここに駐車してイノシシ除けの扉から入る。
看板、トイレも有りだが、最近草刈されていないようで、最初の30mはススキのヤブ。
遊歩道を長谷高山城目指して登ると、途中約15m程遊歩道が半分崩落。
尾根に出て尾根先が堀切・土橋が二重になっている。
見所。
高山展望台(鐘つき堂)の看板が倒れている。
尾根伝いに登ると、小郭が点々。
大切岸から主郭群だが切岸の段差はそれほどでもない。
主郭から北隣の二の郭群に廻る。
城域けっこう広い。
主郭群から東へ尾根伝いに進むとアベマキ林の看板。
ここも城内だ。切岸、郭、横堀。
更に東に進んで三角点のピーク。
ここでUターンして来た道を戻る。
今回も軽いヤブこぎ程度までの訪城計画が的中。
ルンルン気分で帰路に着く。
やぶくぐりさん、ご無沙汰しております。
お忙しかったのですね。
私はもう少し寒くなったら目高の築地に行こうと思って
いたのですが、車でそこまではいけるのですね。
播磨の城はイメージしやすくて、「あ、あそこはヤブなのか」
と理解しやすくていいですね(って場所がわかるからだけなんですが)。
いよいよ山城攻めまくりの季節なのですね。
これからのご活躍も楽しみにしております。
管理人様>
No.2341「夜の飯盛山城」
> 弘前城ですか!
別途顛末を報告します m(_ _)m
> 飯盛山城に夜行かれるのはデートじゃないのですか?(笑)
> あそこから見える夜景はきっとものすごく綺麗なんでしょうねえ。
夜のデートであそこに行く度胸はちょっと・・・
飯盛山城からの夜景ですが、僭越ながらお気に入りのものを入れたスクラップブックを
お城さんマークにリンクしておきます。真ん中情報に写っているのは金星です。なお、
撮影後にホワイトバランスを弄っているので実際の色味よりも青っぽくなってます。
#利用しているWebアルバムの使い勝手がリニューアルで少々悪くなってます(特に
#個別画像の紹介・・・)。ご容赦くださいませ。
No.2348「明石城 & 船上城」
> みなと食堂だったりします?
ビンゴです(笑)
> あ、移築の切手門もご覧になりました?
いいえ、今回は汗に負けて止めました。巽櫓の中を見にあと1回は行くつもりなので、
その時に見学しようと思っています。
#これ(複数回訪城促進)が狙いなのかなあ、隔月交互公開・・・
No.2359「明石城坤櫓について」
整理いただき有り難うございます m(_ _)m
> 移築がほんとかどうかという点はもちろんあるのですが・・。
以下の情報(プロトコル部分省略)では現存は再建物だとか。
www.bunkenkyo.or.jp/details1022.html
そういえば、彦根城の西の丸三重櫓も小谷城天守移築の伝承はありますが、現存は
万治年間の再建みたいですもんね。
あと、この場をお借りして・・・
ブレイズマンさん>
No.2351にて呼び捨てで書いてしまってます。大変申し訳ありません m(_ _)m
では、失礼いたします。http://lumixclub.panasonic.net/front_mypages/timeline/9275419866173828/2
こんにちは。
とりあえず、みなと食堂の卵焼きは最高だと思います(笑)
あと魚ん棚のなかにある田中屋さんという酒屋兼居酒屋さんも最高です。
ま、それはさておき・・
飯盛山城からの夜景は綺麗ですねぇ〜
実物はもっと綺麗なのでしょうけど、やっぱり夜中にここまで来ることを考えると、なかなかできませんね。
明石城の情報ありがとうございます。
昭和56年頃にも櫓の修復をやっておりますが、
その際に統一された規格で云々と言われていたのは
寛永年間の火災後に新築されたもののことだったのですか(^^;
創建時の部材を一部再利用していたのかと思っておりましたが・・。
んーーなかなか面白いですね。
移築についてはいろいろ考えさせられますし、伝承として残っていること自体の意味とかも想像すると楽しいです。
両櫓で軒丸瓦の家紋が違ってますよね。そういうのとかも。
先日書き忘れていましたが、テーマパークなので入村料、という入場料と、中に入ってからそれぞれに入館料のようなものが必要なので、『通行手形』という入館料プラスの券を購入すると3,900円もします(・_・;)
ネットで情報はご存知かと思いますが。
で、ネットで割引パスポートを印刷して行けば少し安くなりますので、とりあえずご参考までに。。。
この連休の1日を使い、今回は岡崎城と伊賀上野城に行って来ました。
あとは結構距離のあるところが控えてるので、またぼちぼちと巡って行きたいと思います。みっちゃんさん、追加情報ありがとうございました。
以前近くまで行ってたのに入らなかったのは入館料が
高すぎるというのもあったかもしれません。
おそらくよっぽどのことがないと入らないと思いますが(^^;
また近くに行った時は写真を撮ってきたいです。
少しずつお城めぐりするにはいい季節になってきましたね。
お近くにあるあまり知られていないお城でも見応えある
ものがあるかもしれません。
また探してみてください。
ありがとうございました。
こんにちは。いつもお世話になっております。
実は、以前にこちらで指摘されました仏像鑑定疑惑などにつきましては、疑惑そのものが存在しなかったようで、その旨を先方よりご連絡いただきました。それで指摘のあったコメントを削除していただき、当方もこれに対するコメントを削除させていただきました。やっと疑惑が晴れたようで安堵いたしております。
なお、2345や2356の書き込みは悪質な中傷の書き込みであることも先方からの連絡で判明しました。あちこちで色んな中傷を書いている人物らしいですのでご注意下さい。特に2345は先方の名前まで出して騙っており、大変悪質なものです。管理人さんもそういった類のコメントには毅然とした姿勢を取られたほうが賢明かと存じます。
なお、2354および2355の私のコメントがこちらの皆さまに迷惑なようですので、数日後に削除させていただこうと考えます。
また、この件によってかえって先方との連絡が密になり、励ましの言葉や今後のサイト運営についてのアドバイスを頂く形が多くなり、私自身もとても感謝しています。それでブログ「バンとタン」も廃止し、先方のすすめによって新しい内容に模様替えさせていただきます。その内容は城郭とはあまり関連性がありませんので、見ていただかなくて結構です。
これまで色々ご迷惑をおかけしましたことを、改めて陳謝いたします。どうもありがとうございました。ばんたんさん、こんばんは。
疑いが晴れてほんとよかったですね。
大変な気苦労をされたことと思います。
「バンとタン」も終わられるということでしたが、また
いつの日かお城サイトを立ち上げられることをお待ちしております。
今回のことでご苦労をされたことだけではなく、今までの
ばんたんさんのご活躍を応援されていた方もおられたと思います。
その方々も期待されていることでしょうから、いつの日か
再起されること私もお待ちしております。
またお好きなタイミングで書き込みは削除してくださって結構です。
それでは。
先日、ポリタンクさんの書き込みで少し整理してみました。
まず明石城の築城が始まったのが元和五年(1519)、翌年には完成しました。
一方、伏見城は秀吉が建てた指月城の次に木幡山に築城されたものが、関ヶ原の合戦で鳥居元忠が籠城し、その時の戦いによって大部分が焼失。
その後家康が築城した城は、元和五年(1519)に廃城が
決まり、少しずつ解体されていき、元和九年(1623)に完全に破却されたようです。
年代的に見ると明石城に持ってこられたのは徳川期のものですよね。
しかし伏見城ってなんであんなにあちこちに移築されたんでしょうね。
縁起物としてゲンを担いだりしたのかな?(笑)とか。
移築がほんとかどうかという点はもちろんあるのですが・・。
時事通信社という、ちょっと固め通信社から「宇佐山城」という少しマイナーな城が特集されておりましたので、皆様にもお知らせしておきます。
お城さんマークに入れておきますので、ご覧下さい。
宇佐山城、私行きました。
宇佐山城、結構不思議な城ですよね。8ページのタイトル「意外に狭い本丸・二の丸」とあるように、面積が極めて小さいのにもかかわらず、山城に石垣、そして天守か櫓が建っていた可能性があります。この城200名も詰めていれば、溢れてしまうと思われます。
なぜ、このように面積が小さいのにもかかわらず、手間のかかる石垣や天守が作事する必要があったのか?やっぱり下から見た時の権威付の為の城ではなかったかと私は考えています。
まーそれにしてもやっぱり不思議ですよね。なんでこのような城が必要だったのか?石垣などは使用せず、もう少し大きい城を作ることは考えなかったのでしょうかね。
で、私この記事で気になった部分があります。それは、12ページの、
「最近の研究では、焼き討ちの主な標的は坂本の町とそれに近い場所にあった延暦寺の堂房だったという見方が有力」
えーーーー、そーなんだ。そんな研究結果があったのですか。みなさん知っています?
この「近い場所にあった延暦寺の堂房」というのはどこにあったのか、もしご存知の方がおられましたら、教えてください。
では、では。
> 他に駐車スペースの情報があればご教示ください m(_ _)m
そーそー、ここねー、駐車スペースが厄介なんですよ。私もかなり遠い場所から歩きました。
駐車スペースはそこがベストかもしれません。
登城ルートは大手ルートがありますが、お城さんマークで右折することをお勧めします。
三郭、二郭、主郭と順番に見て回るのがよいかと思います。
馬洗いが三郭からあったので、通常は三郭からなのかなー。
三好勢をおっぱらい、おそらく主郭で織田信長が、荒木や松永、伊丹氏なども、近畿の非常に多くの武将と面談したと言われています。そー思いながら、回ってみてください。
続きがあります。
バンとタンって見たら内容前と変わってるじゃんか
播磨姫様攻城隊とかなんとかは何なの
どこへいったんだい
あれはまた嘘なのかい
柴田亜紀や有田真澄っていう女たちはどうなったのかな?
自作自演のコメント群はどこにいったのかい?
自作自演詐欺をバンとタンでもやっぱりしっかりやっているじゃんか
ああやっぱりなぁアンタは信用できんよなぁ
いちいち城めぐさんの掲示板に
荒らしみたいに来て
売名行為はやめてよね
そんな人にお城談義なんかしてほしくないね
管理人さんこの人はやっぱり駄目ですよたくろうさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
そういうこともあったのですねぇ。
私もサイトを立ち上げている身として、考えさせられました。
なかなか共感してくださる方はいませんが、葛藤や
悩みがあるんですよ(^^;
もっとがんばれ>自分
> 大和コクジン衆は全くのデタラメで存在しなかったそうで
> す。
> 星野直哉 氏の自作自演で女の役をしたり男役をしたりと
> 結局我々は騙されていたんですね。
えーーーーーーーーーーーーーー、それはすごい。あのホームページを一人で。仰天ですよねー。
他の事にはあまり興味がありません。
ただ、あのホームページは凄まじいものがありましたよ。何が、というとまず徹底的に資料が調べられている点です。実は私、出典とされている本を何冊か奈良県や地元の図書館で検索しましたが、いくつかは一般閲覧されてない本で、しかもその書かれている内容通りにホームページにも記載されており、何度舌を巻いたか解りません。
コクジンさんは奈良の図書館の端から端まで読破してんのとちゃうか?思いくらい非常に細部にわたって調べられており、場合によっては歴史とはなんの関係もない、論文集一遍から城の記述を発見した時は、どーやってこんなん見つけてくんねん、と度胆を抜かれました。文章の纏め方もよかったと思います。
後は、なんといっても鳥観縄張図ですよね。あれは本当に完成度が高いように思われます。鳥観縄張図って書いたことありませんが、大きめの城ならば3回程度は現地に行く必要があるのではないでしょうかね。
あれが一人で本当にできるんですかね。管理人さんできます?私は100%無理です。もし本当に一人だったら腰砕け状態ですよね。
> 女の役をしたり男役
という部分に関しては、私も疑問でした。あそこって結構美人さんの写真が掲載されていましたよね。まー常識で考えてそれはないだろう、と当初から思っていました。
> この掲示板にも福住氏の子孫とかデタラメを書いていたよ
> うです
はいはい、書いてました。というかそれ質問したの私です。
> 私も奈良県内訪城の参考になると頼っていただけにショッ
> クでした。
私も全く同意見で、奈良の城めぐりであれほど役に立ったホームページは他に存在しません。
ホームページだけは残してほしかったと思います。
では、では。ブレイズマンさんこんにちは。
あまりこの話題で盛り上がると・・ねぇ(^^;
でもついつい・・
>あそこって結構美人さんの写真が掲載されていましたよね。まー常識で考えてそれはないだろう
はははははは。
いや、城好きにも美人は多いはず(笑)
とにかく再開される予定があるようなので一安心ですね。
昨晩に引き続き、就寝前のドライブがてら芥川山城の下見(駐車スペースの現認)に
行ってきました。
予めネットで見てみましたが、城山公民館は高槻市Webサイト上で情報が見当たらない
(投票所一覧含む)ので断念。Google Mapで見ると道路の反対車線に駐車スペースが
あるように見えるんですけどね。
とりあえず、ナビにかじか荘をセットして付近を徘徊していたら、祥風荘のそばに
有料駐車場がありました。土日は30分200円とのこと。電車とバスの運賃を考えたら
ここを利用するのが無難かしらと思いました。中坊の時に摂津峡まで自転車で行った
ことがありますが、中年になった今はちょっときついかなあ、自転車。
#こんなことだから太るんですよね・・・
他に駐車スペースの情報があればご教示ください m(_ _)m > ご覧の皆様
では、失礼いたします。
ブレイズマン>
映画「十三人の刺客」はリメイク版を映画館で見ました。なんで明石藩なんだろうと
思ってましたが、そういうことでしたか。
男山市民図書館の駐車場情報、有り難うございます。推定平城部と重なるようですし、
寺跡の石碑を見るにも都合が良いですね。どうするか悩んでみます。
芥川山城は土橋とかが魅力的なので「行かねば」とずーと思っているのですけどね・・・
昨シーズンに行く予定でしたが計画倒れになっています。
駐車ポイントを見出せていないのも未訪になっている一因でして、城山公民館に駐車
させてもらえないかなあとか考えてはいるのですが、まだ調べていません。その気に
なれば自転車で行ける距離なので、交通手段に関しては真剣に調べていないのが実情
です(汗)
では、失礼いたします。
> 現状の佇まいとしては十市城(奈良県
> 橿原市)に似ているかなと思いました。
確かに現在の佇まいは・・・似ていますね。
ただ、船上城は近世城郭の可能性があります。船も横付けできたほどの大城であったと言われています。現在ではまったく想像できませんけどね。
> 天守台はありますけど天守は結局上がらなかったですよ
> ね。確か・・・。
そー聞いています。4つの櫓が上がっていれば、天守は必要ないかと思います。
まーただ、明石城ってなかなか曰くつきの城で、領主がびっくりするくらい変わっています。
映画「十三人の刺客」
という映画がありましたが、このモデルとなったのが「本多政利」という明石城の城主。厄介な奴でしたので、当時の記録も幕府が消失した可能性もありますねー。
> 私見ですが多分移築元は「徳川時代の」伏見城のような気
> はしましたが、反論せずにおきました。
にひひひひひ、流石ですね。私も同意です。
豊臣時代の城を誰かが譲り受けるということは無いと思います。徳川の城だからこそ、譲り受ける人も沢山いたと思います。権威づけですね。当時は、江戸幕府とは言わず、伏見幕府とも言われていたそうです。
駐車スペースですが、私の投稿のお城さんマークの周辺に、図書館があり、図書館にお寄りになるなら、その図書館用の駐車スペースがあります。
八幡宮にも参拝用の駐車スペースはありますよ。
> 未訪なのですが、
あれ、マジですか。男山城はいいとしても、芥川山城が未訪なのですか?我らが、三好さんの居城なのに。是非行ってください。
飯盛山城、芥川山城共に石垣の先駆けと言われており、越水城城主、三好長慶さんの居城ですので、行ってみて損はないと思いますよ。
鹿背山城 = 飯盛山城 ×
鹿背山城 = 芥川山城 ○
というように、鹿背山城と似ていますよー。
では、では。
#連投稿失礼します m(_ _)m
ブレイズマンさん>
> 私一人盛り上がっていますが
いやー、行こうと思って行ったなかったところの情報をご提供いただいたので、
私も軽く盛り上がっております。
で、今晩就寝前のドライブがてら男山城の下見に行ってきました。といっても現地
入りしたわけではなく、車でのルート確認のみですが。
男山レクリエーションセンターを目印にナビに任せましたが、いやいや、久し
ぶりに「ナビちゃん有り難う」状態でした。住宅地の中を走るので地図初見
ではちょっとしんどいです。駐車料金がいるかは不明ですが、楠峯体育館西側の
道路沿いにきちんと区切られた駐車スペースがあったので、満車でなければほぼ
上まで車でOKです。八幡宮から下って市街地を散策し、ロープウェイで登って
戻るというのが楽なルートかしらと思いました。
#楽することばかり考えるから太るんですよね・・・
> この城、芥川山城に
芥川山城も男山城と同様に「いつでも行けるかあ」と未訪なのですが、確かに
鹿背山城の縄張と雰囲気が似ていますね。今シーズンこそ行かねば・・・
では、失礼いたします。
明石城と船上城に行ってきました。珍しく電車です。
まずは明石駅のホームからお城を拝みます。電線等が少々邪魔ですが、ここが
一番のビューポイントのような気がします。
いざ城内に入ると、今日は公園でイベントだったようで出店の嵐・・・。静かに
散策とはいきませんが、取り急ぎ櫓を目指しました。
明石城は土日に櫓内部を公開しているようですが、巽櫓と坤櫓を同時に公開して
いるのではないそうです。『ひょうごの城 [新版]』ですと土日で交替っぽい
書き振りなのですが、念のため事前に問い合わせたところ、隔月交替で偶数月が
巽櫓、奇数月が坤櫓、暑い時期は中止とのことでした。巽櫓そばの看板には
具体的に書いていましたが、メモるのを忘れました(泣)
櫓を見学した後に駅前で自転車を借りて港付近で昼食。だし巻き卵が美味でした。
腹ごしらえを終えて船上城へ。
船上城へは管理人様の記事を参考に北西から入城したおかげで、城跡の雰囲気を
味わいながら近づくことができました。現状の佇まいとしては十市城(奈良県
橿原市)に似ているかなと思いました。
船上城を味わった後、織田家長屋門を見学してから明石城に戻り、出店でアイス
クリンを食しながら再度城内を散策。日当たりがよくなった頃合いに小走りで
要所の撮影をしたために汗だくに・・・。着替えを持ってきてなかったのでその
まま電車に乗るはめになりました。とほほ。
そうそう、明石城内ではボランティアらしき方が櫓やお城の説明をしてくれたの
ですが、「明石城の別名は『鶴の城』っていって、櫓と天守閣が云々」・・・。
天守台はありますけど天守は結局上がらなかったですよね。確か・・・。また、
坤櫓の入母屋破風の色の説明も伏見城に絡めて説明してくれましたが、「秀吉の
豪華な云々」・・・。私見ですが多分移築元は「徳川時代の」伏見城のような気は
しましたが、反論せずにおきました。
間違いといえば、Wikipediaも明石城の説明が一部誤っていますね。徳川秀忠像の
下の写真ですが、櫓の写真は両方とも坤櫓で、櫓の説明も逆ですね。
では、失礼いたします。ポリタンクさんこんにちは。
明石公園は随分賑わっていたようですねぇ。
並ぶんだろうなと思っていたのであきらめましたが
B級グルメ食べたかった・・。
それよりも気になったのが
>櫓を見学した後に駅前で自転車を借りて港付近で昼
>食。だし巻き卵が美味でした。
みなと食堂だったりします?私はここの出し巻きが
忘れられません。
ボランティアの方も伏見城=太閤さんのお城という
イメージなんでしょうかねぇ。
きっと人によるとは思うのですが(^^;
あ、移築の切手門もご覧になりました?
写真が撮りにくいのですがなかなか見応えある門ですよね。
こんにちは。
北播磨の住人です。
多可町中区(旧多可郡中町)坂本の遺跡の発掘が始まっています。
国道427号線坂本交叉点の、薬屋さん(キリン堂)の向かいの畑があった場所です。
重機が入っていて、兵庫県立考古博物館の依頼だと言う看板が立っています。
多分、調査が終われば国道の改修工事で遺跡はなくなってしまうのではないかと思います。JunMさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
坂本構居と聞いては黙っておれませんでした。
見てきましたよ。
全体にブルーシートがかけられていて、現状はよくわかりませんね。(当たり前ですが)
とりあえず情報を考古博物館のページで確認しました。
http://www.hyogo-koukohaku.jp/excavation/p6krdf000000231g.html
坂本・土井畑遺跡
(弥生時代・平安時代・鎌倉時代の集落跡)
坂本構居という扱いでいいのでしょうか?
また現地説明会があるのでしょうね。
都合があえば行ってみようと思います。
ありがとうございました。
大和コクジン連合の件ですが2289の森永氏に直メールでお聴きしました。
最初はどうしても教えてもらえませんでしたがブログ本購入者です、被害者ですと言いしつこく聞きますとようやく色々教えてくれました。
大和コクジン衆は全くのデタラメで存在しなかったそうです。
星野直哉 氏の自作自演で女の役をしたり男役をしたりと結局我々は騙されていたんですね。
この掲示板にも福住氏の子孫とかデタラメを書いていたようです。氏のブログ本も自作自演本のようです。
森永氏によると氏が継続しているブログに登場する人物に対する誹謗中傷が凄まじいそうです。
現に星野直哉で検索すると彼の人間性がわかりました。皆さん絶対に氏と関わりを持たないようにして下さい。
私は個人を攻撃する意思はありません。本当の事ですので管理人さんをはじめ皆さんわかって下さい。氏と関わり合いを持った方が本当にかわいそうです。
皆さんを守るために −ゆうこーゆうこさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
この件であまり盛り上がると不本意ですので、
書き込み自体はありがたく受け止めさせていただき、
控え目なコメントとさせていただきます。 m(_ _)m
このお城さんマークにあるのが、管理人さんの芥川山城の縄張り図です。
これと下記のお城さんマークにある縄張り図と比べてみてください。
めちゃ似てません?
私は歩いていた違和感があったのですが、これを発見した時、すかーーー、としました。
鹿背山城を松永久秀がいつ改修したのか解りませんが、三好長慶に寄せる想いというのがあったのではないでしょうかねー。
と、また一人妄想にふけっております。
では、では。
> しばし我慢するかもしれません。
いいと思います。
私一人盛り上がっていますが、まー空振りということもありますし、遺構が十分あり、見ごたえのある城ではありませんし。
> 大和コクジン連合の件ですが、No.2290の書き込みがあったあたりで閉鎖した
> ようです。私も奈良県内訪城の参考になると頼っていただけにショックでした。
そちらの内容は私もちらっと見ました。
しかし、それと大和コクジン連合となにか関係があるのですか?
うーーーーん、よーわからん。
城の登城口でよー迷うんですわ。大和コクジンさんのページでどれだけ助かったことか、無駄な時間が過ごさなくてすんだことか。無くなって、ショックですわー。
話は、がらりとかわりますが「夜の飯盛山城」で思い出しました。
実は、鹿背山城、かなり前ですけど行ってきました。
鹿背山城は遺構たっぷりで一日過ごせる、それこそ見ごたえたっぷりな城です。
またお城さんマークのブログにもありますように、遺構の前には各案内看板が建っており、極めて見やすい城でもあります。
しかし、私の違和感は別のところにありました。歩けば歩いているうちに、なんか変、と思うようになってきました。「あれーなんか前来たことあるような…」もちろん、鹿背山城は初めてです。
で、再度縄張り図をよーーーーくみて思ったのですが、この城、芥川山城に似てません。
お城さんマークにある縄張り図を見てもらえば解りますように、
「山」型
に曲輪が配置されています。いわゆる鶴翼の陣となっています。で一郭目に主郭があるというのも、芥川山城と同じですし、芥川山城も山形しています。
鹿背山城は主郭だけ古代の城でしたが、他の部分は松永時代に改修したことが発掘調査などからはっきりしているそうです。つまり、芥川山城コピーして松永久秀が鹿背山城を改修したのではないかと、私は考えています。
続きがあります。http://blogs.yahoo.co.jp/jyamasiro/43410170.html
ブレイズマンさん、こんにちは。
確かに2城の「山」型(M?)の縄張りは似てますね。
南にせり出した3つの尾根上に郭を設けているあたりですね。
山城を歩いていて、「あ、来たことある!」みたいな
感覚はよくわかります。(^^)
ブレイズマンさん>
男山城関連の続報を有り難うございます。近々行きたいなと思っていますが、
築城400年で櫓と門を特別公開する弘前城訪問を優先しているため、しばし
我慢するかもしれません。(空路を確保できず、夜行バス&レンタカー・・・)
大和コクジン連合の件ですが、No.2290の書き込みがあったあたりで閉鎖した
ようです。私も奈良県内訪城の参考になると頼っていただけにショックでした。
管理人様 & みんぴかさん>
利神城ですが、私はあと1回は行きたいなあとは思っています。何があっても
自己責任なことを前提に・・・
管理人様がおっしゃっているとおり、平福は朝霧が有名なので、利神城から
拝んでみたいのですよ。ただ、足元が暗いと少なくとも天守丸付近では靴底が
鹿の糞にまみれるとは思いますが、事故さえ起こさなければと御の字とする
つもりです。
で、本題ですが、先程久しぶりに夜の飯盛山城へ車で行ってきました。実は私は
夜に行った回数の方が多いのですよ(笑)。以前はよく夜景撮影目的でカメラと
三脚を担いで訪城していたのですが、夜の道中はちょっと不気味です。冬場の夜
だと吹きさらしでめちゃくちゃ寒いです。
今回は今の愛車(一般的な車高の小型乗用車)でフロントバンパー下等を擦ら
ないか検証するため、ラーメンを一緒に食べにいった同僚にお願いしてそのまま
同行してもらいました。結果としては問題なかったのですが、以前より穴ぼこや
轍が目立ったせいで神経を使いました。
楠公寺さんに車を止めて本郭まで登りましたが、コンクリートテラスの下に
新たな看板が。内容は将来バイオトイレが設置されるというものでした。署名
活動が実って基本計画は了承がとれているとのこと。今までですと楠公寺さんの
トイレが頼りだったので、設置されると助かりますね。ただ、城内の破壊が心配
ではあります・・・
因に、道を誤ると以前の私のようにドライブシャフトのブーツを破損する恐れが
あります。書いておきながら何ですが、車高が高くない車で行くのはお奨めしま
せん。また、何が起きるかわからないので、夜に行くのもお奨めしません。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
弘前城ですか!
いいじゃないですか。
長勝寺の特別公開とか、ものすごく惹かれてます。
でも行けませんけど(^^;
楽しんできてください。
飯盛山城に夜行かれるのはデートじゃないのですか?(笑)
あそこから見える夜景はきっとものすごく綺麗なんでしょうねえ。
利神城もそうですが、飯盛山城もページ更新を
まったくしない状態だったのでした。
ずっと前に石垣を探して斜面を随分と動き回りましたのを思い出しました。
でもあそこに夜行くのは恐ろしいですよ・・。
初めまして。
福知山に単身赴任してから、休みの度に城跡に行くことが多くなりました。休日のときは暇なので・・・(笑)
福知山城から始まり、猪崎城、出石城、有子山城、此隅山城、竹田城、黒井城、篠山城、八上城、田辺城・・と近所になかなか有名な城跡があって楽しいです。
周辺には無名な山城や砦もけっこうありますので、ドライブと健康がてら歩こうかと思います。
ではまたへびちゃんはじめまして。
書き込みありがとうございます。
福知山からですと、但馬、丹波、丹後、若狭と気軽に
足を延ばせるところに見応えあるお城が少なくないですから
当分は困ることはないんじゃないでしょうか。
福知山は先月も行きましたが、よく行く(通過も含め)
場所です。
これを機に今後ともよろしくお願いいたします。
以前にお城探しをさせて頂きました、みちゃんです。
あれから、数箇所お城巡りをしてきました。
4月に長浜城と安土城址、GWに大垣城、犬山城、岐阜城の3箇所と7月に小牧城、名古屋城、清洲城、そしてアトラクションになりますが、伊勢のちょんまげワールドにて実物大の安土城を見てきました。
大阪からなので、結構頑張りました。
ちょうど岐阜城などではスタンプラリーをしていたようでしたが、気づいた時には結構回ってしまっていたので断念しました。
ただ、GWなどに行くものではなく、岐阜城へ上るロープウェイは75分待ちだったので、犬山城を先に廻ったんですが、こちらも門をくぐってからお城に入るまで1時間ちょっと並んで待ち、営業時間ギリギリになってしまいました。
ところが、ここで並んで待ってる間に携帯サイトで岐阜城ライトアップと夜間営業を知り、時間が無いと諦めていた岐阜城を最高に美しい夜景と共に見る事ができて感激でした。
ただ、夜なので山の中を歩くのは非常に怖かったです。
そして先月、ふとした事からネットで見つけた実物大の安土城が伊勢の『安土桃山文化村』。
お城としての建物ではなく、遊園地のアトラクションの一つなので、中の展示物等はかなりがっかりでしたが、安土城の外観を見て、展望台に上がる事ができたのは感動でした。
小牧城は7月のとても暑い時に『小高い山の上にある』事を知りながら行きましたが、真夏にそこ10分程度の登山で倒れそうになりましたが、城内はクーラーが効いていて生き返った心地でした。
2年ほど前からボチボチと廻っていますが、日帰りもしくは1泊にしても前日夜出発、という行程しか組めないので廻れるお城もかなり限界があります。
ぼちぼち、頑張ります。みっちゃんさん、こんにちは。
あちこち行かれましたね!
でもGWに行くとやっぱり並ぶのですね。
私だったら城って人気あるんだなと感動するかもしれません(笑)。
でも自分のペースで観れないのはつらいですね。
そうそう、伊勢の安土城は実は興味あるんですよ!
以前遠くから眺めたことはあるのですが、まだ間近で
見ることができていません。
怖いもの見たさで行ってみようかな。
がーーーーーーん。
大和コクジン連合のホームページが無くなっていますね。
奈良県の城を旅するのにあれほど役に立つホームページはなかったにーーーー。
どっかにアーカイブ化しておくわけにはいかなかったのですねー。
残念というより、めちゃショックです。
大和コクジン連合の方々がその後どのようになったのかご存知の方は是非教えてください。
では、では。http://blog.goo.ne.jp/gfi405/e/cc402e5f871b08dbb2c6981995a08451
ブレイズマンさん、こんにちは。
そうなんですよね!
私も友人から聞いて驚いておりました。
でもきっと再開のための準備をされているんじゃないでしょうか。
と書こうと思ってたら、ご本人さんが降臨してくださいました。(^^;
ちょっと安心いたしました。
こんばんわ。
この夏、青春18切符を利用して
愛知・岡崎城・長篠城
福井・北ノ庄城・一乗谷
兵庫・感状山城
滋賀・佐和山城
三重・亀山城・鹿伏兎城
と、城めぐしました
福井・後瀬山城・小浜城・国吉城
は台風や仕事のスケジュールが合わず断念しました
思い出で深い城は「鹿伏兎城」でした
全くといっていいほど登城道がなく、ひたすら尾根を
目指して急斜面を登りました。
ところで、石垣横に道がありましたが、どこに通じてるの
でしょうか?
結局、私は「南尾根」から下山しました
と、いっても道らしきものがあったのは途中までで
やはり最後は竹に掴まりながら下りました。
利神城・・・
あの大雨でさらに危険度アップでしょうか?
行きたい城跡なんですよね・・・
よく考えてから登城します
でわ、また。みんぴかさん、こんにちは。
随分とめぐられましたねぇ。
あ、亀山城って三重だったんですね(^^;
以前のやり取りでは丹波のことだと思ってしまってました。
鹿伏兎城は未訪ですが、登城道がないような山城を
よく攻められましたね。
お疲れ様でした。
また改めて鹿伏兎城については私も確認してみたいと思います。
利神城は平福の駅あたりから見上げてみてください。
望遠鏡があれば崩れている状態がよく拝めますよ。
> 男山城の追加情報、有り難うございます m(_ _)m
> 山城シーズンになる直前にでもなまった体を動かす意味も
> 込めて訪城しようかなと思っています。
そですねー、いいと思いますよー。
あっそーそー、もう一つ男山城で付け加えておきたいことがあります。平城部分なのですが、複合遺跡なのです。
ここには、江戸時代に名前は忘れましたが、寺が存在していました。私は図書館で資料を調べているうちに絵図を見たのですが、確かに寺の記載があり、お城さんマークの地図周辺には、寺跡を示す石碑が建っていました。
城 → 寺
に変貌したと思われます。
実はこれは重要なことで、豊臣秀吉が築いたと言われている「山崎城」、これが廃城となった天主を宝積寺の三重塔に使われたという伝承が残っております。宝積寺はこの時規模がかなり大きくなったと言われています。
男山城も城を廃城にし、その後、寺を修築したか、建立したとも思えます。
はっきりしたことは、解りませんが、なんらかの類似性はあるのではと思われます。
ただ、いずれにしても男山城の平城部分は、城とお寺の複合遺跡で、現在はその寺も消失しております。
> 確かに発掘調査がしにくくてもどかしくなる城跡は
> ありますが、やっぱりそこはブレイズマンさんの
> 想像で補完してやってくださいまし(^^;。
その辺は自信がありますよー。
地図を見てもらえば解るように、水路があるのですが、この水路所々に不自然に屈折しています。現地を歩いてみて、はやりこの水路の屈折は不自然でした。これは、城の堀との兼用していたと私は考えています。
> さて、次はどこのお城に注目されるのでしょうねぇ。
にひひひひひひひ、それは甲陽園城でしょー。
今度写真UPしますね。
では、では。ブレイズマンさん、こんにちは。
先週の3連休では男山城のそばを通ったのですが(京阪)、
ふらっと寄っておけばよかったなと思いました。
城域の規模や現在も残る水路を観ながら往時に思いを馳せる
のはいいですね。
私もちょうどある播磨の城館でやってましたので
思わずニンマリしてました。
甲陽園城の姿もぜひ鮮やかに再現してくださいませ〜
お久しぶりです。旅行から帰ってすぐに、仕事が忙しかったので描きこむのが遅くなったのですが行ってきた押しの話でも(^v^)
まずは、小倉山城です。
<登城行程>
まずは、小倉山城の北西あたりにある江戸時代ごろに栄えた「上有知湊(こうずちみなと)」からスタートしまして意外に知られてない名所でもある「美濃橋」を歩きつつお城のある小倉山公園に向かいます。このあたりがかつて栄えた城下の中心部らしいです。
が、あまり面影が残ってないかもしれないですね(笑)。
次に、かつての城域内と思われる小倉山公園にきました。
ここには、模擬櫓や石垣がありかつての縄張りが多少つかめる気がします。
小倉「山」城といいますが・・・・実は平城だったという説が有力で、模擬櫓がある内側の芝生広場あたりが本丸?のようです。
次に、山と言うか丘?のような小倉山の頂上に頑張って登ろうか!と思ったのですが・・・・・何とも、優しい傾斜の
緩やかな遊歩道で楽々と登っていくと・・・・・
遠目には、立派に見えた模擬天守風の展望台は・・・・言わないでおきましょう。(ガッカリ・・・とまでは行かないが)
但し、眺めは360度の大パノラマで長良川の流れ・かつての城下町などが見えました。もしかすると、この展望台付近に
物見櫓やらがあったかもしれません。
簡単に感想を言わせてもらうと、ロケーション・展望はなかなかの良さを持ってます。但し、もう少しお城の形態がわかる状態であったならもっと面白かったかも・・・
(自分的には、予想外に楽しめました(^v^)b)
石垣の状態は、多少の乱れがありますがしっかりと残っていますし妄想材料はそろっていました。
お城好きの方にお勧めできる「散歩道」といった感じです。
眺めはかなりいい!のがセールスポイントです。
今回は、旅行としてきたので周りのロケーションも楽しみつつ行きました。
他にも巡ったお城もありますが、少しづつ紹介いたします。
拙い文章でしたが、これで失礼いたします。ではでは。トモさん、こんにちは。
小倉山城のお話ありがとうございました。
見所やあまり知られていないような(少なくとも私には)
お話もあって、楽しかったです。
私は最近、近世城郭をめぐる際は周辺もじっくり時間を
かけていることも関係したのか、トモさんが書いてくださった
文章がすうっと入っていきましたよ。
また楽しいお話を教えてくださいませ。
それでは。
ブレイズマンさん>
男山城の追加情報、有り難うございます m(_ _)m
山城シーズンになる直前にでもなまった体を動かす意味も込めて訪城しようかなと思って
います。
霄漢さん>
えー?!空堀がなくなるんですか!土塁も削っちゃうんでしょうかね・・・
虎口が最大の見所であることに異議はありませんので、空堀がなくなったら台無しですね。
(南西部の竪堀は残るかなあ・・・)
管理人様>
「日本100廃城」での利神城の扱いについてですが、余湖さんへのお返事としてあちらの
方に書き込みました。管理人様の本を拝読して訪城する気になり、その素晴らしさを目の
当たりにした私としましては、非常に思い入れのあるお城です。破城によると思われる
隅石垣の崩れも魅力の一つなので、悩ましいところです。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんばんは。
利神城に投票されてますね(^^)。
あそこは竹田城にも負けない雲海の名所でもあるのですよ。
竹田のようにカメラマンが所せましと場所を奪い合っている
今となっては、こちらで撮った写真をPRしたいところです(^^;。
でもほんと危険なのでくれぐれも・・。(^^;;;
ではでは。
> 後程くわしく紹介しますが、これは発掘調査から明確にな
> りました。
としておりましたが、
八幡市史 第一巻
に記載があります。数行で詳しい記載ではありません。
内容は、
「20m四方の平坦地があったが、斜面との境界に幅1m、長さ12mの溝が巡らされていた」
と記載があります。続きには、
・遺構の性質は不明
・中世の砦などの遺構ではないかと考えられている
とあります。
> 豊臣秀吉が改修したかに関しては、確たる証拠は不明です
> が、城、もしくは方形居館クラスがあったことは間違いな
> さそうです。
とありますように、平城部分は方形居館クラスがあったと思われます。もっと規模が大きい可能性もありますが、住宅地ですので、発掘調査も無理ですね。
> でも竹田城が生野銀山を防衛する
> ためだとは思ってませんでした。(^^;
> 確かにそういう記述もありますね。ほほ〜。
ありますでしょ。
まー生野銀山は生野城がメインですが、生野城だけでは心もとなく竹田城も防備にあたっていたと思われます。竹田城が山城にもかかわらず、あれだけ立派な石垣の城になったのは、生野銀山があったればこそだと思われます。
では、では。http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20110824ddlk28040390000c.html
ブレイズマンさん、こんにちは。
男山城の続報ありがとうございます。
確かに発掘調査がしにくくてもどかしくなる城跡は
ありますが、やっぱりそこはブレイズマンさんの
想像で補完してやってくださいまし(^^;。
さて、次はどこのお城に注目されるのでしょうねぇ。
またお願いいたします〜
管理人様こんばんわ。
木津城について続報です。
前回のに木津城は残るようですとお知らせしましたが。
新たな情報では、山頂部は緑地帯として残すが、空堀は無くなるとのこと、空堀と言えば虎口に関連して北と南にありますがこの城の最大の見どころだと思うのですが、堀が無くなり郭の平坦地だけ残る事に何の意味が有るのでしょう。
まことに残念なことです。霄漢さん、こんにちは。
いつも素晴らしい情報ありがとうございます。
まだ未訪となっております木津城でしたが、
これはぜひとも見に行かねばなりませんね。
いつごろまでに行かないと行けないのでしょうか。
どこかに工事情報が載っていないか探してみます。
ありがとうございました。
管理人さま、ご指摘ありがとうございます。
なんとなく遺構がすばらしい城ということで、深く考えずに利神城を選んでいましたが、よくよく考えてみれば、おっしゃる通りで、一般のファンが訪れるには、ちょっと危険な城というべきでした。確かにこれは選定の趣旨に反しているように思われます。
というわけで、私は利神城の票は取り下げました。
ご指摘いただき、感謝いたします。
それではまた、投票してくださるのを楽しみにしています(^^)余湖さん、こんにちは。
ずいぶんたまってきてるようですね。
利神城は確かに素晴らしいお城なんですよね。
私もイチオシです!
ほんと今の危険な状態が悔やまれてなりません。
さてどこに投票しましょうかねぇ。
皆さんのを観ながら考えさせていただきます。
初めまして、余湖くんのホームページ管理人の余湖と申します。
今、私のページで城マニアの投票によって「日本100廃城」を選ぼうという企画をやっております。
「日本100名城」といえば日本城郭協会によって選定されたもので、かなりメジャーになっていますが、「あまりにも有名で観光地化された城ばかりだ」「どういう基準で選ばれたのかよく分からない」といった声も耳にします。
そこで、城マニアによる投票によって、中世城郭を中心としたベスト100の廃城を選ぼうというのが、この趣旨です。
半年ほどかけて選定した後、選定された城を訪ねる際に持ち歩くのに便利な『日本100廃城ガイドブック』を刊行したいと思っております。
こちらの掲示板にいらっしゃっているみなさんも、よろしかったら、投票していただけないでしょうか。
それでは失礼しました。http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/100rist.htm
余湖さん、はじめまして。
mixiのオフでも参加されていたのを皆さんの書き込みで
拝見しておりました。
私もいつかお会いしたいなと思っております。
最近は”廃城”が勢いあるようですね。
城好きがどんどん増えてくれるようになればいいなと思います。
アンケートの件、地元兵庫はやはり悩みますが、私も参加させてもらいますね。
利神城は私もオススメする城ですけれど、やっぱり危険すぎるので
書いてくださっているような主旨とは違うような気もします。
それにしても今から結果が楽しみです。
集計、とりまとめがんばってください。
管理人様>
#私へのレスではないですが・・・
> 亀山城は、最近再訪しましたが移築門めぐりや外濠(惣堀)をめぐると楽しい
> ですよ。
> 私は1日じゃ足りなくなってしまいました。
丹波の方でしょうか。移築門を制覇したのですが?すごいですね。私は一度挑戦
しようとしましたが、おっしゃるとおり1日では無理だと考えて挫折(泣)
因に、伊勢亀山城の方は天守台上に多聞櫓が現存していますが、改変が過ぎたのか
県史跡どまりみたいです。(リンクあり)
改変の事実を探すために検索していて知ったのですが、今月12日から来年3月12日
まで復元修理中だそうで、幕末の姿に戻すようです。(伊勢新聞 2011/8/26)
> 仁井山城
今シーズンは利神城に再々訪できればなあと思っていますので、実現できたら
ついでに寄ってみようと思います。
> 台場情報でしたら、その近辺に大塚台場、唐崎台場、梶原台場もありますよ。
情報提供有り難うございます。貴Webサイトにて位置も確認させていただきました。
台場はあまり意識していなかったので、情報を見逃しておりました・・・
しかし、高浜、大塚、唐崎は高槻堤防高速(前島グリーンセンターの南西にある
橋あたりまでを地元の方はそう呼んでいるらしい)とその延長上にありますので、
何度そばを通過したことか・・・。西国街道も一時抜け道として利用していた
ので、梶原台場もそばを通過してますね。いやー、知らんかったです。
#高槻堤防高速と西国街道はともに狭い(すれ違い不能箇所あり)ので、運転に
#自信がない方にお勧めしできる道ではありません。
ブレイズマンさん>
> 男山城も石垣があったとしても、ここまで算木積みが完成されたものではなく、
> もう少し雑であると思います。
そうかもしれませんね。ただ、石垣の積み直しは他のお城でもある話(私が最近
訪城したところでは七尾城)なので、「当時も石垣があったんかなあ。あったと
したらどんなのだったのかなあ。」という想像の発端にはなろうかと思います。
余談ですが、石川県お城巡り報告の追記(No.2286)でネタにした映画『BALLAD
名もなき恋のうた』が今日テレビで放送されます。私はまだ観ていないので、
鳥越城がどんな風にロケで使われたのか観察しようと思っています。
長文失礼しました m(_ _)m
では、失礼いたします。http://blogs.yahoo.co.jp/zenkokuyamashiro/33298054.html
ポリタンクさんこんにちは。
はい、丹波の亀山城です。
でも制覇はやっぱりムリでしたからまだまだ残ってるんですけどね。
バラッドは録画しましたがまだ観てません。
私もちょうど鳥越城に行ってきましたところなので
新鮮です(^^
こちらの記事ご覧になりました?
> 猪名川町猪渕で豊臣秀吉が開発を進めたことで知られる多
> 田銀銅山の新たな坑道跡が見つかり、県立考古博物館が2
> 3日、本格調査に乗り出した。
ということで、実は銀山と城の関係って結構深いんですよ。生野銀山を防衛する意味で竹田城が築城したとも言われていますし、多田銀銅山は丸山城ですよね。
ただ、丸山城は能勢頼次ですので、豊臣秀吉側のこの時の防御の城とはどこだったんでしょうか?
では、では。http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20110824ddlk28040390000c.html
ブレイズマンさん、こんにちは。
そのニュース、私も興味深く観てました。
書かれておられるように銀山を守る城が置かれている
ケースがありますね。でも竹田城が生野銀山を防衛する
ためだとは思ってませんでした。(^^;
確かにそういう記述もありますね。ほほ〜。
> 確かに純粋な神社のものにしては物々しいですね。
でしょー。
マー西宮神社にもかなり古い時代の土塀がありますが、こちらは街中で、防犯、防火目的だと思いますが、山頂にあそこまで立派な土塀は必要ないですよね。
> 「奉納」という名の城塞化と思えなくもないですね。
まー一義的には「奉納」だと思いますが、セカンドプラントして、対岸の山崎城を含め、男山城を京の要と思っていたのではないでしょうか。
この時代、三好軍が京を狙っていた時でもありましたので。
> これって算木積みに似てません?算木積みって、城郭の石
> 垣に見られますよね。
と思いついたまま書いたものの、「えー、本当にそーか?」と疑問符も持っていました。再度写真を見てみますと、ちょうど角っこの部分を見てほしいのですが、綺麗な積み方していません?
仮に豊臣秀吉の遺構とした場合、大坂城築城前となります。につしては、この積み方時代が新しくないか、と思い直しました。
お城さんマークを見てほしいのですが、これが安土城の角っこの積み方です。まだ、算木積みとして完成されたものではありません。男山城も石垣があったとしても、ここまで算木積みが完成されたものではなく、もう少し雑であると思います。男山城があったとしても、山崎城と同時期に廃城になったと思いますので、大坂城築城時には消滅したと思います。
まー豊臣秀吉の遺構の可能性があるならば、もう少し賑わっていますよね。そりゃそーか。
続きがあります。
> ちなみに細川両家記にはなんと書かれているのですか?
私は、この件に関する資料はいくつか準備しておりますので、いずれホームページか何かで私の見解も含めてまとめたいと思いますが、資料を読み返したわけではありませんが、「山本」(不明)というような記載があったと記憶しております。あまり記憶に自信はありませんが。いずれにしても現在の場所は不明で、甲陽園ではない可能性もあります。
> さすがに甲陽園は最近の名前でしょうから無いのでしょう
> けど、そこはかつてはどう呼ばれていたのでしょうか。
うーーーん、このあたりが曖昧で、いくつかの変遷があったと言われています。細川澄元の戦国時代なんと呼ばれていたか?うーーーーん、記録は残っていないと思われます。海側は細かい記録もあると聞いているのですが。
> また土塁跡と思われる場所には堀跡らしき痕跡はありませ
> んか?(^^;
にひひひひひひひ、実は竪堀ではないかと思われる場所があるのですよ。しかし、現在そこは道路になってしまっており、実際に竪堀があったかどうかは不明です。
場所を思い切って教えちゃいましょう。
お城さんマークにある場所が私が土塁ちゃうの?と思われる場所です。ここは甲陽園駅より少し高台になっており、越水城を攻略しようと思う細川澄元軍の陣城的な役割を果たしていたと思います。地理的には、神呪寺城より甲陽園城の方が行動しやすい位置にあります。ここにいくつかの竪堀が掘られていたと思いますが、徐々にこの竪堀を人が往来するようになり交通量が多くなり、現在の道路に変化していったのではないかと私は勝手に思っています。越水城は南側にあたります。
まー近日中に写真を撮ってきますので、それをご覧ください。
続きがあります。
> ブレイズマンさん、ご無沙汰しております。
ぶりぶりです。ぶりですが、城めぐりは続けております。
> フェイスブックですか!
> 私も少し前にはじめましたよ。
まー、業務内容が多く、プライベートの事は一切書き込んでいなのですが、なかなか面白いソーシャルメディアです。
> ははは、反応いただきありがとうございます。
> ブレイズマンさん向けの書き込みでした。
にひひひひひひひ、やっぱりでしたか。
> 兵庫編に載っていますので一度ご覧ください。
了解です。
ガミヤ池は坂の途中に池があります。私は、地質学者ではないですが、あのような坂の途中に自然に池ができるということはあまりないのではないかと思われ、人工的な池の感じがします。私は、城郭と関係しているのではないか、と睨んでおります。
> でもまぁ自治体には史跡として認定されていなくても
> お城はありますし
ありますね。まー石垣に関しては、西宮市郷土博物館の見解が正しいと思われますが、カベノ城、ガミヤ城に関しては、存在していた可能性はあると思っています。
> こういうのもお城めぐりとしては
> 楽しみの1つですよね。
その通りです。
続きがあります。
ブレイズマンさん、男山城の情報有り難うございます m(_ _)m
訪城にむけての参考にさせていただきます。
> 瓦が敷き詰められた見事な土塀
ご紹介いただいたWebサイトの画像を拝見しましたが、確かに純粋な神社のものに
しては物々しいですね。「奉納」という名の城塞化と思えなくもないですね。
> これって算木積みに似てません?算木積みって、城郭の石垣に見られますよね。
確かにお城の石垣っぽい雰囲気を醸し出していますね。豊臣秀吉の遺構かは
わかりませんが、現地で拝んでみたいです。他のサイトでも石垣が写っている
画像を見ました(お城さんマークにリンク:Red Bull HOLY RIDE 画像10の15)
ので、色々観察しながら物思いに耽ろうと思います。
では、失礼いたします。
> 検索してもらったら解りますように、男山城に関する記述
> は殆どありません
と思っていましたら、お城さんマークにあるようなホームページを発見しました。
ここにありますように、男山城がもっとも史料に登場するのが、南北朝争乱期です。下記の平城発掘調査も、ほぼこの時期と符合します。
同ホームページ内にある、
「同古木」
の木の下に写っている土塀が織田信長が奉納したといわれる土塀です。なかなか見事な土塀でしょ。
「八幡宮裏下山」 の右にある 「同」
という写真を見てください。この場所は私、見に行きませんでしたが、これって、近世のものでしょうか?しかし、これって算木積みに似てません?算木積みって、城郭の石垣に見られますよね。まさかこれが豊臣秀吉の遺構ってことはないですよねーーー。
うーーーーーーーん。
では、では。http://www.geocities.jp/papatm20/nihonnnojyouseki/kinnki/yamasiro/otokoyamajyou/otokoyamajyou.html
> 男山城は未訪なので興味津々です。入手された情報をご教
> 示いただけると幸いです m(_ _)m
後程くわしく紹介しますが、これは発掘調査から明確になりました。ただ、ここは現在住宅地ですので、大規模な発掘はできません。ごく一部の地域ですが、かなり古いタイプの城の遺構、堀の一部が発見されました。戦国時代以前ですね。
豊臣秀吉が改修したかに関しては、確たる証拠は不明ですが、城、もしくは方形居館クラスがあったことは間違いなさそうです。
> それと先程興味を示した男山城についてですが、『日本城
> 郭大系 11 京都・滋賀・福井』を見てみると山城説と平城
> 説があるみたいです。
そーなんですよ。私が知る限りで、城郭体系の記述がもっとも詳しく記載されています。
平城が発掘された部分で、山城部分が「石清水八幡宮」かその周辺が推定地として考えられています。山麓も城の一部として考えられています。
石清水八幡宮も私行ってきました。ここには、織田信長が奉納したといわれている土塀があります。瓦が敷き詰められた見事な土塀で、神社には相応しくない防備体制を備えた土塀です。
山頂にこのような見事な土塀があるのは非常に不自然で、戦闘施設の一部で、当時は石清水八幡宮以外、山頂全体にこのような見事な土塀があったのではないかと思われます。
お城さんマークに発掘調査地点を入れておきますので、ご参考にしてください。おそらく八幡小学校も城の一部と思われます。発掘できないので、調整は不明ですが。
では、では。
連続投稿ご容赦を m(_ _)m
京都からの帰り道で信号待ちの際に何気に交差点名を見たら「久世殿城」と
書いてありました。「この辺って城跡?」と思って帰宅後に調べたら、確かに
ありました。びっくり栗。数えきれないくらい通過している交差点でしたが、
今まで全く気がついておりませんでした・・・
京都市遺跡詳細地図(リンクあり)の遺跡番号776「下久世城跡」、同777
「下久世構跡」(番号をクリックすると台帳にジャンプ)になりますが、
町名(くぜとのしろ)の由来はたぶん前者でしょうね。後者は国道171号線が
突っ切っています。知らない間に車で何度も訪城していた事になります(笑)
ネットで現状の地図で見てみると祐楽寺や殿城公民館、久世中学校の南側
あたりの範囲みたいです。
なお、「上久世城跡」というのもあるみたいです。(同地図遺跡番号761)
それと先程興味を示した男山城についてですが、『日本城郭大系 11 京都・
滋賀・福井』を見てみると山城説と平城説があるみたいです。
では、失礼いたします。
ブレイズマンさん、お久しぶりです。
男山城は未訪なので興味津々です。入手された情報をご教示いただけると
幸いです m(_ _)m
男山城もそうなのですが、その近隣の山崎城、楠葉台場、高浜台場も「近い
からいつでも行けるかー」と思って未訪です。(そういえば、このノリが
災いして、国際花と緑の博覧会は行かないうちに終わっていました・・・)
高浜台場にいたっては、しょっちゅうニアミスしてるんですけどね。
今日もこの後(ネット中継のライブを見終わってから)しぐれ焼きを食しに
京都に行きますが、天気が悪いので台場を訪れることはないでせう・・・
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
台場情報でしたら、その近辺に大塚台場、唐崎台場、
梶原台場もありますよ。
遺構がないので想像力でほぼ100%カバーしないと
いけませんけどね。
いやぁ、どうもトモさんです!
お勧めいただいた、加納城いってみました。
結構きれいに土塁、石垣が残っていて往時の姿を自分なりに想像できました。
それと、行くと宣言した(?)小倉山城ですが、行きました。結構、しっかりと遺構(石垣など)が残っていて模擬櫓もありました。詳しい話はまた後日。(実はまだ、旅行中なので)では、失礼します。トモさん、こんにちは。
旅行中の途中報告ありがとうございます!
どんなお城めぐりになりましたか、またお時間ができましたら
お聞かせください。
私も少し時間がとれましたので、遠出してきました。
また徐々にアップしたいと思います。
残念ながら雨ばっかりだったのがイマイチなんですけどねぇ・・。
最近はメジャーな城ばかりでなく、このように史料にまったくない城にも興味を示している私ですが、実は実は、
「甲陽園城」
ってあったのではないの?という発見をしたかもしれません。
甲陽園城になりますと、そのような噂話もまったくない城で、私が勝手につけた名前なのですが、まったく根拠のない話ではありません。
越水城の城主で瓦林正頼時代、越水城周辺に細川澄元軍に囲まれました。この本隊には一時期神呪寺城に着陣するのですが、その後南側に移動します。ど、その移動先が史料『細川両家記』に記載があるのですが、それが現在の地名とあっておらず、長らく不明とされてきました。
しかし、甲陽園のある場所を歩いてみたら、
「ありゃ、これっと土塁跡じゃねー」
と思われる場所に出くわしました。細川澄元が南側に移動したって、それって甲陽園のことではないの?とも思われし場所を発見したのです。
後日、それをデジカメに撮って公開しますので、是非皆さんで、
いやーーー、これって土塁跡じゃないでしょ。
ひょっとして、これって甲陽園城?
など一度見ていただければ幸いです。
今回のお城さんマークは私が以前撮りました、カベノ城の偽石垣です。今見ると、やっぱりこれって近世ですよねー。私も多少頭よくなりました。
では、では。ブレイズマンさん、こんにちは。
私も以前は三木の陣城を探り歩いていたことがあります
のでその楽しさはよく分かります。
ちなみに細川両家記にはなんと書かれているのですか?
さすがに甲陽園は最近の名前でしょうから無いのでしょうけど、
そこはかつてはどう呼ばれていたのでしょうか。
また土塁跡と思われる場所には堀跡らしき痕跡はありませんか?(^^;
でー今回書き込みましたのは、管理人さんの
「さきほど「日本城郭全集」をパラパラ見ていたら」
なにーーーーーーーー、そんな記述があったのですか。
それは、めっちゃ嬉しいです。
私が城に興味を持ち始めたのが、この幻の城、
カベノ城
からなんですよねーーー。
ガミヤ城の噂話もあり、カベノ城の近くにガミヤ城があるんですよね。ガミヤ城の場所をお城さんマークに入れておきます。
日本城郭全集にもありますように、カベノ城、ガミヤ城とも史料には登場しない正体不明の城です。ただ、近くには寺を改造した鷲林寺城、神呪寺城があり、仮に存在していたとしたら同時期の築城と思われ、越水城を守る形でこれら支城の築城が考えられると私は思っています。
後、「築城当時の石垣が少し残っているが」ということですが、お城好きなら解るように、戦国時代の山城に石垣って変ですよね。当初の私も引っかかって城の石垣発見か?と思いましたが、西宮市郷土博物館の見解によると、近世のものであろう、ということでこの石垣は城の遺構ではないことが解りました。残念。
ガミヤ池は現在かなり縮小してしまいましたが、当時はボートハウスもあり、近くではキャンプも出来たそうです。今は住宅地ですけどね。大きな水源が戦国時代から存在していたと思われ、この周辺からみる夜景はとても綺麗で、下界を観察するには絶好のポイントです。
となると、ガミヤ城があったかもしれないでしょ。もちろん、見張城や灯火城のような規模の小さなものであったと思われますが、ろまん広がりますよね。
ガミヤ城に関する私の知る範囲では、『郷土の城ものがたり』しか文献の記述は見たことがありません。
しかーし、「日本城郭全集」に記載があったとは驚きです。もしよろしければ、「日本城郭全集〈第10〉岡山・兵庫編」でしょうか?詳細を教えていただけませんでしょうか。
興奮状態です。
続きがあります。ははは、反応いただきありがとうございます。
ブレイズマンさん向けの書き込みでした。
兵庫編に載っていますので一度ご覧ください。
ただ古いものですし、当時どういう記載ルールで
載せているのかハテナ?と思うこともありました。
石垣については載っているままです。
でもまぁ自治体には史跡として認定されていなくても
お城はありますし、こういうのもお城めぐりとしては
楽しみの1つですよね。
おひさし、ぶりぶりです。
いやー、実は書きたいこと満載だったのですが、実は本業でフェイスブックをやっておりまして、このメンテナンスに結構時間がかかり、なかなかこちらに書き込む事余力が残っていませんでした。
しかーーーーーし、城めぐりは全然続けておりますよーーー。
先日も京都、豊臣秀吉が築城or改修したと言われている山崎城の対岸、「男山城」を探す旅に出ていました。
男山城も山崎城と同時期に豊臣秀吉が改修したのではないか、という噂話はあるのですが、検索してもらったら解りますように、男山城に関する記述は殆どありません。
しかーーーーし、私は地元の図書館を調べまくり、その痕跡らしきものを発見しましたがあります。といってもすでに調べていた人がいてたんですけどね。
この詳細は後程記述します。
続きがあります。ブレイズマンさん、ご無沙汰しております。
フェイスブックですか!
私も少し前にはじめましたよ。
城めぐTOUCHとの連携を意識したものにしておりますので
内容としてはどうかな・・?とまだ手探り状態ですが。
男山城はだいたいの場所は把握してましたが、行って
こられたのですね。
続きを楽しみにします。
管理人様、大変ご無沙汰しております。
「城郭写真記録」の管理人:成田三河守で御座います。
大変遅れましたが、
『こんな城もあったんだ〜日本名城・奇城ガイド〜』
の出版おめでとう御座います。今度、本屋で覗いて見ま〜す。
8月初旬、山形県へ行って来ました。
本サイトと同じように
既に山形城、上山城、米沢城は訪ねているので、
今回、新庄城、鶴ヶ岡城を狙って行きました。
結果として新庄城+その他=15城程を周るに至りました。
写真の出来の悪さもあって全てを更新していませんが、
予想外の晴天で数を増やすことが出来ました。
次回、機会があれば酒田、鶴岡方面を考えたいと思います。
現在、夏季連休中ですが、
愛知県内の充実に努めております。http://www.geocities.jp/shiro20051212/
成田様、大変ご無沙汰しております。
書き込みありがとうございました。
なかなか東北は行きにくく、自然と訪問した城が
有名どころとなっております。
遠征のチャンスをうかがっておりますので、成田様が
羨ましいです。
また貴サイトで勉強させていただきます。
愛知県は平地城館だけでもものすごい数がありますので
夏場でも楽しめ(?)ますね。
愛知は私も未アップのお城が100ほどありますが(^^;
今後ともよろしくお願いいたします。
初めまして。
土佐高知城を仰ぎながら育ち、現在、千代田城のお膝元に住み、お城の厠の清掃をやってました。
とにかく、女性の使い方が、キタネーのには、仰天でした。
よろしくお願いします。ムッシュKさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡と申します。
江戸城そばにお勤めですか。
あそこは規模が大きすぎて何度いっても飽きませんね。
私もトイレではさらに1歩前に進んで用を足したいと思います(^^;
管理人様ではありませんが、ご容赦を m(_ _)m
> 長篠城・亀山城・小浜城・国吉城・後瀬山城
> 上月城
亀山城が丹波亀山城(亀岡城)のことでなければ、私は上月城にしか行った
ことがありません。季節としては春先に行ったのですが、整備具合から想像
するに夏でも問題ないかなあとは思います。古い本になりますが、佐用郡
歴史研究会発行の『上月城史』を読んでから行くと楽しさが増すかもしれ
ません。
#伊勢亀山城は丹波亀岡城と間違えられて天守が壊されたという逸話もあり
#ましたね。
上月城とは直接関係ありませんが、JR上月駅から東に三つ目のJR三日月駅
北西に三日月藩陣屋がありますので、お時間があれば足を運ばれてもよい
かもしれませんね。(私は未訪です。)
また、佐用町のお城といえば、管理人様著書『こんな城もあったんだ』にて
「お奨めの城なのに危険で訪城はお奨めできないという矛盾が、身もだえ
せんばかりに悔しい」と紹介されている利神城が個人的には好きです。
私は逆にこの台詞が気になって上月城とセットで行きました。台詞はその
とおり(城めぐ登城記名帳過去ログ No.1945,1961)でしたけど。書いて
おいて何ですが、足元が確認しづらいと予想される夏場は微妙かもしれま
せんね。なお、これも新書では入手できませんが、『播磨利神城』(城郭
談話会)を読んでから行くと、これまた楽しさが増すかもしれません。
因に、上月城には遠望ながらも利神城を拝む事ができる場所があります。
(その旨の看板あり。)
では、失礼いたします。
#ご紹介した本に興味がおありでしたら、図書館等で探してみてください。ポリタンクさん、情報提供ありがとうございます。
上月城も少し前に再訪しましたが、特に問題なくあがれる
と思います。
斜面は藪ってますでしょうから、細かく散策するのは
難しいかもしれませんけれど。
その近所で私からオススメするのは仁井山城です。
車で行くのなら上まで行けてしまえますし、畝状
竪堀が見事に残っていて感動ものです。
でも歩いてだとちょっとキツイですけどね。
ごぶさたです。
たしか、最後の報告が『龍野古城・龍野城』だったと
おもいます。
あれから、報告を怠ってましたが
ちゃんと『城めぐ』してますよ。
中野城(日野城)・山崎城・勝龍寺城・丸山城(大阪能勢)
地黄陣屋・洲本城・烏帽子形城・滝山城・一乗谷・
岡崎城・感状山城・佐和山城
です。
今後の予定は、長篠城・亀山城・小浜城・国吉城・後瀬山城
上月城をこの夏の18切符を利用して行きたいと
思っています。
とりあえず、近々長篠城と亀山城には行きます。
夏の感状山城は危険ですね。
軽い熱中症で北曲輪から動けなくなってしまいました。
まっ、なんとか無事に下山して現在に至りますが(笑)
いや〜、危なかったです。
しかも、狩猟期間中ということもあり、熊の恐怖もあり
ゆっくり見れませんでした。*大手門と井戸が見れず断念
で、上記の城で何かアドバイスありますか?
いつも、アドバイス求めてばかりですみません。
夏の国吉城・後瀬山城も危険ですか?
よろしくお願いいたします。みんぴかさん、こんにちは。
ずいぶんあちこち行かれていたのですね。
予定であげておられる城はよく整備されているところ
ばかりですので、夏場でも大丈夫だと思います。
国吉城、後瀬山城は登り降りの際は暑さ対策をして
行ってくださいませ。
亀山城は、最近再訪しましたが移築門めぐりや外濠(惣堀)をめぐると楽しいですよ。
私は1日じゃ足りなくなってしまいました。
先程帰ってきました。
往路は地道のみ(遠阪トンネルを除く)です。
まずは立雲峡へ行きましたが、雲海オフ時期の夜明け前だけに誰もいません
でした。朝霧はプチ状態です。日の出頃まで滞在して竹田城へ向かいました。
竹田城は大手門への道が金属製の柵で塞がれていたため、素直に駐車場に
止めました。まだ6時になっていないのにそれなりに車があります。
城内は地表面に適度に草が生えている光景は絨毯敷きみたいでなかなか良い
ですね。ただ、草についた夜露で足元は濡れまくります。1時間半ほど闊歩
して帰路につきました。なお、汗だくになったのでトイレで下着も含めて
全て着替えました。(単に太り過ぎ?)
徹夜なので流石に復路は高速を利用しました。中国道で逆車線の渋滞を横目に
ニヤニヤ(嫌な奴・・・)
そういえば、帰る時に駐車場ですれ違ったおねえさん、夏の山城でスカートに
サンダルって・・・。虫に刺されてなければよいですけど。
話は変わりますが・・・
霄漢さん>
発掘調査情報を有り難うございます。非常に興味があるので、都合がついたら
現地説明会に行こうと思います。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
少しずつ竹田城が変わっていってますね。
昔はよかった、みたいなことは言いたくないですが(笑)、
有名になるのはいいとしても、観光地化してなにかと
安全性を重視した整備やごみ問題等が出てこないことを
祈るばかりです。
今年の雲海シーズンも1回は行くと思いますが、あの人
の多さはどうもなじめません(^^;
京丹波町三宮の「三宮城」の東、「三宮東城」が現在発掘調査中です。丹波綾部道路のため消滅してしまう様です。なお現地説明会は9月に開催されるようです。調査で山頂部(主郭)に3棟の礎石建物(他の郭にもう一棟)検出されているのには驚きました。染付などの遺物も出ておりかなり生活感が有りました。その他以前には明確でなかった主郭南の4本の竪掘りが明確に出ていました。
その他注目の遺構は主郭南部の下の郭から上がる虎口(一部石組)を興味深く見る事が出来ました。比高50m位の小さな山城ですが城域全域で調査が行われています。
関西で山城の発掘調査は近年他に例が無かった様に思います。霄漢さん、こんにちは。
貴重な情報ありがとうございます。
まめにチェックして、現地説明会情報を得ておきたいと思います。
こうした情報って1週間前でないと出てこないのがつらいのですけどね。
書いてくださった遺構だけでもものすごく惹かれます。
うまく予定があえばいいのですが。
別所家被官の横河氏の館跡。
我が家と同じ宇多源氏。
朝廷の御用商人から養子を迎え、播磨に下る。
三好家との抗争、数年後には秀吉に降る。
近隣の(高砂など)者とまとめて船手衆か?
のちに播磨に入った池田家に仕え、
姫路城の築城の際には奉行の一角。
三男・忠雄付きとなり、大坂冬の陣に突入。
冬の陣では船手奉行とつとめ、会戦のきっかけをつくる。
一番槍か一番首で家康の覚え目出たい。
その後、子孫は日本有数の大企業を興す――。
と、まぁ、世に出ていない播磨武士の館跡があります。
燈台の役目も兼ねた屋敷跡には、当時を偲ばせるものも……。
最近、忙しすぎてダメです……。
播磨の名もなき武将を追いかけすぎて、
気が狂いそうになっています。
みなさんも、仕事の安請け合いと抱えすぎにはご注意を。まるさん、こんばんは。
またマニアックなところを調べておられるんですね。
全然知りませんです(^^;
三木合戦関連では少しずつ考えていることもありましたので
どこかでつながればいいなと思います。
でも適当に息抜きしてくださいね。
大変そうですが、がんばってください。
週末、用事の間の空き時間を利用して花隈城に寄ってきました。
石垣で囲われた駐車場という先入観が災いし、最初についた場所は東駐車場。
花隈城天守閣址碑(リンクあり)がある福徳寺はどう見ても近くにない・・・
気を取り直してその場で携帯で調べたら・・・、元町かい!って、住所も
調べずに行動した私が悪いんですが、結果的にはいい運動になりました。
ただし、山城と違ってアスファルト上の道程は腰に負担がかかりましたが。
天守閣址碑を拝んだ後、模擬石垣で覆われた花隈駐車場へ行きましたが、同
駐車場上の公園にある復興天守台の最上部には登れないようになっています。
たぶん通気孔の出口なんでしょうね。
では、失礼いたします。http://www.mapion.co.jp/m/34.6844805555556_135.184085833333_10/
ポリタンクさん、こんばんは。
花隈城に行かれたんですね。
天守閣碑を下のアングルから撮ったらお寺がそれっぽく
見えませんでした?(^^
花隈城はかなり広かったようですが、今ではほとんど
想像できないのが残念ですよねぇ。
鳥取市用瀬の三角山(標高508m)登山のついでに城廻り。
熊情報もあるエリアゆえ、ヤブこぎはこの時期出来るだけ避ける計画。
女人堂下に車を置き、三角山登山道から細尾根の登山道を「景石城」方向に北に進むと「子持ち松砦」。
土橋付きの堀切から切岸の丸太階段を登ると主郭。
主郭から北に道なりに切岸を下りて堀切、井戸、長郭。
主郭から西に切岸(石垣あり)を下ると、堀切、二重竪掘、土塁、段々に下って3郭、小ピークに郭、左に折れて堀切、岩。
北の長郭に片竪掘、丸太階段、土橋道。
すぐに林間広場への分岐、その先の堀切風の谷の付いた細尾根から急勾配になると、「景石城」の竪掘。
小さな郭、石垣、帯曲輪、腰曲輪から三段の主郭群。
江戸時代初頭まで続いた総石垣の城だ。
主郭群から北東に郭が続いているようだ。
主郭から西に尾根を下って郭群があるようだが、少々ヤブこぎ模様なのでパス。
林間広場への長い丸太階段を下りて山麓遊歩道経由で駐車場へ。
智頭町に入り、木原の「唐櫃城」へ。
国道53号線土師小学校付近に石碑、看板(付近に水道施設らしき城風建築物が見える)。
橋を北に渡って駐車。
線路を渡り看板に書かれたとおりの道順で舗装林道に入って進むと尾根に「城山裏道185m」の小看板。
ここで尾根先の方へ作業道を進む。
郭、箱掘り風の郭、郭、竪掘、土塁、広い主郭(膝までの笹)、下に二段の郭。
石碑、縄張図にある石垣のある小郭は作業道で破壊されたか(石材散乱)。
竹ノ内の交番脇から南へ50mほど進み駐車。
丘端の田圃にモッコリと土塁状、木が茂っている。
「竹ノ内城」だ。
下に人家があるのであやしまれないようにあぜ道を進む。
本当にモッコリだけ。
「荘ノ尾(シャウノオ)城」は那岐駅の西、工場の裏手にある。
橋を渡ると駐車場があり工場横から取りつく。
「七人の侍」のモデルとして町長さんが売り出したが、城は戦国期。武士を雇った資料は鎌倉時代。
おかげで、かなり整備されており、縄張図、散策路、矢印、復元柵列、復元堀切など見所満載。
ここも尾根筋を延々と進むが早野の集落まで整備されている。
那岐駅から南へ、国道53号線を渡って舗装林道西谷線に入り暫く進むと左へバックするような形で林道が分かれている。(ヤマレコで見る1/25000地形図だと、そのまま南へ進む舗装林道が書かれていない)
この分岐に車を置き、鈴と笛の助けを得ながら、無舗装林道を約700mで電波塔。
「杉ケ尾城」だ。
東に腰曲輪。北の尾根に出郭が見える。
やぶくぐりさん、こんばんは。
いつもながらがんばっておられますね。
今の季節はほとんど山城は避けてますが、それでも
唐櫃城は気になってたんですよ。
細かく書いていただき感謝します!
荘ノ尾城のちょっと気になります(^^;
またこちらの方面に近づくことがあれば狙ってみたいと思います。
ありがとうございました。
m(__)mお手数おかけいたしまして、すいません。
さて、お勧めいただいた加納城と黒野城には
ぜひともコースに加えさせていただきます。
というか岐阜城の周りは結構、城跡がおおかったんですね。
そういえば、今回旅行日程と偶然「郡上踊り」が重なっているので郡上八幡城に行きがてら帰りに美濃市の小倉山城にも攻めていこうかなと思っています。
P.S 墨俣城には行った事ありますが、確かに「一夜城」
にイメージとはかけ離れた立派さかげんでしたw
癖で改行入れてしまいました、なんかすいません。
恥ずかしすぎる・・・・orzトモさん、置きになさらずに(^^
問題なしです。
はじめまして!
ここにかきこむの初めてですがサイトの方は関東や東海あたりの城めぐりの参考にさせてもらっています。
ちなみに今住んでるのは、神奈川ですが生まれは福島県は浜通りですw
このあたりは、相馬中村城・小高城・真野古城(磐城)平城とけっしてメジャーではないお城が多いです。
(このたびの地震やら原発事故やらでだいぶ行きにくく
なりましたが<苦笑)いずれ、めぐってみようと思います。
ちなみに今年のお盆は、岐阜城周辺の城跡をめぐる旅を計画しています。
最初は、何処から行こうかなぁ。と、今からルートを悩みまくってます。
では、長くなりましたがこれで失礼いたします。
また折に触れて、のぞかせていただきます。トモさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡です。
勝手ながら改行のタグはカットさせていただきました。(^^;
私も福島や宮城などのお城にはまた機会をつくって
行ってみたいと思っております。
いまはなかなか遠出がしにくい状態なんですが。
岐阜城あたりでしたら、加納城や黒野城なんていかがですか?今の季節でも気軽に行けて遺構も楽しめるお城です。
私の場合遠征をすると時間との戦いになってしまうことが多くてせわしないのですが(笑)、
よい城攻めとなりますよう、楽しんできてください。
それでは。
始めまして!
最近、仕事の転勤により長野県に移りました。
県内の史跡や城址を巡っているのですが、小諸市の小諸城、松代の松代城がタッチの対象に入っていませんでした。
普段から楽しくアプリを利用させて頂いているので、是非ともタッチの対象にして欲しいと思い、コメントさせて頂きました。
このコメントがこの場所に適切でありませんでしたら申し訳ありません。ベンジーさん、コメントありがとうございます。
管理人の本岡です。
長野県はいいお城が多いんですよねぇ。
城めぐTOUCHの件、ありがとうございます。
実はいい写真が手元になくて、あげられないパターン
なのでした。(^^;
(まぁ仕組み上、写真なしでも可にはなってますが)
追加候補の城としてメモらせていただきます。
ありがとうございましたー!