本岡です。
ポリタンクさんのご指名がありましたので、昨日行ってきました
大天守の屋根見学について感想を書かせていただきます。
当日は1グループ25〜30名くらいだったでしょうか。
20分という限られた時間でしたが、最上階の屋根を間近で見て回れる幸運を得ました。
ヘルメットを着用し、係の人が先導するうしろをついていきながら
必死に撮影ポイントをさがします。
とは言ってもあまり時間もありませんので、ただ撮るのみです。
ざっと見たところ、揚羽蝶と五七の桐、五三の桐紋くらいかなと思っていましたら、三七の桐?が鬼瓦にあったのと
真新しい揚羽蝶や鯱がちょっと違和感を感じましたね。
でも遠くから見たらそんな印象を持つなんてことはできないでしょうから、いい機会です。
でも一番大事なのは、北側に回り込んだ際の「謎の家紋」でしょう。
ニュースにもなっていましたが、沢瀉紋とも少し違う謎の家紋
が発見されたということですが、ばっちり見てきましたよ。
これはいい機会を得ることができました。
こんなもの、今後は超望遠でもうまく撮れないでしょうしねえ。
正直言って20分はもてあまし気味でしたが、係りの人が
「もう心残りはありませんか?もう二度とないですよ」
の声が何十回と繰り替えされるのが、最後にはずっと耳に
ついてしまいました(^^;
またこういう機会があったら再訪したいと思います。
取り急ぎ...
管理人様>
> 今やすっかり定位置がTwitterになってますね(;_;)
あ、すみません(大汗)
文字通り「つぶやく」だけなもので、お気楽なツイートしてしまってます。
最近のですと姫路城大天守保存修理エリア見学会以外のものはこちらに改めて
投稿するつもりです。見学会のレポは管理人様にお任せします(笑)
> 山城「ガンガン行こうぜ」で大丈夫です。
> 機会がありましたら、またよろしくお願いいたします。
私は基礎体力がないので、ガンガンについていけるかが心配ですが(汗)、
こちらこそ、宜しくお願いいたします m(_ _)m
ぼちぼち以前話題にされていた界隈とかもよいですね。山田城とか森上城も絡め
れなくはないかもです(笑)
#両城とも未訪なので、きちんとしたご案内はできませんけど(大汗)
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
大天守は明日じっくり見てきますよ。混雑してるんでしょうけどねえ。
山田城、森上城と諸々・・いいですね。
ぜひともよろしくお願いいたします。
飼い主より「フキノトウ」のてんぷらを食したいとの御注文。
時期的には少し早いがいつもの岩屋城周辺陣城での採取を計画。
「妙福寺上の砦」は大分刈り払われて歩きやすくなっている。
林道主体で歩きまわる。
二つ目の「一備谷砦」は「荒神上の砦」の東隣にあり、「荒神上の砦」への山道を登り「荒神上の砦」に曲がらず、そのまま東に降って、道なりに登り返すと「一備谷砦」の北端の大型二重堀切になっている。
削平のはっきりしない「一備谷砦」には登らず、一備谷池の東側の道に入って竪掘。
堰堤から右に取って「荒神上の砦」に向かう。
登り詰めると「荒神上の砦」の南のピークに削平地。
郭になっている。
そのまま直ぐに「荒神上の砦」の土塁線に続く。
土塁囲みの指揮所連続。
昼食に間に合うよう探訪を切り上げフキノトウをもちかえる。やぶくぐりさん、こんばんは。
「飼い主」(笑)
フキノトウとか、季節の旬のネタがでるのもやぶくぐりさん
ならではですね。
私もフキノトウ、持って帰りたいです。
岩屋城周辺は既訪ですのでよく分かって、うれしくなります。
そうかあ、あそこが採取できるのですねぇ。
そういえば本わさびを一度見てみたいのですが、どこかのお城で採取されたことはありませんか?
あ、ほんとに書かれると皆さんが集まってしまうかもしれませんので冗談ですよ(^^;
それでは。
昨年より計画していた備中高松城周辺の山城廻り。
霄漢氏・T氏から頂いた資料の他諸々持参。
9:00一宮のスーパー集合。
オジジ4人でワイワイガヤガヤ。
1)最初は水攻め堤防の真上にある「蛙ケ鼻」の城。
水攻め堤防脇の駐車場から直登。
落葉で滑る。
右手に竪掘。
井戸と石碑のある二の郭から主郭へ。
車にテープと選定挟みを忘れている。
土橋、横堀が東側に廻っている。
横堀の向こうにも郭らしきものあり。
縄張図より広いようだ。
2)どうしても「長野城」へ行きたいとのリクエスト。
ふーむ氏のホームページから縄張図を持ってこられている。
縄張図の四差路付近に駐車。
東側の二重堀切から取りつく。
ここはいつ来ても土塁囲みの郭群に感動する。
主郭と石垣。
北の郭8から二重堀切。
その先の未調査と書かれた部分に堀切、土橋。
3)竜王山に戻り、「三上山砦」。
電場塔のすぐ後ろだ。
虎口から入る。
ここも縄張図活躍。
4)東へ約200mで「三上山砦の東の砦」。
かろうじて電場塔に占拠された土塁の残骸。
5)少し空港の方に車で移動して農道に駐車。
中電送電鉄塔巡視路を20分程二本鉄塔目指して登る。
「守福寺裏山砦」。
ここは今月2回目。
土塁囲み、矢倉台、桝形虎口。
6)もっと大きな城を見たいと言われ、「日近城」を目指す。
寺の駐車場上墓地から竹林を直登。
畆状堀切、土塁囲み、二重堀切と周辺の複雑な構造。
ここも感動ものだ。
7)日近城の西北約200mの「吉所在砦」。
ここも陣城らしく簡素な造り。
北の浅い堀切、甘い削平の主郭と土塁。
その下に郭一段。
8)足守を南に過ぎて「牛神砦」。
大きな池の土手西から赤テープを付けながら直登すると折れのある土塁囲み。
今日、一日一同満足々。
やぶくぐりさん、いつも書き込みありがとうございます。
同行された方が満足される様子が手に取るようです。
長野城は藪こぎをしてる際にニコンのレンズカバーを
落としてしまったお城です。
おちてませんでしたか?(^^
しかしほんと皆さんアクティブで素晴らしいです。
私は2か月ほど体調を崩してしまっておりましたが、
ようやく回復してきました。
まだまだ山城シーズン中ですので、できるだけ訪城したいものです。
ありがとうございました。
備中高松城周辺の陣城らしいと「おかやまGIS」から目星をつけて吉備中山の西峰探訪。
南側の尾根続きから行けばたやすいと勘違いをしてタクシー会社の営業所から電波鉄塔を目指す。
ここから北に尾根を辿ると約600m。
林地のヤブを抜けると猛烈なササヤブ。
赤テープも設置するいとま無し。
再び林地。
笹ヤブ。
ダラダラとした斜面を登ると甘い切岸、郭が三段。
堀切は無い。
主郭にテレビ受信アンテナ。
ここまで約2時間のヤブこぎ。
ここから北の山陽道方向に明瞭な郭と切岸が二段。
陣城のようだ。
テレビ受信電線と電信柱が降っている。
赤テープが設置されているので、赤テープを足しながら降る。
電線の周辺は刈り払いになっており歩きやすい。
どんどん降ると竪掘風の溝。
更に降ると民家脇に飛び出る。
約20m程で橋を渡って吉備津神社関連施設と舗装道。
砦跡から30分。
吉備津神社の駐車場に駐車した方が良かった。
吉備津神社の遊歩道から吉備津彦の御稜付近のフイットに戻る。やぶくぐりさん、こんばんは。
今回は大変な行程のようですね。
電線設置の工事の際の遊歩道とかも残ってないんですね。
藪があまりひどいと写真も撮れませんが、そこは剪定はさみが活躍しているのでしょうか。
大変お疲れ様でした。
>ぶれいずまんさん
ご声援ありがとうございます。
「城めぐドットコム」さんは、お城好きの方々がお集まりの素敵なサイトだと認識しております。
勝手ながら宣伝させていただきました^^;
今回は東京での開催につきご希望に沿う事が出来ませんでしたが、みなさまのご意見により、
日本各所での開催も視野に入れております。
今後ともよろしくお願い申し上げます。テレビ朝日映像株式会社様
このたびはご丁寧に事前に連絡をいただいておりましたので、安心して書き込みを拝見しておりました。
また第二回、第三回と機会を考えておられると思いますので、何かありましたら教えてください。
今後ともよろしくお願いいたします。
管理人様今晩は。
昨日は、やぶくぐりさんの情報で岡山の「日近城」
に行ってきました。主郭は折れを作り横矢の
かかる張出がある土塁囲みでした。
それに畝掘りも見られなかなか見ごたえがありました。
最近、能勢の「杉原城」に行かれたようですね。
私は、長年能勢の城跡を調べられた高橋氏と長年の付き合い尾がありながら能勢の城には行ったことがありませんでした。
昨年末に「山田城」「森上城」に行き驚いてしまいました。
横矢を意識した折れを多用した土塁囲みに、巧妙な虎口
高橋氏に聞くと、能勢の中でも山田氏にかかわる城は縄張り的に非常に発達した形態が見られるとのことでした。
どちらの城も、やぶもなく非常に見やすい状態もありがたいものです。霄漢さん、こんばんは。
杉原城の遺構の残りの良さには感動いたしました。
山田城と森上城ですか。
ありがとうございます。
ぜひ行ってみたいと思います。
>やぶもなく非常に見やすい状態
最高ですね。
少し前藪藪に突入した成果として、10匹以上のダニが
くっついてきましたが、藪はないに越したことないです。
自宅内でiPad miniを使う機会が増え、キーボードからガッツリ入力したい掲示板
への出入りがおろそかになってます...、と言い訳から入ります(大汗)
霄漢さん>
お会いすることができて嬉しかったです。いろんな情報も有り難うございます。
現地で話しに花が咲いてウキウキしましたよ(笑)
余談ですが、津田城には行きませんでした(大汗)
ブレイズマンさん>
> ポリタンクさん。この度は大変いい情報有難うございます。このことは全く
> 知りませんでした。
イベントの日に併せての開催が急遽決まったものらしく、地元広報にも載ってない
レア情報だったようです(笑)
現説のことはブレイズマンさんが十分にお書きなので割愛しますね。
かわりといっては何ですが、1/26の交野城講座とバッティングする情報を流して
おきます(汗)
その名も「飯盛山城と戦国おおさか」(お城さんマークにマークにリンク)。
季刊誌の記念イベントで、巻末に載っていました。
余談ですが、『大阪春秋 第149号』は「買い」でしたよー。内容は次のとおり
ですので、ご覧になって判断してくださいませ。
-> www.shimpu.co.jp/bookstore/item/itemgenre/osakashunju/1463/(接頭辞省略)
みんぴかさん>
木津城に行かれたのですね。お書きの内容から察して、私が最後にいった時から
あまり状況に変化はないようです。
> このままの形で残してほしいです
以前、霄漢さんが情報提供されていた内容ですと、望み薄です。
たぶん、霄漢さんのおっしゃっていたのは次の情報に関連するのだと思います。
-> www.ur-net.go.jp/orders/west/pdf/order_3183_4.pdf(接頭辞省略)
竪堀が階段になっちゃってますからねえ、この仕様書(大泣)
では、失礼いたします。http://www.h7.dion.ne.jp/~eiko/iimoriyama_sinpo.pdf
ポリタンクさん、こんばんは。
今やすっかり定位置がTwitterになってますね(;_;)
ははは、それはいいんですが。
交野城の現説ではお世話になりました。
また、津田城には行けませんでしたが、その他の貴重な遺構を探すことができてありがたかったです。
すっかり長期化しましたが、体力は完全に元に戻りましたので
山城「ガンガン行こうぜ」で大丈夫です。
機会がありましたら、またよろしくお願いいたします。
>『大阪春秋 第149号』
以前はたまに買ってましたが、今回はもろお城特集なんですね。
素晴らしいです。
私も注文しておきました。
取り急ぎ...
ブレイズマンさん>
墨書石材の話(お城さんマークにリンク)があるので、以前おっしゃっていた
やつかなあとお書きになった内容を再読([2665] 雑賀孫一)したところ、
お城も人物も異なることがわかって「ありゃりゃー」となっております(汗)
まあ、逆に情報提供になるようなら幸いです。
では、失礼いたします。http://www.md.ccnw.ne.jp/seinen/rekisikan/2013kikakutentirasi.pdf
『鹿背山城』について訂正します
『西京寺』×
『西念寺』○
申し訳ありませんでした
お久ぶりです
つい先日、『木津城』『鹿背山城』へ行ってきました
『木津城』
東山墓地の駐車場に車ち停めて、墓地奥から城跡へ目指す
しかし、登りきった場所から見えた景色は・・・
大型トラックが広大な敷地を走ってる光景でした
巨大なタンク(?)の側を通り少しだけ残っている
丘陵へ向かいました
北西にあった『堀切』あたりから城跡へ入りました
南側にある『土橋』ギリギリまで土が削り取られており
北側にある溝(?)から先と北西にある土橋から先は
見るも無残な光景でした
ここだけ、異空間という感じがした
このままの形で残してほしいです
『鹿背山城』
鹿背山会館に車を停車
西京寺から城跡を目指す
大手道とサブルートあり
とりあえず、大手道で一周してからサブルートで
こまなく見てまわりました
3郭にある畝状空堀群は枯れ葉で確認できず
でも、1郭南西にある畝状空堀はきれいにありました
3郭で地元の方4人と遭遇しました
掃除と何か発掘作業らしき事してました
4名のうちお一人は3郭背後にある堀切(薬研堀)あたりで
測量してました
「おじゃましました」とお礼というと
女性の方にみかんを頂きました
鹿背山城、とても好きな城跡になりました
そうそう、西京寺に鹿背山城の縄張図ありますよみんぴかさん、こんばんは。
木津城や鹿背山城にいかれましたか。
ほぼ私も同じようなルートで廻ったと思います。
木津城は書かれてますように、城跡だけに残された独特の空間と、外部に視線をやったときに目に入ってくる
開発の現状とのギャップにもクラクラくるのを思い出されます。
もうあれ以上で残していってもらいたいものですね。
鹿背山城は地元の有志の方によって、守っていただけて
いたはずですのでその方々だったのでしょうか。
違うかもしれませんが、我々城好きは地権者の方のご好意や、ボランティアの方の活動によって城を巡らせて
いただけているんだと改めて感じさせていただきました。
我々は城の素晴らしさを大いに語り合うことにしましょう(^^)
管理人様こんばんは。
備中高松城周辺の城塞の情報は個人的にいただいたものの他、
ネットでは
おかやま全県統合型GIS
岡山市都市計画情報システム
落穂ひろい
書籍では
「図説・中世城郭事典3」
「戦乱の空間」
「織豊系城郭の陣城」
その他、図書館での資料あさり。
などから入手しています。
あまり役にたたないと思いますがよろしく。
やぶくぐりさん、こんばんは。
私の質問にも対応くださり、感謝いたします。
私も備中高松関連では戦乱の空間を活用していました。
あと、Fさんが書かれた愛城研の論文とか。
あとは実際に現地に赴き、城の声を聴くということなんでしょうね。
ありがとうございました。
私はお疲れでございます。
しんどかったー。
でもーなかなか面白かったですよ。中国にも慣れてきました。
上海なう、ってやりたかったんですけどね。どーも城郭研究家さまは、なにか中国で悪さをしたらしく、掲示板共々完全にアクセス拒否です。
何をしたんでしょうか?
> テレビ朝日映像株式会社
おーーーーー、マスコミ関係者様も告知するこの掲示板の威力たるや、ものごっついですね。
実は、「日本の城 ミステリー紀行」BS朝日よく見ています。水曜どうでしょうもなんですが。
イベント参加したのですが、東京なんでちと無理ございます。盛会お祈りしておりまする。
では、では。ぶれいずまんさん、こんばんは。
海外をまたにかけてバリバリ働いておられるんですね〜
海外のお城にいくチャンスでもあるわけですね。
でも確かに東京ばっかりじゃなく、関西でもお城イベントがあればいいですね。
現説とか講座みたいなのじゃなく(^^
2009年から2010年にかけ、弊社において製作しましたテレビ番組「日本の城 ミステリー紀行」(現在もBS朝日にて放映中)を、東京・豊洲の映画館「ユナイテッド・シネマ豊洲」にて、イベント上映を行う運びとなりました。
今月31日(木)に、第1回として「国宝・松本城」を上映します。
当日は番組案内人としてご出演、城好きで有名な歌舞伎俳優・坂東三津五郎さんにもご登壇いただき、当時の撮影秘話や松本城への想いなどのトークセッションも行います。
詳細は弊社HPを御覧ください。
みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げます。テレビ朝日映像株式会社さま、
このたびのイベントはご盛況だったようですね。
いろんなところでお城に関する話題が出てきているのを
嬉しく感じております。
私も機会があれば拝見してみたいなと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
足守の芦守神社の丘も城らしいとのT氏からの情報で、その他3城を加えて探訪。
最初は鼓山城と蛙ケ鼻城の間の谷を約1KM入った岡山市北区立田の大平山城。
中電送電鉄塔27を目指す。
池の堤の南から送電鉄塔巡視路を登る。
山頂近くまで段々の郭らしき地形。
山頂から奥は次第に降っているが郭らしき地形無し。
谷から山頂目指してヤブ尾根を登るも郭無し。
城郭としては北西の尾根のみで山の半分しかないようだ。
ただ、堀切も見当たらず、砦とすれば簡素。
山頂近くのヤブの中に深い竪穴。
井戸か?
落ちたら絶対に見つからない危険な穴だ。
鼓山城の北西の砦か。
二つ目は芦守神社の丘。
自動車で山頂の神社の駐車場へ。
山頂部は神社と携帯電話鉄塔で平坦地になっており、南側と東側の斜面に段々の郭らしき地形。
東側も甘い段々。
城塞の可能性大。
三つめは「日近城」とその北西約300mの砦。
「織豊系城郭の陣城」44ページの地図に所属不明の陣城と記されてある。
お寺の駐車場に車を置き、先に砦まで歩く。
南側の墓地から竹林を直登する。
山頂に腰曲輪、削平の甘い主郭、浅い八の字の竪掘と小郭。
鞍部に墓地と片堀切。
片堀切の堀底道から舗装道へ。
四つ目の「日近城」も大したことは無いと思いながら寺の裏の墓地から竹やぶを直登。
畆状竪掘、帯曲輪、土塁囲みの主郭など見所沢山。
尾根筋には二重堀切、土橋、複雑な二重堀切。
100m四方はあると思われ感激。
やぶくぐりさん、こんばんは。
「織豊系城郭の陣城」のことを書いてくださって、思い出しました。
そういえば私も持っていました(^^;
備中高松城周辺は私もまた再開したくなってきました。
でもなかなかサイトにあげるまでの文章が書けるかどうか・・。
書きにくくてたまりまくってるお城がはや数百ですから
私の場合はそっちを先になんとかしないといけません。
あ、羨ましくて愚痴ってしまいましたか。
私もがんばらないと。
ありがとうございました。
初めてのメッセージありがとうございます。
備前・松撫城の赤テープも小生の仕業です。
最近ずっと、あの赤テープを使っています。
今後ともよろしく。
管理人さんお久しぶりです。
今年は正月の大型連休のおかげで、1日に備前・瀧の城に登城してからもう4城目制覇しました。勿論、瀧の城出丸の天津神社が初詣でした。
ところで、12日に津山市の山方高築城(関勘解由屋敷)〜山方深田城を巡ってきたのですが、山方芦谷城(上臈屋敷)から赤テープをたどっていったら山方深田遺跡まで迷わずたどり着けました。途中谷間の湿地帯にも細かくテープがあり、おまけに古墳まで拝見でき二重の喜びでした。いつも、感謝しながら、少しテープの補充もしつつ利用させてもらっています。
さっき、この掲示板のログを見たら、テープの主は、やぶくぐりさんのようでしたのでこの場を借りてお礼を言わせていただきます。
6日に備前・松撫城に登った時も、同じような新しい赤テープがあり、出丸からその先までたどって行くことができました。まさかやぶくぐりさんではないでしょうが、どなたか分りませんが有難うございました。山で迷ったことのある方はお分かりだと思いますが、何か目印を見つけたときのあの喜びは、言葉では言い表せません。高松の苔さん、こんばんは。
ご無沙汰しております。
私も山中でテープがつけてあるのを目印にさせていただいた
経験があります。
やぶくぐりさんでしたら、テープだけじゃなくわかり易く
なるよう剪定ばさみで刈り込んでくださっていたんじゃないでしょうか?(^^
とにかくいい城めぐりをスタートされたようですね。
今年もよろしくお願いいたします。
遅ればせながら、明けましておめでとございます。
T氏、霄漢氏から頂いた情報で備中高松城周辺の城塞3城訪問。
岡山空港から冠山城方向へ進んで山を降る手前に「守福寺裏山砦」。
県道から東側の農道に入り池の側に駐車。
少し車道を進んで左手(西)の中電送電鉄塔巡視路に入る。
ここから赤テープ設置、広い道だ。
すぐに竜王山への分岐だが直進。
急傾斜になって木の階段。
二本の送電鉄塔る
地図にある小ピーク選定挟みを使いながら分け入ると「守福寺裏山砦」。
四方に切岸、一部土塁。
食い違い虎口のようだ。
櫓台。
一旦、鉄塔まで戻って北(竜王山への道)に進むと鞍部に土橋。
二つ目は「水道タンクの上砦」。
洪庵トンネルの南入口脇から東の谷に入り墓地に駐車。
今回は洪庵トンネル上の砦はパス。
東に進むと右に車道がカーブして終点の水道タンクまで。
手前の大木から選定挟みと赤テープ。
数段の段々。
尾根に出て、ほぼ楕円形の単郭の砦で丸餅風。
切岸は1.5m程度で土塁無し。
北側は竹林。
最後は「一国山城」。
スーパーマーケット近くの変則交差点から北側に廻り込む。
「一国山城」の南東の池の土手から山道。
墓地から直登。
調査後の造成中に放棄されたらしく土砂流失状態。
方々にトレンチ。
北側に一段下がって郭。遺構はほとんど消滅状態。
下りに深い落とし穴状態のトレンチに脚を取られて転倒。
あ〜 ズボンにかぎ裂き。
足を折らなくて幸いと慰めるも戦意失せて撤退。
やぶくぐりさん、こんばんは。
今年もよろしくお願いいたします。
昨年暮れには霄漢さんとお会いすることもできましたので
今年はやぶくぐりさんともどこかでお会いできればいいなと思います。
あげてくださった陣城は、どこかの資料で情報が得られたり
しませんでしょうか?
ご存じでしたら教えてください。
また一国山城では災難でしたね。
でもそれで済んでよかったってことかもしれませんよ。
私は発掘時の写真を見て、現地を訪れたのですが
かなり鬱蒼としていた状態を前にして諦めて帰ってしまった軟弱モノです。
> 2735で書いてくださっていた内容で十分だと思ってい
> ました。
まー、
> 一応ご承知かもしれませんが、
「一応」ですが、私はそー思いました。
・マナーをきちんと守っておけば法律なんてどうでもいい
・法律をきちんと遵守すればマナーなんかどうでもいい
これは両方とも間違いではないかと思います。バランスは大事ですよね。
また、何かトラブルがあった場合、軽犯罪法第一条三十二項を理解しておくことは、自分の身を守るためにも大事でははないなー、と私は考えま。
さてさて、交野城。
> いい天気でよかったですよねぇ。
いやーほんまでんなー。上着を車に置いときました。
> 2郭でイベントが開催されているのが気になったりします
> が(^^;
まーあの辺は城と地域の人たちの絆づくりですので、いいんじゃないでしょうかね。あのイベントは月に1度あるそうです。交野城の保存には地域の人たちの理解は必要ですしね。
私が参加したのは、PM1:30の回でした。大体30-40名という感じではなかったでしょうか。
交野城が国指定史跡を目指しておられるのには驚きました。質問したところ、3年後の指定を目指しているそうです。本年は土塁などの周辺施設、来年の2014年に地権者さまとご相談の上、主郭、二の郭の大規模な発掘調査を予定されているとのことです。中井先生がいろいろとアドバイスされているそうです。なにかこの時に面白い発見があるといいですね。
今日現地説明会にご参加された方は解ると思いますが、交野城は古い印象はあります。応仁の乱の城と言っても違和感はありません。しかし、交野市では1568年に築城し、それ以前は城という形態ではなかったのではないかという事です。1568年は織田信長が上洛した年です。わりと新しい時代に築城していながら、古い形態の城が築城されたという点も注目されます。これは松永系に属していながら、安見右近に最新の築城技術がなかったのかもしれません。
瓦もいくつか見つかっておりますが、現時点では室町時代の物らしいです。ただ、烏帽子城の瓦も室町時代の物らしいので、転用瓦の可能性もありますね。今のところは、光通寺の瓦の可能性が高いという事ですが、今後の出土状況によっては、城郭の可能性もあるとのことです。
この城の廃城年は、本能寺の変周辺ではないかという事でした。大阪府下の城としては歴史は短い方だと思います。
1568年は松永久秀は、織田信長の増援軍を得て、大和国を掌握します。このことから、京都との交通の要所という事もあるかもしれませんが、大和国への要所としての位置づけもあるのでは?という事でした。
なかなか面白い話がいろいろ聞けた交野城の現地説明会でした。発掘調査に期待です。
そーそー、ポリタンクさん。この度は大変いい情報有難うございます。このことは全く知りませんでした。
1/26にも「天下再興の戦いと私部城」
という講座があるとのことです。
リンクをお城さんマークに入れておきます。
では、では。http://www.city.katano.osaka.jp/docs/2012122500021/
ブレイズマンさん、こんにちは。
なるほど、午後の部は30−40人くらいでしたか。
午前も似たようなくらいかな?気持ち多いかなって感じです。
道路脇で説明されていた時に、通行の妨げとなっていた
のはご愛嬌かな?と思って見てました。
ま、いずれにせよ今後に期待ですね。
私は1/26のご講演は行けませんが、多くの方が参加されて
盛り上げてくださるようになればいいなと思います。
ブレイズマンさん、またどこかの現説で(^^)/
1月に大阪へ行くついでに、近畿の城、城跡を廻るのでパソコンを開きましたら、すごい人がいるなーと思いました。どれだけ廻れるかたのしみです。私は、200箇所に近くの城、城跡を、廻っています。松本 忠久様、初めまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡と申します。
九州のお城を主にめぐっておられるのでしょうか。
私は九州はあまり行けていませんので、また機会が
ありましたら、松本様のお奨めされるお城について
お聞かせいただければありがたいです。
今月大阪にいらっしゃるんですね。
大阪ですと雪で行けないということもめったにありませんし、
選びたい放題ですよ。
大阪でのお城ライフを楽しんでください。
今後ともよろしくお願いいたします。
管理人様、
ブレイズマン様
本日は、遠路はるばる交野までおっかれ様でした。
お会いして、お話ができて幸いでした。
今後も、よろしくお願いします。
国指定史跡に向けて、現実に動き出していることがわかり安心しました。
津山の件
「美作の中世山城連絡協議会」のホームページで連絡してみてください。
11月24、25日のシンポジュウムのレジメも残っているようです。
高橋成計氏の講演(縄張りを含む)の内容です。
なかなか内容盛りだくさんです。霄漢様
本日はお会いすることができ、大変感激いたしました。
また私部城のお話もお伺いすることができ、大変有意義でした。
また、「美作の中世山城連絡協議会」の件もありがとうございます。
確認したいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
なうです。現地説明会に参加していますいい天気でよかったですよねぇ。2郭でイベントが開催されているのが気になったりしますが(^^;
> ただ、あまりツッコミを入れ過ぎると、所有者も含めた関
> 係者各位が態度を硬化してしまって、完全立入禁止という
> 事態に陥っても困りものです。お手柔らかにお願いしま
> す。
一応ご承知かもしれませんが、
軽犯罪法第一条三十二項
「入ることを禁じた場所又は他人の田畑に正当な理由がなくて入つた者」
とあり、この看板は「入ることを禁じた場所」になるか、軽犯罪法事案となるか、確かめておく必要はあると思えます。
軽犯罪法第一条三十二項は、日本の軽犯罪法の中で最も検挙が多い事案です。城めぐりが犯罪者となっていけませんよね。
ただ、私有地であるのに、自治体が禁止することは出来ませんので、その辺は白黒はっきれさせた方がいいと思います。
では、では。2735で書いてくださっていた内容で十分だと思っていました。
また何か新たな知見なり情報があれば交換できればいいなとは思いますが、この件はここまでとしてください。
よろしくお願いいたします。
ブレイズマンさん>
理路整然としていますね。ただ、あまりツッコミを入れ過ぎると、所有者も
含めた関係者各位が態度を硬化してしまって、完全立入禁止という事態に
陥っても困りものです。お手柔らかにお願いします。
以上、火消しに躍起で、中身をガソリンから水に入れ替えたポリタンクからの
お願いです m(_ _)m
では、失礼いたします。
> 推測ですが、自治体に照会した場合は、公式回答としては
> 「やめてくれ」と言われると思いますよ。
仮に「やめてくれ」では自治体の公式会見として、十分なアカウントビリティーが出来ているとは言えません。説明不十分です。
そのような公式回答した場合、自治体の回答内容に問題があると思えます。
> 私有地であることを挙げてくるかもしれません。
それは法的根拠はありますね。私有地に無断には入ることは、例え国指定史跡であっても許されません。所有者の許可が必ず必要となります。
ただ、所有者と侵入者との許諾の問題ですので、仲介することはあるとしても、自治体が積極的に禁止にすることは出来ません。
ま、いずれにしても問い合わせてみます。
では、では。
取り急ぎ...
ブレイズマンさん>
> 交野城が国定史跡にするとは、またすごいですね。
これから目指すということですよね、多分(汗)
ただ、私部城(交野城)は大阪では珍しく都市部で破壊を免れている土造りの
平城という点を評価されている意見も見受けられます。個人的には、史跡と
なって今後も残ってほしいお城です。
> 甲賀の城か岡山の城お勧めの城がありましたら
甲賀は全く行ったことがないので、何も言えましぇーん。
岡山に関しては、やぶくぐりさんが掲示板内にいろいろとお書きなので参考に
なろうかと思います。私の実経験としては、岩屋城と周辺陣城のうちの荒神の
上陣城は是が非でもご覧頂きたいです。神楽尾城もよかったですよー。あ、
津山城は鉄板ですよね(汗)
では、今宵はこれにて、ドロン!
ブレイズマンさん>
どもども〜、ガソリン入りの火種野郎こと、ポリタンクです(爆)
推測ですが、自治体に照会した場合は、公式回答としては「やめてくれ」と
言われると思いますよ。検索に引っかからなくてここで明示できませんが、
そんな情報を見たことがあるような気がします。
法的根拠ですが、これは完全な私的邪推ですが、私有地であることを挙げて
くるかもしれません。ちょっと検索したところ、利神山は私有地っぽいので。
あと、看板について、私みたいな看板解釈の方のページがあります。『播州
野歩記』様内の「平福の利神城、佐用のホルモン焼きうどん」です。リンクに
ついては、管理人様に万が一ご迷惑をかけてもいけませんので割愛します。
検索エンジンで引っかけてください。
最後に、これは重要なことですが、管理人様は利神城への登城に関して慎重な
お考えであるということです。たしか、別のサイトでの100廃城選定投票でも
慎重なご意見を書かれています。熱くなった私は忘れてましたけど(大汗)
では、失礼いたします。
> 今年はぜひとも館山城を行ってきます。
という事でしたので、行程表と写真をお城さんマークに入れておきましたので、ご参考までに、
> 案内葉書には「国の史跡を目指す私部城跡を多くの方に知
> ってもらうため」とあり
えーーーーーー、まじっすか。
交野城が国定史跡にするとは、またすごいですね。
> 新年そうそう進めているものがありまして、また皆さんに
> 近々発表させていただくことになろうかと思います。
な、なんでしょー。期待してまっせー。
改めましてですが、あけましておめでとうございます。
旧年中はいろいろと情報交換して頂き、知識もかなり深まっております。
「カベノ城はどこだー」
と言っていた時に比べると、お城の時代差もなんとなく解るようになってきました。
しかしながら、まだまだ解らないことだらけです。
またお知恵をお借りできればと思います。
本年もよろしくお願いします。
聚楽第の石垣、宇陀松山城など書きたいこと山盛りですが、また明日以降にします。
そ、それと、
> 宇佐山城を中心に甲賀の忍者の城を巡る旅にしようか、岡
> 山を中心とした城めぐりしようか、迷っております。
甲賀の城か岡山の城お勧めの城がありましたら是非教えて頂けば思います。
岡山の城で気になるのが戦国時代の城と違いますが、「鬼ノ城」は是非行ってみたいと思います。663年の白村江の戦いで敗れた後、突然石垣の城が日本で誕生します。しかし、その技術はまったく継承されず、安土時代まで日本には石垣の城は登場しませんでした。鬼ノ城とはどのような城なのか、極めて興味があります。
ここでお勧めされた城は大概行っていますので、教えて頂ければと思います。
では、では。http://picasaweb.google.com/108857793486279770251/zZqhcK?authuser=0&feat=directlink
鬼ノ城は私の好きなお城の1つです。
他の城には見られないものがいくつもありますし
大変面白いところだと思います。
ぜひ訪れてみてください。
私自身整理できていないのもありますし、書きだすと
大変ですし(笑)。
では
利神城について、いろいろ話題になっております。
城郭研究家さんが、ご紹介して頂いたホームページに連絡先が掲載されておりますので、一度問い合わせを行ってみます。すべてのルートが無理なのか、立ち入り禁止とする場合、法的拘束力は何が根拠となっているのか?確かめてみます。
結果はこちらでもご報告します。
ただ、それと
> これは、健脚な方、登山にたけた方はその限りにあらずと
> いう解釈で読まれてしまうこともあるかもしれませんので
とあるように、私個人では「健脚な方、登山にたけた方」ではありませんので、やめておいた方がいいのかなー、という感じはします。
更に登城することによって利神城が傷んでしまうことになるのは、決してよろしい事ではありません。崩落した結果お城を破壊するのは心が痛みます。「立ち入り禁止」の根拠とは別にマナーは守る必要はありますよね。
話は少し変わるのですが、私の母親の先祖が、な、なんと赤松氏の家臣団の一人ではないか、という話があります。で、母親の旧姓を調べておりますと、確かに赤松氏家臣団に同じ苗字の方がおり、また守護赤松氏の正室になった人もいているとのことが解りました。
えーーーーーーーー、びっくりです。
母親は赤松氏が何者なのか全く知りませんでしたが、私は赤松氏の事をよく知っております。
ただ、きっちり調べたわけではありませんので、確証があるわけではありませんが、私の城好きともなんか関係あるかもしれませんね。ただ、母親はまったく興味がありません。
利神城は赤松氏の拠点の一つですので、そーなれば行ってみたいなー、という気持ちにもなります。
続きがあります。http://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=699
ブレイズマンさん、こんにちは。
外野であぁだこうだといってても埒があかないので
問い合わせをされるというのは正解ですね。
でもそれ以上に気を付けたいのが、おっしゃる通り
「登城することによる史跡破壊」なんですよね。
これは自己責任で片付けられてしまうわけにはいきませんからね。
何事もではありますが、特に城跡散策でもマナーは大事です。私も常にかんがえております。
ブレイズマンさんが赤松氏につながる方がいらっしゃったと
いうのはテンションがあがりますね。
ぜひ兵庫県内の関連のお城もめぐってみてください。
たくさんあって飽きませんよ。
ではでは。
利神城の書き込みについて、余計な心配をおかけして申し訳ありません m(_ _)m
利神城はなんやかんやとかなりの思い入れがありまして、掲示板への寄生虫という
立場を忘れて熱くなってしまいました(大汗)。ただ、私が利神城に行く決心をした
のは、管理人様著書『こんな城もあったんだ』を読んだためなので、管理人様にも
原因が〜、と責任転嫁してみます(笑)
で、ご指摘の看板ですが、微妙なのはあります...。(お城さんマークにリンク)
「立入禁止」と明記はされていませんが、「ここでの喫煙はご遠慮下さい」の表示が
ある場所は禁煙なのだと判断するのが常識とするのであれば、ここも「立入禁止」と
解釈するのが妥当かもしれません。が、私自身は煙草も含めて、「ご遠慮ください」
には読み手の判断が加わると思っています。まあ、次のリンク先の意見を借りれば、
私は「下品ニンゲン」なのかもしれません(汗)
-> okwave.jp/qa/q5419332.html(接頭辞省略)
あと、書籍といえば、『ひょうごの城 [新版]』では、6ページに亘って解説をした
あとの最後のメモ欄に「登城禁止となっているのでご注意ください」という下りが
添えられています(ガクッ)よね。先の禁煙云々の常識スタイルの解釈だなと思って
います。
いろんな表現方法がある日本語って難しいですね。ただ、そんな言語が母国語である
ことがちょっと嬉しいです。って、私は外国語はとんと駄目ですけど(大汗)
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
お手数をおかけしてすみません。
私の中で「立ち入り禁止」だという意識がありましたので、念のために注意喚起という意味で書かせていただきました。
でも「喫煙禁止」の看板だけがあったのなら、現場判断は少なくとも
OKでしょうね。(別ルートがどうかは不明だとしても)
その情報だけで私としてはかなり気が楽に(笑)なりました。
でもまぁ常に地権者の方への感謝や、周辺住民の方への
配慮などを持ちつつ城跡を楽しむというスタイルは持ち続けたいですね。
管理人様>
> 見学会というのは、今後現状の改変があるために今のうちに
> 見ておこうという主旨の会なのでしょうか?
案内葉書には「国の史跡を目指す私部城跡を多くの方に知ってもらうため」とあり
ますので、大幅な改変はないと思いますよ。ただ、私が2回目に行った時は、西側に
新たに住宅造成箇所ができていたりして多少削られていたりだとか、主郭部分にある
住宅の横に新たに建物が建築中だったりしたような気がしますので、小規模な現状
変更については何とも言えません...。
では、ひとまず失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
なんと、国史跡を目指す動きがあるんですね。
見学会の説明では何か面白いお話が聞けそうな予感です。
ありがとうございます。
そこで、「気分はコクジン」では復元を試みられております。
お城さんマークに入れておきましたので、ご覧下さい。
山道を取り除き、推定縄張り図を掲載されています。
印象としては、ほんとによく調べられている印象があります。
「椿尾上城 その六」では、推定の登城道が示されており、こちらの方が、今の登城道よりすっきりしている印象はありますね。
私の印象としましては、この城時代差がある印象があります。「気分はコクジン」の[椿尾上城 その二]にある縄張り図ですが、従来あった縄張りは1-13の部分であったのに対してa-lに関しましては、筒井時代の改修が加わった印象があります。
また、「気分はコクジン」では、石垣を、
> 近世城郭の石垣と違って土塁の補強としての機能が主であ
> るが、それは横堀2の深さよりも土塁の高さの方が勝るた
> めである。横堀2に遮断機能を持たせるのであれば、堀を
> 深く造れば良いのだが、そうせずに土塁の構築の方にウェ
> イトを置いている。土塁を高く造り、石積みを加えること
> で土塁が崩れるのを防いだとみられる。その目的は横堀2
> の堀内空間を保護するためではなかっただろうか
と評価されています。「堀内空間」とはどのような意味なのかよく解りませんが、土塁保護に石垣が使用されたのは間違いありませんが、もう一つの理由として、堀を乗り越えようとした敵が、手をかける上部に石垣があると極めて登りにくくなるのではないか、という防御の目的もあると思われます。
いずれにしましても、「気分はコクジン」のページはあいも変わらず非常に詳しく調べられている印象がありますね。
> 1/14に木津の文化財と緑を守る会様主催の見学会がありま
> すよ。講師は中井先生です。(守る会トップページをお城
> さんマークにリンク)
がーーーーーーーーーん、まじっすか。
いきたいーーーーーー、しかし、この日は海外です。しかも重要な会議を行っております。残念でなりません。
> 1/6(日)10:30からと13:30からの2回。
> 現地集合で予約不要、駐車場なし。
> 問い合わせは事業団さんです。
おーーーーー、素晴らしい情報有難うございます。
行ってみよかなー。
新年の挨拶を含めまだまだ書きたいことが目白押しですが、明日以降に致します。
今日はこの辺で。
では、では。http://plus.google.com/photos/108857793486279770251/albums/5829271054182205425
ブレイズマンさん、こんにちは。
なんだか「気分はコクジン」さんがいらっしゃらない場
でやり取りするのが後ろめたい気になります(^^;
確かに時代差を感じさせてくれる状態なのも椿尾上城の魅力の一つですね。
ご紹介くださったページでまた勉強させていただくことにします。
ありがとうございます。
> あそこは薄暗いですから前回行ったときは写真がいまいち
> だったことを覚えています。
> 今も薄暗い感じなのでしょうか。
確かに大変薄暗かったです。
お城さんマークに写真を入れておきましたので、ご覧になって下さい。
また行程表を入れておきましたが、途中何度か道を間違ってしまいました。また電波が所々切れたらしく、直線になっていますけどね。
で、このお城に関しましては、「気分はコクジン」のページがなかなか鋭い分析をされております。
「気分はコクジン」のページに指摘がありますように、
> 椿尾上城は、奈良県下の大型城郭遺構のなかでは破損破壊
> 箇所がきわめて多い。
とありますように、非常に遺跡破壊があるように思えます。
まず最初に思って歩いていた点は、なんかへんやー、と思いながら歩いていたのですが、登城道に大きな改変があると後で解り違和感が取れました。
続きがあります。http://plus.google.com/photos/108857793486279770251/albums/5829271054182205425
ブレイズマンさん、こんばんは。
以前訪れた時とあまり印象が違っていなさそうで
なんだか少し安心しました。
あと、やっぱり移動距離やルートをあとで確認できるのはいいですね。
便利な世の中になったもんです(^^)
> 今年はぜひとも館山城を行ってきます。
> ご紹介ありがとうございました。
おーーーーそーでございますか。是非是非。
ゴキブリホイホイ城にお出かけくださいませ。きっとびっくりすると思います。
> ところで黒田城の奥の土の城ってどちらのお城でしょう
> か?
にぁはははははは、失礼しました。「黒井城」でした。
これは、2級危ないですね。
あのー仮にですね、2級合格しましたら「城郭研究家2世」と名乗ってもよろしいでしょうか?
> 私も行ってきましたよ、太閤堤。
おーーーーー、そーでしたか。対岸にある堤防は太閤堤をベースに拡張されており、中心部はいまでも太閤堤使われているそうです。
石垣城郭技術が使われており、また秀吉は水攻めを多数行っており、水制技術を有している技術集団がいたのではと思われます。
> それよりも小牧山城!
> 当日「行かれてるなあ」と気づいてましたよ。
> 羨ましいなぁと思いつつ。
そーそー、私が行った時もかなり大規模な発掘調査を行っている最中でした。巨石石垣が出土しかかっているところでした。
> 宇佐山城を満喫されたようですね。
そーだ。宇佐山城行きたい城の一つで、まだ未訪です。
実は2月に、泊りで城ツアーに出かけようと思っているのですが、宇佐山城を中心に甲賀の忍者の城を巡る旅にしようか、岡山を中心とした城めぐりしようか、迷っております。
続きがあります。ブレイズマンさん、こんばんは。
なるほど、黒井城の西の丸のことでしたか。
一度ご覧になってください。
今年も元気いっぱいなブレイズマンさんならではの
書き込み、ありがとうございます(^^)
今年もよろしくお願いいたします。
財団法人交野市文化財事業団さん(リンクあり)から案内葉書がきていたのに、
郵便受けで眠らせてしまっていました(大汗)
1/6(日)10:30からと13:30からの2回。
現地集合で予約不要、駐車場なし。
問い合わせは事業団さんです。
という感じみたいです。
私は足を運べるかがわかりませんが、私部城は個人的にちょっと好きなもので、
日が迫ってはいますが、この場で情報提供させていただきました m(_ _)m
では、失礼いたします。http://www.city.katano.osaka.jp/docs/2011053000037/
ポリタンクさん
情報ありがとうございます。
見学会というのは、今後現状の改変があるために今のうちに
見ておこうという主旨の会なのでしょうか?
もしご存じでしたら教えていただけませんか。
あそこは「いつでもいける」と思いつつ、全然行かない場所
ですから、気にはなりました。
あと、なまった体には手頃な運動になるかもしれませんね(^^;
ではでは。
遅ればせながら、新年明けましてお目出度うございます m(_ _)m
私は本年も変わらずこちらに寄生させていただきます(汗)ので、情報交換等、
色々と交流させていただければと思います。宜しくお願いいたします。
管理人様>
[2709] 発作的に宇佐山城へ
> 次回、壺笠山城とのセットを書いてくださっているのは
> お誘いいただけるという意味で解釈しましたよ(笑)
そうきましたか(爆)。全く構わないですよ。セットでご一緒しませう。
ただ、宇佐山城は夏場に行くものではないと想像しますので、寒いうちにしま
しょうね。
ブレイズマンさん>
[2712] レス色々
> 周山城は近日中に出向きたいと思います。
1/14に木津の文化財と緑を守る会様主催の見学会がありますよ。講師は中井先生
です。(守る会トップページをお城さんマークにリンク)
締切後も定員に達していないみたいなので、ご都合が合うようなら、まだ申込が
できるか照会されては如何でしょう。因に、私は申込済です(汗)
[2723] 城郭試験
>> もし現地でこんな奴を見かけたら、声をかけてください
>> (笑)
>
> 一応探しました。しかし、ご承知のように、並んでから見学できるまで40分
> 程度かかるぐらい、たーーーくさんの人たちがお越しになっておりましたので、
> 全く解らずじまいでした。
既に管理人様からの書き込みがあるとおり、ご都合が合ったのでご一緒しました。
諸々の都合で早めに行ったら、現説がフライングで始まっていたのでラッキー
でした。
> なんでこんな険しい山に利神城って築城したんでしょうかね。行ってみたい城
> ではありますが、恐怖心もあります。
南ルートに関しては、きちんと準備した上で無理せず注意して行動すれば大丈夫
ですよ。情報提供した趣旨は「舐めてかかったら駄目」ということを伝えること
でした。
利神城についての情報を書くことそのものに賛否両論あるとは思いますが、私は、
情報不足のまま冒険気分で行って事故に遭う人が出るよりは、知り得た情報を
提供することで読んだ人が自己責任の元で判断する方がよいという考えです。
では、失礼いたします。http://kizu1978.info/index.html
ポリタンクさん、こんばんは。
今年もよろしくお願いいたします。
宇佐山城、壺笠山城とのセット企画ぜひよろしくお願いいたします。 m(_ _;)m
ところで、利神城について教えてください。
ポリタンクさんが行かれた時には「立ち入り禁止」
のような看板なり表記はありましたか?
なかったらいいんです。
佐用町のサイトには2011年8月30日の日付で
「・・登山道が荒廃しているため残念ながら登ることはできません」
とあります。
http://www.town.sayo.lg.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=699
これは、健脚な方、登山にたけた方はその限りにあらずという解釈で読まれてしまうこともあるかもしれませんので、
それならばそうかな・・・と。
きっと禁止しているならば「立ち入り禁止」と明記
されているでしょうから大丈夫なんでしょうね(汗)。
幣サイトでのやりとりの情報発信で自己責任という言葉
を使うのは抵抗がありますので、書かせていただきました。(禁止されている場合は、ですよ。)
ポリタンクさんでしたら、ご理解いただけると思いますが
むやみにややこしくしようとは思っていません。
立場上、こういうスタンスの者もいるんだということも
書いておかないとね。
それではw、今年もよろしくお願いいたします。
少し出遅れましたが・・
新年あけましておめでとうございます。
城めぐドットコムの本岡です。
ここの掲示板では常に遅い反応となってしまいまして、
申し訳ありません。
今年も変わらぬおつきあいをよろしくお願いいたします。
新年そうそう進めているものがありまして、また皆さんに
近々発表させていただくことになろうかと思います。
その際には暖かく見守っていただければ・・。
去年の暮れから少し体調をくずしてしまっており、ちょっと
引きずってはいますが、今年はもうちょっと多くお城に行きたいなと考えております。
皆さんも楽しい充実したお城めぐりを!!
遅くなりましたが…
新年明けましておめでとう御座います。
竹田城址がスゴイことになっているようですね。
本年も宜しくお願い致します!http://www.geocities.jp/shiro20051212/
成田さん、こんにちは。
ご無沙汰しております。
本年もよろしくお願いいたします。
竹田城は春の有料化が大きな変化の一つですが、周辺
の整備状況や「お金を落とす場所」の進捗も気になっております。
何かと今年も話題を提供してくれる竹田城からは目が離せませんね。
さてさて、今年もわずかでございます。
皆様方といろいろと城の話題で交流させて頂いて、大変嬉しく思います。
来年は、一乗谷城、福井城にも行ってみたいと思っております。
また突拍子もない意見もどんどん書き込んでいきたいと思っております。
是非来年も皆様方と楽しくお城関係で意見交換されて頂け場と思います。
城郭研究者さま、皆様方、来年もぜひよろしくお願いします。
では、では。ブレイズマンさん
旧年中は様々な面白い話題を提供してくださり、ありがとうございました。
今年もなにとぞよろしくお願いいたします。
> もし現地でこんな奴を見かけたら、声をかけてください
> (笑)
一応探しました。しかし、ご承知のように、並んでから見学できるまで40分程度かかるぐらい、たーーーくさんの人たちがお越しになっておりましたので、全く解らずじまいでした。
一応、城郭研究者さまもお探ししましたが、同様でした。城郭研究者さまも結局行かれたのでしょうか?
> 12/15に職場の人間を3名ほど引き連れて利神城に行ってき
> ましたので、最新情報をご報告しときます。
有難うございます。非常に参考になりました。
しかし、この報告をみているとなんでこんな険しい山に利神城って築城したんでしょうかね。行ってみたい城ではありますが、恐怖心もあります。
ところで、ところで。城郭試験なるものがあるって知っていましたか?
いやーーーー、面白いそう。試験という名前がついていて「面白いそう」と思ったのは長い人生で今回だけかもしれません。
次回試験日は、2013年5月12日(日)
受験しようかなー。2級はどないでっしゃろ。3級にしておくべきかな。
練習問題やってみましたが、2級で、4/7門。回答率57%でした。ありゃー落第やん。
続きがあります。http://www.kentei-uketsuke.com/shiro/
お城の試験、出てきましたね。
日本100名城を中心とする出題のものと、お城全般の
ものを出題するものの2種類がありますね。
私の周辺でも何人かが合格されていましたよ。
ぜひチャレンジしてみてください。
> 今回はリベンジしましょうかね。
という事で行ってきました。
> 2012/12/24(Mon) 14:14
に現地に到着しました。
聞くと、この時点で1800名という事で、前回の900名を軽く超えているとのことです。最終的には2000名はいったんじゃないでしょうか。さすが京都ですね。
この時は関西ローカルTVにいろいろな局が取材きてはり、当日の様子が映し出されていました。
前回の調査では、7m程度でしたが、朝日新聞の記事、上記お城さんマークの記事によりますと、
> 府埋蔵文化財調査研究センターでは「もっと掘るべきだ」
> との声が上がった。発掘調査の終了予定は迫っており、終
> 了すれば府警宿舎の建て替え工事で、石垣の真上に基礎を
> 打ち込む計画だった。
> ところが、さらに掘り進めると、石材が次々と現れた。し
> かも、どんどん大きくなり、石の重さは推定1・8トンに
> もなった。府は建物の工法を変更して石垣を現地保存する
> ことを決めた。ただ、地中に埋め戻し、屋外展示はされな
> い予定という。
今後は地下保存されるという事です。よかった、よかった。
で、今回の調査でいろいろわかったことがあります。
1.
オール自然石であった。転用石、加工石は1つも無かったという事です。くさび型に形成された石も無かったという事です。同世代の城である近世清州城では、表面の加工は無い野面積みですが、くさび型には加工された印象がありました。
「梯子胴木」もありませんでした。直に石列がありました。
2.
1回目資料にあった広島城との類似性が指摘されており、広島城は、本丸正面門から東側の中間地点に櫓台があり、聚楽第にも同様の櫓台があるのでは?と類推されていたが、石垣は直線であるため、櫓台はなさそうである。
3.
石垣の高さは不明でありますが、同時期である豊臣大坂城の高さを大きく超えるという事は考えにくく、同程度の高さであることは類推できる、とのことでした。
新たな不明点もありました。ポリタンクさんのリンク先には、
> 比叡山周辺か大津市・田上山が産地と考えられる。
とありますが、私が現地で聞いた内容では、京都大原周辺で採取された石であるという事でした。滋賀県という話はまったくありませんでした。質問が受付てもらえませんでしたので、解らずじまいです。どなたかお聞きした方おられますでしょうか?
全体としては、巨石が多かった印象はありますね。ただ、それとは反比例して櫓台は発見できなかったことから、結局は戦闘力がある城郭としての機能は薄かったかもしれません。
続きがあります。
PS
管理人さん、下記書き込みは削除しておいてください。http://digital.asahi.com/area/kyoto/articles/MTW1212252700001.html?ref=comkiji_txt_end
私も行きましたよ。
というかポリタンクさんとご一緒させてもらいました。
石材の産地については、当日配られた資料をご覧に
なられたらいいと思いますよ。
ひょっとして予想以上の人出のために、無くなって
しまったのでしょうか(あり得るなあ・・)
現場では転用石を探しましたが、1つもそれとわかるものは
ありませんでしたね。
また、金箔瓦が出土しているのも拝むことができて
良かったです。
残念ながらブレイズマンさんにお会いすることができませんでしたが、またどこかの現説で機会があればいいな
と思います。
今回はリベンジしましょうかね。http://digital.asahi.com/area/kyoto/articles/MTW1212252700001.html?ref=comkiji_txt_end
津山市内の自宅から昨日の降雪の溶け残りを踏みしめて「美作・神楽尾城」、「神楽尾城北方砦群」、「山方芦谷城(高築城の南側の土塁囲み)」とその北西の「山方深谷城」を目指す。
いつもの「美作・神楽尾城」は幟が新調されて新年を迎える焚火の薪も整っている。
ここから雪に残されたタヌキの足跡をたどって「神楽尾城北方砦群」(二度目)を本光寺目指して約1.6Km進む。
土橋、郭のセットが6つ連なって見晴らしピークの郭。
降って土橋4つと郭点々で本光寺裏の尾根。
本光寺へは通過禁止なので北に迂回して道に出る。
一宮郵便局北から北に進んで「高築城」方向へ。
「山方鳥羽の土塁」の東下の山道。
「高築城」の南側約250m付近で左折。
高橋成計氏の縄張図と「美作国の山城」の縄張図を取り出す。
入口からGPSと赤テープ設置。
約120mで谷を渡って竪掘、切岸。
「山方芦谷城」の土塁囲み。
東南の隅近くに平入虎口。
西側にも平入虎口。
そのまま周囲を一周。
「山方深谷城」へは「山方芦谷城」西側の土塁の脇にある切通しと書かれた浅い堀底道を北へ。
「高築城」への分岐を「高築城」へは曲がらず直進して谷筋。
約100m程で丁度「高築城」の西下の谷。
ここから踏み跡を辿って谷へ降りると谷田の跡。
靴がズブズブとめり込む。
数段登って脱出。
登山靴の中に浸水。
すぐに腰曲輪風の平坦地、倒木。
ここから山道がある。
更に登って尾根の平坦地の十字路。
左(南)に進むと約30mで小ピーク。
その先は広い尾根がダラダラと下っている。
この南にも何か遺構らしきものがあるかもと思ったが、現状から南に降る気になれず。
十字路に戻り、右(北)に進むと二段の郭風の平坦地。
その先は急傾斜。
どうも、ここがおかやま全県統合型GISにある「山方深谷城」(城跡とは思えない)らしい。
もう一度十字路に戻って山道を北東に進む。
左手に円墳。
更に進むと昭和池堰堤の東側から尾根を黒沢山万福寺に登る登山道に出会う。
昭和池の東の奥の池の終点付近の西側だ。
ここにも、しっかり赤テープ設置。
やぶくぐりさん、年末のお城納めでしょうか。
雪の中の行軍の様子を楽しませていただきました。
2012年中は貴重な城攻めのレポートを多く書いてくださり、
ほんとにありがとうございました。
機会があればぜひともご一緒させていただきたいと思いますが、
きっと足手まといになりそうな気がしています。
今後も現場の雰囲気さながらの濃い城攻め情報を
お待ちしております。
ありがとうございました。
なうです。寒いです。はははは。
今年は宇陀松山城にも行かねば、と思っております。
なうです。現在1800名だそうです。当日は2300人でしたっけね。
私は65番の資料をいただきました(^^
知った顔はおひとりだけという寂しい状況でしたが。
ブレイズマンさん>
「[2669] 補記_利神城&聚楽第」にて利神城の情報を書きましたが、12/15に職場の
人間を3名ほど引き連れて利神城に行ってきましたので、最新情報をご報告しとき
ます。
南ルートを使いました(お城さんマークにログをリンク)が、「最後の三の丸への
進入は設置された虎ロープ頼み」と書いていた箇所にて長短1本ずつあったものの
うちの長い方が無くなっており、難易度が上がっています。短いものがあるところ
まではあまり頼るものがないので、特に下りは細心の注意を払う必要があります。
尾根筋も落ち葉が多くて滑りやすい箇所があり、あまり気が抜けません。今回は、
私が落ち葉を払いながら進み、同行者に後に続いてもらいました。
あと、冬場は結構天候が変化しやすいようなので、そのつもりで準備してください。
次の画像は同じ日です。
・雪が舞う -> p.twipple.jp/EXpyp(接頭辞省略)
・晴れ晴れ -> p.twipple.jp/ZtkTM(同上)
昼食後に晴れたのでお城に向かいましたが、全員レインコート等もリュックに入れ、
天候悪化に備えた状態で臨みました。足元は当然のごとく登山靴です。
ついでなので、私が数年前の初回に利用した北ルートの画像をいくつか...。
・土砂崩れ -> p.twipple.jp/FysUd(同上)
・岩盤登り -> p.twipple.jp/ayHl4(同上)
林道はそもそも轍がきついのでお奨めしませんし、岩盤部分は見てのとおりの状態
でして、虎ロープが外れる若しくは切れると命はないと思います...。
最後に以前書いたことを繰り返しますが、城内であっても、虎ロープを利用する
際は、体重を完全に預ける前に引っこ抜けないかどうかを確かめてください。実際、
初訪城時に引っこ抜けたのがありましたので...。
では、失礼いたします。
取り急ぎ...
ブレイズマンさん>
私も再度の現地説明会があると聞き及んでおりまして、行きますよー。ただ、
諸々の事情で何時に行けるかは直前までわかりませんけど(汗)
前回の更に東側らしい(お城さんマークにリンク)ので、前回同様に南にある
公園で並ぶことになると思います。前回は完全入替制で最初の1時間がすごく
待ち人数が多かったです。到着時間を調整できるのであれば、早めに行って
並ぶか、いっそのことお昼以降に行くのが無難だと思いますよ。
もし現地でこんな奴を見かけたら、声をかけてください(笑)
-> p.twipple.jp/Qqoqt(接頭辞省略)
顔は隠してますが(汗)、多分同じような格好をしていると思いますので。
では、失礼いたします。http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20121221000175
ポリタンクさん、こんにちは。
当日はご一緒していただき、ありがとうございました。
思い切って早めについておいてよかったですね。
でもこのときはほとんど詳しいお話が効けなかったので
石垣の後ろの段差の様子とか「見てわかる人はわかるでしょ」的な感じで少々もったいない気がしていました。
やっぱり前回行った人が一番楽しめたんだろうなと思います。
現説はできるだけ参加しないといけませんね(^^;
今年もよろしくお願いいたします。
な、なんと、再度現地説明会があるとの事です。
しかも今回は前回よりかなり大規模な石垣遺構が確認されたとの事です。
うーーーん、前回は説明会翌日に行って怒られちゃいましたので、今回はリベンジしましょうかね。
取り敢えずご報告だけ申し上げます。
では、では。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121221/k10014360571000.html
ブレイズマンさん、私も行きましたよ!!
興奮しましたねぇ。
あと、ものすごい人出でしたが・・・。
今月の山城会はオジジ3人で赤磐市(旧山陽町)の城廻り。
9:00にとあるスーパーマーケット駐車場集合。
一台に乗って、東軽部の「東軽部城」を目指す。
宮口集落付近に駐車。
集落内の狭い道に入り、集落の北側の舌状台地の竹林に入る。
集落の北側の竹林は段々の郭を連ねた館跡に見える。
横堀らしき構造。
山道は墓地から東に方角が変わり1/25,000地形図にある神社マークを目指す。
小ピークの神社は既に無く、碑と手水鉢のみ。
南側に腰曲輪。
東の三角点方向に進むと二段の郭。
一旦鞍部まで降るが堀切無し。
山頂直下の平らな尾根まで行くもヤブが濃く敗退。
二つ目は同じ東軽部の「宝地城」。
ここも尾根先の神社マークまで登るも神社は既に無し。
帯曲輪に古い墓地。
少し切岸を登って平坦地だが矢竹の密集地にて入らず。
三つめは南側の滝尾山の「大久保城」。
北東の尾根先から尾根筋を登る。
赤テープ(帰りにほとんど回収)と選定挟み大活躍。
158.7mピークに至るも遺構無し。
その先の152mピークも遺構見当たらず。
早々に撤退。
四つ目は由津理の「小屋谷城」。
ここは三度目の訪問。
林道に緑色の天蚕の繭が点々。
色がきれいなので土産に収集。
池脇から送電鉄塔巡視路に入る。
巡視路のかなりの部分が鉄砲水で流されている。
尾根に出て東南へ50m程進むと急登。
左右に堀切。
左右共に見所の畆状竪掘。
郭は二段のみ。
石積み、祠。
五つ目は旧役場付近のコンビニに駐車して「向山城」を目指す。
コンビニ脇から西の尾根の水道タンク、携帯電話送信塔を目指す。
少し重機で削ったような道に入り、谷に登り付く。
谷はどうも人工の竪堀のようだ。
谷の左に雛段状に段々。
尾根に出て左手に神社跡の碑。
城の端の見張場みたい。
右手に入って尾根を進むと、平野側に腰曲輪。
直ぐに障壁土塁。
平坦地。
障壁土塁。
平坦地が終わって登りだが途中で風倒木多数。
ここで引き返してテープを回収しながら戻る。
今日廻った5城の内、ホームページ「落穂ひろい」の記述であまり期待していなかったが「東軽部城」と「向山城」は予期せぬ遺構あり。
「大久保城」は予定どおり遺構無しか。
来春は備中高松城周辺の陣城廻りを計画することで衆議一致。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回のレポは私もわかる場所もあり、興味深いものでした。
思わぬ遺構が見れる収穫を仲間と共感できる喜びはよくわかります。
(最近はあまり行けてないので、実は寂しくもありますが)
備中高松関連の陣城は私も少しめぐりましたが、全然
行き足りておりません。
ぜひとも参考にさせてください。
今後ともよろしくお願いいたします。
> なうです
椿尾城行ってきました。正確には椿尾上城ですね。
2012/12/11(Tue) 16:01、この時間ですね。ちょうど横堀石垣の上に立っていました。
しかし、この時間でタイムリミット。非常に暗くなってきましたので、泣く泣く下山です。有力な遺構を見逃していると思います。
で、椿尾城も結構変わっている印象があります。詳しくは後程書きます。
ただ、
・椿尾上城
・烏帽子形城
・豊田城
・福住井之市城
この四城は非常に似た雰囲気があります。ひょっとしたらどんどん増えていくかもしれません。似た雰囲気とは?
・城全体が大きな改修を加えられている印象があり、最終形態の城は新しい雰囲気がある
・特徴的な横堀の使われ方がされている
こちらに関しては、また詳しく書きます。
それと実は城郭研究家さまを初め、皆様にも詳しく聞いていただきたい話、もしくは議論に参加してほしい話があります。
・山城に使われる柵列
についてです。城郭研究家っぽい話でしょ。これについても後程詳しく書きます。
あと、甲陽園城。
最近下草が枯れ、地肌が見えやすくなってきました。そろそろこちらのの入念な写真を撮って、陣城としたのかもう少し掘り下げたいと思います。
では、では。http://gfi402.web.fc2.com/narakokujin2-15.htm
ブレイズマンさん、お疲れ様でした。
平日の昼間に「おおー!」と思い、反応してしまいました。
あそこは薄暗いですから前回行ったときは写真がいまいち
だったことを覚えています。
今も薄暗い感じなのでしょうか。
またブレイズマン流のお城考察をお聞かせくださいませ。
今年もよろしくお願いいたします(ってかなり遅レス
> 「水制」っていうんですねえ。
そーそー、水制って何度も見学会で言っていました。
水を制する。
自然の川の流れを無理矢理伏見城に向かわすため、いろいろと無茶な変更するため、水を制する「石出し」が必要だったのではないとかと思います。
ポリタンクさんもいってこられたようですね。
> 私は貸し切り状態(お城さんマークにリンク)でした
> (笑)
というリンク先が間違っているようですが、写真は拝見しました。
> 前回感覚のみで書いた「2時間もかからない」というので
> 間違えていなかったようです。
了解しました。
> あと、周山城主要部の縄張図は『織豊城郭 第12号』(織
> 豊期城郭研究会)掲載のものが詳細なのでお奨めです。
有難うございま。早速取り寄せたいと思います。
周山城は近日中に出向きたいと思います。
続きがあります。私も行ってきましたよ、太閤堤。
表面の型をとられている作業が進んでいましたが
満喫できました。
あとちょっとした現説みたいな感じで説明もしていただきながらだったのはラッキーでした(^^
> また何か機会がありましたらご参加を検討してくださいま
> せ。
了解です。是非今度は城ナイト関西バージョンやりましょー。いまだにユースト見ていますよ。
> これまたマイナーなお城にいかれましたね。
いかりましたねー。
> 手元にある館山城の縄張り図では、提示くださった
> ような部分が城域として評価されていないようでした。
> 貯水タンクの辺りはかなり改変があるのでしょうけれど、
> これを作るにあたって重機がどう入ったのだろうと思って
> しまいました。
貯水タンクを作るのにあたり、重機を入れるため変な曲輪になった可能性も絶対にないとは言えません。
ただ、あの貯水タンクと「居館跡か」の高低差と距離はかなりあり、どんな重機を持ってきても貯水タンクまでは届かないと思います。
貯水タンク部分しか評価されていないという点は確かに気をつけておく必要はあるかと思います。重機ともかく何かあるかもしれません。ただ、私が見た感想としては、「居館跡か」という部分も含めて城郭の可能性が高いと思います。
> 現地に至るまでは何の期待もしていなかったが、それにし
> てもこの堀切群と大土塁群は素晴らしいし凄すぎる!言葉
> を失うと言う事はこの事かもしれない。この城跡の威容を
> 言葉で説明するには少々無理があるので未訪の方は是非と
> も訪城して納得して頂くしか方法がない
との感想は私も同感です。
ただ、威容ではなく、異様ですね。
はーーーーー?という感じの城です。
> またこちら方面に行く機会があればのぞいてみたいと
> 思います。
そーそー是非見に行って評価をお聞かせください。
兵庫県では安威砦も結構不思議な城ですが、この城もそれをも凌駕する城です。
お城さんマークの鳥瞰図も非常によくできていると思います。
> 2〜3年ぶりかまともな竹田城の雲海でした。
> でもものすごい混雑ぶりでとても信じれらませんでした
> よ。
なるほどーそーなんですか。
私まだ竹田城一度しか登城してないんですよね。また行きたいです。
黒田城の奥の土城もまだ行っていないし・・・
続きがあります。http://ktaku.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/08/23/zz1_2.jpg
ブレイズマンさん、こんにちは。
今年はぜひとも館山城を行ってきます。
ご紹介ありがとうございました。
竹田城は有料化するに伴い、大きく様変わりしていく
年になるのでしょうね。
いろんな思いを込めて見守っていきたいと思います。
ところで黒田城の奥の土の城ってどちらのお城でしょうか?
なうです現地レポお疲れ様です。(^^;
#度重なる連投稿ご容赦ください。これが最後です(大汗)
宇佐山城、元々は清水山城とセットで行くつもりでしたが、清水山城は麓の井ノ口館
とかにも足を運ぶと結構時間を使いそうでしたので、発作的に単独で行きました。
宇佐山八幡宮の石碑あたりに辛うじて1台路駐できます。ただ、私が言うのも何ですが、
あまりお奨めしません(汗)。その気になればその宇佐山城の看板があるあたりまで
車で行くことは可能かもしれません。私の愛車のように顎が出っ張りぎみのではやめた
方がよいかもしれませんけど...。
2つめの看板の傍には、志賀小学校諸君お手製の道標(お城さんマークにリンク)が
あります。途中にも要所要所にあって、結構癒されました。
手元の資料で予習はしていたのですが、石垣フェチにはたまらんお城ですね。東面を
中心に残存していて、二の丸帯曲輪下のなんて垂涎ものです。
-> p.twipple.jp/ls8yT(接頭辞省略)
残存石垣は三の丸のものも含めて全て押さえたつもりでしたが、帰宅後に復習して
いたら二の丸西面にも小規模ながら残存石垣があることを知り、ちょっとしょんぼり。
-> ukikimaru.ran-maru.net/ran/ryokou2010a.htm(同上)
-> www.jiji.com/jc/v4?id=usayama010001(同上)
折角来たので、北端の郭にも足を運びましたが、三の丸から降りる斜面が少々きつめ
だったので、ちょっとだけその場で思案(汗)。見上げ目線ですとこんな感じです。
-> p.twipple.jp/mhIWN(同上)
斜面を降りて尾根筋をてくてく歩きますと、土塁っぽいのが北端の郭でお出迎えして
くれます。-> p.twipple.jp/rXton(同上)
北端の郭の西面には堅土塁っぽいものがありましたが、斜面の崩落による城郭遺構
類似物かもしれません(汗)-> p.twipple.jp/IJuTi(同上)
ログはこんな感じです。-> p.twipple.jp/TYf3T(同上)
今回は下山後に雨が降り出すという際どい天候でしたが、お向かいの壺笠山城にも
行ってないので、見逃した遺構を目にするために晴れた日に再訪するのもありかな
とか思いました。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
宇佐山城を満喫されたようですね。
私も去年は下から登って行こうとしましたが
夏場でしたので、帰りの電車の中が悲惨な状態
(汗だく)になりそうなのであきらめました。
次回、壺笠山城とのセットを書いてくださっているのは
お誘いいただけるという意味で解釈しましたよ(笑)
今年もいろいろとよろしくお願いいたします。
明日まで実施している関西1デイパス[JR西日本]で佐和山城と滝山城をハシゴすると
いう、ちょっと無茶な行程を組んでみました(汗)
◎佐和山城
遭難騒ぎ(お城さんマークにリンク)があったばかりなので、万全を期して臨んだ
つもりでしたが、よいお城過ぎて時間が足りませんでした(泣)。午前中だけでは
最近整備された太鼓丸までを見学するのが限度で、二の丸等を拝むために再訪決定
です(苦笑)
ログ -> p.twipple.jp/Lvnhj(接頭辞省略)
本丸南面石垣 -> p.twipple.jp/ZBNM9(同上)
大手口 -> p.twipple.jp/M1rDq(同上)
佐和山遊園の彦根城天守もどき(爆)-> p.twipple.jp/8MMze(同上)
本丸から見下ろす彦根城もいい感じでした〜 -> p.twipple.jp/7sgV2(同上)
ただ、本丸南面石垣付近は足元が滑りやす過ぎてお奨めできません。
なお、佐和山遊園付近の登城道入口には通行禁止(事前申請で許可を受けた場合を
除く)の立て札がありました。
◎滝山城
ずっと行ってみたかったお城なのですが、新神戸駅付近の駐車場が満車ばっかり
っぽかったので敬遠しておりました。佐和山城の見学を泣きながら端折った甲斐も
あって満喫できました。
ログ -> p.twipple.jp/Xxtof(同上)
中央曲輪群の竪堀 -> p.twipple.jp/mZLGJ(同上)
画像での切り取りでは雰囲気が今一つ伝わりませんので、未訪な方は是非現地で
体感してください。
行程としては、先にハイキングコースから一時逸れて東曲輪群を縦走つつ中央
曲輪群と西曲輪群を見学し、帰路で東曲輪群横の竪堀をハイキングコースに従い
ながら拝むのが無理がないかと思います。
では、またまたひとまず失礼いたします。(って、まだあるんかい!)http://blogs.yahoo.co.jp/zenkokuyamashiro/37460757.html
ポリタンクさん、こんにちは。
随分と移動されたんですね。(^^;
佐和山城は武将人気もあって、訪れる人が絶えないんでしょうか。
行かれた時はいかがでしたか?
私には、雨の中に強行した印象が強いお城です(笑)。
滝山城は、よかったでしょう?
私も関西のお城でもたまたまそこだけ未訪になってしまっている場所があります。
たまにそういうところを狙っていかないといけませんね。
2013年は少しずつ行ってみないと・・。
幸か不幸か平日に太閤堤を見に行く機会ができたので見てきました。確か今日が
見学できる最後の機会でしたでしょうか。私は貸し切り状態(お城さんマークに
リンク)でした(笑)
Twitter等でお知り合いになった方と周山城行きを予定していた日が生憎の雨模様
でしたので、代替案発動で小牧山城現地説明会に行ってきました。登城道付近でも
発掘があったりして、思っていたよりも範囲が大きかったのが印象的でした。
隅石 -> p.twipple.jp/6OLJV(接頭辞省略)
段々の石垣 -> p.twipple.jp/Rf7cA(同上)
小牧山城では前回見逃した残存石垣も見れてご満悦でした。
なお、途中で立ち寄った敏満寺城(名神高速 多賀SA)には、現代の「犬走り」が
新設されていました(大泣)-> p.twipple.jp/BFjJr(同上)
この場をお借りして...
管理人様>
[2691] 追記_高取城火薬櫓台の位置 & Re: レス色々
>> 火薬櫓台の石垣が狭い部分を歩く時は
>
> ぇえー!歩かないでしょうに(^^;;
> 危ないというか破壊にもなりますしね。
すみません。興奮の余り我を忘れて歩いてしまいました(汗)。確かに石がズレ
やすい箇所がありました。元には戻しておきましたけど(大汗)。軽率だった
なあと反省しております...
なお、以前アップした画像を見ると、以前に城外に落下したであろう石が写って
います。私が言うのも何ですが、細い部分を歩くのはやめませう。
[2701] 追記_Re: 高取城
> ひょっとして参加されるご予定なんでしょうか?
残念ながら所用があって参加できません(泣)。行きたかったですねえ...。
では、ひとまず失礼いたします。ポリタンクさん、こんばんは。
私も見てきましたよ、すでに石の表面の型をとられて
ましたので、見学したタイミングとしてはよかったのかどうか(^^;
それよりも小牧山城!
当日「行かれてるなあ」と気づいてましたよ。
羨ましいなぁと思いつつ。
来年3月まではなんとか現状が残ってるということも
小耳にはさんでおりましたので、それまでになんとか
訪れたいと思います。
岡山市北区御津伊田にある「備前・松撫城」訪問。
岡山県動物愛護センター奥の農道の少し広くなった位置に駐車。
図書「御津の山城」から縄張図をコピーして持参。
池の奥から農地を横切って南側の谷沿いの山道に入る。
例によって選定挟み、赤テープで道作りとしるしを付けていく。
谷を登り詰めてウラジロのやぶ。
とりあえず左の灌木林に逃げて直登。
見張場の郭。
ここから尾根筋を山頂へと目指す。
おぼつかない踏み跡。
選定挟み大活躍。
縄張図に無い竪堀群に遭遇。
竪掘を左に横切って畆の背を進むと国土調査切り開き道と遭遇。
左手に竪堀二本。
土塁。
郭、主郭。
左手には腰曲輪。
切岸を下って郭。
土塁。
もう一段降って郭。
左に畆状竪堀。
切岸で城域は終わっている。
ここまで約200m。
更に平坦地を進むと先端の出丸の郭部分。
城の端の切岸から更に約200m。
縄張図は切岸と郭のみ書かれており、かなり状況は異なっている。
土塁、連続竪堀、畆状竪堀など見所沢山だが時間的制約で詳細には見ていない。
更にこの先に堀切があるかどうかは未確認。
帰りはウラジロのヤブを急降下して短縮。
やぶくぐりさん、こんばんは。
松撫城は御津の山城にあがっている縄張り図ですと
とてもシンプルでしたが、畝状竪堀もあるんですね。
なかなか行かない場所ですが、大変いい情報でした。
ありがとうございます。
お疲れ様でした。
11月24日(土)は津山市・美作の中世山城連絡協議会開催の「中世山城シンポジウム」に参加。
津山CiBi山岳会氏の後ろに座って、高橋成計(たかはししげかず)氏の講演「美作国における毛利氏の城郭遺構」とパネルディスカッション「山城を地域に活かす」を聴講。
専門的な質問も出るハイレベルな会で大変勉強になった。
25日(日)は朝から城郭なのかどうか不明の山をいくつか登る計画。
最初は津山市下高倉にある「志戸部城(土井ノ山)」(美作国の山城31ページ)北側の広域農道の土井の里の看板から南に入り、すぐ左折。
民家奥の墓地付近に駐車。
そのまま南に登ると下高倉配水池と電波塔。
地図情報「きらきら つやまっぷ」からプリントした地図で見ると方形の高まり。
山頂は胸まである草ヤブ。
ほぼ中央に三角点(215.0m)。
たぶん畑にでも使われていたものと思われ、一周するも判別できず。
二つ目は黒沢山。
今までにも数回登っているが、ひよっとしたら城郭遺構がありそうとの見込みで再度登る。
万福寺200m手前で左折。
西の峰(659.0m)へは南側の墓地脇から取りつく。
階段。
入口を少し刈り払うと快適な遊歩道。
堀切、土橋(遊歩道で消滅)赤テープ設置。
段郭らしき段々。
三角点。
戻って少し歩いて東峰(668.0m)へ。
腰曲輪らしきもの二か所(赤テープ設置)。
だんだん妄想がひどくなっているかも。
三つめは黒沢山キャンプ場跡地から北へ約800mの「鬼ノ城山(670m)」へ。
キャンプ場の元トイレのあった広場に駐車。
東の大河内川方向への登山道刈り払いがある(これを辿るとロングトレイルながら烏ケ仙に辿りつける)。
キャンプ場跡地から尾根筋に使われなくなった作業道。
明瞭なので選定挟みでイバラを切りながら赤テープを設置しながら進む。
三つめのピークが目的地。
一つ目のピークと二つ目のピークの間の細尾根に土橋。
二つ目と三つめのピークの間にの細尾根にも土橋。
桝形城方向と烏ケ仙城方向が良く見える。
この付近の尾根は大規模林道が開通するまで山道として使われていたので城郭遺構かどうかは不明。
670mピークの手前に桝形虎口に見える道跡。
山道は670mピークの西側を巻いている。
尾根の端に出ると四差路。
東に登ると670mピークへの丸太階段。
郭ははっきりしない。
そのまま南東に尾根を進むと592m峰へ向かって道は消えかかって降っている。
戻って交差点から東北へ堀底道のようになった道は直ぐに消えて
斜面を下ると土橋状の細尾根。
尾根下に平行して新しい作業道。
作業道に降りて北へ進むとすぐに舗装された大規模林道美作中央線とのワイヤーゲート。
ガードレールに赤テープを付ける。
今度は尾根筋をたどって南側の670m峰へ。
土橋、急登で四差路。
北西に下ると大規模林道真上の法面の上に出るも危険なので撤退。
立ち入り禁止のしるしに赤テープで通せんぼ。
自分的には陣城としたいが、結局、鬼ケ城山は城郭遺構かどうかは判別できず。
やぶくぐりさん、こんばんは。
中世山城シンポジウムは楽しそうじゃないですか。
テーマも気になりますよ。
この日の内容が本になったりしないものでしょうか。
「山城を地域に活かす」は私も考えているテーマですのでぜひ読んでみたいなと思います。
志戸部城は美作国の山城を見てますと(仮称)となってますし、
なかなか難しそうなところそうです。
しかし城郭遺構かどうかを悩む場合は、何人かであぁだこうだと言いながら歩くのが楽しいですよね。
私の場合は最終的にもやっとして終わるのが多いんですけど。
三重県伊賀市桂という場所に、「藤原氏城跡」の標識が立っている。城キャッスルさん、こんばんは。
情報ありがとうございます。
私はまだ行ったことがありませんが、土塁が残っている
ようですね。
また伊賀攻めする際にセットで攻めようと思います。
先月、丸岡城と一乗谷城に行きました。丸岡城の天守の階段の段差に驚きました。這うように登りましたが古武士の風格がある風情のあるお城でした。福井城は驚きの場所にあるのですね。現在でも城のお役目を果たしたているかのようでした。明日は甲府城に行きます。城めぐりの初心者ですが旅行先で同志に会えるのも楽しいです。雪うさぎさんこんにちは。
お城はどこかしらまめに修理、整備をされているもの
ですが、丸岡城は全然変わらないなあと思っていました。
古武士の風格、よくわかります。
一乗谷はずいぶん変わりましたけどね。
甲府城は、鉄門の整備中ですが完成が楽しみなお城です。
ここもだんだん復元されてきていますので、いく度に
新たな発見があるのが楽しみなんですよ。
よいお城旅を♪
近鉄主催の『〜風雲!高取城 いざ山城ハイキングへ 5回シリーズ〜』(リンクあり)の
12/15最終回が「キトラ古墳あたりから栢森に向かう道」を利用したルートかなと勘ぐって
います(笑)
では、失礼いたします。http://www.kintetsu.co.jp/event-hiking/hiking_info/hiking0013581.html
ポリタンクさん、こんにちは。
ご紹介いただいたシリーズもちょっと気になっていたんです。
ひょっとして参加されるご予定なんでしょうか?
がんばってくださいませ〜
みんぴかさん>
◎火薬櫓台について
観光協会のだと判りづらかったですかね(汗)
入手しやすくて且つ見やすいのは『ビジュアル・ワイド 日本名城百選』(小学館)
かなとは思います。引用しているWebサイトがいくつか見受けられますので、画像
検索なりで「高取城 縄張図」をキーワードにして検索してみてください。
ただ、当該書籍には火薬櫓台の説明はありません。なのに何故ご紹介したのかと
いうと、先端にある火薬櫓台に行くには、途中で進行方向の右に逸れ、「一段高く
なっている『石積み』」の下の段に行く必要があることが明瞭にわかるからです。
◎高取城のルート
私は5回ほど訪れていますが、駅から歩いたのは先日の高取城ツアーの時のみで、
いつもは壷坂口まで車で行きます。
個人的に気になっているのは、「キトラ古墳あたりから栢森に向かう道」でして、
標高375m付近で南へ逸れたら岡口門の堀切経由で猿石までいけるんじゃないかなと
思ったりしています。お城さんマークに電子国土Web.NEXTをリンクしておきますが、
中心経緯度に次の値をコピペして移動してみてください。
-> 34.440255,135.822738
地図の中心部が岡口門の堀切になりますので、地図を拡大していただくと、前述
標高付近に近いことがおわかりいただけるかと思います。また、その間にある高所は
『大和高取城』(城郭談話会)によりますと「諸木台」というそうで、古くは軍師
諸木大膳を葬った場所らしく、(本執筆時)現在では旧藩士の墓所だそうです。
私は堀切で引き返していますが、ハイカーの方が堀切を越えて北上されていました
ので、「キトラ古墳あたりから栢森に向かう道」には繋がっていると想像するの
ですが、如何せん、自ら確認していませんので、保証の限りではありません(汗)
この場をお借りして...
管理人様>
> 岡口門のほうへ行ってから山頂に行きましたが、汗だくでした(笑)
あのツアーの際に岡口門まで行ったのですか?。メチャ素早いですね。その速さ
でしたら、昼食の時間に弥勒堀切まで行くことができたかもしれません。お止めして
申し訳なかったです m(_ _)m
では、失礼いたします。http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse/index.html
ポリタンクさん、いつもフォローありがとうございます。
的確なお奨め図書がガンガン出てきますね(^^
火薬櫓台跡は、お城ファンの方にはぜひ見ていただきたい
遺構ですが、今の状態だと気が付いたら崩れてしまわないかと
心配してしまう面もあります。
間近までの下草伐採と、直前にガードを付けることが
いいかもしれませんね。
私はポリタンクさんのように気軽には行けませんが、
またいつか高取城を訪れたいと思います。
それでは。
こんばんわ
本日、高取城へ行ってきました
いや〜、かなりの登山客がいました
で、火薬櫓台ですが・・・
壷阪中門まで行くと藪漕ぎレンジャーの跡らしきものが
点々とありました。
城好きだから分かる『人が通った跡』です(笑)
私も、その道を躊躇する事もなく進む進む・・・
調度、二の丸の真下あたりまで来たとこで一段高くなっている『石積み』を発見しました
すぐ、事前に入手してた高取城址郭図で確認しましたが
侍屋敷なのか火薬櫓跡なのか判断できませんでした
それより奥に進むことができそうでしたがここで断念。
かなり、二の丸の石垣の真下まで進むましたが
まだ、先でしたか?
その後、二の丸から火薬櫓がある方向を見下ろしましたが
まあ、草薮で全く見えませんでしたけど(汗)
そうそう、みなさんは高取城へ行かれたとき山道から
行かれましたか?
私は、いつも駅から歩くルートで行ってますが
高取城へ続く登山道にある橋が通行禁止になってましたね
仮の橋があり何の支障もなく本丸まで行けましたけど
以前の橋の木製だったし大雨で土砂が流れてしまった
のでしょうか?
あっ、紅葉は綺麗でしたよ
真っ赤のとこと、まだ緑色ってところもありましたけど
たくさんの人があちこちで写真撮ってましたみんぴかさん、こんにちは。
高取城の紅葉は素敵でしょうねぇ。
羨ましいです。
今まで私は高取城には5回ほど行っていますが、
すべて車で上まで行ってしまってました。
先日のウォーキングイベントで初めて駅から歩いて
あがったんですよ。
おっしゃる通り、ルート途中が修復されていましたね。
単に老朽化のためということと、秋のお祭りに向けての
整備だったのかなと思ってましたが。
火薬櫓台に到達できなかったのは残念でしたね。
もし機会があれば次にまた挑戦してみてください。
それでは。
11月の山城会はオジジ3名。
備中国分寺の駐車場集合。
毛利氏の本拠「安芸・郡山城」を目指す。
山陽自動車道を尾道インターで降り、世羅を経由して約2.5時間で安芸高田市の「安芸・郡山城」到着。
歴史民俗博物館裏から大通院谷駐車場へ車を進める。
毛利元就・一族墓所から周回コースに入り、点々と郭群。
御蔵屋敷から釣井の壇、姫の壇、釜屋の壇、厩の壇、三の丸、二の丸、本丸へと廻る。
観光客もちらほら。
勢溜の壇から尾崎丸。
分岐で「旧本城」へ。
二重堀切、本城の本丸。
完全に別の城になっている。
登り返して分岐へ。
展望台から駐車場へ戻って昼食。
歴史民俗資料館入場料300円で更に堪能。
「多治比猿掛城」へ移動。
この城は小城なのに下、中、上の3ブロックになっている。
教善寺脇の出丸。
教善寺から登山道に入るとほぼ二郭の中ブロック。
縄張図に無い長大竪堀に沿って登ると上の主郭群。
櫓台、土塁。
毛利の城らしく虎口がはっきりしていない。
南の尾根筋は高い切岸で落ち込んでいる。
縄張図の点線に従って降ると六重の土橋・堀切・竪堀セット。
これだけで主郭と同じ位の長さがある。
郡山城の方に戻って郡山城の城塞群西端の「船山城」。
切通し道脇に駐車。
東側に登ると比高100mで天神山城、更に郡山城と続くが、残りの時間も限られており訪城しやすい「船山城」だけにする。
西側の墓地から登ると郭群、堀切、郭群、土塁。
延長約200m。
下は三方の川を堀に使って天然の要害。
一泊すれば吉川氏の城郭群も訪問出来たのにと後悔。
やぶくぐりさん、こんにちは。
郡山城はイイですよね。
私も好きなお城です。
以前私が行きました時は一部崩落していた箇所もありましたが、大丈夫でしたか?
あのあたりはいい山城が多いので、時間が全然足りませんでしょ。
船山城は未踏でしたので、参考になりました。
私も安芸に攻め込みたくなりました。
ブレイズマンさん>
あ、一部日本語が変ですみませんでした(大汗)
> お城さんマークにある縄張り図は、石垣があるものの縄張り自体は、単純な
> 構造ですよね。それでも2時間はかかるという事は、ある程度覚悟しておか
> ないと。
周山城のログを"FeildAccess HD"の方で表示させたものをお城さんマークに
リンクしておきますが、道の駅から三の丸虎口までで、私の亀足で25分ほど
かかっていますので、見学場所までの往復で50分程度は見込む必要があろう
かと思います。あとは遺構見学にどれくらい費やすかに依りますが、井戸
とかにも足を運んだとしても1時間あれば十分かとと思いますので、前回感覚
のみで書いた「2時間もかからない」というので間違えていなかったようです。
あと、周山城主要部の縄張図は『織豊城郭 第12号』(織豊期城郭研究会)
掲載のものが詳細なのでお奨めです。二の丸北面の残存石垣も示されたもの
ですが、これを見るなら北方尾根筋の西の方(観音堂方面)を足を運んだ際に
戻りのついでに見学するのが効率が良いかと思います。当該残存石垣ですが、
ピンボケで申し訳ないですがこんな感じです。
-> p.twipple.jp/iYShh(接頭辞省略)
では、失礼いたします。
下記コメントに
> 城さんマークにホームページに詳しい記載がありますの
> で、ご覧下さい。
としていた、リンクに誤りがありました。上記が正しいリンク先ですのでご覧ください。
このリンク先にある写真を見ると、きっちりとした直方形でありますが、「石出し」と似ている印象はありますね。
では、では。
もう一つ面白い話。
城の話とはあまり関係ないのですが、[ヨハネス・デレーケ]氏というオランダ人技師がおられます。
実は、この2012年10月10日に木津川河床遺跡の中から、「ケレップ」という(水制す)と呼ばれる突堤状の遺構が発見されました。
ヨハネス・デレーケとなる人物は明治政府から招聘され来日し、淀川一帯の改修工事を手掛けたとされています。
詳しくはお城さんマークにホームページに詳しい記載がありますので、ご覧下さい。
で、このホームページにも、
> 現在、京都府木津川市山城町立不動川公園内には、デレー
> ケによって築堤された日本で最初の石積み砂防堰堤である
> 「デレーケ堰堤」約50基近くが残っており、100年を
> 経過した現在いまもなおその機能を発揮しています。
とにある「日本で最初の石積み砂防堰堤」ということですが、この現地説明会でお話しして頂いた学芸員の方の見解によりますと、太閤堤跡にある
「石出し」
「ケレップ」
は極めて構造が似ており、「日本で最初の石積み砂防堰堤」するのは違う可能性があるのでは?との指摘がなされていました。むしろ「日本で最初の石積み砂防堰堤」は太閤堤跡の石出しの可能性があるのでは?とのことです。
にゃんとーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
明治政府が当時最先端の護岸技術を持っていたと思われていたヨハネス・デレーケ氏は、それよりはるか以前の豊臣秀吉さんの護岸技術は同レベルというのは、びっくりやと思いませんか?
しかもー、宇治川と淀川は繋がっています。
ヨハネス・デレーケ氏と豊臣秀吉は、同じ川で、同じ護岸技術を使用していたのはめっちゃ驚きです。しかも豊臣秀吉はこのような明治時代以前の外国人技師しか持っていない技術を、桃山時代に最新鋭の護岸技術を持っていたのかも不明です。
ケレップ発見で史跡宇治川太閤堤跡の石出し構造も更に注目されていくのではと思います。
では、では。http://www.city.uji.kyoto.jp/0000010608.html
ブレイズマンさん、
面白い話をありがとうございます。
ケレップでググったら、いろんなパッキンが出てきました(^^;
「水制」っていうんですねえ。
日本で最初の石積み砂防堰堤のお話は大変興味深かったです。
ありがとうございました。
昨日ですが「史跡宇治川太閤堤跡」の現地説明会に参加してきました。
この城は、いやいや、城ちゃう、この太閤堤は、その存在は2007年の発掘調査ですでに発見されており、細かな調査はすでにこの時に終了しており、今回新たに重大な発見があったという事ではありません。
しかし、この遺跡は地下保存が決定しておりますが、なんとこの宇治川太閤堤と、同規模のコピーを、かなりのディテールで構築、それを地上面で展示するという構想をお持ちになっているようで、その採寸が今回の主な目的で、再発掘となりました。
宇治川太閤堤の主な目的は、宇治川が直接巨椋池に流水を変更し、伏見城近くにある船溜まりから、淀城、そして大坂城へ水量を増やし、巨船が行き来できるために作られました。
いろいろと質問しまくりで面白い話をいっぱい聞けたのですが、そのうちの大変気になった2つの話を記載しておきます。
今回発掘のメイン遺構は「石出し」という構造物です。
この石出しは、水の勢いを緩めるという事と、砂を洗い落とす機能があるそうです。
で、この石出しには、な、なんと石垣があります。U字型の一番外側が
・石垣
・裏込め
・詰め石
と三層構造になっています。石垣の石は△をしています。これは城郭構造の石垣と同じ、聚楽第の石垣は栗石でしたが、それが詰め石になっただけで、構造的には同じです。
戦闘施設であった安土・桃山時代の石垣が、こんな場所にも役立っているとは、まー驚きですね。で、どーやら、この工法は効果があったとのことです。
勿論月日が過ぎるにつけ、幾度の改修が見受けられるとのことです。
最終的にこの石出し部分を含め、太閤堤は砂の中に埋没したとのことです。
続きがあります。http://www.city.uji.kyoto.jp/0000010608.html
ブレイズマンさん、こんにちは。
詳しく紹介くださり、感謝感謝です。
そうなんですよね。
忘れてました。
行かねば・・・・!
遠征続きですっかり予定を立ててませんでした。
ありがとうございます〜
> 一般的な行程(登城口から小姓丸までの見学)であれば、
> ゆっくり見学しても2時間もかからないと思います。
なるほど、
> また、特に北側の2本の尾根筋は冒頭にきちんとした道が
> ないのでちょっと時間を食います。
というのは、次回にするとして今回は下見も含めて基本コースだけにしておきたいと思います。
お城さんマークにある縄張り図は、石垣があるものの縄張り自体は、単純な構造ですよね。それでも2時間はかかるという事は、ある程度覚悟しておかないと。
> 本体から給電できるコネクタ接続型のものも検討したので
> すが、装着による出っ張りを避けたかったの
> と、"FieldAccess"で動作確認がなされているのが決め手
> でした。手首に巻いたりポケットに入れたりする分には邪
> 魔になりませんよ。
あのーーー、これ日本語ではないですよね。
> ですから、動物虐待はやめてくださひ(大泣)
だって米軍スパイ事件ですからね。高取城の破壊だけはおやめください。
> 『戦国・織豊期城郭論 丹波国八上城遺跡群に関する総合
> 研究』(和泉書院)掲載のものが広範囲に載っていてお奨
> めです。
おーーーーまじですか。私の一番知りたい情報提供有難うございます。早速取り寄せます。
続きがあります。
#連投稿ご容赦ください m(_ _)m
ブレイズマンさん>
周山城の全域を見学するのであれば、以前([2229])ご紹介した『戦国・織豊期
城郭論 丹波国八上城遺跡群に関する総合研究』(和泉書院)掲載のものが
広範囲に載っていてお奨めです。
では、失礼いたします。
みんぴかさん>
火薬櫓台の石垣が狭い部分を歩く時は特に気をつけてください。一部の石がぐら
ぐらしています。
ブレイズマンさん>
> 周山城ってまだ行ったことのない城ですのが、見て回ると3時間程度はかかり
> ますかね?
一般的な行程(登城口から小姓丸までの見学)であれば、ゆっくり見学しても
2時間もかからないと思います。左下の道の延長上にあるこちょこちょ動き回っ
ている感じの部分が堀切で、普通はそこかもう一つ右側のこちょこちょした
あたりで引き返すと思います。
初回で全域を満遍なく見学するのであれば、4時間越えを見込んでおいた方が
無難です。私のログでも東出丸と馬場は含まれていません。また、特に北側の
2本の尾根筋は冒頭にきちんとした道がないのでちょっと時間を食います。
> このリストバンドはGPSアンテナなんですか?
そうです。購入したiPad miniはきちんとしたGPS機能がないWi-Fiモデルなので
"FieldAccess HD"や"Map Fan"などがきちんと使えるように入手しました。
> なんでこんな大きなGPSアンテナが必要なのですか?
本体から給電できるコネクタ接続型のものも検討したのですが、装着による
出っ張りを避けたかったのと、"FieldAccess"で動作確認がなされているのが
決め手でした。手首に巻いたりポケットに入れたりする分には邪魔になりま
せんよ。
> そりゃー城ファンとしては、石投げますよ。
ですから、動物虐待はやめてくださひ(大泣)
> なるほど、木橋がかかっていた可能性があるわけですね。
木橋は架かっていたようです。『大和高取城』(城郭談話会)に記載があり
ます。弥勒堀切には部材も残っています。ただ、弥勒堀切は近年に改変を
受けている可能性もあるとのことです。改変されたとなると、部材も近年の
ものかも、という考察もありました。
> 敵にとっても魅力的なエサが必要です。
あ、なるほど。
それと、『のぼうの城』も面白そうですね。私も時間を作って観に行きたいと
思います。
では、失礼いたします。>火薬櫓台の石垣が狭い部分を歩く時は
ぇえー!歩かないでしょうに(^^;;
危ないというか破壊にもなりますしね。
取り急ぎ...
> みんぴかさん
火薬櫓台はお城さんマークにリンクした高取町観光ガイド掲載の
「高取城址郭図」(pdf)で示しますと、右下隅のとんがった
ところにあります。壺坂口中門で大手方向の逆にある藪に突っ
込みます。侍屋敷下あたりは足元が少々悪いので気をつけて
ください。
侍屋敷の方に行くと二の丸の見事な石垣もついでに拝めますので、
折角藪に突っ込むのならご覧になることをお奨めします。
では、失礼いたします。http://sightseeing.takatori.info/img/walkmap/no6.pdf
ポリタンクさん、こんにちは。
高取城のフォローをしてくださっているな、と思っていたら
同じところを見ていたんですね(^^;
無駄に書き込んでしまいました。
失礼しました。
お久しぶりです
龍王山城リベンジ成功です
集落に、路駐して北城・南城ともに見てまいりました
最近は、滋賀県甲賀へ行ってます
新宮・新宮支城、寺前城・村雨城、望月城・望月支城・・・
今月中に、和田氏城へ行く予定です
そうそう、近々紅葉を見に大和高取城へ行きます
で、質問!
火薬櫓台ってどこにあるのですか?
ヒントでもいいですので教えて下さい
お願いしますみんぴかさん、こんにちは。
山城歩きにはいい季節ですから、あちこち行かれてるのですね。
龍王山城は見ごたえあったでしょう。
高取城の紅葉も美しいでしょうね。
ちょっとうらやましいです。
火薬櫓台についてはポリタンクさんもフォローくださっていますが、
高取町観光ガイドさんのページ
http://sightseeing.takatori.info/sightseeingspot/siroato_figure.html
十三間多聞の右下の端あたりがそうです。
少し藪ってますが、お気をつけていってきてくださいませ。
ではでは。
今年の4月に敗退した岡山市北区御津鹿瀬の「備前・鹿瀬城」リベンジ。
国道53号線から鹿瀬集落を通り、最近車の通った様子の無い林道を進み、Y字型の交差点を北側の尾根に登る。
間もなく駐車場のある四差路に駐車。
放置作業道を東北方向へ歩く。
約100mでイノシシのヌタ場。
この先に左へ降る刈り払い道。
多分、地籍調査路かな。
ここをやり過ごしてヘアピンカーブから左へ降る。
赤テープ設置。
春に持ってこなかったGPSの威力。
踏み跡を発見。
選定挟みで道を作りながら北へ降ると尾根。
先ほどの地籍調査路の続きらしき道に出る。
ここからヤブが無くなり、比高20mのピーク。
地籍調査路に従い進む。
両側が土橋の横堀、真ん中に橋脚の土塁のある堀切セット。
約70m進むと土橋と両側がハの字の竪掘。
小郭が三段。
大堀切。
切岸は約8m位。
はい登ると二の郭。
堀切。
主郭と次第に登っていく。
先端の一段低い郭は薮で入らず。
主郭に赤テープ設置。
全長約200m程度。
旭川が良く見える。
三方は断崖のようだ。
駐車場に戻り「おかやま全県統合型GIS」にある保木城を探索。
林道を通って254.4mピークから北に入り、230m辺りまで進むも見当たらず。
戻って三角点から西の尾根を進み作業道出会い。
尾根を歩いて更に西に進み江尻から上がってきた林道付近まで進むも見当たらず。
保木城はガセネタか?
小雨が降ってきて退却。やぶくぐりさん、こんにちは。
鹿瀬城は見ごたえありそうですね。
駐車場まであるのは非常にありがたいです。
私もやぶくぐりさんの書き込みを拝見していて、
剪定鋏が欲しくなってきました。
少し前に大廻り小廻り城の藪漕ぎしたときも難儀しましたし。
保木城は残念だったみたいですが、それも現地に行かないとわからない貴重な情報です。
いつもありがとうございます。
いやーーーん、「竹田城跡 マナー守って」朝日新聞の記事見ましたよ。
ここに書かれている内容は100%賛成ですが、私が気になったのは、テントの話ではなく、城郭専門家さんの影響力の大きさ、天下の朝日新聞も動かすメッセージ力の大きさです。
これって、城郭専門家さんツイッターが、記事の引用元ですよね。城郭専門家さんツイッターで何気なくつぶやいた内容が、天下の朝日新聞も動かす事になるなんて、びっくり仰天状態です。
城郭専門家さんなーんて、ちょっとふざけて言っておりましたが、今後は城郭専門家さまーーー、と崇め奉る必要がありますよね。
> うどん県やおんせん県にならって、我が兵庫県はと考えて
> みるとやっぱり「お城県」で決まりかな。
いやーーー、いいんとちゃいますか?
「お城県」決定!
城郭専門家さま、「お城県決定!」とつぶやいてください。城郭専門家さまのメッセージ力ならば夢ではないですよ。ってすでにつぶやいているか。
では、では。http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000001211100009
ブレイズマンさん、こんにちは。
お城県の本岡です。
2〜3年ぶりかまともな竹田城の雲海でした。
でもものすごい混雑ぶりでとても信じれらませんでしたよ。
有名な神社に初もうでに来ているのかといった感覚です。
それだけ衝撃的な出来事だったので朝日新聞さんも
とりあげてくださったのでしょうねぇ。
> 実際は駅が起点&終点なので14kmほどの行程です。足のガ
> タがきてからの終盤の舗装路はきつかったです...
大変でしたね。確かに下りの舗装は足にきます。ご苦労様でした。
> 山城での10km台は周山城でも経験しています
周山城ってまだ行ったことのない城ですのが、見て回ると3時間程度はかかりますかね?行ってみたい城ではあるのですが・・・
>> 貴方はいったい何がしたいんですか?
>
>「変身」ということにしておきます(爆)
>
>> こんなリストバンドをつけ、大型のカメラ持っている人
>> を山城で見かけたら石投げつけると思いますよ。
>
> 動物虐待はやめてくださひ(泣)
このリストバンドはGPSアンテナなんですか?なんでこんな大きなGPSアンテナが必要なのですか?頭にはヘッドフォンマイクを装備しているとちゃいますか?で、大型のカメラ。
なんすか、アメリカ軍のスパイで、精密誘導爆撃でもなさるんですか?高取城を破壊する?
そりゃー城ファンとしては、石投げますよ。
> 越智氏の頃にあった堀切に木橋を架ける際、角度が浅くて
> 橋の長さが無駄に増えるのを防ぐ目的を兼ねているのかな
> と妄想しています。第一の目的は橋の両端の土台をしっか
> りさせるためかとは思いますけど。
なるほど、木橋がかかっていた可能性があるわけですね。
石垣と言えば大変高価のなものですが、この時代になってくると石垣の築城技術も簡易になり、木橋を支える土台程度でも石垣を作るというのも可能性としてはありですかね。
> しかし、管理人様をエサにしたらあかんでしょ(爆)
敵にとっても魅力的なエサが必要です。
藤原紀香さんや杏さんでもいいのですが、そこは城郭専門家さんが一番いいと思います。
> 今はGPSユニットやらの周辺機器だけが揃いつつある状態
> です。
たがら何をなさるのですか?城の爆破だけはやめてください。
あっそーそー、のぼうの城観てきました。なかなか面白かったですよ。忍城も近世城郭ではなく、中世の城として丁寧に描かれた印象があります。[BALLAD 名もなき恋のうた]でも思いましたが、戦国の城が丁寧に描かれている印象があり、この辺は城マニアが増えてきているので、丁寧な時代考証が必要なのかなという印象があります。
見た人はわかると思うのですが、佐藤さん演じる正木利英が城外に出て、2人連携による馬上撃ちを行います。見どころのシーンですが、移動兵器に不向きな火縄銃を城外でしかも馬上から撃つというのはどーかなー?と思います。
あんな撃ち方って実際あるのでしょうかね?
では、では。
Re: 高取城トークショー & Re: 館山城
高取城ツアーの往路は伝火薬櫓付近から本丸までで4.4km、1時間半でした。実際は
駅が起点&終点なので14kmほどの行程です。足のガタがきてからの終盤の舗装路は
きつかったです...
> 再訪の移動距離10.3kmってすごないですか。山の中走りまわっていのですか?
いえ、まったり歩いてましたよ(笑)
高取城は先日の再訪で5回目くらいなので、思い切って石造りの堀切制覇を目指して
みました。
火薬櫓台方面に足を運ぶと二の丸の見事な石垣も拝めますので、薮につっこむ価値は
十分にあります。ただ、足元には十分気をつけてください m(_ _)m
山城での10km台は周山城でも経験しています(お城さんマークにリンク)が、心地
よい疲労感があっていいですね。全ての訪城先でそんなをことしてたら体が持ちま
せんけど(大汗)
> 貴方はいったい何がしたいんですか?
「変身」ということにしておきます(爆)
> こんなリストバンドをつけ、大型のカメラ持っている人を山城で見かけたら石投げ
> つけると思いますよ。
動物虐待はやめてくださひ(泣)
> 弥勒堀切。なんで両岸を石垣にする必要があるのか?
想像ですが、越智氏の頃にあった堀切に木橋を架ける際、角度が浅くて橋の長さが
無駄に増えるのを防ぐ目的を兼ねているのかなと妄想しています。第一の目的は
橋の両端の土台をしっかりさせるためかとは思いますけど。
Twitwerでのみ紹介した画像にも感想をいただき、有り難うございます m(_ _)m
竹田城の画像ですが、運次第ですね...
今年の竹田城は管理人様が行かれた11/4が大当たりだったようで、私は良い状態の
朝霧に今年は巡り合っていません。昨日に至っては霞んでもいませんでした(泣)
ただ、晴れた遠望を拝めたのは収穫ではありました。
ご紹介いただいた館山城、面白そうですね〜。篠山界隈には未訪のお城がたくさん
ありますので、機会を見つけて寄りたいと思います。
しかし、管理人様をエサにしたらあかんでしょ(爆)
末尾になりますが、iPad miniは15日納品予定でして、届いたのは蓋(カバー)だけ
です(汗)。今はGPSユニットやらの周辺機器だけが揃いつつある状態です。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
そういや周りでも先にappleからカバーだけ届いてる
人を見ましたよ。
なんとももどかしそうですね。
私もあまりやりませんが、太閤ヶ平の陣城めぐりを
した際は10キロは軽く歩いていたと思います。
連続する堀をテンションMAXで走り回ってました。
いいお城はそうさせるんですよねぇ。
館山城の行程表がありますので、公開しておきます。
お城さんマークをご覧ください。
私の場合、移動距離が1.1kmで約1時間ですからね。
やっぱり足が遅いと思います。
では、では。
> 行程表を拝見しましたが、高低差こそ210m程度ですが、移
> 動時間は4時間20分、移動距離10.3km。
そーか、これは再訪ですね。
復路が、高低差462m、移動距離7.6km、移動距離2時間。という事は往路を合わせるとこれの倍ですね。ほんと参加しなくてよかったです。確実に死んでいました。
しかし、ポリタンクさん。再訪の移動距離10.3kmってすごないですか。山の中走りまわっていのですか?
実は皆様にご報告したい城があります。
それは兵庫県篠山市にある館山城です。ここが非常に不思議な城でした。
館山城は日本城郭大系にも記載がない城です。詳しくはお城マークにリンクを入れておきましたので、ご覧下さい。
別の館山城の縄張り図を手に入れましたが、貯水場周辺の記載しかなく、私が調べた範囲ではこの方の縄張り図が最も詳しいと思われます。
この城なにが不思議なのか?
この方のブログにも、
> 現地に至るまでは何の期待もしていなかったが、それにし
> てもこの堀切群と大土塁群は素晴らしいし凄すぎる!言葉
> を失うと言う事はこの事かもしれない。この城跡の威容を
> 言葉で説明するには少々無理があるので未訪の方は是非と
> も訪城して納得して頂くしか方法がない
とあります。ここは大土塁群は見ごたえたっぷりです。ただ、この方は「威容」と書かれていますが、私からすれば「異様」です。
この方の縄張り図を中心に話していきますが、
「北端出郭」
「郭跡」が2箇所
「山上主郭」
の計4箇所がわりと広めの曲輪であるので、おそらくここに何らかの構造物があったのではないかと思います。
で、この城の中心地は城の真ん中に書かれている「居館跡か」と書かれている部分です。ここが最も異様なのです。
この縄張り図をよく見てもらえば解りますように、居館跡に侵入するには計5本の堀切があります。堀切ではありますが、これは通路のような役割になっています。つまり城の中心部である居館に侵入し放題なんです。どんどん遊びにいらしてくださいみたいな。
本丸って城で一番大事な部分ですよね。そこが侵入し放題っておこしくないですか?虎口の工夫も全くありません。
そこで私は考えました。これはゴキブリホイホイ城ではないかと。
仮説です。
この本丸部分に、例えば我らの城郭専門家さんを配置します。またダミーの館を建てるわけですね。
敵はこの本丸を目指して、敵は侵入を開始します。そこにブレイズマンとかポリタンクなどの優秀な腹心が「北端出郭」「郭跡」が2箇所「山上主郭」の計4箇所から集中攻撃を浴びせます。
城郭専門家さんは残念ながらお亡くなりになりますが、敵は完全に撃退できるわけです。
つまり城郭専門家さんはゴキブリホイホイでいうところのエサなんですね。
そこに集まった敵を一網打尽にしてしまう戦法です。
「館山」という名前も奇妙です。なにか館に意味を持たせている感じがします。
館山城=ゴキブリホイホイ城
じゃないかなーと思う訳です。
この城の異様さは他にもあります。一番南側の堀切の先は落とし穴のような構造になっています。おそらくダミーに気づいた敵がここから脱出しようとした場合に、ここで落とし、そこに横矢をかけるみたいな感じではないかと思いました。
いかがですか?あいもかわらず突拍子もないことを考えるのが私の取り柄です。
この仮説が正しいかは解りませんが、とにかくなんか異様な城、今までの方程式にはない城ではないかと思います。
では、では。http://ktaku.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/08/23/zz1_2.jpg
ブレイズマンさん、こんにちは。
これまたマイナーなお城にいかれましたね。
手元にある館山城の縄張り図では、提示くださった
ような部分が城域として評価されていないようでした。
貯水タンクの辺りはかなり改変があるのでしょうけれど、これを作るにあたって重機がどう入ったのだろう
と思ってしまいました。
またこちら方面に行く機会があればのぞいてみたいと
思います。
私がホイホイ釣られそうですね。
それでは。
> 遅ればせながら、去る10/21開催の管理人様が関係された
> 高取城ツアーについて少々ご報告を。
ご苦労様でした。
行程表を拝見しましたが、高低差こそ210m程度ですが、移動時間は4時間20分、移動距離10.3km。勿論平地であるならば、この程度の移動は可能ですが、私はおそらく死んでいたと思います。
> Bluetooth GPSユニットは手首につけてました。 ロゴが隠
> れてますが、先日のB'z LIVE-GYMの時に買ったリストバン
> ドをかましてます(笑)
ポリタンクさん、なんですかこれは。
貴方はいったい何がしたいんですか?
私はこんなリストバンドをつけ、大型のカメラ持っている人を山城で見かけたら石投げつけると思いますよ。
これつけて、トークショーに参加したんですか?周りの反応は温かいものではなかったでしょう。
> 『サタデー・高取城・フィーバー <堀切特別編> 』
> Vol.3 - 弥勒堀切。
この写真も不思議な写真ですね。弥勒堀切。なんで両岸を石垣にする必要があるのか?高取城は一度だけ行きましたが、ここはまったく初めての写真です。
> iPad miniが到着〜!
いいすっねー、私もmini欲しいです。
> 初めての竹田城では立雲峡にも寄りました。
おーーー、なかなか素晴らしい写真が捕れていますね。
> 職場の山ガールを引率しての竹田城&有子山城が急遽日曜
> 日に。
こちらの竹田城も素晴らしいですね。
> まず始めに書いておかねばならないのは、管理人様は笑い
> をとっていましたよ(笑)ブレイズマンさん
にぁははははは、そこは城郭研究家。あまり心配はしていませんでしたよ。なんせ、トークのショーですからね。
今回は出席できませんでした。
大人数の移動で、長距離の移動、一人足が遅い奴がついて行ったら、ご迷惑になるといけませんので、遠慮しておいた方がいいかなーと思っておりました。
また別件もありましたので。
続きがあります。ブレイズマンさん、こんにちは。
高取城ツアー当日は、それぞれのペースで歩いて
もらっていましたので、かなり開きが出来てしまった
行軍でしたよ。
横から攻撃されたら即撤退だったことでしょう(笑)
また何か機会がありましたらご参加を検討してくださいませ。
連投稿ご容赦ください m(_ _)m
高取城ツアーに参加して大手筋からの登城や火薬櫓台の見学を果たし、「残るは
岡口門の方面かなあ」と思っていたところに、iPad mini用に発注していたBlue-
tooth GPSユニットは届いたので、挙動確認を兼ねて先週末に高取城にまたもや
行きました(笑)
ログをお城さんマークにリンクしておきますが、岡口門方面の郭は資料を忘れた
ためにまじまじと観察できておりません。生えている竹に「立入禁止」と書いて
ある郭もあって、踏み入らずにスルーしたりもしました。ガッツリ見学するので
あれば、予め許可をとった方がよいと思います。(って、連絡先はどこ?)
岡口門の堀切以外にも弥勒堀切方面や火薬櫓台への再訪もしましたので、画像を
ご紹介しておきます。なお、一部を除いて、画像には大きさ比較用として『サタ
デー・ナイト・フィーバー』でのJohn Travoltaさんを意識した(?)私が背面
ながらも写り込んでいます(大汗)
・岡口門の堀切 -> p.twipple.jp/eqBeN(接頭辞省略)
・赤土郭へ向かう途中にある堀切の城内側 -> p.twipple.jp/IxJo4(同上)
・弥勒堀切 -> p.twipple.jp/lNKWn(同上)
・赤土郭 -> p.twipple.jp/HBh4h(同上)
・火薬櫓台 -> p.twipple.jp/poshY(同上)
高取城についてはこれで一通り見た感じですが、前述も含めた登城道途中の郭
とかできちんと見たい場所もあったりして、まだ卒業できそうにありません...
実は吉野口郭先端の堀切も見てみたいのですが、あそこに一人で飛び込む勇気が
なかなか出ない、ヘタレな私です(大汗)
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
再び高取城を訪れられたんですね!
そのフットワークには驚きです。
しかも先日訪れることができなかった場所にもいかれていて
ちょっと悔しいですが。
新兵器も導入されてますます今後の城攻めが楽しく
なりそうですね。
またご一緒する機会があればご披露ください。
それでは。
ご無沙汰しております m(_ _)m
遅ればせながら、去る10/21開催の管理人様が関係された高取城ツアーについて
少々ご報告を。
まず始めに書いておかねばならないのは、管理人様は笑いをとっていましたよ
(笑)> ブレイズマンさん
大手筋からの登城は初めてでしたので私は新鮮でした。少々微笑ましかった
のは、伝火薬櫓に食いついた参加者とそうでない参加者のペースが明らかに
違ったことです。前者の方があちこちでキョロキョロする分だけ遅かった
です(笑)
高取城そのものの概説は私が書くのも何ですので省略しますが、管理人様の
説明は転用石やら刻印への言及もありましたので、所在をきちんと覚えてい
なかった私には有意義でした。昼食休憩中に火薬櫓台に行かれた管理人様に
唆されて、帰路でちょっと無理をお願いして数名で薮に突っ込んだりという
おまけも、また楽し。
なお、帰路は主催者側の趣向かと思いますが、五百羅漢と壺阪寺を経由して
います(お城さんマークにログをリンク)。個人的には、岡口門経由で下って
子島寺に向かうとお城好き的にはよいかなと思ったりもしましたが、恐らく
自分でルート設定したら歩かないところで、且つ今までちょっと気になり
ながらもスルーしていた五百羅漢を拝めたのは収穫ではありました。
では、ひとまず(?)失礼いたします。ポリタンクさん、ご無沙汰(な気がしませんが)してます。
高取城ではお世話になりました。
おかげで朝駆けの1城も出来、ラッキーでした。
高取城の登城ではペースが合わなかったのか、いつしか
先頭になってしまいました。
そのまま突っ走って、岡口門のほうへ行ってから山頂に
行きましたが、汗だくでした(笑)。
トークのことはさておき、楽しい一日でした。
今の時期は紅葉を楽しみにして訪れる方も多いことでしょうね。
C級グルメもどれか1つくらいはB級でもりあがれる
ようになればいいと思います。
あれだけの人数を引き連れてのツアーはほんとに大変
なんだなということがよくわかりました。
一人、二人ではとても難しいですね。
お疲れ様でした。
お伴で黄葉真っ盛りの三瓶山登山のついでに観光を兼ねて石見銀山「山吹城」。
「大森代官所」の門前にて記念撮影。
大森の街をぶらぶらショッピングしながら「山吹城」へ。
途中に点々と間歩(坑道)。
清水寺付近の要害山登山口から登り付く。
鞍部の「草ケ城」、「上草ケ城」への分岐の堀切。
ここから尾根筋のコンクリート階段を西へ。
延々と続く細尾根の急登。
縄張図のとおりの主郭西の山上横堀。
西の畆状竪掘から龍源寺間歩への下り道。
木の階段が滑る。
堀切・竪掘セット。
郭群。
龍源寺間歩から遊歩道を下って左手の仙山陣城群を妄想しながら駐車場まで計11Kmウォーク。
やぶくぐりさん、こんばんは。
山吹城へは再訪だったのでしょうね。
私はまだそちらには行っていませんので、ぜひとも
訪れたいと思います。
それでも11キロの行程はなかなかできませんので
できるだけ短時間で攻略&観光できるようにしたいです。
鏡野町(旧奥津町)石原の「天狗山城」は奥津湖周辺の諸城で最後のターゲット。
国道179号線の富分岐より約300m南の道路東側の路側帯に駐車。
郭が三か所ある縄張図、選定挟み、赤テープを持参。
有棘鉄線の間のチェーンを跨いで登り付く。
民家屋敷跡の二段の平地。上への道跡。
ここから選定挟み大活躍。
すぐに直登となり、樹木の少なそうな左にトラバース。
テープ点々と設置。
三の郭と二の郭の間の鞍部に出る。
三の郭は激笹ヤブ、
二の郭に廻って西側に縄張図にない帯曲輪。
二の郭を少々刈る。
二の郭から主郭への鞍部はイノシシ一家のマイホーム。
主郭も少々刈って休憩。
雨が降り出して適当に藪漕ぎしながら北側に降りてみる。
谷に竪土塁、竪石塁。これは土砂流出防止の構造物のようだ。
石原の林道始点付近にのカーブに降り立つ。
送電鉄塔への山道がある。
これを利用すればもっと楽だったかな。やぶくぐりさん、こんにちは。
着実に攻略されていってますね。
激笹ヤブにイノシシ一家のマイホームはなかなかの
堅牢ぶりを誇る城跡みたいですね。
苦労して主郭に到達後、こっちのルートのほうが
良かったのかというパターンは私もよくあります。
あれは上がってみないとわかりませんからねえ。
お疲れ様でした。
放生津城跡の近くに住む者です。こちらのページを拝見させていただきました。
www.siromegu.com/castle/toyama/houjouzu/houjouzu.htm
>グラウンドを取り囲むようにして存在している土塁跡のような土盛りはかなり存在感をもっています。
>でも日本城郭体系だと『遺構は残さない』と書いてありますし、一体何なのでしょうか。
この土盛りに関してですが、平成元年頃まで現在グラウンドの場所に放生津小学校は建っていました。
その校舎も老朽化してきたため、現在の場所に新しい校舎を建てました。
そして、古い校舎を壊し、その場所をグラウンドとしました。
しかし、古い校舎の下になってた土(というか砂)は運動には適しませんでした。
そのため、グラウンドの砂の表面をグラウンド外に寄せ集め、新しい土を敷き、新グラウンドとしました。
つまり、グラウンドを取り囲む土塁跡のようなものは余った砂の山というわけです!
ややこしいものを作ったものです(^^;どこかのサイトでも土塁跡と紹介されてました…。
でも、冬になるとソリ遊び場として小学生に人気です。荒屋鉱泉さん、はじめまして。
管理人の本岡と申します。
貴重な情報ありがとうございます。
やはりあの土盛りはお城のものではなかったのですね。
詳細な情報に感謝いたします。
土塁は時間が経つと見分けがつかなくなることがあるので
困りものなんですよね。
本日の鳥取ローカル紙の一面下の海潮音というコラムに
鳥取市国府町高岡の土塁に関する記事が出ていました。
2年以上前にも一度記事になっていました。認知していませんでした。
www.47news.jp/localnews/hotnews/2010/04/post-20100409111240.html
土塁マニアの方で興味がある方は一度訪問されては
拙現地確認していません、高岡は牛の市が江戸半ばまで立ち
大変にぎわった場所と認識しています。
牛に関連した施設の跡ではないかと記事を読んで推測しましたし。幸田屋さん、こんにちは。
新しい情報ありがとうございます。
まったく聞いたことないものでしたので、また鳥取に
行った際に地元の方にでも情報を聞いてみたいと思います。
ところで、桂見の土塁なのですが東側からのアプローチ
だとものすごい藪で踏み込ませんでした。
やはり近づくには「とっとりであいの森」の中の
遊歩道を北上するしかないのでしょうか。
1度1時間ほど歩きましたが、その時は図面がなくて
城域がわからずただうろうろするだけでした(^^;
また冬場に挑戦したいと思います。
18日に神戸に所用で訪城計画。
明石駅から「播磨・船上城」へタクシー。
住宅地の蔭に天守台が残るも怪しい人物と見られ早々に退散。
「明石城」までそのままタクシーを回して登城。
菊花展。
西端から本丸へ。
塁が廻っている。
櫓から東に進み二の丸、空掘。
ぐるっと廻るとけっこうキツイ。
JRに飛び乗って長田の鉄人28号。
電車の窓から花隈城の公園を眺めて三宮泊。
19日は7:30摩耶ケーブル駅西二筋から上野道を登る。
展望台を2つ過ぎると小郭らしき所三か所。
ゼイゼイ言いながらロープウエイへの乗り継ぎ場。
左手の尾根は「摩耶山城」の東郭。
堀切を過ぎて上野道から西へ尾根筋を進む。
500m峰が主郭らしい。
主郭の西に大きな竪掘二条。
郭、尾根の北側に連続竪掘。
土橋、堀切セット。
更に進むと郭、土橋、郭と続く。
縄張図の範囲より城域がかなり西に延びている。
分岐まで戻って上野道。
主郭の北下の大切岸から土橋、堀切で「摩耶山城」は終わっている。
ここから廃寺になるが、ここも城になっている。
廃寺の後ろは石橋。
奥の院を通って展望台。ここまで2時間。
ここから六甲全山縦走路に入って東に約4KM縦走するもギブアップ。
バスに乗って有馬へのケーブル駅。ほんの少し黄葉。
有馬温泉では愛宕山を越えて「太閤湯殿館」の太閤さんが入った風呂を見学。
残念ながら織豊系土塁囲みは消滅(当たり前か)。
有馬グランドホテル裏から「落葉山城」。
舗装道を登って石段。
ここもけっこうキツイ。
郭段々。土塁。
山頂に妙見さん。縄張図と照合。
下って、土橋、郭、片堀切〜竪堀。
登って西北の出城。
今日一日蜘蛛の巣に引っかからない。
六甲山系は通行人が多くて蜘蛛も巣を作る時間がないらしい。
山を駆け下りて大阪へのバスに飛び乗る。
やぶくぐりさん、こんにちは。
播磨に来られてたのですね。
摩耶山城を選択されたのは渋いです。
私もこの夏に訪れましたが、摩耶ケーブル駅「虹の駅」
からのスタートでした。
とても下から登るのはできませんでしたが、今の季節なら
藪もあまりなかったのでしょうか。
確かに西側に残る遺構は見ごたえがありましたね。
あの暑い日が思い出されました。
愛知県つながりで研究会の情報です。
愛知中世城郭研究会例会
日時 2012年10月28日(日) 午後2時
場所 岡崎市羽根東民館 JR岡崎駅北500m
内容
「中近世城館における神事について‐地鎮・勧請・遷宮」中川貴皓
「西条城・丸山御所・西町古城について」石川浩治
会費 500円
※会員外の方の参加も歓迎します。のぶながさん、はじめまして。
管理人の本岡と申します。
書き込みありがとうございます。
愛知中世城郭研究会さんの「愛城研報告」を
買いたくて連絡してたのですが、全然つながらない
んですよ〜。
って中の方じゃないですよね(汗)。
失礼しました。
私はちょっとそこまでは行けませんが、
お近くの方は参加なさってください。
のぶながさん、ありがとうございました。
> ブレイズマンさんもいかれてたのですね。
行かれておりました。
> 土塁の南側にたって、車の往来を見下ろしながら
> 芭蕉に一句詠んでみてもらいたいものです。
あっそーそー、車ですよね。
> しかし南側に回ってみますとすぐ目の前に名阪国道が走っ> ていることに気づかされ、再びビックリ。どうも城跡を一> 部道路建設で削ってしまったのでしょうね。
ということですが、あの名阪国道の部分は私は城外ではないかなー、という印象がありました。一部削ったかな?
> 近隣のお城が藪で一歩も踏み込めなかったことを考えると
> ほんとにお奨めです。
ちなみに一歩も踏み込めなかった城とはどこだったのですか?
> 一句詠みたいところですよ。
よ!城郭研究家!一句よろしくお願いします。
> あそこ、城内に住んでおられる方がいらっしゃいますね。
> びっくりしました。
えーーー。いやー全く気づきませんでした。建物があるのは知っていましたが管理棟かな?程度にしか思いませんでした。
> 芭蕉公園として整備がされています
とあるように一応公園ですよね。駐車場もあり市指定史跡でもありますよね。ただ、伊賀国の城は今でもお城にお住まいの方多いの事実です。
> でもはっきりと文字が確認できますね。
> 追いかけられた甲斐がありますね。
にひ、私も城郭研究家二世と呼んでもいいですかね。
ただ、
「雑賀という記載があったんですよ」
と聞いた時には、本当に固まりました。織田信長を狙撃した人物が、清州城の作事になんで?という具合に。衝撃でした。
この石垣を発見された方は、その後TVに出演したり、新聞に掲載されたり引っ張りだこだったそうです。愛知周辺のローカルだったのかもしれませんが。全国の講演にも出かけられそうです。
ただ、ネットで検索しても、清州城の復元石垣はありますが、雑賀孫一との関係を示したことはそれほどは出てきません。
> ところでこれはどこに行けば拝めるのでしょうか?
> もしよろしければ教えてください。
実はこの石は展示をお考えになっているそうで、それからでも、という事であえて名前は書いておりませんでした。
ただ、すでに公になっていることで、折角の城郭研究家様のご質問ですので、
愛知県埋蔵文化センター
となっています。お城さんマークにリンク先を入れておきます。
私がお伺いした時は、ブルーシートにかぶっていたと思われましたが、外していただいて拝見させて頂きました。
400年前で水につかった状態ですが、よく消えずに残っていたんですね。
今でも愛知県埋蔵文化センターで保管されているかは解りません。貴重な石でそろそろ展示の準備段階に入ったかもしれません。
ご報告だけしておきます。
では、では。ブレイズマンさん、こんにちは。
>ちなみに一歩も踏み込めなかった城とはどこだったのですか?
北村氏館です。
ものすごい竹藪であれはどうしようもなかったですね。
雑賀の追加情報ありがとうございます。
写真を公開されていたので、てっきりオープンになってる
のかなと思っておりました。
ほんとラッキーでしたねぇ〜。
> 埋め戻されいないうち、明日にでも行ってみよかなー
一応行ってきました。しかし、見学不可でした。
本日はすでに発掘作業は再開され、非常に危険な状態なので立ち入りは禁止されています。ちょうどお城さんマークの記事に写っております学芸員さんに怒られてしまいました。
昨日配布した資料だけは頂くことができました。
石垣はまったく見ることは出来ませんでした。折角行ったんですが、残念です。見学期間がもう一日あればよかったのですが。昨日は合計900名の見学者があったそうです。やっぱり、人気ですね。
> 見てきましたよ〜。お城さんマークに画像をリンクしてお
> きます。発掘調査そのものはもうしばらく10月21日まで
> (予定)しているようですが、現場は高い壁で仕切られて
> います。明日行かれても普段の見学はできない可能性が高
> いので、念のために京都府埋蔵文化財調査研究センターに
> 問い合わせて見てください。
いやーーいいですねー。
この書き込みは今見たばかりですが、確かに京都府埋蔵文化財調査研究センターに先に問い合わせてもよかったのですが、おっしゃるように閉鎖予定日まで日が無く、私のような城郭研究家でもない人が「見せてくリー」とお願いしても、門前払いだと思いますので、行ってみるだけでもと思っていました。こんな時に肩書きがあるいいですよねー。
ポリタンクさんの写真および朝日新聞の写真は、非常石垣の特徴を良く捉えれられていると思います。
印象としては、「野面積み」であるもの、栗石が丁寧に敷き詰められ、石も、くさび型、いわゆる三角形に加工してから積まれる印象があります。一方清洲城などである「梯子胴木」はなく地盤が固く必要なかったのか、清洲城の「野面積み」とも少し違う印象はありますね。
清州城の修築が1586年
聚楽第が1587年
年代的にほぼ同時期ですね。
今回、発見された石垣は二段程度だったようですが、資料の「断面模式図」にはもう少し高い石垣を想定されているようです。下にはもう一段の石垣があり、見た目六、七段程度の石垣があったのではないでしょうか。上部三段、四段の石垣は別城の部材として使用されたのでしょうかね。
また、「断面模式図」には、更にもう一段下の「堀の下端(想定)」と書かれています。今回の石垣発見は深さ4m部分に石垣の下辺が見つかり、また更に差の下には「堀の下端」、また石垣上部には土塀と、土塀上部から堀の下端まで考えるとかなり深い堀であった可能性はありますね。
また、資料には広島城本丸との比較がありますね。これを単純比較すると、ここから西側には南二の丸と繋ぐ土橋が、東側にはこの土橋に横矢をかけるための櫓台があるかも、ということなでしょうね?
資料や貴重な写真で大まかには理解できますが、やっばり実感できないのは、残念、無念、冷やそうめんです。
利神城に関して、情報有難うございます。
そーいえばそんな話していたのを今思い出しました。
こちらに関しては、後日書きます。
開田城もいってきやした。
では、では。http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201210050020.html
ブレイズマンさん>
利神城への訪城については、「[1945] 利神城」と「[1961] 利神城リターンズ」を
ご覧くださいませ。前者が北ルート、後者が南ルートです。この時には特に触れて
いませんが、警告看板は存在しました。
ここ数年登っていませんので情報が古いですが、経験則をば。
北ルートは絶対にお奨めしません。行くならせめて南ルートにしてください。
南ルートの説明用としてお城さんマークに遠望画像をアップしておきます。画像中央
付近のガードから進入しますが、ここには鹿対策の扉があります。通過後はきっちり
締めてください。ガードを通過して直ぐに右に曲がり、山腹の看板付近で道なりに
方角を変えて登ります。最後の三の丸への進入は設置された虎ロープ頼みです。
参考になるかはわかりませんが、現場の画像もご紹介しておきます。
(以後のURLは掲示板の仕様上全て接頭辞を省略します。)
・三の丸から天守丸を望む(途中の崩落箇所がわかります)-> p.twipple.jp/zKVEF
・二の丸から三の丸を望む(崩落箇所の斜角がわかります)-> p.twipple.jp/GrHZA
聚楽第の現場を見れなかったときのために、石垣部分の拡大撮影分と堀部分から出土
した金箔瓦の画像をご紹介しておきます。石垣は栗石の詰まりっぷりに注目してくだ
さいませ。
・石垣部分 -> p.twipple.jp/ulfeY
・金箔瓦 -> p.twipple.jp/KI7TC
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
聚楽第の現説はかなりの人出でにぎわっていたみたいですね。
行きたかったなぁ〜(^^;
取り急ぎ...
ブレイズマンさん>
> 利神城は石垣の崩壊の恐れありで、今は見学不可なんですか?
以前からです。登城ルートは2つありますが、両方ともに警告看板があります。
看板は「登城して怪我しても責任はもたない」という行政側の意思表示かと。
>> 聚楽第の本丸石垣発見=秀吉が造営、破壊―京都(時事通> 信)
>
> おーーーーまたしても、一日後に気づく城郭研究家さま発掘ニュース。
> しかし、聚楽第の本丸石垣というのはめったに見れるものではないですので、
> 埋め戻されいないうち、明日にでも行ってみよかなー。シートが被っていま
> せんように。
見てきましたよ〜。お城さんマークに画像をリンクしておきます。
発掘調査そのものはもうしばらく10月21日まで(予定)しているようですが、
現場は高い壁で仕切られています。明日行かれても普段の見学はできない
可能性が高いので、念のために京都府埋蔵文化財調査研究センターに問い合わ
せて見てください。
では、失礼いたします。
> 近々いく山城の近くでクマ出没のニュースが・・!うー
> む、クマベルだけじゃダメだろうなあ。 城めグマです
> が、クマは怖いです。
熊怖いですなー。iPhoneでスピーカーMaxで音楽かけていたら熊の方でよけて頂けるかもしれませんよ。
> 今日は利神城山麓居館の発掘された石垣を見せてもらって
> きました。高さ2.8メートルの石垣、幅13メートルの> 水堀が拝めるのは今だけ! 来週13日現地説明会で実物を
> 確かめてください。
おーーーー、居館跡にも石垣があるとはすごいですねー。
ただ、利神城を調べているとショックな記事が・・・・。
利神城は石垣の崩壊の恐れありで、今は見学不可なんですか?
うっそーーーーーーーーーーーーーーーーーー、まだ行ったことない城のうちで、見に行きたい城のベスト10に入っていたのにーーー。
ショックーーーーーー。何とかして見に行ける方法、例えば年に何日かだけ開放しているとかないんですかね。
> 聚楽第の本丸石垣発見=秀吉が造営、破壊―京都(時事通> 信)
おーーーーまたしても、一日後に気づく城郭研究家さま発掘ニュース。
しかし、聚楽第の本丸石垣というのはめったに見れるものではないですので、埋め戻されいないうち、明日にでも行ってみよかなー。シートが被っていませんように。
それと前にわだいになっていた開田城にも行ってこよかなー、と思っております。
では、では。http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20121005-OYT8T00890.htm
ブレイズマンさん、こんにちは。
クマ対策はしっかり考えるか、攻略先を変えるか考えたいと思います。
利神城は、山上だけじゃなく山麓も見ごたえ十分ですよ。
池田由之の御殿屋敷があり、今でも食い違いの門が
石垣造りで残されていたり、堀跡なんかもあります。
今回は今まで露出していた遺構に続くものとなりますが
いろいろと妄想が広がるものでした。
現地説明会情報は1週間くらい前でないと公になりませんし、
なかなか都合がつけにくいですよね。
私も悔しい思いをすることが多々あります。
それでは。
書籍「美作国の山城」148ページの「美作・さんこう城」訪問。
鏡野町大町地区と岩屋地区の境にある「美作・さんこう城」訪問。
縄張図を見ると、越畑への県道脇にあり、すぐに登れそう。
大町地区と津山市横野地区との間には古道があるので、近年まで利用していたそうだ。
県道カーブ付近の路側帯に駐車。
縄張図に書き込まれている民家に挨拶。
「さんこう城」の縄張図を見せて、登城の了承を得る。
「さんこう城」の名はすぐ近くの田圃脇に祭られている「さんこう様」にちなんでいるそうだ。
尾根脇のストンガードよう壁脇から取りつくと直ぐに小郭。
細尾根の北側は連続する崖。
急斜面を登ると郭。
縄張図に書かれている土塁は見当たらず。
切岸、小ピークのある郭と土塁、堀切セット。
縄張図にある南側の山道は見当たらない。
縄張図はここまでだが、踏み跡が尾根筋を登っている。
土橋、崖(ミニ・フリークライミング)、郭、切岸、小ピークの長い郭、左手に片堀切(山道として利用)。
この片堀切道は下の針葉樹林に続く。
更に山道を登ると土橋、小郭、土橋、削平の甘い郭段々。
送電鉄塔手前に土橋。
送電鉄塔は頭の上位のススキ原になっている。
送電鉄塔番号は見当たらず。
この上にも何かありそうだが昼飯時間までに帰らないといけないので撤退とする。
やぶくぐりさん、こんにちは。
コツコツと未訪の城をしらみつぶしに攻めておられる
感じですね。
さんこう城の名前の由来は最近のものなんでしょうか?
面白いですね。
ストンガードも勉強になります。あれがそうだったのですね。
急斜面で危険そうでしたが、昼飯前の散策といった
ところですね。
お疲れ様でした。
雑賀孫一、非常に謎の多い人物で、服部半蔵同様、一人の人物名ではなく、統領名で代々受け継いだ可能性があります。
いわゆる傭兵部隊、鉄砲集団でもありました雑賀衆の統領で、石山合戦では織田信長を狙撃した事でも有名です。
織田信長を狙撃した人物が、なんで、清州城の作事に関わったのか?雑賀衆というのは穴太衆と関係あんのか?
びっくり仰天状態です。
で、ボランティアの人に質問攻めにしましたが、さすがに詳しくは知らないらしく、理解は深められずという感じでした。
モヤモヤとしていたと気持ちのままでいたのですが、その墨石が保管されているという情報をボランティアの人から聞き、このまま旅行を続けていても面白くない。電話番号を調べ、予定を変更し、墨石が保管されている博物館に行ってきました。
で、撮ってきましたのがお城さんマークにある写真です。
ね、「雑賀」という名前があるのでしょ。
これ例外にも、「鈴木」「孫一」「雑賀孫一」といういくつかの名前の墨石も発見されたそうです。判断できない墨石もあったそうです。
その後、学芸員の人に質問したり、これに関する研究論文をコピーしたりしました。
私もまだこの論文を詳しく読破できたわけではありませんので、間違っているかもしれませんが、大まかに、
1.
雑賀衆がなぜ高度な石組み築城技術を有していたかは不明、というか記述はみあたりませんでした。
この辺は、石を用意しただけで、必ずしも雑賀衆が築城したかどうかは解りません。
ただ、この時代になってくると、穴太衆だけが高度な石組み技術を有していたかに関しては、今回の件で解らなくなりましたね。以前、雑賀城にも行ってきましたが、いわゆる土の城で石組みはまったくありません。土の城の中でもシンプルな城でした。
2.
織田信長を狙撃した人物が、なんで、清州城の作事に関わったのか?
こちらに関しては、織田信雄の家臣団の中に雑賀孫一の名前があるとのことです。しかしなぜ織田信雄の家臣団に、父を狙撃した雑賀孫一が加わったかに関しては、史料の明記は無いとのことです。
ただ小牧・長久手の戦いの時に雑賀衆は、大坂、岸和田周辺でゲリラ戦法を繰り返します。
織田信雄 → 雑賀孫一 → 雑賀衆 → 関西でのゲリラ戦法
とひょっとしたら繋がっているかもしれませんね。
ただこれに激怒した豊臣秀吉は小牧・長久手の戦いが休戦すると、大規模に紀伊国への侵攻作戦を開始。根来衆、雑賀衆はこの時に全滅することになります。
まさか、あんまり期待していなかった清州城と雑賀孫一がドッキングしていたとは全く行く前は想像していませんでした。
今回の件で、単なる傭兵部隊、鉄砲の名手と思われていた雑賀孫一は、実は築城技術にも長けていた可能性すらある今回の石垣の発見は、「大興奮」な出来事でした。
では、では。http://docs.google.com/open?id=0B453rNL7UjOtMWRzVU13REloYWc
ブレイズマンさん、こんにちは。
写真でもはっきりと文字が確認できますね。
追いかけられた甲斐がありますね。
ところでこれはどこに行けば拝めるのでしょうか?
もしよろしければ教えてください。
あと、写真がOKなのも素晴らしいですねえ。
なるほど、予定外の展開でもりあがっていく様子が
よく伝わってきましたよ。
面白いですね!
お疲れ様でした〜
問題はこの石垣です。
当日は、清州城に到着してブラブラしていたら、ボランティアの方が「説明してあげましょうか?」をお声がけして頂き、「是非」という事でお城についていろいろ説明して頂きました。
正直申し上げて、城郭に関する知識は私の方が上だったと思います。ただ、歴史につきまして「おーなるほどー」本当に親切に教えて頂きました。
で、清州城の近くには、復元された石垣があります。お城さんマークに写真がありますのでご覧いただきたいと思うのですが、五条川右岸の拡張工事中に偶然発見された石垣だそうで、「梯子胴木(はしごどうぎ)」と呼ばれる石垣止めも存在しており、「野面積み」であるものの、清須会議の後の石垣ですので、「野面積み」の中でも積み方は洗練されている印象があります。高度な積み方ですね。
そこまででしたら、やー偶然発見してよかったですね、で、すんでしました。
で、ボランティアの人が私に「墨石が発見されたんですよ」「へーーー、そーなんですか」「雑賀という記載があったんですよ」
その瞬間私は背筋が凍りました。
な、な、な、な、なですとーーーーーーーーーーーー。
一枚の写真を私に見せくれました。た、た、た、たしかに「雑賀」の名前があるじゃないですか。写真は無かったのですが、「孫一」という名前の墨石も発見されたそうです。
ぎゃーーーーーーーーーーー、卒倒しそうになりました。
続きがあります。http://www.geocities.jp/tomokane4/sub/aiti-kiyosujyou.html
いい出会いですね。
そういやそんな話を聞いたような・・とぼんやりと思い出しながら
拝見しておりました。
続きが楽しみです。
ワクワク
> 小牧城についての印象はいつか訪れた時の楽しみにしてお
> きますが
小牧城は非常にいいお城でしたが、もう少し涼しくなってから行けば良かったです。
> 名古屋城1日べったりは行っておきたいんですよね。
> いつにしようかなあ。
名古屋城も行ってきましたよー。
> お、また何か思いつかれたんですか?
> 「大興奮な事」楽しみです。
今回実は尾張国城めぐりで一番驚いたことがあります。
清洲城石垣です。
思いついたことではないのですが、清州城にも行ってきました。
ご承知のように、清州城は立派な模擬天守がありますが、実はあの場所は元々、武家屋敷があった場所で本当の天守があった場所ではありません。対岸側にあります。
織田信長時代、方形居館のような建物があったと思われますが、清須会議の後、織田信長の次男、織田信雄によって完璧な近世城郭に生まれ変わります。
当時の城は、天守を備え東西1.6km、南北2.8kmにも及ぶ巨城、惣構えの城塞都市でありました。名古屋城も見劣りするぐらいの巨城であった可能性があります。
当時の城の様子は、お城さんマークにあります[清洲城下図]をご覧下さい。今は川があったり新幹線が走ったりしていますが、濠が何重にも巡らされ、また、土塁があったり、本丸の周りには石垣があったりします。
続きがあります。
取り急ぎ...
管理人様>
> この季節って最初の予定では大天守の一部を見学可能になっていたかと
> 思いますが、どうでしたか?
うろ覚えですが、他のお客さんが立ち尽くす先の水の五門にはロープが張って
あったような気がします。内部に入れると思っていなかったので、きちんと
確認していないのですが、4時ギリギリでもないのに誘導員さんはいませんで
した。
行かれる前に確認された方がよいと思いますよ。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
まだ確認していませんが、どうも公開していなさそう
ですね。
行ける日程があれば確認したいとは思っていましたが、
なんか全然動けなくなってしまいました(-_-;
おーーーー、城郭研究家さまも福地城に行かれたのですね。
忍者の城ですね。
実は、以前「柏原城」について書きましたが、福地城も行っておりました。
> 芭蕉翁の先祖は福地氏の一族であるので、この城跡は芭蕉
> 公園と名付け句碑及び生誕碑を建て後世にとどめることに
> した。
> 『福地氏城跡案内板』より
とあり、確かに私もこの看板見ました。
ただ、現在の研究では「芭蕉翁の先祖は福地氏の一族」であるという明確な史料は無いとのことです。
ただ、「俳聖 芭蕉翁」という冊子によりますと、
「先祖は柘植郷の宗清流から出た平氏の一族で、服部松尾氏のながれが父の與左衛門と考えられる」
とあり、松尾芭蕉と父、松尾與左衛門は、服部半蔵で有名な服部氏と親戚関係の可能性があるとのことです。服部氏は福地氏とも関係が深いですので、広い意味で「芭蕉翁の先祖は福地氏の一族」は絶対にないとも言えない状態であると思えます。
ただ、これらの関係から松尾芭蕉も忍者との関係は強そうな感じはしております。
福地城は伊賀国特有の石組み井戸跡があるのが特徴です。柏原城にも石組み井戸跡がありました。
また、この城は西側に巨大土塁で囲まれた、居館跡があるのが特徴です。
この土塁を見た時、おーーーすげなーと思いかなり興奮しました。
では、では。http://www.siromegu.com/castle/mie/fukutisi/fukutisi.htm
ブレイズマンさんもいかれてたのですね。
土塁の南側にたって、車の往来を見下ろしながら
芭蕉に一句詠んでみてもらいたいものです。
あそこ、城内に住んでおられる方がいらっしゃいますね。
びっくりしました。
訪問される方はご迷惑にならないように配慮の上で
散策されることをお願いします。
以前、城郭研究家さまのツィターに、【史跡宇治川太閤堤跡】発掘調査の概要をお知らせして頂きましてありがとうございます。
ご承知かもしれませんが、私は伏見桃山城にも大変興味を持っており、勉強会にも参加させて頂きました。
> 10日(月)からは公園整備に向けて太閤堤を埋めるため、
> 実物を見ることのできる最後のチャンスになります。
という事らしいので、私も是非参加したいと思っています。
豊臣秀吉は従来になかった大規模な水攻めという新しい戦法を生み出します。その戦国の世に培われた高い土木技術が垣間見れる護岸施設となっております。
直接的な城郭とは関係ありませんが、伏見桃山城に物流を集中したいという点から、太閤堤がなぜ必要だったのか、その点に興味があります。
続きがあります。http://www.city.uji.kyoto.jp/0000010419.html
半年くらい前にも訪れましたが、今度はきっちり
発掘時の様子を確認すべく、後半の日取りで訪れる
予定です。
面白い話も聞けたらいいですね。
楽しみです。
> 西方面には行かれてないんですね。
そーなんでごじゃります。
> 市役所から北に上がる道の2つ目の分岐(三叉路)の北東
> に城内最大級のL字型横堀があったのですが、北側から見
> 下ろされたっぽい感じですね。
全然見下ろせていませんでした。
L字型横堀はまったく解りませんでした。L字型横堀構造というのは、たしか奈良県の豊田城にもありましたね。
> 山腹の横堀や山麓の土塁(断面見学つき)など、楽しい散
> 策となりました。
というのは、ほとんどみれてませんでした。やっぱり縄張り図がないとチンプンカンプンでした。
この日はぴーかん照りで、はよ涼みたいというのもありました。
> 小牧城の山上の資料館が休館だったのは残念でしたね。
小牧城の山上の資料館は夜中PM9:00までやっている夜間期間中でしたが、やっぱり休館日は休みでした。
> 観音寺山城への発想は面白く読ませていただきました。
突拍子もない発想は私の得意技ですので、可能性はありかなー、という印象です。
「平成16年度から山頂から中腹にかけて小牧山主郭地区の試掘調査を行っているが、家康軍の改修は、山麓をめぐる土塁・堀と虎口、中腹をめぐる堀と虎口に堀や土塁を築いたのみで、多くの曲輪には手が加わっていないと推定されるようになってきた。」
とのことらしいです。中腹のL字型横堀構造は徳川期の物らしいですが、全山に渡り曲輪の配置は織田期の物であると思われます。
規模は全然小さいですけどね。観音寺山城と似てません?
> 小牧城と足助城となれば、移動時間もかなりかかります
> し、1日つぶれてしまったんじゃないですか?
いやいや、小牧城に行ったのは足助城の翌日です。
実は、この日大興奮な事がありました。
> さてさて、近日、名古屋にお城を見る旅に出かけたいと思
> っております。
折角ですので、名古屋には何日かかけて城めぐりをしていました。
大興奮な事というは、実は清州城の石垣なんですよ。
明日詳しく記載します。
では、では。http://www.city.komaki.aichi.jp/bunkazai/komakiyama/002844.html
ブレイズマンさん、こんにちは。
楽しい書き込みありがとうございます。
お城でテンションがあがっている様子がよく伝わって
きて、楽しくなってきますね。
小牧城についての印象はいつか訪れた時の楽しみにしておきますが、
名古屋城1日べったりは行っておきたいんですよね。
いつにしようかなあ。
お、また何か思いつかれたんですか?
「大興奮な事」楽しみです。
ではでは。
興味深い投稿や私自身のお城巡りのネタがあるのですが、取り急ぎ昨日の成果
をば。
姫路城大天守の修理「天空の白鷺」を再訪した後、レンタサイクルで英賀城に
向かいました。位置はスマホのお城位置ゲー任せです(汗)
ある程度最短距離になるように走ったのですが、途中の公園名が「構公園」やら
「付城公園」やらで、なかなか妄想できます。後者ですと周りが用水路なので、
なおさらです。
英賀城跡公園には模擬石垣と野中口の碑、西隣の矢倉公園には山科口の碑、
南隣の英賀神社には土塁、土塁の東端には岡芝口の碑がありますが、本丸の
碑と説明板は見当たらす...。なお、土塁には土塁の碑が設置されています。
-> p.twipple.jp/Jy6su(接頭辞省略)
埒が明かないので、矢倉公園にいらっしゃった地元の方に本丸の場所を尋ねた
ところ、「散歩がてらに連れて行ったるわ!」という有り難いお言葉を頂き、
一緒に自転車で移動。途中、街道筋の説明もいただきながらの楽しい行程。
で、肝心の場所はといいますと、中浜公民館の北のT字交差点にありました!
所在地をお城さんマークにリンクしておきます。
ご案内いただいた地元の方は、ここで、「じゃあ、帰るわ〜」と颯爽と去って
行かれました。背中越しにお礼を申し上げましたが、この場をお借りして再度
お礼申し上げます m(_ _)m
その北西に英賀薬師堂があり、そこには井ノ上口の碑と土塁、英賀薬師周辺の
文化財を紹介する案内板があります。
久しぶりの自転車徘徊で少々お尻が痛くなりましたが、実りの多いものとなり
大満足です。
あ、そうそう。冒頭に書きました「天空の白鷺」ですが、屋根は別嬪さんに
なってました -> p.twipple.jp/sCJip(接頭辞省略)
壁はまだお色直し中でしたので、もう1度足を運ぶことが決定しました(笑)
では、失礼いたします。http://www.mapion.co.jp/m/34.7995663159481_134.64963984038593_10/
ポリタンクさん、こんにちは。
この季節って最初の予定では大天守の一部を見学可能
になっていたかと思いますが、どうでしたか?
あと・・英賀城はやっぱり自転車ですよね。
位置ゲーだけじゃなくリアルに城に行かれているのはさすがです(笑)。
久しぶりの山城廻り。
津山CIBI山山岳会氏の作られたCIBI山新道(勝手に命名しています。)を使って津山市滝尾の「美作・医王山城」から尾根筋を「塩屋ケ城」、「烏ケ山城」、「「760m峰砦」、「仙々城」と周回。
縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
朝7:00「医王山城」登城口の岩尾寺に駐車。
医王山城への登城路は草が生い茂り、腰位の高さになっている。
杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
ここは左手の岩場を伝ってクリア。
しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
主郭から「烏ケ山城」への道を探すも見当たらず。
先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
このまま東に降ると、霄漢氏とT氏の情報にあった伐開地に出る。
水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
この二本目の巻道を左(西の方へ)に辿ると鞍部。
鹿の鳴き声が響く。
こちらも笛を鳴らして答える。
鞍部からの登りはけっこうキツイ。
突然、雄鹿に出くわす。4〜5mと接近。笛で追い払う。
道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
「烏ケ山城」の主郭の看板前に飛び出す。
三重堀切から天狗寺山登山道。
ツリフネ草を見ながら林道を経て760m峰と天狗寺山の鞍部。
西へ戻るような形で「760m峰砦」。
ここから「仙々城」までの尾根筋はまだ刈り払い道が作られていない。
笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
「仙々城」の二重土塁。
遅い昼食。
赤飯のオムスビとフルーツのブドウ。
あっと言う間にハチの襲来。
ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
下の集落に出て舗装道を長尾寺駐車場へ。
駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
今朝方の雨のせいで、一日中レインウエアーを着ていて全身ぬれ鼠だったが大満足の一日。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回もものすごくハードな城めぐりをされているようですね。
マムシを退治されたんですか!
私も先日訪れた山城でマムシを捕まえた方にお会いして
すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
これから少しずつ山城にはいい季節になってきますね。
私もチェックしていたところをできるだけ訪れたいと思います。
久しぶりの山城廻り。
津山CIBI山山岳会氏の作られたCIBI山新道(勝手に命名しています。)を使って津山市滝尾の「美作・医王山城」から尾根筋を「塩屋ケ城」、「烏ケ山城」、「「760m峰砦」、「仙々城」と周回。
縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
朝7:00「医王山城」登城口の岩尾寺に駐車。
医王山城への登城路は草が生い茂り、腰位の高さになっている。
杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
ここは左手の岩場を伝ってクリア。
しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
主郭から「烏ケ山城」への道を探すも見当たらず。
先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
このまま東に降ると、霄漢氏とT氏の情報にあった伐開地に出る。
水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
この二本目の巻道を左(西の方へ)に辿ると鞍部。
鹿の鳴き声が響く。
こちらも笛を鳴らして答える。
鞍部からの登りはけっこうキツイ。
突然、雄鹿に出くわす。4〜5mと接近。笛で追い払う。
道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
「烏ケ山城」の主郭の看板前に飛び出す。
三重堀切から天狗寺山登山道。
ツリフネ草を見ながら林道を経て760m峰と天狗寺山の鞍部。
西へ戻るような形で「760m峰砦」。
ここから「仙々城」までの尾根筋はまだ刈り払い道が作られていない。
笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
「仙々城」の二重土塁。
遅い昼食。
赤飯のオムスビとフルーツのブドウ。
あっと言う間にハチの襲来。
ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
下の集落に出て舗装道を長尾寺駐車場へ。
駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
今朝方の雨のせいで、一日中レインウエアーを着ていて全身ぬれ鼠だったが大満足の一日。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回もものすごくハードな城めぐりをされているようですね。
マムシを退治されたんですか!
私も先日訪れた山城でマムシを捕まえた方にお会いして
すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
これから少しずつ山城にはいい季節になってきますね。
私もチェックしていたところをできるだけ訪れたいと思います。
久しぶりの山城廻り。
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縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
朝7:00「医王山城」登城口の岩尾寺に駐車。
医王山城への登城路は草が生い茂り、腰位の高さになっている。
杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
ここは左手の岩場を伝ってクリア。
しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
主郭から「烏ケ山城」への道を探すも見当たらず。
先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
このまま東に降ると、霄漢氏とT氏の情報にあった伐開地に出る。
水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
この二本目の巻道を左(西の方へ)に辿ると鞍部。
鹿の鳴き声が響く。
こちらも笛を鳴らして答える。
鞍部からの登りはけっこうキツイ。
突然、雄鹿に出くわす。4〜5mと接近。笛で追い払う。
道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
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西へ戻るような形で「760m峰砦」。
ここから「仙々城」までの尾根筋はまだ刈り払い道が作られていない。
笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
「仙々城」の二重土塁。
遅い昼食。
赤飯のオムスビとフルーツのブドウ。
あっと言う間にハチの襲来。
ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
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駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
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やぶくぐりさん、こんにちは。
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マムシを退治されたんですか!
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すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
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縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
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杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
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しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
主郭から「烏ケ山城」への道を探すも見当たらず。
先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
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水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
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鹿の鳴き声が響く。
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鞍部からの登りはけっこうキツイ。
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道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
「烏ケ山城」の主郭の看板前に飛び出す。
三重堀切から天狗寺山登山道。
ツリフネ草を見ながら林道を経て760m峰と天狗寺山の鞍部。
西へ戻るような形で「760m峰砦」。
ここから「仙々城」までの尾根筋はまだ刈り払い道が作られていない。
笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
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ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
下の集落に出て舗装道を長尾寺駐車場へ。
駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
今朝方の雨のせいで、一日中レインウエアーを着ていて全身ぬれ鼠だったが大満足の一日。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回もものすごくハードな城めぐりをされているようですね。
マムシを退治されたんですか!
私も先日訪れた山城でマムシを捕まえた方にお会いして
すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
これから少しずつ山城にはいい季節になってきますね。
私もチェックしていたところをできるだけ訪れたいと思います。
久しぶりの山城廻り。
津山CIBI山山岳会氏の作られたCIBI山新道(勝手に命名しています。)を使って津山市滝尾の「美作・医王山城」から尾根筋を「塩屋ケ城」、「烏ケ山城」、「「760m峰砦」、「仙々城」と周回。
縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
朝7:00「医王山城」登城口の岩尾寺に駐車。
医王山城への登城路は草が生い茂り、腰位の高さになっている。
杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
ここは左手の岩場を伝ってクリア。
しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
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先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
このまま東に降ると、霄漢氏とT氏の情報にあった伐開地に出る。
水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
この二本目の巻道を左(西の方へ)に辿ると鞍部。
鹿の鳴き声が響く。
こちらも笛を鳴らして答える。
鞍部からの登りはけっこうキツイ。
突然、雄鹿に出くわす。4〜5mと接近。笛で追い払う。
道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
「烏ケ山城」の主郭の看板前に飛び出す。
三重堀切から天狗寺山登山道。
ツリフネ草を見ながら林道を経て760m峰と天狗寺山の鞍部。
西へ戻るような形で「760m峰砦」。
ここから「仙々城」までの尾根筋はまだ刈り払い道が作られていない。
笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
「仙々城」の二重土塁。
遅い昼食。
赤飯のオムスビとフルーツのブドウ。
あっと言う間にハチの襲来。
ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
下の集落に出て舗装道を長尾寺駐車場へ。
駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
今朝方の雨のせいで、一日中レインウエアーを着ていて全身ぬれ鼠だったが大満足の一日。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回もものすごくハードな城めぐりをされているようですね。
マムシを退治されたんですか!
私も先日訪れた山城でマムシを捕まえた方にお会いして
すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
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久しぶりの山城廻り。
津山CIBI山山岳会氏の作られたCIBI山新道(勝手に命名しています。)を使って津山市滝尾の「美作・医王山城」から尾根筋を「塩屋ケ城」、「烏ケ山城」、「「760m峰砦」、「仙々城」と周回。
縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
朝7:00「医王山城」登城口の岩尾寺に駐車。
医王山城への登城路は草が生い茂り、腰位の高さになっている。
杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
ここは左手の岩場を伝ってクリア。
しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
主郭から「烏ケ山城」への道を探すも見当たらず。
先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
このまま東に降ると、霄漢氏とT氏の情報にあった伐開地に出る。
水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
この二本目の巻道を左(西の方へ)に辿ると鞍部。
鹿の鳴き声が響く。
こちらも笛を鳴らして答える。
鞍部からの登りはけっこうキツイ。
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道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
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西へ戻るような形で「760m峰砦」。
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笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
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遅い昼食。
赤飯のオムスビとフルーツのブドウ。
あっと言う間にハチの襲来。
ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
下の集落に出て舗装道を長尾寺駐車場へ。
駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
今朝方の雨のせいで、一日中レインウエアーを着ていて全身ぬれ鼠だったが大満足の一日。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回もものすごくハードな城めぐりをされているようですね。
マムシを退治されたんですか!
私も先日訪れた山城でマムシを捕まえた方にお会いして
すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
これから少しずつ山城にはいい季節になってきますね。
私もチェックしていたところをできるだけ訪れたいと思います。
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津山CIBI山山岳会氏の作られたCIBI山新道(勝手に命名しています。)を使って津山市滝尾の「美作・医王山城」から尾根筋を「塩屋ケ城」、「烏ケ山城」、「「760m峰砦」、「仙々城」と周回。
縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
朝7:00「医王山城」登城口の岩尾寺に駐車。
医王山城への登城路は草が生い茂り、腰位の高さになっている。
杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
ここは左手の岩場を伝ってクリア。
しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
主郭から「烏ケ山城」への道を探すも見当たらず。
先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
このまま東に降ると、霄漢氏とT氏の情報にあった伐開地に出る。
水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
この二本目の巻道を左(西の方へ)に辿ると鞍部。
鹿の鳴き声が響く。
こちらも笛を鳴らして答える。
鞍部からの登りはけっこうキツイ。
突然、雄鹿に出くわす。4〜5mと接近。笛で追い払う。
道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
「烏ケ山城」の主郭の看板前に飛び出す。
三重堀切から天狗寺山登山道。
ツリフネ草を見ながら林道を経て760m峰と天狗寺山の鞍部。
西へ戻るような形で「760m峰砦」。
ここから「仙々城」までの尾根筋はまだ刈り払い道が作られていない。
笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
「仙々城」の二重土塁。
遅い昼食。
赤飯のオムスビとフルーツのブドウ。
あっと言う間にハチの襲来。
ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
下の集落に出て舗装道を長尾寺駐車場へ。
駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
今朝方の雨のせいで、一日中レインウエアーを着ていて全身ぬれ鼠だったが大満足の一日。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回もものすごくハードな城めぐりをされているようですね。
マムシを退治されたんですか!
私も先日訪れた山城でマムシを捕まえた方にお会いして
すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
これから少しずつ山城にはいい季節になってきますね。
私もチェックしていたところをできるだけ訪れたいと思います。
久しぶりの山城廻り。
津山CIBI山山岳会氏の作られたCIBI山新道(勝手に命名しています。)を使って津山市滝尾の「美作・医王山城」から尾根筋を「塩屋ケ城」、「烏ケ山城」、「「760m峰砦」、「仙々城」と周回。
縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
朝7:00「医王山城」登城口の岩尾寺に駐車。
医王山城への登城路は草が生い茂り、腰位の高さになっている。
杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
ここは左手の岩場を伝ってクリア。
しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
主郭から「烏ケ山城」への道を探すも見当たらず。
先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
このまま東に降ると、霄漢氏とT氏の情報にあった伐開地に出る。
水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
この二本目の巻道を左(西の方へ)に辿ると鞍部。
鹿の鳴き声が響く。
こちらも笛を鳴らして答える。
鞍部からの登りはけっこうキツイ。
突然、雄鹿に出くわす。4〜5mと接近。笛で追い払う。
道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
「烏ケ山城」の主郭の看板前に飛び出す。
三重堀切から天狗寺山登山道。
ツリフネ草を見ながら林道を経て760m峰と天狗寺山の鞍部。
西へ戻るような形で「760m峰砦」。
ここから「仙々城」までの尾根筋はまだ刈り払い道が作られていない。
笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
「仙々城」の二重土塁。
遅い昼食。
赤飯のオムスビとフルーツのブドウ。
あっと言う間にハチの襲来。
ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
下の集落に出て舗装道を長尾寺駐車場へ。
駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
今朝方の雨のせいで、一日中レインウエアーを着ていて全身ぬれ鼠だったが大満足の一日。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回もものすごくハードな城めぐりをされているようですね。
マムシを退治されたんですか!
私も先日訪れた山城でマムシを捕まえた方にお会いして
すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
これから少しずつ山城にはいい季節になってきますね。
私もチェックしていたところをできるだけ訪れたいと思います。
久しぶりの山城廻り。
津山CIBI山山岳会氏の作られたCIBI山新道(勝手に命名しています。)を使って津山市滝尾の「美作・医王山城」から尾根筋を「塩屋ケ城」、「烏ケ山城」、「「760m峰砦」、「仙々城」と周回。
縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
朝7:00「医王山城」登城口の岩尾寺に駐車。
医王山城への登城路は草が生い茂り、腰位の高さになっている。
杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
ここは左手の岩場を伝ってクリア。
しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
主郭から「烏ケ山城」への道を探すも見当たらず。
先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
このまま東に降ると、霄漢氏とT氏の情報にあった伐開地に出る。
水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
この二本目の巻道を左(西の方へ)に辿ると鞍部。
鹿の鳴き声が響く。
こちらも笛を鳴らして答える。
鞍部からの登りはけっこうキツイ。
突然、雄鹿に出くわす。4〜5mと接近。笛で追い払う。
道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
「烏ケ山城」の主郭の看板前に飛び出す。
三重堀切から天狗寺山登山道。
ツリフネ草を見ながら林道を経て760m峰と天狗寺山の鞍部。
西へ戻るような形で「760m峰砦」。
ここから「仙々城」までの尾根筋はまだ刈り払い道が作られていない。
笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
「仙々城」の二重土塁。
遅い昼食。
赤飯のオムスビとフルーツのブドウ。
あっと言う間にハチの襲来。
ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
下の集落に出て舗装道を長尾寺駐車場へ。
駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
今朝方の雨のせいで、一日中レインウエアーを着ていて全身ぬれ鼠だったが大満足の一日。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回もものすごくハードな城めぐりをされているようですね。
マムシを退治されたんですか!
私も先日訪れた山城でマムシを捕まえた方にお会いして
すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
これから少しずつ山城にはいい季節になってきますね。
私もチェックしていたところをできるだけ訪れたいと思います。
久しぶりの山城廻り。
津山CIBI山山岳会氏の作られたCIBI山新道(勝手に命名しています。)を使って津山市滝尾の「美作・医王山城」から尾根筋を「塩屋ケ城」、「烏ケ山城」、「「760m峰砦」、「仙々城」と周回。
縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
朝7:00「医王山城」登城口の岩尾寺に駐車。
医王山城への登城路は草が生い茂り、腰位の高さになっている。
杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
ここは左手の岩場を伝ってクリア。
しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
主郭から「烏ケ山城」への道を探すも見当たらず。
先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
このまま東に降ると、霄漢氏とT氏の情報にあった伐開地に出る。
水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
この二本目の巻道を左(西の方へ)に辿ると鞍部。
鹿の鳴き声が響く。
こちらも笛を鳴らして答える。
鞍部からの登りはけっこうキツイ。
突然、雄鹿に出くわす。4〜5mと接近。笛で追い払う。
道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
「烏ケ山城」の主郭の看板前に飛び出す。
三重堀切から天狗寺山登山道。
ツリフネ草を見ながら林道を経て760m峰と天狗寺山の鞍部。
西へ戻るような形で「760m峰砦」。
ここから「仙々城」までの尾根筋はまだ刈り払い道が作られていない。
笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
「仙々城」の二重土塁。
遅い昼食。
赤飯のオムスビとフルーツのブドウ。
あっと言う間にハチの襲来。
ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
下の集落に出て舗装道を長尾寺駐車場へ。
駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
今朝方の雨のせいで、一日中レインウエアーを着ていて全身ぬれ鼠だったが大満足の一日。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回もものすごくハードな城めぐりをされているようですね。
マムシを退治されたんですか!
私も先日訪れた山城でマムシを捕まえた方にお会いして
すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
これから少しずつ山城にはいい季節になってきますね。
私もチェックしていたところをできるだけ訪れたいと思います。
久しぶりの山城廻り。
津山CIBI山山岳会氏の作られたCIBI山新道(勝手に命名しています。)を使って津山市滝尾の「美作・医王山城」から尾根筋を「塩屋ケ城」、「烏ケ山城」、「「760m峰砦」、「仙々城」と周回。
縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
朝7:00「医王山城」登城口の岩尾寺に駐車。
医王山城への登城路は草が生い茂り、腰位の高さになっている。
杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
ここは左手の岩場を伝ってクリア。
しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
主郭から「烏ケ山城」への道を探すも見当たらず。
先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
このまま東に降ると、霄漢氏とT氏の情報にあった伐開地に出る。
水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
この二本目の巻道を左(西の方へ)に辿ると鞍部。
鹿の鳴き声が響く。
こちらも笛を鳴らして答える。
鞍部からの登りはけっこうキツイ。
突然、雄鹿に出くわす。4〜5mと接近。笛で追い払う。
道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
「烏ケ山城」の主郭の看板前に飛び出す。
三重堀切から天狗寺山登山道。
ツリフネ草を見ながら林道を経て760m峰と天狗寺山の鞍部。
西へ戻るような形で「760m峰砦」。
ここから「仙々城」までの尾根筋はまだ刈り払い道が作られていない。
笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
「仙々城」の二重土塁。
遅い昼食。
赤飯のオムスビとフルーツのブドウ。
あっと言う間にハチの襲来。
ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
下の集落に出て舗装道を長尾寺駐車場へ。
駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
今朝方の雨のせいで、一日中レインウエアーを着ていて全身ぬれ鼠だったが大満足の一日。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回もものすごくハードな城めぐりをされているようですね。
マムシを退治されたんですか!
私も先日訪れた山城でマムシを捕まえた方にお会いして
すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
これから少しずつ山城にはいい季節になってきますね。
私もチェックしていたところをできるだけ訪れたいと思います。
久しぶりの山城廻り。
津山CIBI山山岳会氏の作られたCIBI山新道(勝手に命名しています。)を使って津山市滝尾の「美作・医王山城」から尾根筋を「塩屋ケ城」、「烏ケ山城」、「「760m峰砦」、「仙々城」と周回。
縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
朝7:00「医王山城」登城口の岩尾寺に駐車。
医王山城への登城路は草が生い茂り、腰位の高さになっている。
杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
ここは左手の岩場を伝ってクリア。
しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
主郭から「烏ケ山城」への道を探すも見当たらず。
先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
このまま東に降ると、霄漢氏とT氏の情報にあった伐開地に出る。
水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
この二本目の巻道を左(西の方へ)に辿ると鞍部。
鹿の鳴き声が響く。
こちらも笛を鳴らして答える。
鞍部からの登りはけっこうキツイ。
突然、雄鹿に出くわす。4〜5mと接近。笛で追い払う。
道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
「烏ケ山城」の主郭の看板前に飛び出す。
三重堀切から天狗寺山登山道。
ツリフネ草を見ながら林道を経て760m峰と天狗寺山の鞍部。
西へ戻るような形で「760m峰砦」。
ここから「仙々城」までの尾根筋はまだ刈り払い道が作られていない。
笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
「仙々城」の二重土塁。
遅い昼食。
赤飯のオムスビとフルーツのブドウ。
あっと言う間にハチの襲来。
ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
下の集落に出て舗装道を長尾寺駐車場へ。
駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
今朝方の雨のせいで、一日中レインウエアーを着ていて全身ぬれ鼠だったが大満足の一日。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回もものすごくハードな城めぐりをされているようですね。
マムシを退治されたんですか!
私も先日訪れた山城でマムシを捕まえた方にお会いして
すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
これから少しずつ山城にはいい季節になってきますね。
私もチェックしていたところをできるだけ訪れたいと思います。
久しぶりの山城廻り。
津山CIBI山山岳会氏の作られたCIBI山新道(勝手に命名しています。)を使って津山市滝尾の「美作・医王山城」から尾根筋を「塩屋ケ城」、「烏ケ山城」、「「760m峰砦」、「仙々城」と周回。
縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
朝7:00「医王山城」登城口の岩尾寺に駐車。
医王山城への登城路は草が生い茂り、腰位の高さになっている。
杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
ここは左手の岩場を伝ってクリア。
しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
主郭から「烏ケ山城」への道を探すも見当たらず。
先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
このまま東に降ると、霄漢氏とT氏の情報にあった伐開地に出る。
水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
この二本目の巻道を左(西の方へ)に辿ると鞍部。
鹿の鳴き声が響く。
こちらも笛を鳴らして答える。
鞍部からの登りはけっこうキツイ。
突然、雄鹿に出くわす。4〜5mと接近。笛で追い払う。
道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
「烏ケ山城」の主郭の看板前に飛び出す。
三重堀切から天狗寺山登山道。
ツリフネ草を見ながら林道を経て760m峰と天狗寺山の鞍部。
西へ戻るような形で「760m峰砦」。
ここから「仙々城」までの尾根筋はまだ刈り払い道が作られていない。
笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
「仙々城」の二重土塁。
遅い昼食。
赤飯のオムスビとフルーツのブドウ。
あっと言う間にハチの襲来。
ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
下の集落に出て舗装道を長尾寺駐車場へ。
駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
今朝方の雨のせいで、一日中レインウエアーを着ていて全身ぬれ鼠だったが大満足の一日。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回もものすごくハードな城めぐりをされているようですね。
マムシを退治されたんですか!
私も先日訪れた山城でマムシを捕まえた方にお会いして
すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
これから少しずつ山城にはいい季節になってきますね。
私もチェックしていたところをできるだけ訪れたいと思います。
久しぶりの山城廻り。
津山CIBI山山岳会氏の作られたCIBI山新道(勝手に命名しています。)を使って津山市滝尾の「美作・医王山城」から尾根筋を「塩屋ケ城」、「烏ケ山城」、「「760m峰砦」、「仙々城」と周回。
縄張図は霄漢氏とT氏にいただいたものを持参。
朝7:00「医王山城」登城口の岩尾寺に駐車。
医王山城への登城路は草が生い茂り、腰位の高さになっている。
杖に棒が置いてある。
三の丸を過ぎ、もう少しで本丸と思いきや、目の前にマムシが三匹。
マムシ三兄弟などどシャレにもならぬ妄想。
登城口で借りた棒を振り回し、一匹仕留めるも二匹は逃亡。
本丸からそのまま尾根筋へ。
赤テープを設置しながら三重堀切。
最後の堀切は岩を削っている。
ここは左手の岩場を伝ってクリア。
しばらく進んで、ほぼ「塩屋ケ城」との中間に土橋。
女郎蜘蛛の巣が今日一日連続模様。
「塩屋ケ城」の東側の武者走りに出て主郭へ。
主郭から「烏ケ山城」への道を探すも見当たらず。
先ほどの東側の武者走り北側に刈り払い。
まっすぐ斜面を下っている。
このまま東に降ると、霄漢氏とT氏の情報にあった伐開地に出る。
水平な巻道が二本。
伐開地から周囲の状況偵察。
この二本目の巻道を左(西の方へ)に辿ると鞍部。
鹿の鳴き声が響く。
こちらも笛を鳴らして答える。
鞍部からの登りはけっこうキツイ。
突然、雄鹿に出くわす。4〜5mと接近。笛で追い払う。
道の周囲はものすごいヤブ。
刈り払らうのは大変だったようだ。
赤テープ終了。
「烏ケ山城」の主郭の看板前に飛び出す。
三重堀切から天狗寺山登山道。
ツリフネ草を見ながら林道を経て760m峰と天狗寺山の鞍部。
西へ戻るような形で「760m峰砦」。
ここから「仙々城」までの尾根筋はまだ刈り払い道が作られていない。
笹ヤブに突入。
尾根を外さないようGPS。
郭の切岸。
少し進んで堀切。
しばらくは適当に尾根筋ジャングル戦。
鞍部からは道明瞭。
「仙々城」の二重土塁。
遅い昼食。
赤飯のオムスビとフルーツのブドウ。
あっと言う間にハチの襲来。
ブドウを差し出して退散。
ここからは勝手知ったるテープ点々のロープ道が続く。
岩場の連続。
ここを下りルートにしたのは体力的に正解。
下の集落に出て舗装道を長尾寺駐車場へ。
駐車場で15:00。
休憩を入れて8時間。
今朝方の雨のせいで、一日中レインウエアーを着ていて全身ぬれ鼠だったが大満足の一日。
やぶくぐりさん、こんにちは。
今回もものすごくハードな城めぐりをされているようですね。
マムシを退治されたんですか!
私も先日訪れた山城でマムシを捕まえた方にお会いして
すぐにその場を退散しましたのに(^^;;
鹿や藪との戦いも凄そうです。
ほんとに無事で何よりでした。
お疲れ様でした。
これから少しずつ山城にはいい季節になってきますね。
私もチェックしていたところをできるだけ訪れたいと思います。
リンク頂いた"FieldAccess"のログ、拝見しました。
西方面には行かれてないんですね。市役所から北に上がる道の2つ目の分岐
(三叉路)の北東に城内最大級のL字型横堀があったのですが、北側から
見下ろされたっぽい感じですね。また、当該三叉路から北にあがったログの
軌跡の途中に西方に向かう道があり、ここも段々に郭が連なる様が観察でき
ます。再訪の折りには足を運んでみてください。縄張図ではないですが、
測量図をお城さんマークにリンクしておきます。
余談ですが、市役所には無料の駐車スペースがあります。私は休日の訪城
でしたが、市役所から北に上がる道の東にある建物の前に駐車しました。
...と書いていて思ったのですが、全て先にご紹介しておいた方がよかった
ような情報でしたかね(大汗)。歴史館の休館日に行かれたのは想定外
だったもので、って、駐車スペースに関しては関係ないか...
因に、私は歴史館で『小牧叢書16 小牧山城』を購入していたにも拘わらず、
本丸北西の石垣を見逃しております(泣)
では、失礼いたします。http://www.city.komaki.aichi.jp/bunkazai/komakiyama/002837.html
> 竹田城への訪問者が増えた理由はわかりませんね。
> やっぱり口コミ等で「1回は行かないと」と思う人が増え
> てきたのでしょう。
ありゃ、やっぱり。
城郭研究家のTV出演も大きいと思いますよ。
そーゆー意味では、ツイッターとかフェイスブックの威力ってすごいですよね。
小牧山城に関しまして、行程表をお城さんマークに入れておきました。何かの参考にして頂ければと思います。
観音寺城程ではありませんが、小牧山城もびっくりするぐらい曲輪跡があります。
山頂に向けて段々になっている点も面白いです。
では、では。
> なうです。いいところです。後で詳しく書きます。
と書いていた時刻がちょうど本丸跡にいた時でした。
なかなか綺麗に復元されていて驚きました。足助城については詳しく書きます。
さてさて、今回は小牧山城について。
> 小牧城はおすすめです。
> 行きたいです(^^;
ということで、行ってきましたよー。
小牧山城は現在本丸を中心に発掘調査中で、先日も「佐久間信盛」の墨石が発見されました。墨石というのは、大坂城でもあったそうですが、近世は刻印石になりますので、特に関西では、残りにくいという点も含めて、大変珍しいと思われます。
石垣は、本丸の周りの2-3段程度の石垣で、防備というよりも、曲輪留の印象があります。ただ、一つの石がかなり巨石で曲輪留だけとも言い難いものがありました。石垣の後ろには栗石が大量に出土しており、穴太積み、野面積みの初期型との印象もあります。
お城さんマークに発掘調査の写真を入れておきましたので、よろしければご覧ください。
城の印象は、観音寺城と似ているー、と思いました。全山に渡り曲輪を配し、大手が城の真ん中を突き抜ける構造は、同じやん、と思いました。織田信長は六角氏を尊敬していたと言われていますので、観音寺城と似た構造を小牧山城に作事したのかもしれません。
観音寺城と決定的に違うのは、山を一周する土塁とその内側にある大規模曲輪群です。ただ、この辺は大分新しい印象があります。詳しく資料を読んでいないので間違っているかもしれませんが。
残念な事に、山頂にある歴史館が休館日でした。で、縄張り図は、この歴史館で手に入れる予定でしたので、まともな縄張り図が今もありません。ですので、大まかな事しかわかりませんでした。
またじっくり巡りたいと思います。
続きがあります。http://docs.google.com/open?id=0B453rNL7UjOtVWR1cm9DY0lHdE0
小牧城と足助城となれば、移動時間もかなりかかりますし、
1日つぶれてしまったんじゃないですか?
小牧城の山上の資料館が休館だったのは残念でしたね。
たまに行く遠征でこれがあると(って自分がチェックし忘れているだけ)
かなりテンションが下がります(^^;。
観音寺山城への発想は面白く読ませていただきました。
お疲れ様でした。
荒神山城は安西軍策には、秀吉方の城で、吉川が落としたと記述されています。
板主様
個人的見解のやり取りで度々この場をお借りするのをお許しください。
霄漢様、因幡の国で一番広い主郭を持つのが実は荒神山城なのです、月山を攻めた勝山より遥かに広いです。
もう一つ、某登ったのが10年以上前なのですが、養魚場の手前に車を駐車し枯れ沢を家老が平までのぼり、それから直登し、法面にしわを見ました。当時畝状竪堀に知識が少なく因幡の城に無い構造だと思いました。
やはり毛利の築城と考えて間違いが無いのですね。
もう一度登る体力がほしいです。幸田屋さん、お気になさらずに。
楽しく読ませていただいておりますので。
幸田屋さん
以前お教えいただきました様に、私たちは羽衣石に対する
秀吉の補給ルートを考え、
鹿野から三朝を通り北の十万寺からのルートを考えました。このルートを遮断するため毛利は、荒神山城を鹿野の南河内に築いています。
荒神山城に対する付け城を亀井(秀吉)が周辺に築きます。
飛田砦、小畑高尾城、シンジャク城等が現地歩いて確認しました。
羽衣石の北の番城、南の十万寺城は羽衣石城はもちろん小鴨氏の岩倉城、近くの毛利の陣城例えば国坂の茶臼山城等とも形態が異なると思います。
現地を歩くと秀吉勢の陣城と考えられる形態です。
十万寺城の地は東郷町史などでは、南条氏が羽衣石城以前にに城を築こうとしたと伝説があるとしていますが、
同時に地元では主郭を「たいこうがなる」と呼んでおりこの点を注目しました。
//www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1328139421052/index.html
こんなのがありますので、お時間がある方はどうぞ、鳥取に
霄漢様、附城なのか陣城なのか、確かに色々考えさせるものがあります。羽衣石だけではなく岩倉は如何なのだとか、鹿野の城はもっと大きかったのではとか色々思っています。特に西側ですが。
個人的に今注目してるのは、繋ぎの城で、恐らく兵糧確保のため軍道をキープして重要な場所に見張りの場所を設けたと確信しています。
鹿野城のロジスティクスを支えたのは何なのか、羽衣石は天正10年支えきれずに落城しています。繋ぎの城は如何なる物で、如何なる役割を果したか考えると楽しいです。幸田屋さん、こんにちは。
とりあえず明日の現説は行ってみようと思います。
鳥取は意外と面白いぞ!と思い出してからまだ数年。
まだまだ知らないことだらけです。
今後ともよろしくお願いいたします。
レスの順番が違いますが、取り急ぎ。
-----
といいましたが・・・予定があいませんでした。
残念です。
なうです。いいところです。後で詳しく書きます。
管理人様鳥取研究会いかがでしたか。
当日お会いすることができず残念でした。
個々の報告は、特に新しい事項はありませんでしたが、
話としては聞きやすく楽しく時間を過ごしました。
二三物足りない事として以下ありましたが。
小田原の報告にでは、石垣山城だけでなく他の陣城も詳しく
報告が聞きたいと思いました。
特に韮山城の付城も聞きたいと思いました。
鳥取については、個々の陣城の評価については異論を私は
持っていますが、それは別にして最近、高橋成計氏は「戦乱の空間第11号」で
鹿野、羽衣石も含めて鳥取の戦いを考える事を提唱されていま。
鹿野、羽衣石周辺の陣城と思われる遺構の報告もされています。
私も調査に同行しまったく同じ思いを持っています。
このような視点の今後必要と考えています。
大先輩とのお言葉ですが、当時は私も相当若く現在はそこそこのオッサンですが恐縮です。霄漢さん、こんにちは。
鳥取ではまず東京の知り合いが何人も来られていた
ことに驚いてました。
今年は残念ながら富山に行けませんでしたが、かわりに
資料購入で散財もできましたし。
内容としては私も聞きやすいなと思っておりました。
ただ資料がスライドの地図や写真中心の内容だったのが
残念でした。
あとで見返す時のためにいろいろメモしましたけれど。
小田原の件は私も同感ですが、鳥取については鳥取城
の周りだけじゃなくもっと広い視野で見てみたいという
きっかけになりました。
戦乱の空間ももう11号ですか・・早いですね。
ありがとうございます。
また勉強させてもらいたいと思います。
いつかどこかのお城でご一緒させていただく機会があればいいですね。
それでは。
今回名古屋に行くので、いろいろ資料を探しておりましたが、こちらのiPadの電子ブックを発見しました。
もともと1000円本ですが、電子ブックでは600円になっております。
早速購入しましたが、なかなか読みごたえのある本で、非常に細かく分析されている点が好感が持てます。
iPadを持っている方は、お勧めです。
このような本がどんどん増えて、iPad化して頂ければ大変嬉しいですね。
城郭の本もカラーで出版して頂ければ楽しいです。
では、では。http://itunes.apple.com/jp/app/tong-xia-jian-he-zhan-shi-mo-ji/id419029444?mt=8
ブレイズマンさん、こんにちは。
電子書籍は安いし、持ち運びも楽ですし検索もできたり
とかなり便利になりますよね。
でも出先でバッテリーの心配をしないといけないのが
ちょっと怖いですが(^^;
今後は書籍の電子化も増えてくるでしょうね。
ずっと前につくった私の電子書籍も復活しないかな・・・(ぼそっ
それでは
ただー、
「俺たちが応援していた竹田城はすっかりメジャーになって変わっちまったよ。もうあの頃の清純な竹田城はどこに行ってしまったんだーー!!」
と言っている人たちは結構おられるかもしれませんねー。
しかし、今年になって、
> 市は今年度20万人程度に倍増
> すると見込んでいる。
となった理由はなんなんでしょうかね?去年は、約9万8600人だったんでしょ。なんか急に増えたように思えます。
僕ももう一回行こうかな。
> なんで今回掘ることにしたのか、今後どうなるのかは
> 確認しておきたいと思います。
もし何か解ったらぜひ情報共有化してください。山科本願寺興味ありありです。
> 愛知の復元城郭といえば足助城でしょうか。
やっぱりですか。私もチェックしておりました。
近世の城郭と違って、戦国時代の山城は曲輪跡程度しか残っていないことが多く、イメージするのがなかなか難しかったりしますので、一度ぐらいは山城の復元城郭に行ってみたいと思っていました。
> ちょっと名古屋城とは距離がありますけどね。
調べました。1時間40分だそうです。
折角、城郭研究家からのアドバイスですので、一度訪れたいと思います。
行って来たらまた報告しますね。
では、では。http://homepage2.nifty.com/yogo1394/aiti/toyodaasuke.htm
竹田城への訪問者が増えた理由はわかりませんね。
やっぱり口コミ等で「1回は行かないと」と思う人が増えてきたのでしょう。
ちょっと前にものすごい大雨の直後に上りましたが、すでに30台くらい車がありましたし。
それよりも「どうやって訪問者数を把握しているのか?」が気になります。
駐車場のおっちゃんがカウント?
ん〜
> ブレイズマン研究家さん、こんにちは(^^
私を研究しても何もいいことないと思います。
> とりあえず笑いあり、涙ありのショーを目指したいと
> 思います。
それがいいと思います。「舞台芸能などの見世物」ですので、高取城本丸跡という絶好の舞台は出来上がっています。後はどのような芸能があるかちゅーわけですな。
> うーん・・、そんなことよりも高取城の素晴らしさを
> みんなで共有したいと思います。
そーですなー実は私高取城は一度しか行ったことが無いのですが、石垣の素晴らしさ、小藩であるのに異常な数がある櫓群、高地に似つかわしくない大天守と大城、複雑な縄張り等などでしょうかなー。
不思議な点が多々ある高取城です。
> 1つだけ言うとしたら「鳥取城関連」はほんと
> 話題に事欠かないなぁ・・ってことでしょうか。
なるほどー、鳥取城一度も行ったことないんですね。先日の円球石垣もありますし、行ってみたいと思います。
> とりあえずトークのハードルが何段かあがったわけですね。
スーツ着てクモの巣だらけになるとか、城を自分で作ってしまえば、城マニアは写真撮りに来ないとか、いろいろあると思いますので。
> ところで愛知県でお奨めとは範囲が広いですねぇ〜。
そーですねー。愛知県は今回初の城めぐりになります。
初めてでもこれは抑えとけ、という城があればいいですね。
> あとは何かテーマが決まればそれにそくした城を
> 絞れるのでしょうけどね。
そーそー、範囲を狭くするという意味からも、やっぱり織田系城と関係のある城がいいと思います。この織田城築と関西系城築とがドッキングして、あらたな近世城郭技術が産まれますので、その織田系城築がよく解る城があればいいなーと思っています。
> 後は、東条城なんかもいいかなー、と思っています。
と書いたのですが、戦国時代の山城の復元ってあまりないでしょ。高根城なんかは結構きれいに復元されているそうですが、東条城も復元されている建物は2箇所だけですが、当時の山城のイメージをするにはいいかなーと思っています。
愛知県で復元されているいい感じの山城って他にないですかねー。それならばもっと近世城郭廻った方がいいかな?
では、では。こんにちは。
愛知の復元城郭といえば足助城でしょうか。
ちょっと名古屋城とは距離がありますけどね。
管理人さんのツイッターにもありましたが、竹田城が有料化を考えられているようですね。
> 竹田城跡は現在、駐車場も無料で運営している。観光客数
> が増え、警備員の人件費など市の維持管理費が課題になっ
> ている。
> 市によると、4〜8月の観光客数は約8万4300人と、
> 5カ月間で昨年度(約9万8600人)に迫る勢い。秋に
> も多くの人出が予想され、市は今年度20万人程度に倍増
> すると見込んでいる。
とのことですが、倍増とはすごいですねー。
これは、やっぱり城郭研究家さんが、TVでの口コミ効果も影響しているのでしょうか。
まーしかし、この程度の有料化はむしろ必要ではないかと思います。ただ、有料化してしまえば多少観光客は減ってしまう可能性はあるかと思います。
それはそーと、土曜日山科本願寺の発掘調査説明会があったの知っていました?
私不覚にも今日知ってしまいました。
山科本願寺は寺跡でありますが、一方城郭としても有名で今でも巨大土塁が残っており、平城との原型としても捉えられています。
今回の発掘調査は南城近辺であったようで、サウナ跡があったとのことです。
城郭として何か新しい発見があったわけではなさそーですが、それでもいけばよかったー、と思う調査報告でした。
では、では。http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20120906000161
私も有料化はいいと思います。
今後どう竹田城を整備されていくのかも含めて
朝来市さんの頑張りを応援させていただきたいと思います。
たまに目にするのですが「有名になったから・・」と
いう指摘は私には違和感があります。
確かにそれだけ多くのいろんな方が来ることになるわけ
ですが、それはそうなれば受け入れる側の自治体さん
は大歓迎なわけでしょうし、それにどううまく対応する
かが問われるわけです。
1竹田城ファンとしてこれからも応援しますよ。
「俺たちが応援していた竹田城はすっかりメジャーになって変わっちまったよ。もうあの頃の清純な竹田城は
どこに行ってしまったんだーー!!」
なんてことは言いません。(^^
山科本願寺のほうも興味はあったのですけどねぇ。
今回は諦めました。
なんで今回掘ることにしたのか、今後どうなるのかは
確認しておきたいと思います。
> まあ、そもそも物差しがいるのかなという気もしますし。
いやいや、けっして管理人さんが城郭研究家を名乗ったらダメだとは言っていないですよ。
しかし、管理人さんの事を城郭研究家というの肩書きを初めて聞きました。おーーーーーー、と思いました。
城郭研究家としていろいろと意見を求めることもあるかと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
(いゃ、これは城郭研究家の肩書がついたので、質問しやすくなったかも)
> 管理人様は芸人さんではないので、笑いをとりにいく必要
> はないでしょう(笑)
いやいやいや、トークのショーですよ。
ショーとは?
「舞台芸能などの見世物。特に、音楽・舞踊を中心とした、視覚的要素の強い芸能。」
ですよ。さすがにトークのショーなんで、音楽・舞踊は無いと思いますが、関西人なんで、必ず笑いはとって頂けるます。私が保障しますよ。
> 「高取城のどんな話をされるのかなー?」というのが気に
> なっているだけです。
いやいや、そんな真面目な話は無いでしょう。だってトークショーですもん。
> 未訪であれば小牧山城をお奨めします。
有難うございます。リストに入れます。
後は、東条城なんかもいいかなー、と思っています。
続きがあります。http://www.geocities.jp/katoshiro3594/mikawa_no_shiro/kira/toujyo.html
ブレイズマンさん、こんばんは。
別に私は何も変わっていませんので今まで通りの
お調子者扱いで、よろしくお願いいたします。(^^;
とりあえずトークのハードルが何段かあがったわけですね。
ありがとうございます・・・。
管理人様今晩は。
30年前、毎月のように登った置塩城。
当時は、まともな縄張図もなく城郭体系の図面を見て現地の遺構とのあまりにも大きい違いにあきれ返って、
何とか自分で図面化しようと薮だらけの郭をメジャーを使って測っていました。
数年過ぎ年号が平成に変わったころ、国の指定史跡を目指して調査が行われることを耳にしました。
発掘調査を行われた山城の状態がどんなものかよく分かっているので、2度と登ることは無いと思っていたが、
置塩城の東の尾根続きの423.9mのピーク南条山にある城の資料を見つけたので9月1日に行ってきました。
山歩きのサイトを見ると、置塩城から南条山には薮が激しく夏場はいけないとあるが、
30年前には、南条山城のある場所の手前まで行って引き返したことがあるので何とかなると安易な希望的観測の元、
置塩城本丸東角から人が歩いた踏み跡を探すと、簡単に見つかり木には白いテープでマークがしてあり
それに従って歩き1時間強かかって城の到着しました。
城は、全長約150mの規模で、きれいな削平地と東側に規模の大きな土塁が残っていました。
縄張図を描き、昼食を含め置塩城本丸まで往復4時間。
せっかく来たので、置塩城の各所を見てきました。
以前に有った低木や藪が刈り掃われて、見やすくなったのは有難いが、発掘した箇所を
覆っていたブルーシートや土嚢がぼろぼろになり見苦しい。
近年、整備を行っていないような気がしました。
特に登山道は雨水が流れて荒れて、以前より悪くなって様に思われた。
下山して駐車場に戻ると、ズボン、シャツ、下着はしぼれるほどの汗、幸いなことに近くに日帰り温泉が
有るので汗を流して帰路についた。
夏場でも、比高の有る山城特に檜林であれば結構歩けるものです。
今週末は、鳥取に行くので山城には行けないので強行してみました。霄漢さん、こんばんは。
30年前とはずいぶん古いお話ですね。
予想していた以上に大先輩でした(^^
藪だらけの置塩城というのはきっと今の状態とは
全然違うのでしょうね。
麓でぎんなん探しをしていてすみません(汗)。
確かにブルーシートがあるイメージは私も持っていますが、あれは放置されていたのでしょうか。
そういえば私も南条山を目指してみようかと思って
置塩に行ったことはありましたが、いまだ実現できて
おりません。
なかなか思い切れない軟弱ものですね。
それにしても全身汗びっしょりの様子が大変さを物語っていますね。
お疲れ様でした。
鳥取はいかがでしたか?
私は充実した一日を過ごせたなと満足しています。
予想以上にお金がなくなってしまいましたが・・・
ブレイズマンさん>
> えーーーーーーーーーーーーーーー、管理人さんではないですか。管理人さん
> って、勿論本を出しているのは知っていますし、私も購入しましたが、城郭
> 研究家だったのですか?
私も職場では一部の人から「城郭研究家」扱いされています(爆)
そういえば、『日本城郭大系』を古書で買いに行った時に、店員さんに「お城の
研究をなさっているので?」と質問されました(汗)。当該本を紹介したとある
ページ(リンクあり)とかも拝見すると、当該本への興味が物差しとしてはわかり
やすいのかなとか思ったりします。物差しがこれだけではないのは言うまでもあり
ませんけど。まあ、そもそも物差しがいるのかなという気もしますし。
> トークショーを楽しみにしておきます(笑)。
>
> それはそーでしょー、誰しもこの「トークショー」には絶対反応しますよ。
> 本丸でトークショーって、なにするんだろーって。
管理人様は芸人さんではないので、笑いをとりにいく必要はないでしょう(笑)
私は「高取城のどんな話をされるのかなー?」というのが気になっているだけ
です。ただし、脳内で想像したのは何故か歌手の杉良太郎さんのショーでした
けど。(ショーを見に行ったとはないですけどね、爆)
> 愛知県でお勧めの城
私は愛知県で訪れたお城はわずかなのですが、未訪であれば小牧山城をお奨めします。
以前([2479] お城巡り in 愛知 & 岐阜)、時間調整のつもりで立ち寄ったら、良い
意味で裏切られました。
あ、そうそう。以前この掲示板で話題になった烏帽子形城の本、河内長野駅の観光
案内所で在庫が復活してましたよ〜
では、失礼いたします。http://srtutsu.ninja-x.jp/books23.html
ポリタンク研究家さん、こんばんは。
「さあ、ショータイムだ。」
というセリフが流行ってきているようですので、頑張りたいと思います。
私も小牧城はおすすめです。
行きたいです(^^;
城郭研究家の管理人さんは、
「鳥取城フォーラム2012 〜織豊期城郭研究会鳥取研究集会〜」
にご出席されるのですね。いいですなー。また土産話を期待しております。
さてさて以前に、
>> この辺のところは、最近刊行された「伊賀市史 第一巻通
>> 史編古代・中世」に詳しく書かれています。
>
> おー、いい情報有難うございます。早速取り寄せたいと思
> います。
と地元の図書館に依頼したところ奈良県にあるので見に行ってくれとのこと。
むーーーーー。
それー奈良県にはよく城を見に行きますが、奈良県までって…「伊賀市史 第一巻通史編古代・中世」は大分先になりそうです。
さてさて、近日、名古屋にお城を見る旅に出かけたいと思っております。名古屋城を中心に、後は徳川美術館も非常に興味があります。
近世城郭が中心となりと思いますが、愛知県でお勧めの城があれば是非教えて頂ければと思います。
では、ではhttp://kokucheese.com/event/index/47952/
こんばんは。
しっかり研究してきましたよ〜。
また振り返りながら考えたなと思ってます。
1つだけ言うとしたら「鳥取城関連」はほんと
話題に事欠かないなぁ・・ってことでしょうか。
最近結構ちょくちょく言ってますが、全然行き足りない
気がしてます。
ところで愛知県でお奨めとは範囲が広いですねぇ〜。
名古屋城と徳川美術館で十分1日使ってしまって
むしろ足りなくなるかもしれませんよ。
レンタサイクルでも借りて城の周囲を細かく見ていく
のはどうでしょうか。
私は最近、名古屋城を改めて丹念に見て回りたい思いに
かられております。
あとは何かテーマが決まればそれにそくした城を
絞れるのでしょうけどね。
それでは。
> 鍛冶屋敷は塩貝城のそばにある城郭遺構なのですが
> その正体ははっきりしていません。
>
> 単郭で土塁囲い、またその土塁が張出し、横矢がかかって
> います。
> それに枡形虎口ももっており、そのあたりから織豊系陣城
> という見方があるのですね。
>
> 私はまだ行ったことがありませんでしたがひそかに狙って
> いたのです。
にぁるほど。
単郭で土塁囲いというと、古いタイプの城という感じがしますが、「土塁の張出し」「横矢」「枡形虎口」というと改修されたのかもしれません。
この周辺は、明智光秀が八上城攻めの時に、いくつか城を補給基地に改修した形跡がありますので、ひょっとしたらその関係かもしれませんね。
私も行ってみたいと思います。
> 私も1日では無理ですよ(苦笑)
それはそーか。
> 車中泊でがんがん攻めていってください。
車中泊?それはすごーーぃ。イヤー若いですねー。車中泊なんてしたことないですよ。
> 「極・飛鳥体験ツアー」 高取城跡コース
おーーーそんなツアーがあるんですねー。なかなかよそさー。
> 本丸跡では昼食と、城郭研究家
えーーーーーーーーーーーーーーー、管理人さんではないですか。管理人さんって、勿論本を出しているのは知っていますし、私も購入しましたが、城郭研究家だったのですか?これからは、
よ!城郭研究家!
とお呼びする必要がありますねー。
> トークショーを楽しんでください。
えーーーーーーーーーー!管理人さん本丸跡で、ランチトークショーされるんですかーーー!高取城の城郭の話ではなく、トークショー?
すごーーーーーーーぃ。管理人さんの事だから、トークショーでは、笑いの7つ程度はとって、そのうち爆笑が3つぐらいはあるのではないでしょうか。
絶対必見です。皆さんもぜひご参加してください。
> トークショーを楽しみにしておきます(笑)。
それはそーでしょー、誰しもこの「トークショー」には絶対反応しますよ。本丸でトークショーって、なにするんだろーって。
絶対すべらない話をここで募集します?
続きがあります。http://kokucheese.com/event/index/47952/
ブレイズマン研究家さん、こんにちは(^^
とりあえず笑いあり、涙ありのショーを目指したいと
思います。
ポリタンクさん、合図したら泣き笑いをお願いいたしますね(^^;
うーん・・、そんなことよりも高取城の素晴らしさを
みんなで共有したいと思います。
まだまだ余裕がありますので(きっと、間違いなく)
悩んでおられる方はとりあえず申し込みなさってくださーい。
ではでは。
大野直家さん>
情報提供有り難うございます。黒門経由で訪城したことがなく、丁度よい機会
ので申し込みました。
管理人様>
応募当選で参加できることになった暁には、トークショーを楽しみにしておき
ます(笑)。落選していたとしても、こっそり覗き見しようかな。
では、失礼いたします。
本岡さん、ポリタンクさんこんにちは
高取城跡へのイベントが決まりました
詳細は“こくちーず”にて確認をお願いします
リンク入れてますのでよろしくお願いしますhttp://kokucheese.com/event/index/47952/
大野さん、こんにちは。
了解いたしました。
が、がんばります!
ブレイズマンさん>
[2624] レス色々
>> どうせ宿泊するのなら、小田原城、石垣山城、山中城、滝
>> 山城、八王子城あたりとセットで行けんもんかなあと思い
>> ながら、ずっと計画倒れになっています(泣)
>
> いやーーー、私なら2,3日の宿泊は必要でしょうな。
私も1日では無理ですよ(苦笑)
[2632] 椿井城
> 私が持って行ったどの縄張り図にも記載がない、今回の整備で新たに発見
> できた曲輪ではないかと思います。
モニターツアーの時には伐採されていなかったですね。整備で姿を現したもの
でしょう。私も現場で「ほほー」と思いました。
[2633] レス色々
> あの幟を入れて「椿井城なう」とするにはいいかもしれません。
あ、それやるの忘れてました(笑)
大野直家さん>
情報有り難うございます。都合がつきそうなので申し込もうかと思っており
ます。上司にもお声をかけたのですが、地域の催しと重なっているようで、
残念がっておられました。火薬庫の場所はその際にお知らせして、ついでの
時にご覧になっては?とお奨めしておきました。砂防公園をご存知だった
ので、説明がしやすかったです。なお、城下のご出身なのは上司のご祖母様
だそうです。城下とおっしゃっていた場所は上子島でした...。あまりにも
タイムリーなのでびっくりです。
> 火薬庫エイドでもしようかな
私、財力はありませんので、ちょびっとでよければ募金します。
では、失礼いたします。> いやーーー、私なら2,3日の宿泊は必要でしょうな。
> 私も1日では無理ですよ(苦笑)
車中泊でがんがん攻めていってください。
それと秋の高取城イベントに参加されるのですね!
相変わらずフットワークが軽くて素晴らしいですよ。
(^^;
私も溜りに溜まってるもろもろを片付けないと・・
久々に酒でも飲まない?
検索したら、ここにたどり着いた。
削除「1234]長谷川さん、はじめまして。
管理人の本岡と申します。
ひょっとすると人違いの可能性もありますので
恐れ入りますが、当サイトのTOPページ下に書いております
メールアドレスあてにご連絡をいただけますでしょうか。
お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
本岡さん、ポリタンクさん
こんばんは。
火薬庫はご主人にも快諾していただきましたので、秋のイベントの予定に入れています
また、橿原・高市広域行政事務組合のサイトでも紹介されました
ただ、町には予算が無く…
火薬庫をどうこうするには難しいようですね
中に入っても見させていただいたのですが、老朽化が激しいですね、軒もかなり落ちていますしね
早急に修復しなくては危険な状態ですので心配ですが…
火薬庫エイドでもしようかな大野さん、こんにちは。
秋のイベント楽しみですね。
でも自分だったら最後まで歩けるか・・と不安になったりしました(笑)。
中も見せていただいたんですか。
私もうかがうことができたら、その様子を紹介して
火薬庫エイドのお役に立ちたいと思います。
> 妄想や想像を膨らませてこういう会話ができるのが
> お城の醍醐味ですよね。
>
> お酒でも飲みながらだとなおさら(笑)。
いやいや、ほんまですよね。
残念ながら、この船溜まりがあったと思われる場所は、現在は運河の中ですので永遠に不明の可能性もあります。
一方、もう少し調査が進み、水面から堀底までの高さが解れば、小型船程度ならば侵入が可能かどうかも解ると思います。堀幅は十分だと思います。
ただー、小型船が侵入可能ならば、小型船で敵が侵入してきた時に防御能力が低下するうとちゃうか?という根本的な問題はありますけど・・・
> 私が気にしていた幟は、地下遺構の破壊を苦慮したものじ
> ゃないですよ。
>
> ただ写真の中に入り込んでくるのが嫌なだけです(^^;
多分そーじゃないかと思っていました。見た目ですよね。
ただ、最近ソーシャルメディアが発達しており、あの幟を入れて「椿井城なう」とするにはいいかもしれません。
管理人さんの趣味ではないかもしれませんが、簡単に撤去可能ですので。
>> 特に北側に位置する鍛冶屋敷と呼ばれる織豊期の陣城ら
>> しき城跡が惹かれてます。
>
> 織豊期の陣城とはどんな感じなのですか?
と下記でコメントしておりましたが、鍛冶屋敷とはどんな感じですか?
私も、塩貝城に行ってきたいと思いやす。
では、では。http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20120821000044
鍛冶屋敷は塩貝城のそばにある城郭遺構なのですが
その正体ははっきりしていません。
単郭で土塁囲い、またその土塁が張出し、横矢がかかっています。
それに枡形虎口ももっており、そのあたりから織豊系陣城という見方があるのですね。
私はまだ行ったことがありませんでしたがひそかに狙っていたのです。
>> もう椿井城はいかれましたでしょうか。
>
> まだでごじゃる。
> 行った時には報告致します。
お約束通り、報告します。
いってきやしたーーーーーーー。
しかし、私はPM4:00からと、のんびりモードで登城、途中、3度も休憩を入れつつなんとか、登城しました。午前中に出発し奈良まできてこの1城だけでした。
南郭群と北郭群がありますが、結局北郭群は十分見る前にタイムアウトとなりました。今度は北郭群を見て回りたいと思います。
さて、気になった遺構の破壊ですが、私見ですがぎりぎりセーフではないかと思います。全体からみると取り返しのつかない整備はなかったような気がします。
また管理人さんの気になっていた、幟ですが、これも入念にチェックしましたが、地下遺構の破壊には繋がっていなかったように思えますので、まー問題ないかと思います。
で、感想としましては、南郭群と北郭群、これは時間の差を感じました。南郭群は古く、北郭群は新しい印象があります。城史に関しては不明な点がある椿井城ですが、南郭群に関しては、もともと島氏が築城していた可能性があり、それに松永系の修築が加わったものではないかと思います。
また、北郭群に関しましては、最初から松永系の普請ではなかったかと思います。南郭群と北郭群とは雰囲気が変わっておりました。
全体的な印象としては、山頂沿いに曲輪を配置し、大きな堀切でこれを区切るというのは、小谷城とも似ているなー、と思いました。
それと今回見て頂きたい写真があります。
お城さんマークをご覧ください。これは、南郭群で2つの曲輪から見た写真です。
私が持って行ったどの縄張り図にも記載がない、今回の整備で新たに発見できた曲輪ではないかと思います。
下にある曲輪で防御し、これが突破されたこの道沿いに、敵が登ってきます。頂上部分から槍や矢で攻撃する、竪堀とも似た構造になっているのではないかと思います。このような防御施設は今回私は初めて見ました。整備を行っていただいたからこそ、よく解る遺構となりました。
暑くて、汗だくでしたが、なかなか面白い城でした。
> でもぜひともこの目で見たくなりませんか?
> 行かねば
なります、なります。是非鳥取城に行かなければなりません。
> 塩貝城(大戸城)は気になっていたお城だったのですが、
おーーーこんな城もあったんですね。塩貝城は越水城とも関連が深いかもしれませんね。ところで、
> 特に北側に位置する鍛冶屋敷と呼ばれる織豊期の陣城らし
> き城跡が惹かれてます。
織豊期の陣城とはどんな感じなのですか?
では、では。http://docs.google.com/open?id=0B453rNL7UjOtZ2dlTEwzbFBwcDg
私が気にしていた幟は、地下遺構の破壊を苦慮したものじゃないですよ。
ただ写真の中に入り込んでくるのが嫌なだけです(^^;
地表に現れた城郭遺構と一緒に、真新しい幟がひらひら
となってるのはなんとも無粋な気がしております。
しかしこの暑いときによく登られましたね。
お疲れ様でした。
> 南西隅が出っ張った格好にして、隅櫓でもあったんじゃな
> いでしょうかねえ。わかりませんけど・・。
隅櫓はひょっとしたらあったかもしれませんねー。
> でも拡大された絵図を見ますと石垣が使われているようで
> すので降りられないんじゃないかなと思いました。
この可能性を否定する十分な証拠はありません。確かに「降りられない」という可能性もあります。
ただ、発掘調査で配られていた資料をもう一度ご覧下さい。
1.
「兵庫陣屋絵圖」というもう一枚の絵図があります。この西門の外側には木橋が描かれています。
木橋の下は、小型船程度ならばくぐれる可能性があります。
2.
また、西門の外側に小曲輪が描かれ、その先に木橋があります。この小曲輪ならば船を横付けできる可能性があります。
本来この木橋に横矢をかけるならば、このような凹みを作るのは不自然で、むしろ凸にした方が横矢がかかります。
3.
発掘調査では、学芸員の方が「この濠は入念に堀ざらえが行われていた」と力説されていました。つまり船を航行しやすくするために、堀ざらえが行われていた可能性もあります。
4.
また本丸部分の石垣の高さはまだ不明ですが、町屋側の石垣と同程度とするならば1mより低く、防御を目的とした石垣ではなく、曲輪留め程度の石垣とすれば、船の乗り降りには支障が無いと思います。
以上の点から不自然な凹みは船溜まりの可能性もあるのではないかなー、と考察しております。
ただ、管理人さんではありませんが、
> わかりませんけど・・。
実際のところ私もよく解りません。
> 引き続きの調査に期待してます!
そーですよねー、私もまた発掘調査報告会やって欲しいですよね。
続きがあります。http://sao.seesaa.net/article/284990949.html
ブレイズマンさん、こんにちは。
妄想や想像を膨らませてこういう会話ができるのが
お城の醍醐味ですよね。
お酒でも飲みながらだとなおさら(笑)。
そういえば今日は鷹取で集落跡の現地説明会があります。
時代は違うし、兵庫城とは関係ないですが、この暑い
時に大変だなあとほんと担当の方のご苦労には頭が下がる思いです。
ということで、続きの情報を期待しましょう(^^
大野直家さん、こちらこそ、はじめまして。
見学前、画像のアップ等で迷惑がかからないだろうかと少々思案したのですが、
ご紹介いただいたサイトのコースガイド(リンクあり)に載っているのは存じて
おりましたので、思い切って紹介してみました。「後世に残す責任もあるだろう
し」とのお気持ちがおありとのことなので、少しでも認知された方がよいような
気はします。あくまで私個人の意見ですが m(_ _)m
> 庫に使われている金属類など城ファンが見に来た記念にと持って行って
> しまった
えー!。そりゃいかんですね。城内に落ちている瓦でも憚られますのに(という
か、駄目ですよね?)、マナー違反では...。
> 見るものが無くて
いえいえ、私は満足できました。多少見てくれが変わっていても、残っている
ことそのものに溜め息が出ました。なお、高さが変わっているのは事前に存じて
おりましたので、脳内補正しました(笑)
個人的に残念だったのは、火薬櫓台をまだ見ていないため、脳内補正した建物を
これまた脳内で石垣の上にのっけるという作業ができなかったことです。それで、
古川屋敷へ足を運ぶ気持ちが強くなった次第です。
> 多くの部材は当時のものだろうと研究結果を聞いているそうです。
そうでしたか。中途半端なことを書いてしまってすみませんでした(大汗)
> 見学に関しては自由に行っていただいて結構ですよと聞いております
この言葉を知って胸のつかえがとれました。有り難うございます m(_ _)m
ところで...
> 秋に高取城跡へ歩くイベント
興味津々です。もし差し支えなければ、具体的な話が纏まったらお知らせいただ
けると幸いです。都合がつけば参加してみたいです。
尊敬する職場の上司(数年前にご勇退)を初めてご案内したお城が高取城でして、
どうも思い入れがあります。上司のご母堂様(ご伴侶様だったかな?)が城下の
ご出身だそうで、高取には何度も足を運ぶも、お城には行ったことがなかった
そうです。「山の上にこんな立派な城があったとは!もっと早く来ておけば
よかった!」と悔やんでおられました。
では、失礼いたします。
ポリタンクさん、はじめまして。
高取城移築火薬庫ですが、高取町観光協会のサイトで少し紹介されていますよ。
先日、秋に高取城跡へ歩くイベントを開催するためご主人とお話をしていたんですが、庫に使われている金属類など城ファンが見に来た記念にと持って行ってしまったようで、見るものが無くて申し訳ないと仰ってました。今は瓦だけが残るだけだそうです。
また、補修に数千万必要だそうで、壊してしまった方が楽なんだが後世に残す責任もあるだろうしと悩んでもおられました。庫自体は高さを倍に改造されているが多くの部材は当時のものだろうと研究結果を聞いているそうです。
また、昭和の中ごろまでは他にも茶室なども町内に移築されて残っていたそうですが、老朽化のため取り壊されているようです。
見学に関しては自由に行っていただいて結構ですよと聞いておりますが、ご年配のご夫婦が住んでおられる家ですので、騒がずに見学していただければと思います。だから自分も場所までは詳しく公開できずにいます。大野さん、こんにちは。
タイムリーな話題だったかもしれませんね?
なかなか貴重なお話ありがとうございます。
できればその秋のイベントのコースに入れられれば
城ファンにはたまらないものになりそうですね。
あと個人管理に任せているだけでは無理がありますよね。
自治体の協力もぜひともお願いしたいところです。
ではでは。
#取り留めのない文ですが、ご容赦を m(_ _)m
以前、管理人様と高槻城伝移築櫓を「衣装櫓」としたソースは何だろう?と
いう話になりましたが、何だかんだでわからずじまいでした。ところが、先日、
管理人様から『城郭建築物遺構「櫓」探訪(上)』(文芸社)がそうだ、との
情報を頂き、早速注文して入手しました。「衣装櫓」、書いてました!
Amazonのプレビューでも目次を見ることができますが、その中に「高取城」の
名があったので、以前から気になっていた火薬櫓のことかしらとワクワクしな
がら本を開いたところ、ビンゴ!。翌日に午後から休みをとって見に行って
しまいました(爆)
#仕事は遅いけど、こんな時だけはフットワーク軽し...
写真をお城さんマークにリンクしておきますが、場所は砂防公園入口左手の
高台にある民家の中です。幸いなことに通路から拝むことが出来たので激写
しましたが、きちんとご挨拶してからの方がよかったかしらとちょっと反省
しております。(お盆時期なので、変に声をかけるのもまずいかもと自重した
のですけどね...。)
火薬櫓が気になったきっかけは、『大和高取城』(城郭談話会)での可能性の
指摘なのですが、そこには「当時のものは瓦と閂、錠前くらい」とありました。
それでもやはり見てみたかったのですが、冒頭紹介の書籍に背中を押されて
実現と相成りました。ただ、今回の訪問にあたって『大和高取城』も改めて
読んだところ、参考文献の中に冒頭紹介の書籍が挙がっていました(大汗)。
相変わらず手元の資料を生かせていないことがわかり、ちょっとしょんぼり。
伝移築櫓を見たお陰で、過去3回の訪城では薮に臆して避けていた古川屋敷
(下段に火薬櫓)方面へ再訪時に足を踏み入れる気持ちが強くなってきました。
未踏の岡口門(堀切あり)とセットで検討しようかな。まあ、それ以前に、
一度は黒門から歩く経験をしないといけないのかなとは思いますけど(汗)。
末尾になりますが、情報提供をいただいた管理人様に、この場をお借りして
お礼申し上げます m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
城の資料を探しているうちに自然と部屋が散らかってきますので、
たまに整理が必要となるのですが(^^;
今回はなんとなく見つけてしまいました。
所有しているだけで未読の本があるのはなんとも勿体ないなと
思うのですが、なかなかねぇ・・。
高取城の情報ありがとうございます。
秋に訪問予定ですので、その際になんとか見てきたいな
と思います。
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> おっしゃるように転用石の利用方法については、今後引き
> 続き行われる発掘調査結果を踏まえた考察がアップされる
> のを楽しみにしておきましょう。
> それまではいろいろと妄想を膨らませつつ楽しめますね。
まったくですねー。
今回の場合、転用石の使われ方を見ておりますと、大手に近いほど使われている比率が高く、離れれば低くなっているような感じはしています。これはあえて転用石を見せつけているかもしれません。
これは何かあるかもしれませんね。
> 絵図とはどの絵図のことでしょうか?
発掘調査で配られていた資料に記載がある、本丸部分の絵図です。
絵図の西側、西門の近くに船溜まり、ちょっとくぼんだようなものが記載されていません?
> これで築城時から残る様子を想像するしかないかなと思っ
> てました。
そーなんですよ。
> 兵庫陣屋は、単郭構造、もしくは、本丸+馬出しの二郭構
> 造ですが、どうやら兵庫城もその構造を踏襲していた可能
> 性があるとのことでした。
と下記コメントをしましたが、兵庫陣屋と兵庫城は、大きな構造的な改変が見受けられない、同じであった可能性が高そうである、との見解でした。
まだ、確定的な事は解りませんけどね。
仮に兵庫陣屋と兵庫城は、大体同じであったと仮定して、天守があったとしたら、恐らく本丸のどこかの角地であると思います。
としたら、私は大手とは反対側、西北の角ではないかと思いますけどね。
では、では。ブレイズマンさん、こんにちは。
>絵図の西側、西門の近くに船溜まり、ちょっとくぼん
>だようなものが記載されていません?
なるほど、わかりました。
でも拡大された絵図を見ますと石垣が使われているようですので降りられないんじゃないかなと思いました。
南西隅が出っ張った格好にして、隅櫓でもあったんじゃないでしょうかねえ。わかりませんけど・・。
天守の場所については、私も同感です。
引き続きの調査に期待してます!