ようやく涼しくなり、山城攻め再開。
最初は、吉備中央町福沢東の2城ペア。
「大野呂城」は「おかやまGIS」によると、標高320mの山頂に四曲輪1面、帯曲輪土塁を伴う、堀切1条あり。
とされている。
南端の墓地に向かう山道に取り付き、適当に登って作業道に当たる。
作業道を東側に回り込み、終点から直登。
選定鋏活躍。
尾根筋の堀切、堀切に沿う大土塁。
帯曲輪、郭2段まで達するも、ヤブで通過困難。
麓に降りて作業中の地主様に山名を聞く。
城郭との認識無し。
以前は畑だった由。
次の「野々平城」は「おかやまGIS」では、標高350mの山頂。
単郭、頂部に曲輪3面、帯曲輪、土塁を伴う堀切1条あり。
と記されている。
奥の民家手前の墓地から山道が続く。
適当に右手に直登して大堀切と土塁。
作業道がめちゃくちゃに入っていて周囲の切岸は1/4程度破壊。
卵形の主郭も重機が走行した感じがする。
三つめは吉備中央町豊岡下の「片山城」。
西側の民家で薪割りをされていた女性に立ち入りをお願いすると、山城との認識無し。
一度、山城の見学をしたいとのこと。
妙齢の女性お二人のガイドをするハメに至った。
で・・・、民家から山道を登るといつも参拝される地神の碑。
ここから城域が始まる。
小郭三段、堀切・竪堀セット。
帯曲輪、長さ50m程度の三郭一面。
元神社だった所に日露戦争の忠魂碑。
堀切(帯曲輪からの堀底道)を隔てて二の郭が約30m。
江戸期の顕彰碑。
堀切、郭が三段で終わっている。
総延長約200m程度か。
城主の片山氏は江戸期には大庄屋とのこと。
城郭パーツの説明に満足されたようで、ガイド役免除となる。
四つ目は吉備中央町加茂市場の「備前・藤沢城」。
「おかやまGIS」では、標高240mの山頂。
頂部に曲輪、北に帯曲輪、南西斜面に小曲輪群、東端に堀切・土塁あり。
と掲載されている。
日名の団地奥の民家に立ち入りを願うと地主とのこと。
城は南東の神社から登ると備中・藤沢城に行けるとのこと。
目的地は「備前・藤沢城」と説明するも、城としての認識無し、上には荒神様が祭られているとのこと。
ここも荒神様までの参拝道が作られており楽勝と意気込む。
テレビ受信アンテナ脇から取り付いて、イノシシ除けのフェンスを開けて(通ったら閉めてね)山道を進む。
小曲輪三段目に荒神様の祠。
すぐ上が自然地形の主郭。
その先に三段の小郭。
東端の堀切・土塁は急斜面の下の方か、全く見えていない。
今日は降下用品を持ってきていないことを理由にして確認はあきらめる(年齢も古希なので)。
どうやら隣山の備中・藤沢城と同様、加茂崩れの端緒となった加茂福山城攻めの毛利氏の陣城らしい。
今年の春、浅野家が地域で役立ててもらいたいという意向を示されたましたが、相生市内には若狭野陣屋の歴史的価値を理解し、保存しようという動きはありませんでした。札座の解体が近いと聞き「それはおかしい。誰も保存しようとする人はいないのか」と私たちが手を挙げることにしました。昨年以前のことは何もわかりません。このサイトを見ますと、東南の角の銭座が写真に写っています。わずか2年前ですが、現在は取り壊されています。できれば、復元したいので、銭座の写真をいただけないでしょうか。http://www.facebook.com/aioiyanonosyo/
松本様、ご連絡が遅くなり申し訳ありません。
久々に今日、陣屋を訪問してきました。
確かに保存整備の必要を実感しました。
写真の件、了解いたしました。
改めてFacebookのほうへご連絡いたします。
長沼城って登るにさほど時間かからないとこですかね、
一度前方の藪から上って藪過ぎたら墓地になってたけど
そこかどうか後で自信もててない。
岡山市東区長沼にある「備前・長沼城」攻略。
最近、おかやまGISに岡山市東区長沼に「備前・長沼城」が掲載され、この暑さにもめげず攻略意欲がむらむらと燃え盛る。
この城は、東から「砥石城」「高取山城」と続く城郭群の一端をなすようで「高取山城」の属城のようだ。
寺前公会堂にFit駐車。
来福寺方向に舗装された小道を歩くと墓地。
そのまま溝に沿って進み、墓地終点付近から右手の山道に入る。
すぐに長ささ約50m程の墓地化された長郭。
両側に腰曲輪。
尾根先に南下して、約20mに二段の郭。
矢竹のヤブになって長さ約20mの主郭。
その先は細尾根に二段の小郭で終わっている。
総延長約100m程。
この時期、ヤブが薄いのがありがたい。
ヤブ蚊にボコボコにされて帰路につく。
朝から猛烈な暑さ。
畑和良氏の縄張図を握って和気町田賀の「備前・田尻城」攻略。
美作・岡山道の高架の下から舗装道を登って墓地に駐車。
石段を登って鬼子母神。
山道をそのまま50m程登って尾根。
尾根から尾根先の方を見ると、二重堀切、櫓台。
直径約25m程の単郭の砦だ。
この時期、ヤブコギ無しはうれしい。
梅雨の合間に岡山県吉備中央町三納谷の「備前・三納谷城」を訪問するも遺構無し。
足を延ばして同じ吉備中央町高谷の「備前・十力城」。
この城郭は天正7〜8年の宇喜多・毛利の戦いの折り、毛利勢が岡山市北区御津虎倉の「備前・虎倉城」の伊賀氏を攻めて大敗した「加茂崩れ」の毛利群新劇路を見下ろす山上にあり、伊賀氏の最前線であった「加茂・福山城」の東側を固める砦として機能していた城、もしくは虎倉城を意識した城と思われる。
「おかやまGIS」では高谷地区の長丸集落の奥の台ケ峰キャンプ場跡にあるとされていたが、ここには遺構は存在せず。
ガセネタかと思っていたが、最近「岡山GIS」が改訂されて、長丸集落から東に延びる尾根上にあることが判明。
カーナビを付近の吉備中央町高谷1160にセット。
狭い集落内の駐車は困難なので通りかかった住民にお聞きして、五差路脇の廃屋の駐車場にFitを置く。
東に向かう舗装道は約100m程で地道になり、小型バックホー小屋の奥から猪よけのトタン板を乗り越えて作業道を進む。
約120m程でジャングルを抜けて左手に堀切、堀底約4mで箱堀になっている。
東側の切岸が覆いかぶさる。
堀底を登って、尾根にもう一本の廃棄作業道。
道なりに進んで西側に土塁の廻る三の郭。
一部破壊された小切岸を登って二の郭。
もう一段登って主郭になっている。
ここまでの連続した郭の延長は約70m。
一段下がって端の10×10mの郭と切岸で終わっている。
その先は自然地形のほぼ平坦な尾根。
東側の虎倉城方向を意識した総延長約90m程の砦だ。
作業道で一部破壊されているが、まずまず満足して帰路に就く。
岡山県赤磐市中勢実2100にカーナビの目的地をセットして出発。
途中、カーナビが狂って変なルートになったが、竜天キャンプ場北東約900mの三叉路に駐車。
北に舗装道を歩いて一軒だけ居住している民家群脇からヤブに突入。
猛烈な暑さにも関わらずレインウエアー着用。
赤テープ、選定鋏活躍。
比高30mを下って炭焼釜跡のある鞍部の平坦地。
すぐに「備前・長坂城東城」切岸、郭、浅い堀切、郭と続く。
三重の堀切から第切岸を登って郭、幅20m長さ30m程の北端に櫓台のある主郭。
小規模な石垣。
12×12m程の郭で終わっている。
主郭群の周囲には切岸造成残土が武者走りのように廻っている。
総延長約140m程か。
その先は細い尾根になって道跡が下っている。
昔の本山寺参詣道だ。
約250m離れた西隣の尾根にも長坂城西城の郭群があるようだが、比高70mの谷に降りて登り返すのは無理と決め付け撤退する。
下着はグッショリ濡れ込む。
カークーラーで乾燥。
この城についての伝承は不詳。
北の谷底の往還を望むことから、天正2年の宇喜多と浦上の戦いや天正7年の宇喜多の笹部氏・後藤氏攻めには重要な役割を果たしたらしいと妄想。
岡山県吉備中央町田土の「備中・大原城探訪」。
おかやまGISによると「宇甘川右岸標高320mの山頂。頂部に主郭を配し、北に派生する4本の尾根で段切り状に造成された複数の曲輪。堀切、土塁、畝状竪堀群あり。別称土生山城跡」と記載されている。
鉈鎌、選定鋏、赤テープ大活躍。
1/25,000地形図にある東側から谷を詰めて南に登る実践の山道は存在せず。
北側の民家裏の墓地から急斜面を登って一番東側の尾根に取り付く。
延長20m程三段の郭から主郭下の帯曲輪。
竪堀を隔てて東から二つ目の尾根の郭群は延長約40m程。
更に帯曲輪を西に進ん竪堀を渡ってで三つめの郭群。
堀切、土塁、段々の郭が約60m続く。
取って返して、一番東側の郭群を過ぎて、毛利氏系の箱堀で主郭から切り離された二の郭群。
この郭群は長い土塁を伴い、主郭との間に水場の谷を持って城の西端まで伸びている。先程の帯曲輪はずっと続いて、ほぼ全周。
郭部だけで約200m×200m程度か。
毛利氏の陣城と言われる備中・藤沢城を挟んで、宇喜多氏の大規模城郭の加茂・福山城まで約3.5Km。
「加茂崩れ」後の戦線に関係のありそうな城郭のようだと妄想。
家に帰って、太ももにマダニ。
岡山県美作市久保木にある「美作・久保木城」訪問。
「おかやまGIS」では永禄年間に尼子氏により落城と記載。
美作市山口から南東方向に進み、1/25,000地形図を頼りに「美作・久保木城」の南側の尾根筋から攻略。
カーナビに出ていない舗装道。
ヘアピンカーブからはヤブが濃くて侵入困難。
細い自動車道を西北に下って谷のヒノキ林から尾根に直登。
いつものように赤テープ、選定鋏活躍。
尾根に登ると土橋。
北上して笹薮の中に浅い堀切。
そのまま山頂方向に進んで、ヤブが薄くなり、頂上直下に堀切、切岸。
約20m×30mの帯曲輪を巡らせた主郭。
北に向かって60m間に郭七段。
土塁のある郭から堀切。
長郭、腰曲輪、切岸で終了。
総延長約200m程か。
舗装道路まで戻ると野良猫が逃げ去る。
帰路はUターン不可能なのでカーナビの指示に従い適当に進むと、丘の上の茶畑の連続。
作東産業団地の脇から国道に戻れた。
岡山県和気町日笠上の「備前・天王久保山城」攻略。
浦上氏の天神山城の関連で和気町日笠地区にはめっちゃ城郭遺跡が多い。
この砦は日笠青山城、北浦山城の東側にあり、下を八塔寺に抜ける往還が通っている。
道脇に駐車して法面の斜路を登り、古いブラ階段を辿ってあっけなく送電鉄塔に至る。
周囲に1m程度の切岸。
長さ15m程度の楕円形の平坦な主郭。
東側に不明瞭な小曲輪2つ。
西側は二段の送電鉄塔基部を隔てて長さ約10m程の曲輪。
日笠・青山城、北浦山城の方を向いた陣城のようだ。
全長約40m程度か。
中電送電鉄塔巡視路は、この小曲輪から南に向かっている。
宇喜多氏の浦上攻めの陣城の一つと妄想。
岡山県和気町日笠上の「備前・天王久保山城」攻略。
浦上氏の天神山城の関連で和気町日笠地区にはめっちゃ城郭遺跡が多い。
この砦は日笠青山城、北浦山城の東側にあり、下を八塔寺に抜ける往還が通っている。
道脇に駐車して法面の斜路を登り、古いブラ階段を辿ってあっけなく送電鉄塔に至る。
周囲に1m程度の切岸。
長さ15m程度の楕円形の平坦な主郭。
東側に不明瞭な小曲輪2つ。
西側は二段の送電鉄塔基部を隔てて長さ約10m程の曲輪。
日笠・青山城、北浦山城の方を向いた陣城のようだ。
全長約40m程度か。
中電送電鉄塔巡視路は、この小曲輪から南に向かっている。
宇喜多氏の浦上攻めの陣城の一つと妄想。
備前市浦伊部の「田井山城」攻略。
国道2号線片上隧道の上にある広場に駐車。
峠の地蔵堂から尾根筋を登る。
赤テープ、選定鋏活躍。
途中、削平の甘い郭地形。
ここから踏み跡が続く。
再度登って尾根筋の杣道にでる。
西に右折して三重堀切+竪堀。
約20mの切岸にあるブラ階段を登ると長い主郭部。
ここから中電送電線管理道を進んで、約100mで横堀。
下って、南の尾根と西の尾根の分岐を道なりに右折。
西の尾根に乘って徐々に下って段々の郭と切岸。
二重堀切。
南支尾根は道が無く、郭や堀切又は土塁があるとのことだが、シダの大ヤブにて未訪。
No12鉄塔。
ここから一旦、谷に降りて反対斜面をトラバース。
鉄塔No13からNo14に出て変電所裏のフェンスを辿って国道250号線に出る。
国道2号線の交差点から国道脇の歩道を登って駐車位置に戻る。
延長約400m程度か。
事前情報では簡素な城とのイメージだったが、隣接する茶臼山城(公園化されて遺構破壊)も含めた全山要塞化の城郭のようだ。
二つ目は備前市三石にある「備前・関川城」(通称・出丸)。
最近、畑氏の作成した縄張図入手。
三石スポーツ公園トイレ前の駐車場に車を置いて、JR山陽本線の近代産業遺産のレンガ積みカルバートを二つ潜って西側から木野山神社への舗装参道を登る。
木野山神社脇から道なりに登って最初の郭。
下って次の郭。
三段登って南端に低土塁のある郭。
浅い横堀か。
最後の郭の南端は高土塁、落ち込む切岸。
浅い箱堀で終わっている。
この先は約30mで鉱山跡地になり大規模に削られている。
総延長約120m程度の連郭式城郭。
城の西側の車道は近世の山陽道。
吉備中央町古和田〜北にある「道の駅かよう」の駐車場に車を置いて、大和山への遊歩道に入る。
道の駅からすぐの尾根筋に遊歩道が変更されている。
以前は谷筋だったが・・・・
竹林に郭二段。
道なりに登ると長さ24m、幅15mの方形土塁の縁になる。
三方が高土塁。
一番高い所は、内側の郭から4〜5m程度。
残りの一方は高い切岸で下の郭に続いている。
最近、「おかやまGIS」に記載された名無しの城郭だ。
南海も古和田城に行くときに、すぐ縁を通っていたのに、ただの竹林かと思っていたとは。
ここから西に約300mで古和田城(野山城)。
しばらくぶりに登ると、かなり人手が入って見通しが良くなっている。
ほぼ単郭の城で中央に神社跡石垣のある大型矢倉台程度の主郭があり、東西の尾根筋に向かってそれぞれ高さ1m程のL字の土塁。
ひょっとして、郭の周囲にC字に廻っていたかも。
そうとすれば鉄砲土塁かもと妄想。
切岸は高い所で7〜8m。
その下には郭が二つあるも、切り落とし土砂をかき均らしたようにも見える。
祠あり。
幅広の横堀か郭に見える部分もある。
岡山県新見市唐松にある「備中・鬼山城」攻略。
総延長約800mにも及ぶ城郭だが、「おかやまGIS」の情報は乏しく、事前の地形図調査では尾根続きにピークが三か所あるのと、地質図でのの周囲が石灰岩台地特有の切り立った、かなりの高さの断崖絶壁になっている様子のみ。
情報が乏しいのは地元の勢力以外の番城か、毛利氏の備中・佐井田城攻めに、ここから1.2Km尾根を北東に登った甲籠城の城主が道案内をしたとの記述に接する。
登城ルートを探していると、田津から市場に抜ける往還の峠から取り付けば良いとの情報を得る。
選定鋏、赤テープ、水をザックに入れ、シールド付きのヘルメットをかぶり後田津の県道脇に駐車。
後田津の十字路から20m程西よりの竹林の中の山道に入る。
タケノコを見ながら、道に倒れた竹を跨いで進むと、割合い下生えも少なく快適な山道で峠に至る。
ここから右折(西南へ)して尾根を進むとと最初のピークの砦。
延長約70m程度。
主郭左手に竪堀。
少し下りながら、自然地形に近い郭、緩斜面、土橋状の細尾根を通過。
二つ目の大岩のあるピークの郭群。
延長約100m、幅は10m未満か。
段々下って、最後の土端状の細尾根から自然地形に近い長郭。
突然、岩盤を断ち切った箱堀と上部が石垣のように切れた大切岸。
箱堀からの踏み跡は西側斜面で消えている。
ここから木の枝につかまって約10mトラバース。
立派な腰曲輪に至る。
上に登ると主郭。
明瞭な切岸と幅20m以上の広い郭が五段。
虎口は無いようだ。
延長約150mか。
その先は通過困難な笹薮になっていて、選定鋏では歯が立たず敗退。
地形図だと唐松の神社の上辺りに達したようだ。
なにしろ、周囲の斜面は崖地になっているので再び来た道を取って返す。
この城郭の西麓斜面には約300m四方に館らしき段々や石垣、祠、墓地などがあるが、判別しがたし。
岡山県新見市唐松にある「備中・鬼山城」攻略。
総延長約800mにも及ぶ城郭だが、「おかやまGIS」の情報は乏しく、事前の地形図調査では尾根続きにピークが三か所あるのと、地質図でのの周囲が石灰岩台地特有の切り立った、かなりの高さの断崖絶壁になっている様子のみ。
情報が乏しいのは地元の勢力以外の番城か、毛利氏の備中・佐井田城攻めに、ここから1.2Km尾根を北東に登った甲籠城の城主が道案内をしたとの記述に接する。
登城ルートを探していると、田津から市場に抜ける往還の峠から取り付けば良いとの情報を得る。
選定鋏、赤テープ、水をザックに入れ、シールド付きのヘルメットをかぶり後田津の県道脇に駐車。
後田津の十字路から20m程西よりの竹林の中の山道に入る。
タケノコを見ながら、道に倒れた竹を跨いで進むと、割合い下生えも少なく快適な山道で峠に至る。
ここから右折(西南へ)して尾根を進むとと最初のピークの砦。
延長約70m程度。
主郭左手に竪堀。
少し下りながら、自然地形に近い郭、緩斜面、土橋状の細尾根を通過。
二つ目の大岩のあるピークの郭群。
延長約100m、幅は10m未満か。
段々下って、最後の土端状の細尾根から自然地形に近い長郭。
突然、岩盤を断ち切った箱堀と上部が石垣のように切れた大切岸。
箱堀からの踏み跡は西側斜面で消えている。
ここから木の枝につかまって約10mトラバース。
立派な腰曲輪に至る。
上に登ると主郭。
明瞭な切岸と幅20m以上の広い郭が五段。
虎口は無いようだ。
延長約150mか。
その先は通過困難な笹薮になっていて、選定鋏では歯が立たず敗退。
地形図だと唐松の神社の上辺りに達したようだ。
なにしろ、周囲の斜面は崖地になっているので再び来た道を取って返す。
この城郭の西麓斜面には約300m四方に館らしき段々や石垣、祠、墓地などがあるが、判別しがたし。
大阪城の堀にはウナギがいるという事で
釣り人に話しかけたら間髪いれずどドヤされたでござる。
イヤハヤ難解な者がおるでござるなー。
2月21日に訪問した赤磐市の大久保城の東隣にある「備前・高尾山城」訪問。
天正二年に宇喜多氏が大久保城から浦上氏が守る高尾山城を攻めて大勝利した城だ。
岡山GISには遺構が期待できないような記載だったが、現地は延長約400m程度の逆Y字型の城郭で、かなり手が入っていて陣城では無く、マニアックな城郭。
五つのピークに腰曲輪、竪堀群、竪土塁、土塁などを配置し、土橋でつなぐ超堅固な城のように見えた。
縄張図を作成される方は三日はかかりそうな難関です。
美作国の今シーズン最後のフキノトウ採りを兼ねて真庭市蒜山地方に攻め入る。
最初は蒜山吉田の「殿屋敷」。
確かに三段の平地があるが、残念ながら居館ではないようだ。
次は、西茅部の「経塚山城」。
蒜山自転車道の京塚休憩所駐車場に停車。
ザックに熊鈴、笛、鎌鉈、赤テープ持参。
蒜山自転車道を東に向かい、下井川にかかる人のみが利用できる橋の十字路から南に折れて牧草地経由で京塚山の東側に回り込む。
クマザサの無い尾根に取り付き、どんどん登って長さ約90mの主郭。
削平は甘く、栗住城に対する陣城との目論見は正解のようだ。
尾根筋を西耳西に進んで、明瞭な郭。
巾約10m、厚さ2m。
更に下って20m×20m程度の削平の甘い郭。
どんどん下って浅い堀切、L=50m程度の削の甘い郭でおしまい。
切岸は堀切の部分が明瞭なだけで防御性は低い城郭だ。
点々と四か所に郭があるが、全長は300m程度か。
つぼみの開いていないフキノトウを大量にゲット。
フキミソ、テンプラを期待して帰路に就く。
美作国の今シーズン最後のフキノトウ採りを兼ねて真庭市蒜山地方に攻め入る。
最初は蒜山吉田の「殿屋敷」。
確かに三段の平地があるが、残念ながら居館ではないようだ。
次は、西茅部の「経塚山城」。
蒜山自転車道の京塚休憩所駐車場に停車。
ザックに熊鈴、笛、鎌鉈、赤テープ持参。
蒜山自転車道を東に向かい、下井川にかかる人のみが利用できる橋の十字路から南に折れて牧草地経由で京塚山の東側に回り込む。
クマザサの無い尾根に取り付き、どんどん登って長さ約90mの主郭。
削平は甘く、栗住城に対する陣城との目論見は正解のようだ。
尾根筋を西耳西に進んで、明瞭な郭。
巾約10m、厚さ2m。
更に下って20m×20m程度の削平の甘い郭。
どんどん下って浅い堀切、L=50m程度の削の甘い郭でおしまい。
切岸は堀切の部分が明瞭なだけで防御性は低い城郭だ。
点々と四か所に郭があるが、全長は300m程度か。
つぼみの開いていないフキノトウを大量にゲット。
フキミソ、テンプラを期待して帰路に就く。
フキノトウ採取のついでに真庭市古見の「美作・鳥越山砦」探訪。
落合町史から縄張図コピー。
宮山城から平野を東側に隔てた標高標高250mの山上と思しき場所にある。
善福寺から登ろうとしたが取り付けれず。
南側の尾根筋を山道なりに登って行けたので楽勝。
小郭二つ、竪堀、主郭、背後の郭とL=100m程の誠に簡素な砦。
背後に堀切も無い。
そのまま登って尾根筋を約200m程探ってみると、高さ約3m程の切岸と作業道に囲まれた長さ60m程の二郭。
見晴もよさそうな尾根筋で城郭遺構かも。
赤磐市惣分にある惣分城と赤磐市稲蒔の上田城訪問。
最初の「備前・惣分城」は古いタイプの館城のようだ。
集落の南側の墓地から登ると5段の平坦地が続く。
近世に高耕地化されていたような切岸と平坦地。
尾根筋を東に登って行くとL=30m程度の郭。
更に登るとL=10mの郭、L=15mの郭、L=30mの主郭で終わり、少し下って細尾根に続く。
背後の防御は心細い。
二つ目の「備前・上田城」は稲蒔城から一山超えた西側約800m程の尾根上にある。
ほぼ平坦な尾根の分岐点に径30m程の幅広の土塁と腰曲輪を伴う西郭。
ここから北に尾根を約100m降ると見張り場の郭。
元の土塁のある郭から東に約100m進むと二段の帯曲輪を伴う径約30m程の東郭。
ここから尾根筋を北に約200m下ると見張り場の郭、切岸。
この山から北に茶臼山城の模擬天主が良く見える。
宇喜多氏の茶臼山城攻めは西側と南側が攻略ルートと妄想。
無理矢理用事を作って岡山へ。
帰りがけに2城ほうもん。
最初は赤磐市大苅田の「大久保城」。
おかやまGISによると、山上の平坦部と東支尾根の砦の二か所に遺構がある。
山上の平坦地は数年前に訪問。
北側の主尾根から辿ったが、1m程度の切岸が巡る。
当時は陣城の知識が無かったので城郭遺構とは認識せず。
今回は、東尾根の砦部。
天正2年に東隣の「備前高尾山」を宇喜多氏が攻めた陣城のようだ。
この砦部は、すぐ下の池まで径トラ道があるので、駐車場付きの快適コース。
尾根の北側から登りつくと、わずかなヤブコギで下生えの無い竪堀の堀底道。
登って、細尾根にほぼ単郭の砦。
左右に竪堀、櫓台。
尾根筋に堀切、竪堀。
全長約70m程だが防備は固い。
まるで、長野県に多くみられる山城風。
尾根筋を辿ると北側に竪堀。
山上の平坦地から兵を谷に進めるのに最適。
高尾山に匕首を突き付けたような形になっていることを確認。
二つ目は、旧御津町と山陽町の境の伊田乢にある「木山城」。
昨年おかやまGISの書き換えで位置が判明した城郭。
峠の旧道に駐車。
道の西側の竹藪から昔の山道を経て直登する。
まもなく町境尾根。
踏跡をたどると主尾根手前左右に高さ約7m程の切岸が延々と続く。
切り落としの土砂で鉢巻状に平地が巡る。
永禄11年の金川城攻めの巨大な陣城のようだ。
延長約450m程か。
峠に向いて逆C字形に切岸を設け、反対側は無防備。
郭部は幅広なほぼ平坦な自然地形。
北端に虎口、細尾根、竪堀、出曲輪。
旧山陽町山口方向の広い谷部は切岸が無く、腰曲輪があり、大きな出入り口のようだ。
西の山続きは無防備なので、西側の殿谷城は味方に引き入れたようだ。
などど妄想三昧の一日を過ごす。
T氏、M氏のお供で備前2城訪問。
最初は佐伯天神山城の向城の「木倉田土境の城」。
離合困難な細い山道を姿部落までフィットで進む。
山道を丸尾山との鞍部を経て北東へ。
どうも違うようだと気づき、GPSを見て尾根筋の破線道に出る。
破線道をどんどん南西に進んで鞍部から登り返して「木倉田土境の城」。
ふーむ氏の縄張図の通りの土塁囲み。
嬉しさ満開。
T氏、M氏は早速測量開始。
小生は、そのまま下生の少ない尾根筋を南西に進んで、和気美しい森のハイキングコースの50m程上に至る。
鞍部に降りれば、もう少しでハイキングコースと交流すると思ったが、時間の都合上「木倉田土境の城」まで戻る。
今度は、破線道を降ることにして、GPSを頼りに道なき道を降る。
やっとのことで姿池。
駐車位置にたどり着く。
二つ目は、備前市神根穂んの「医王山城」。
県道から橋を渡って福祉施設付近に駐車。
三度目なので残置テープの通り急斜面に取り付く。
尾根に出てピーク三つ。
左折して約50m程で横堀、低土塁、郭。
崖に突き出した城なので、ここ以外にはルートが無い。
虎口、切岸、郭が二段。
小細工が多く、マニアックな城郭だ。
先端の岩場には恐ろしくて登れない。
2人は測量没頭。
場外偵察。
谷筋に水場の泉。
満足して帰路に就く。
アメリカ合衆国オハイオ州から訪問しました。
岡山で幼い頃遊んだ場所や懐かしいお城を知ることができました。
足跡残させていただきます。
ありがとうございます。
T氏より頂戴した津山市上横野(大篠奥谷)の「懸縄山城北郭群」と「懸縄山城」の縄張図を頼りに懸縄山城北郭群から懸縄山城、懸縄山北西尾根の周回コースにチャレンジ。
最初は大篠奥谷の民家前に駐車させていただき、丸太橋を渡って墓地脇より登りつく。
赤テープ、鎌鉈活躍。
藪から倒木を超えて登りやすくなると比高役90mの「懸縄山城北郭群」。
延長約100m程で段々の郭が続く。
主郭から鞍部に下るも、鞍部の加工なし。
更に役100m程登って行くと、細尾根に幅約7m長さ約20m程の郭ともとれる平坦地。
更に、60m〜70mで幅約9m、長さ役20m、東側に約7mの低土塁のある郭。
ここから約100m登って「懸縄山城」の切岸に至る。
左手(東側)にトラバースすると郭群に出た。
GPSで「懸縄山城」の東端より70mの位置と確認。
ここから「懸縄山城」を東から西に辿って藪化のため未調査エリアに突入。
尾根なりに北西向きの切岸を降ると幅約4m、長さ約30mで中央部に岩場のある郭。
どんどん下っても郭は見当たらず、小ピークを二つ越えて墓地、石仏から民家前の舗装道路に出る。
すぐに、上横野と下茅川の分岐点。
駐車位置に戻ると同好のI氏と初対面。
山城談義で盛り上がる。
赤磐市(旧・山陽町)山陽団地北側の「備前・善応寺城」に再チャレンジ。
以前、「おかやまGIS」では主稜線上に記載されており、遺構見当たらずと判断していたが、最近、南側の支尾根にあると「おかやまGIS」が修正された。
この付近の山城は「おかやまGIS」で数か所、位置の変更がなされており、これからの楽しみだ。
池の脇に駐車。
旧・山陽町廃棄物処理場脇から灌木のヤブに登りつく。
選定鋏、赤テープ活躍。
岩場の点在する斜面にイノシシのヌタ場・ネグラの連続。
左右に岩を迂回しながら進むと三段の長郭。
更に、斜面を約40m登って、二段の主郭。
主郭の先の鞍部も削平された郭になっている。
鞍部の郭から左右に二条ずつの竪堀。
小規模だが遺構はしっかり残っていて充分楽しめる城郭だ。
選定鋏の握り過ぎで中指の皮がむけてしまった。
山元さん、スマホ回収しました。
保管してあるので必ず連絡下さい。
T氏のお供で津山市上横野の「美作・浦場城」を目指す。
「美作国の山城」12〜13ページの縄張図を懐にヤブコギ。
北端の土塁に達し、大堀切。
少し北側の尾根筋を偵察することにして、尾根を延々と進むと、最近通れるように刈り払った道。
どんどん進んで約500m程先のピーク手前に堀切、小郭、切岸、土塁囲みの郭発見。
戻って、T氏と「浦場城」の測図を止めて北側の城郭を測ることにする。
土塁囲みの郭から延々と長い郭が続く。
西側に腰曲輪転々。
東側に土塁線、虎口もある。
延長約150m程度か。
北端は大土塁、切岸、堀切で終わっている。
陣城とのこと。
帰ってから図書「美作国の山城」と平成5年9月の仁木正視氏の津山市中世城跡等配置図で調べた結果、所在地不明とされている「天神山城」らしいと勝手に決める。
「浦場城」の北側の城郭は今まで確認されていないので、いずれにしてもT氏のおかげと大満足。
T氏M氏N氏のお供で津山市上横野の「利元城」再訪。
N氏が数日間かけて事前伐採していただいたおかげで城域を歩くことが出来る。
何しろ風倒木の連続なので倒木と盛り上がった根株、雑木のジャングル戦で前回ギブアップ敗退。
東側の郭群に初めて到達。
全体の郭群の配置はおおむね山形氏の縄張図に沿っているようだが、背後の堀切、郭の形状・間隔、水の手郭、東郭群の土塁等N氏の刈り払いのおかげでかなり判明。
T氏M氏は詳細な縄張測量を行われれている。
全長約200mのY字形。
往還に向いた東郭群の土塁も見事。
今で言う中隊規模の陣城のようだ。
大満足で帰宅する。
帝釈峡紅葉ハイキングで神石高原町の「備後・矢不立つ城」訪問。
中国自動車道東城インターから上帝釈の有料駐車場。
ハイカー多数。
鍾乳洞の白雲洞、自然に出来た岩橋の雄橋、舞い散る落葉、清流に飛び込むカワガラス、石灰岩植物など3時間大自然満喫。
トンネルをいくつか抜けて、この大渓谷にある「備後・矢不立城」の標識から遊歩道を登る。
最初の長郭は石垣・コンクリートで造成。
東屋、植え込み、記念碑点在。
神社の石段を登ると点々と平坦地。
郭面らしいが、かなり破壊されていて面影なし。
神社裏の主郭背後の大切岸、両側崖の土橋は人の立ち入り困難なため往時の状態か。
大岩壁の上の城郭を妄想。
総延長約100m程度。
黄葉に満足して駐車場までのシャトルバスに乗り込む。
T氏、M氏のお供で鳥取市用瀬町原の東光寺裏山の「因幡・茶臼山城」攻略。
東光寺で待ち合わせ。
一台を東光寺の大きな駐車場に置かせていただき、少し西側の土取場脇に駐車。
少し細い舗装道を上ると獣除けのフェンス。
フェンスを伝って東光寺浦から続く尾根筋。
ここからフェンスを越えてヤブに突入。
GPS、赤テープ、地図、選定鋏、鎌鉈活躍。
ヤブの中に二重堀切、C字形に取るいの廻る郭、北側に三本の竪堀。
尾根に従い西南に進むと堀切、登り土塁、左右に腰曲輪の廻る主郭、
南側の小尾根に堀切。
更に進んで堀切、郭、岩場、堀切。
延長約200m程度か。
お二人は縄張り測量。
堀切を多用しているようだ。
素晴らしい遺構。
お二人に感謝。
2時前に東光寺に戻り、お二人と別れる。
時間が余ったので、智頭町岩神の「因幡・岩神城」を単独で登る。
智頭市街地から岩神林道に入ってすぐの舗装終点に駐車。
役1KM林道歩き。
巌神神社から役200m登ると、右手に岩神城の看板。
堀切から主郭に登るも、ものすごい笹薮。
選定鋏もほとんど役立たず。
次の大きな郭や腰曲輪はパス。
這う這うの体で林道をかけ降る。
主郭のみで敗退。
本岡さんの城めぐ・播磨版リストに訪城記録はなさそうですが、本岡さん近隣国の西脇市・黒田官兵衛が秀吉代参で三木合戦戦勝祈願に訪れた黒田庄町の兵主神社背後の極小独立丘陵上に城山城(岡城)が在り、道路拡張工事(小山ともに消滅かも?)で北面から山上一帯が発掘調査中です。市ではなく県指導による調査のようですが、抜け穴伝説もある山城は2-3の曲輪・帯曲輪を遺すだけの砦。平安期の岡氏や、桂松山城(岡ノ山城)の砦とも考え難く?、友尾山城の西南端に位置する監視台と思われます。とはいえ:いずれも城史・存在さえ余り知られていない城跡なので出土遺構に期待できないかも…。
道路工事や調査期間詳細不詳ですので、ご存知でしたらコメントは削除していただいて構いませんヨ。とりあえず報告まで。人知れず調査記録だけ残して消滅する城塞群の一つなのでしょう。http://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/HARIMAakitani-minamiyama-docu.htm#siroyama
本岡さんの城めぐ・播磨版リストに訪城記録はなさそうですが、本岡さん近隣国の西脇市・黒田官兵衛が秀吉代参で三木合戦戦勝祈願に訪れた黒田庄町の兵主神社背後の極小独立丘陵上に城山城(岡城)が在り、道路拡張工事(小山ともに消滅かも?)で北面から山上一帯が発掘調査中です。市ではなく県指導による調査のようですが、抜け穴伝説もある山城は2-3の曲輪・帯曲輪を遺すだけの砦。平安期の岡氏や、桂松山城(岡ノ山城)の砦とも考え難く?、友尾山城の西南端に位置する監視台と思われます。とはいえ:いずれも城史・存在さえ余り知られていない城跡なので出土遺構に期待できないかも…。
道路工事や調査期間詳細不詳ですので、ご存知でしたらコメントは削除していただいて構いませんヨ。とりあえず報告まで。人知れず調査記録だけ残して消滅する城塞群の一つなのでしょう。http://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/HARIMAakitani-minamiyama-docu.htm#siroyama
本岡さんの城めぐ・播磨版リストに訪城記録はなさそうですが、本岡さん近隣国の西脇市・黒田官兵衛が秀吉代参で三木合戦戦勝祈願に訪れた黒田庄町の兵主神社背後の極小独立丘陵上に城山城(岡城)が在り、道路拡張工事(小山ともに消滅かも?)で北面から山上一帯が発掘調査中です。市ではなく県指導による調査のようですが、抜け穴伝説もある山城は2-3の曲輪・帯曲輪を遺すだけの砦。平安期の岡氏や、桂松山城(岡ノ山城)の砦とも考え難く?、友尾山城の西南端に位置する監視台と思われます。とはいえ:いずれも城史・存在さえ余り知られていない城跡なので出土遺構に期待できないかも…。
道路工事や調査期間詳細不詳ですので、ご存知でしたらコメントは削除していただいて構いませんヨ。とりあえず報告まで。人知れず調査記録だけ残して消滅する城塞群の一つなのでしょう。http://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/HARIMAakitani-minamiyama-docu.htm#siroyama
本岡さんの城めぐ・播磨版リストに訪城記録はなさそうですが、本岡さん近隣国の西脇市・黒田官兵衛が秀吉代参で三木合戦戦勝祈願に訪れた黒田庄町の兵主神社背後の極小独立丘陵上に城山城(岡城)が在り、道路拡張工事(小山ともに消滅かも?)で北面から山上一帯が発掘調査中です。市ではなく県指導による調査のようですが、抜け穴伝説もある山城は2-3の曲輪・帯曲輪を遺すだけの砦。平安期の岡氏や、桂松山城(岡ノ山城)の砦とも考え難く?、友尾山城の西南端に位置する監視台と思われます。とはいえ:いずれも城史・存在さえ余り知られていない城跡なので出土遺構に期待できないかも…。
道路工事や調査期間詳細不詳ですので、ご存知でしたらコメントは削除していただいて構いませんヨ。とりあえず報告まで。人知れず調査記録だけ残して消滅する城塞群の一つなのでしょう。http://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/HARIMAakitani-minamiyama-docu.htm#siroyama
霰ケ山(1074m)登山のついでに真庭市蒜山地域にある「美作・粟住城」攻略。
粟住集落の南側の墓地脇に粟住城の看板。
ここから使われなくなった谷沿いの作業道に入る。
赤テープ、選定鋏使用。
途中、猛烈な根曲り竹のヤブ。
選定鋏でなんとか突破。
谷沿いの杣道から木の手作り階段。
低土塁のある腰曲輪から南郭群。
手持ちの縄張図とはかなり異なっているようだ。
郭内はヤブ。
GPSを見ながら北の鞍部を通って主郭群。
標高600m位。
東側斜面は畝状竪堀に見える。
ここもヤブの連続。
堀切から北郭群。
土塁囲み。
北へ下って転々と小郭が続く。
一番大きなもので20m*20m程度か。
標高520mまで郭群。
戻るのはしんどくなって、そのままGPSを見ながらヤブコギ。
荒れた林間住宅分譲地に飛び出す。
谷川の道路崩壊地を渡って舗装道。
川沿いに駐車位置に戻る。
山中彷徨3時間だが、ほんの一部しか見れていない。
ジョロウグモの巣が目立つこの頃、倉吉付近の城館等5か所をヤブコギ無しで手抜き登城。
縄張図等資料持参。
最初は、湯梨浜町の「松崎城」。
小学校になっていて以降無し。
2つ目は、「馬ノ山砦」。
展望台入口に土塁らしいのが約10m程。
北条砂丘に風力発電9基望む。
3つ目は、「橋津台場」。
駐車場にトイレ付き。
長年の波浪浸食で1/3消滅。
4つ目は、国道9号線を西に北栄町の道の駅大栄に駐車。
ほぼ完存の「由良台場」。
ゴルフ場並みに手入れされている。
付近に当時の大砲の再現品。
国道を潜ってお台場キャンプ場から砂浜の海岸へ。
砂浜歩きで海浜植物の中を風車発電を目指すも、とてつもなく遠すぎて敗退。
5つ目は、倉吉市の「田内城」。
巌城橋の土手下に駐車。
オムロン工場脇の案内標識から進む。
墓地を進んで尾根筋からバック。
堀切、二の壇、横堀、主郭の擬似天守閣。
その先の郭群はヤブなのでパス。
最近放送された天と地の影響かまた顔を出してきましたわ。
色んな所に顔を見せるらしいですが、早く別の会に移ってほしいものです。yさんとけんか以来来なくなり穏やかだったのですが
大分県杵築市のきつき城下町資料館でやってる杵築城に関する企画展の案内です。http://www.city.kitsuki.lg.jp/soshiki/24/kitukijyoukamachisiryoukannsirotokubetutenn.html
尼が崎の城は何もなかッた。
酒の席といえ、一騎討ちしか能のない男ですか、、。
どうやらゴミの捨て方でも引越してきてすぐ問題を起こしてるみたいですね。一度橋本氏の顔がプリントされたtシャツを着てきましたが、みなさん、あなたの独壇場に引き込まれるのが嫌で当然何も触れませんでした。なぜあなたが縁もゆかりもないこの地に来たのか不思議でなりません。第二の故郷みたいなもんや、と
いいますが、地元でも居たたまれなくなってたのが実際のところなのではないですか?
梅雨の合間に昨年開通した岡山県奈義町の「那岐山麓中世山城コース」チャレンジ。
那岐山麓山の駅に駐車。山野草公園の橋を渡って右折。
後は標識に従ってツヅラオレの山道。幅は約2m。
尾根にたどり着くと、この周辺で一番大きな「大別当城」。
延長300m程の連郭式山城。
ここで後から登って来た登山者と同行することになった。
7月に山城コース登山界をするので下見に来られたとのこと。
郭群、東屋、縄張図付き看板、土塁、二重堀切、郭、堀切、郭、竪堀、切岸で菩提寺への舗装道路を跨ぐ吊り橋。
延々と登って「鉢巻城」。
段々の郭から主郭。腰曲輪が二重に廻っている。
ここも縄張り図付き看板。
搦め手から作業道風になった長い道を進んで階段道から谷に下る。
谷川に橋。
わたってから下って川を渡り尾根筋に取り付く。
段々の郭。
以前自分が付けた赤テープ。
主郭に縄張り図付き看板。
箱堀風の堀切で終わっている。
3城とも城郭部分は史跡を破壊しないよう遊歩道は作っていない。
道なりに進んで谷川を渡りCコース出合い。
どんどん下って那岐山麓山の駅帰着。
約3時間半の周回。
みなさん迷惑してますよ、「よっしゃ、なら武田信玄の事教えたる」といって誰も集まらなかったじゃないですか。
たいした知識もないのに人の話に割り込んで、間違いを指摘されたらムキになり怒る。皆さんあなたの性格を白々しくみてますよ(もっともあなたならそんな事も気ずかないでしょう)あなたが言う「関西ではこうや」や何でも『教えたる」というのはこちらでは必要とされてないですよ。
岡山県笠岡市大宜にある「備中・大橋山城」攻略。
国道2号線からJR山陽本線の線路脇への田舎道に突入。
宅地と畑と丘が混在している地域で駐車場を見つけるのに苦労。
「おかやまGIS」には全長約100m、堀切みたいのがあるとの情報。
線路脇の小屋の前に駐車。
城への登り道がある。
すぐに腰曲輪。
昔は城傍まで船が来れたようだ。
この腰曲輪は船着き場の施設のようだ。
主郭まで竹林。
主郭は雑草が一面に茂っている。
今日の輻輳は町歩きバージョンにつき、堀切探訪や他の郭にいくのが困難。
ビジネスシューズでは林内移動もできない。
チラ見で撤退とあいなる。
岡山県笠岡市大宜にある「備中・大橋山城」攻略。
国道2号線からJR山陽本線の線路脇への田舎道に突入。
宅地と畑と丘が混在している地域で駐車場を見つけるのに苦労。
「おかやまGIS」には全長約100m、堀切みたいのがあるとの情報。
線路脇の小屋の前に駐車。
城への登り道がある。
すぐに腰曲輪。
昔は城傍まで船が来れたようだ。
この腰曲輪は船着き場の施設のようだ。
主郭まで竹林。
主郭は雑草が一面に茂っている。
今日の輻輳は町歩きバージョンにつき、堀切探訪や他の郭にいくのが困難。
ビジネスシューズでは林内移動もできない。
チラ見で撤退とあいなる。
岡山市古都宿にある「備前・藤井城」。
西側の古都宿集落から桃の木の果樹園を通って登りつく。
突然、摘果作業中の方から「私道なので入らないように」とのクレーム。
ついでに座り込んで情報収集。
尾根先にある「藤井城」は段々になっているも城郭ではないとのお話し。
昔、研究者のお供で周辺調査したが盗掘された古墳とのこと。
「おかやまGIS」の城か?との藤井城のコピーをお見せすると、「我が家の土地だが笹薮になっていて立ち入り困難、桃畑は通行禁止。」と言われる。
北側の藤井にある神社からの道もヤブになっているので登れないとのこと。
トラブル回避で撤退。
次に赤磐市(旧山陽町)の「備前・善応寺城」。
以前、主尾根を徘徊したが遺構見当たらず。
最近岡山GISの表示が変り南側の支尾根になっている。
山陽団地から池を回り込んで本宮高倉山への車道に入る。
休止施設の手前に駐車。
ここから約50mヤブを登れば「善応寺城」にたどり着けれると思った矢先、ここも桃の大産地。
摘果作業のオジジが頑張っている。
お話しを聞くと、桃泥棒がいるのでこの時期、立ち入り禁止とのお話し。
冬季の再チャレンジに期待して撤退とあいなる。
T氏のお供で地元津山市知和の「美作・矢筈城」。
水2L、弁当、1/25,000地形図、縄張図、GPS、磁石持参。
JRみまさかかわい駅集合。
駅に車を置き、線路下をくぐり転車台から登りつく。
約1時間半で主郭詰の丸。
T氏は縄張図作成のための測量に忙しい。
主郭を起点に書くのが一番とおっしゃられる。
小筈への登山道は危険防止のためか途中に枝で通せんぼ。
暇人の小生は稜線南北の斜面を探索。
やっぱり竪堀、堀切、小郭が点在。
愛知県からの城マニアと出会う。
山頂稜線の城郭遺構は2つの城が間隔を置いて隣り合っているとのお話。
ヤマシャクヤクの群生している郭、石積み、土塁など細部見学。
約半分以上測量されて、再び登り返して山を降る。
吹田城についてですが、詳しい場所はわかりませんが、大体アサヒビール工場あたりだと思われます。
一応近所の片山公園に模擬石垣や門があります
新装なった「姫路城」、天主に登るには3時間半待ち。
2時間並んで天主閣は諦めてお菊の井戸まで。
しばらくぶりの姫路城堪能。
次いで円教寺。
「ラストサムライ」など多くの映画撮影の舞台になっている。
ここから脱線して片道数分の山頂部にある土塁囲みの「白山城」。
秀吉播磨攻めの拠点だがわずかに名残を感じる程度。
帰宅して腹痛、救急病院へ。
古来、津山市から人形峠(人形山の東脇を通る)を経て倉吉市に至る街道筋を見ると、岡山県側の城郭は奥津温泉に2城が境で、鳥取県側は三朝町下西谷の2城までの間に城郭は無い。
今回、倉吉側に入って最初の関門の「伯耆・下西谷城1」と「伯耆・下西谷城2」を訪問してみた。
付近の住民に道を聞くと立ち入るためには穴鴨集落にある副区長宅に挨拶するよう促される。
で、トラブル回避の為に複区長宅を訪問。
立ち入りの了承を得る。
「下西谷城2」は寺の西側の民家の脇から水道施設脇を通って左手に登りつくが、作業道に取り囲まれ、全体に伐採されて、縄張図の郭や堀切がやっと残っており消滅寸前の状況。
尾根北端の郭群、堀切、郭群、土橋の構成で延長約50m。
「下西谷城1」は集落北の墓地から山道が標高235.7m三角点まで通じており、楽ちんコース。
山道を進むと大堀切の箱堀の堀底。
切岸を北に登って、郭、17mで次の切岸。
主郭を進んで約50mで尾根先の三角点。
総延長70m程度か。
三角点に巨大ワラビ5〜6本。
剣森山(1034m)登山の途中、「おかやまGIS」に載っている「備中・土井城」に寄ってみる。
剣森山登山口の東側の小川を渡って比高約20m直登すると畑と田圃。
帯曲輪だ。
上に4段の郭。
土塁、石塁、障壁土塁があるも後方の尾根に堀切無し。
館城のようだ。
山レコのルート図とGPS使用で谷筋を進み、左手に直登すると山道。
進んで林道。
林道南下。
林道終点から谷を約50m登って細い尾根に出ると尾根先が城跡のようだ。
標高600m。
三重堀切、主郭に地蔵4体、南に腰曲輪、西に2段の郭、少し下って郭で終わっている。
延長約100m程度。
記録にないが「備中・土井城」の詰の城のようだ。
「備中・土井城」から東に直線で300m。
土井城の尾根続きだ。
仮称、「備中・土井城上の砦」としておこう。
剣森山へは更に尾根筋を延々と登って往復6時間。
近年登山者が少なくGPSと地図読みが出来ないと無理のようだ。
岡山県総社市山本〜山田にかけての尾根筋に「備中・山本城」と「備中・要害山城」「備中・三本松城」が連なっている。
資料は昭和町町史から見取り図をコピー。
実は一度訪問したが登り口が判らず敗退。
山本の土手道の広い場所に駐車。
片山部落から寺の跡地を経由して赤テープを付けながら谷筋を直登すると「山本城」の天神郭と主郭の間の鞍部に出た。
鎌鉈と選定鋏を使いながら東の天神郭の先の大堀切。
戻って大岩の郭から更に登って土塁のある主郭。
ここでGPS電池切れ、剪定鋏紛失。
笹薮を刈りはらいながら進んで下ると郭と堀切、延長約300m程度か。
どんどん西に尾根を進んで工事中の林道。
林道を150m程西に進んで山道を尾根に登りつく。
山道分岐から尾根筋をどんどん登って祠のある231m三角点。
北西に進路を変えて尾根を登ると小切岸、左手に竪堀、小郭。
「要害山城」だ。
更に登って段々の郭が続く。
主郭を過ぎて岩場の郭が1段。
堀切。
延長150m程度か。
どんどん西に尾根を進んで標高344mで「三本松城」。
二段目で主郭。
南に腰曲輪。
更に西に岩場の郭2段。
浅い堀切で終わっている。
延長40m程度か。
本日、水2リットル。
ルート上でタケノ3本コゲット。
水切れでヘロヘロになって車まで戻る。
山元さん、連絡まだでしょうか。
以前からなかなか行けなかった真庭市月田の「美作・月田城」。
延長約600mの毛利氏の番城。
手谷集落の最奥の民家と元集会所跡の建物の間から入って墓地。
墓地脇から尾根筋に山道が整備されている。
山道終点に妙見様の奥宮。
ここから竪堀を見ながら林地直登。
鞍部に出て左折して尾根西端のピークに矢倉台のある郭群。
低土塁。
送電鉄塔跡が2か所郭群内にある。
鞍部に戻って東に登ると堀切と竪堀セット。
更に登って二つ目のピークの郭群。
腰曲輪を連ねる。
盾堀も散見。
一旦下って長郭。
長郭端に堀切。
登って低土塁のある三つめのピークから郭群。
この辺りが主郭群らしい。
次第にヤブこぎとなってお宮と月田城址の石碑。
ここからは山道が南に下って腰曲輪を通って麓に向かっている。
再度ヤブに突入して倒木帯になった腰曲輪から最初の大堀切。
倒木帯になった細い尾根筋を約30mで第2の大堀切の上に出る。
崖で進めず撤退。
往路を辿って麓に戻る。
2つめは真庭市土井谷殿河内の「美作本山城」。
「美作国の山城」の縄張図では延長約300mだが200m程度か。
登城路は見当たらないのでカタクリ園地になっている民家裏から尾根筋を直登。
北端の郭に土塁。
進んで段々の郭。
縄張図にある主郭の愛宕大権現宮は見当たらず。
壊れた祠のパーツ。
主郭の大土塁。
東に進んで郭を連ねる。
主郭に戻って西の搦め手から使われなくなった作業道を降る。
ヤブになっているが、この道の方が登りやすいか。
橋を渡って集落。
三つめは真庭市谷村の「美作・則行城(岩井城)」。
谷村から西へ林道を約800m。
分岐の小屋付近に駐車。
谷道を北へ登って約150m。
岩場が見える所から東に山道。
南側の尾根端から登って段々の郭。
主郭から北へ細尾根、切れ落ちた岩場。
全長約50m程度か。
ここも縄張図に係れている山道はあまり信用できない。
よろしく(゚▽゚)/
ツアーで会津鶴ケ城訪問。
コンパクトにまとまった縄張り。
二つの馬出郭が見どころ。
堀幅はおもったより狭く、会津戦争で官軍の攻撃に長期にわたって耐えたのが不思議。
100名城中44番目ゲット。
ご無沙汰しております。
YORIです。
本年3月(3月中)を持ちまして、小生サイトを閉鎖する事と致しました。
長い間有難うございました。
つきましては誠にお手数ですが、お時間のあります時にリンクの解除を宜しくお願い申し上げます。
本岡様の今後益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
本当に有難うございました。
昨年12月にGPSを紛失した「美作国・沢田比丘尼ケ城」。
もしや、草むらに隠れているのではと思い、鉈鎌持参でチャレンジ。
あった!、堀切の上の切岸に鎮座。
このGPSは二度目の紛失。
よっぽどご縁があるのかな。
で、気分もハイテンション。
付近の「おかやまGIS」や「美作国の山城」に記載のある城址を探訪。
「大野・比丘尼ケ城」「五名・横田城」「豆田構」「中西の城山」と廻るも城跡らしき遺構は見当たらず。
「豆田構」のみ郭・土橋・郭・土橋三つ・郭と妄想を抱く構造もあったが確たる証拠とはならず。
2月20日に攻略した「美作・都我風呂城」遠征でゲットしたフキノトウで作ったフキミソおにぎりを食べながら春のひと時を満喫。
昨年末からひどい患い。
やっとのことで楽ちん山城へリハビリ登城。
岡山県美咲町七部田の「美作・丸山城」。
美咲町西川から谷筋を北上。途中右折して尾根筋まで車で登ると七部田集落。
そのまま集落から北東に尾根筋を走って、道脇に「丸山城」の小看板。
広場に駐車して登ってみるも遺構見当たらず。
東隣の標高353.5mのアタゴ山を覗くと期待の城跡遺構。
真ん中を埋められたような二重堀切。
削平が超甘い主郭。
南側斜面に小さい腰曲輪が3〜4か所。
竪堀1条。
総延長60m程度か。
南に県道のある谷を隔てて約1Kmの毛利方の三宮城が見える。
伝承のように宇喜多の陣城のようだ。
初期の江戸城気になりますなぁ〜
首里城観光
興味深く拝見していますが、松本城に関する私見欄6行目「織田信長が木曾義昌の要請により武田信玄を滅ぼし」とありますが、当然信玄ではなく「勝頼」の誤植ですよね。
大分県では角埋城、福岡県では立花城を御登城を。
最初は岡山県美作市川戸の「福原構」。
訪城ルートは西側からおかやまGISで廃リゾート地を経由して、何とかたどり着いたが、登りも下りもコースの選択ミス。
激ヤブアドベンチャーコースでフリークライミングもどきで遭難必至。
で、城は搦め手に城に入る堀底道と土塁の単郭。
削平は甘い。
下りは東の谷筋に降りてしまい倒木、滝、砂防ダム、クライミングで散々。
東1.2Kmの「沢田・比丘尼ケ城」を攻めた陣城らしいと大原町史。
東麓の川戸から直登の方が良いかも。
二つ目は「沢田・比丘尼ケ城」。
ここもたどり着くまで試行錯誤。
林道開設記念碑ゲートから舗装林道に入り、314.2mの大林稲荷を経由して峠から山道へ右折、間もなく郭が次々に現れる。
総延長約300m程度か。
三つのピークを利用していて北斗七星状のに郭群展開。
土塁、土橋、竪堀、腰曲輪。
ここで再びGPS紛失に気付く。
探し回るも行方不明。
帰りの雨の惨さよ。
津山方面から美咲町(旧中央町)有藤の二川温泉を目指す。
最初は「鳥越城向城」。
交差点で両山寺方向に右折(西へ)約100m、路肩に駐車して 法面にある山道に入る。
赤テープ設置。
ヒノキ林の尾根に出て左折(尾根先端に向かう)。
切岸、郭、主郭。
主郭には搦め手の小土塁。
主郭の先に小郭。
鳥越城と対峙する小規模の砦のようだ。
次は打穴川を越えて南東へ約400mの「鳥越城」。
中国自然歩道を久米南方向に約200m入って、道脇のボックスハウスから左手に入って山道へ。
赤テープを設置しながら祠からほぼ直登して尾根筋へ。
左折して尾根先端の小ピークの出郭と小郭。
右折して尾根を登ると5段の小郭。
主郭は約20〜30m径の甘い削平地。
主郭の周辺に土塁としては認められないような少々の盛り上がり。
尾根筋の搦め手に小郭と堀切一条。
陣城のようだ。
三つめは境後の「高土城」。
毛利方の陣城との伝承。
宮の乢から東の高坊山へ行く道の途中の池の脇に駐車。
民家の奥から「おかやまGIS」にある小ピークに登るも遺構無し。
尾根続きの約150m東のピークへ民家手前から直登。
赤テープを付けながら伐採地から作業道に出て、主郭を巡る帯曲輪、その上に切岸、だだっ広い主郭に戦没者の墓一つ。
突然、堀切二条。
池の土手の真北。
ここで、やっと単郭の城郭遺構と確信。
更に東へ50m位で尾根道が約30mの土橋になるも、ひょっとしたら境界土塁かも。
岐阜県中津川市の苗木城の復元CGがフランスのモンサンミッシェルのようで本当に素晴らしいです
久々の山城会、オジジ3人で官兵衛ゆかりの城に行きたいと姫路の「妻鹿城」訪問。
官兵衛の旗に導かれて荒神社から登りつく。
荒神社に郭図(平面図)。
総延長700mは有りそう。
縄張図ではないので郭の上下関係は判読できず。
そうこうしている内に観光客多数。
取敢えず指導標に従って送電鉄塔から主郭へ。
姫路城が良く見える。
一周して登って来た道に合流。
笹が密生していて土塁等の構造物はあまり見えない。
どなたか縄張図を書かれれば詳細が分るのに。
観光地化していて残念。
二つ目は「英賀城」。
英賀神社境内に駐車。
神社裏手に大きな土塁が約40m程残っている。
あとは平面図で妄想。
三つめは太子町の国道2号線バイパスの城山トンネルの上にある「楯岩城」。
「山城賛歌」から資料をプリント。
美原台団地の北側から老人ホームへ登る舗装道のオープンカットから案内標識「秀吉の道」に従い登りつく。
西側斜面や尾根筋に畝状竪堀らき掘り込みや土塁、石垣多数。
防衛正面は西と南に下る尾根のようだ。
これでもか、これでもかと畝状竪堀が複雑に入り組む。
赤テープをきっちり設置。
中間の郭(古墳のあるこの周辺が見どころ)から岩場を通って主郭。
主郭群は途中の過大な防御施設とは打って変わって削平が甘い。
大岩もごろごろしている。
破城の跡みたいな岩の散乱も見える。
北側の通信施設前で遅い昼食。
姫路城が良く見える。
オープンカットまで戻って南側の「削平地出郭か」も城の一部らしいと確認。
オジジ3人、笑みを浮かべて帰途につく。
光秀、ガラシャ、忠興、幽斎らゆかりの「城」にスポットを当て、大河ドラマ誘致推進イベントとしてフォトコンテストを行っています。
撮影時期は問いませんので、上記に当てはまる写真をお持ちであれば、お気軽にぜひご応募ください!
応募期限は、12月8日です。http://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/contents_detail.php?co=evt&frmId=7548
こんにちは 先月備前介の位を頂戴いたしました。
先日恒例の秋の爺さんの一人旅で、秋の京都と関西の城跡を回ってきました。近江では勝家の瓶割り伝説で知られる長光寺城に登城してきました。ほとんどの方は北側の日吉神社から登られるようですが、私は不二滝から登ろうとして道が分からず、隣の妙経寺からも道がはっきりせず、公民館のところから水道施設への道をたどり、尾根を行こうとしました。しかし登り口が見つからないまま瓶割山の南側に回りこんでしまい、ようやく市の案内板を見つけ、沢沿いの道というより踏み跡をたどりました。急な登りで時々踏み跡が消えて木に巻かれたテープをたよりに登りると二の郭に飛び出しました。一の郭は刈り払いがされていたので、歩きやすく眺望も良く楽しめました。登ってみて沢には水が流れていて、井戸跡もあり、水道の施設もあるので、あの山は意外と水は豊富ではないかと感じました。そうすると瓶割り伝説は本当だったのかと疑問を感じました。いかがでしょうか。帰路は良い道をどんどん下ると日吉神社にでました。これなら最初からこの道を登ればよかったと反省しました。
岡山県北の黄葉見物を兼ねて快晴の美作・広戸ケ仙(標高1,125m)登山の途中、「美作・爪ケ城(標高1074,5m)」へ。
「美作・爪ケ城」は関ヶ原から西では最も標高の高い高所にある砦ではないかと想像。
11時30部頃、津山市の声ケ乢の駐車場に停車。
これで5〜6台駐車できる広場も満杯。
登山口の配布案内図によると広戸ケ仙山頂まで1時間半となっているも約2時間半は必要。
ツヅラ折れの快適な登山道。
今日は那岐山で山城3つを結ぶ登山道開設イベントのため、混雑を避けて、こちらの山形山や広戸ケ仙に登山者が詰めかけている模様。
次々に登山者とすれ違う。
第三展望所で「爪ケ城」の縄張図を見ながら郭、堀切を再確認(削平が甘いもので)。
堀切の約20m東側にも浅い片堀切らしきものがある。
付近の展望岩からは津山市の矢筈城(高山城)の主郭部を望み、先日訪問した津山市奥津川の「笠松城」、西隣の山形山の「黒姫城」を見下ろす。
そのほかにも西側の医王山城関連の砦群もいくつか見える絶好の展望地。
天正7年から12年の織田・宇喜多方の毛利に付く草刈氏攻めにも、ひよっとしたら再利用されたかもと妄想。
そろそろ城めぐりシーズン解禁なのだろうか?
虫や蛇ってまだいるのかな
N氏の案内でもう一人のN氏と三人で津山市奥津川の「美作・笠松城」訪問。
何分とんでもない山奥で美作・医王山城攻防関連城郭の中でも探訪できず最後まで残った城郭(と思う)。
奥津川から公郷への峠付近からN氏の四駆で東へ林道突入。
戦車並の機動力で倒木を乗り越え、乗り越え作業道終点。
山道に入り登ると林道。
更に進んで細尾根への山道。
土橋、郭、鞍部の土橋、堀切、郭。堀切、腰曲輪、主郭。
左に郭。
右に消えかかった低土塁が両側にある長郭。
下津川方向への見晴し良好。
熊の生息圏なのでGPS、熊よけスプレー、鉈は必携。
岡山県奈義町町で那岐山遊歩道開通記念の山城廻りトレッキング大会が開催されます。
日時 11月16日(日)8時30分〜14時
8キロコースには
大別当城、八巻山城と両側を渓谷に阻まれた幻の名木 の城の3城があります。
事前申し込み 奈義町観光協会
集合場所、コースや申し込み用紙は奈義町 観光協会のホームページやPDFのパンフレッ トをご覧ください。
参加料1,000円には手作り弁当と手打ちそばが含まれるとの こと。
最初は岡山県古代吉備文化センターのホームページに載っていた「和気・小坂城」を攻略。
縄張りのイメージはホームページをご覧下さい。
残念ながら今まで情報が無く、おかやまGISにも載っていない城郭だ。
全長約100n程のY字型の城郭。
国道374号から佐伯大橋を西に渡って佐伯峠手前の小坂から奥田方向へ右折。
まもなく細い舗装農道脇に2台程の駐車できる広場。
ここから「和気・小坂城」の東尾根に取り付く。
選定鋏と赤テープで念入りに道ごしらえ2時間。
尾根に上がって甘い削平の郭。
進んで郭一段、切岸から主郭。
腰曲輪。
へこんだ郭。
西に二の郭。
西に下って小郭、竪堀への虎口。
主郭から北に大堀切、郭、堀切、駐屯地、山並みに続く尾根に左右からの峠道。
二つ目は「岡山市瀬戸町坂根の「物理城(もろどいじょう)」。
坂根から江尻に抜ける峠に駐車。
峠から東に山道を辿る。
峠から入って中電道になっているので最初の送電鉄塔(No.50)手前から左折(東へ)。
ここから赤テープ設置。
東へ延々と山道を進むと元興寺の北の山上にある「物理城
(もろどいじょう)」に至る。
小ピークを甘く削平した主郭に城址の石碑。
南に下って小郭。
山道に戻って尾根を東に郭。
まことに簡素な城。
山道は更に東に延びているも探訪せず。
甘崎城、島なのに近世化しているとの事
能島城、水軍の拠点、小さいが海流が激しく陸地から島の城跡望める
湯築城、さすがに大名クラスの城とあって土塁も高く保存努力が感じる
T氏やそのお仲間から戴いていた高倉山城や大亀山城の縄張図やルート図をザックに入れて播磨・上月城周辺の陣城攻め。
最初は見土路集落から高倉山城への尾根筋にある「298.7m三角点手前の砦」。
見土路集落東側の林道に獣除けの扉を開閉して入る。
林道終点からGPSを見ながら赤テープ設置。
山道は下生えも薄く歩きやすい。
途中、234mピーク方向に少し迷い込むも気が付く。
東に進んで「298.7m三角点手前の砦」。
西を正面としたL字土塁やコの字の土塁セット。
更に進んで鞍部を超えると高倉山城手前250mの一文字土塁。
少し進んで堀切。
ここから先は駐屯地の削平地。
急登になって「高倉山城」の切岸、郭、土塁群。
要部は陣城とは思えない程念入りに作られている。
山頂に高倉山の看板。
広大な城域だ。
三つめは上月城搦め手から登って目地の築地に至るハイキングコース上にある「きたがたの大桜西の砦」。
主郭の周囲に郭を配する輪郭式の砦だ。
西へのハイキングコースは土橋になっている。
四つ目は「大亀山城」。
一旦北東へ戻って尾根分岐へ。
赤テープ背っ。
ここから東へ分岐して尾根を東に進んで北東にカーブ。
迷いやすいがGPSの威力。
総延長約250m程の毛利方の本陣。
郭、土塁、切岸で堪能。
帰りに時間があったので美作市(旧作東町)大谷の美作・大谷城を攻めてみる。
おかやまGISでは松田城から北に川を隔てた山上にあって堀切と郭があると記載。。
JR姫新線の踏切を渡って東側の民家脇から登りつく。
ものすごい笹薮。
ステッキ紛失。
赤テープも無くなる。
GPSと地形図をたよりに笹の上を泳ぐように東へ進む。
相当、山中を彷徨うも遺構見当たらず。
ガセネタと得心して撤退。
賞味期限切れまじかの山用食品消費のため播磨国の宍粟市山崎地区の5城訪問。
五十波構以外の山崎の4城は遺構が残っている。
訪城ルートに黒田官兵衛の幟が立っているので立ち寄りやすい。
最初は「篠ノ丸城」。
山腹のトイレ付駐車場。
市民のハイキングコースのようで登城者多数。
本丸に上半身裸の男子高校生。
縄張図片手にお目当ての土塁、横堀、畝状竪堀、二重堀切、武者走り。
他にも城好きらしき人物ちらほら。
二つ目は「塩田城」。
表示に従い、左折して集落を抜け、林道脇の広い所に駐車。
縄張図片手に遊歩道から登ると腰曲輪。
二重堀切の堀底道を通り高土塁のある主郭に祠。
高土塁の郭側は石垣になっている。
主郭の半分程度刈り払い。
三つめは「長水山城」。
登城口の山崎町宇野の小学校に着くと残酷にも「工事中に付き通行禁止」の看板とガードマン。
もう一つの登城口のある山崎町五十波(いかば)の林道終点に向かう。
ここも目印の幟に導かれて舗装林道終点の駐車場。
ここから1kmの急な登山道。
山頂部にお寺。
石垣の本丸と天主台。
社殿に展示してあった縄張図には持参した縄張図に書かれていない馬場、三の丸、堀切記載。
総延長約500m程か。
篠の丸城方向へ尾根筋の曲輪等を見ながら1Km程探訪。
登山者二名とすれ違う。
駐車場に戻ってバーナーで湯を沸かして昼食。
四つ目は「五十波構(いかばこう)」。
ここは残念ながら老人福祉施設になっており遺構消滅。
五つ目は「聖山城」。
麓の神社駐車場から約200mで二段の郭。
縄張図のとおり下段に神社。
陣城とのことで搦め手の堀切無し。
台風の影響か小雨がパラパラしだして撤退。
鳥取市東部の公園化された4城址とマイナーな山城1城訪問。
最初は鳥取市吉岡温泉の「湯村中山城」。
鳥取藩の茶屋跡の寺の下の広い駐車場に停車。
温泉街の登り口から石段。
頂部の郭に展望所。
西に下って両堀切。
登り返しの斜面北側に竪堀。
段々の郭が少しずつ下って延々と続くも刈り払いが無くなりUターン。
延長400m程度か。
二つ目は吉岡温泉北側の「六反田丸山城」。
縄張図には北側の竪堀群と主郭とにの郭を画す横堀、北側の竪堀が見どころ。
西側の民家脇から神社跡へ山道。
入り口に杖が置いてある。
杖をお借りして蜘蛛の巣を払いながら登りつく。
神社跡の上が餐の郭。
一段上がって二の郭。
膝までの草。
二の郭から主郭。
一段下って竪堀の始点まで。
マニアックな構造だ。
三つめは鳥取市福井の「因幡・防己尾(ツヅラオ)城」。
秀吉軍をほんろうした有名な城だが公園化で破壊も著しい。
広い駐車場。
二の丸から主郭を経由して三の丸の二段の土塁。
南端の竪堀群は民家の裏手なのでやぶこぎパス。
県道側に降りて向城のタダノ尾城へのヤブ道を偵察するもヤブが濃くて突入せず。
冬場なら可能か。
四つ目は鳥取市鹿野町鹿野の「鹿の城」。
近世城郭なので城下町、堀、石垣等山裾にあり、山上に七間四方の天主台礎石。
天主台から南の尾根筋に遊歩道を入ると縄張図にない土橋、郭、堀切、竪堀、土塁が点在。
遊歩道終点の大堀切(三つめ堀切)まで行ってみる。
この辺りは天主台よりかなり標高が高い。
シダに覆われた、この先の210mピークが詰の郭かと妄想。
五つ目はJR浜村駅南側の「因幡・勝山城」。
西側の県道脇の見づらい看板から東への舗装道を駐車場へ。
軽く階段を上って尾根。
全山西国三十三か所の霊場になっている。
右手(北)に進むと土橋、郭二つで水道施設立ち入り禁止。
左手を登ると勝山城址へ。
碑、東屋、植え込み等々で相当破壊されているようだ。
日本海を遠望。
ハンミョウの群れ。
ここでも蜘蛛の巣と一戦。
黒田官兵衛の姫路城
白すぎてあれはダメだ
お城から官兵衛が臨んだ姫路の町が見えて
気分は天才軍師
光畑克己氏の縄張図を頼りに倉敷市黒石の「黒石城(城い城)」訪問。
最初は案内書に従い東側の黒石から登城を試みるも登りつけず。
西側の古城池トンネル北側の交差点より約30m東側の細い舗装された軽トラ道を南に登る。
携帯アンテナ二本目で東の果樹園内の作業道に分岐。
まもなく使われなくなった小屋。
ここからGPSを使って約100mを南にトラバース。
判別しがたいが長さ約50m位の主郭。
その先に下って一段。
簡素な城だ。
帰りは山中を西に向かって進むと段々畑に出て黒石の集落のごみ置き場に到達。
もう一つ欲張って縄張図を持参した西の「連島丸山城」を攻めるも安寿霊園関連工事で完全消滅。
吉備人出版の遙照山・御嶽山・沙美アルプス登山詳細図に備中国(浅口市宇月原)「杉山城(要害山)」への登山道記載。
山陽自動車道鴨方インターで下りて宇月原に駐車。
民家の間を抜けて杉山城南側の登山道に取り付く。
神社付近から谷筋の山道。
蜘蛛の巣をのけながら登って行くと砕石場跡の崖と石垣が山側に続く。
GPSと地図を照合しながら枝道を探るもとうとうルートを見失う。
登れるところは崩れかけた小屋までで山頂まで地図上の登山道残り405mポイントあたりで敗退。
あきらめきれず、次に地図に出ている東側の使われていない林道からチャレンジ。
猛烈な蜘蛛の巣とヤブコギになるも、山側の崖と砕石場跡の石垣に阻まれ難渋。
山頂三角点からGPSで東側約200mの廃車付近でスコール状の豪雨。
みるみる川が出現。
這う這うの体で撤退となる。
気を取り直して東の阿坂の「加賀山城(城山城)」へ向かう。
広域農道トンネルを抜け、遙照山への脇道に入りヘアピンカーブの電柱ヨウショウ支7に駐車。
縄張図を頼りに錆びた保安林の看板から山に入る。
選定鋏と赤テープ活躍。
尾根の土塁(外桝形虎口か)脇に出る。
下って切通し道。
登り返して標高181mの削平の甘い郭。
土橋状の尾根。
小郭。
標高190mの主郭三角点。
ヤブが濃くなって、その先の二段の小郭と土橋はパス。
鴨方インターから山陽道上り線に乗ると点滅灯をピコピコさせながら数十台の品川ナンバーのトラックと機動隊バス、指揮車の警視庁機動隊の車列。
広島豪雨支援で一週間ぶりに交代して東京に帰られるようだ。
心の中で機動隊のみなさんに頭を下げる。
家の近くに枝吉城いうのがあったが
なんもなかった。
鬼打城は何でも信玄に圧を加えられ逃げてきた
書かれてて興味ありました
切岸まで行き、これからと言う時に藪が酷く引き返したの憶えてます
信玄伝説が確かはどうかとしても
似た話はありそうです
どもども、おひさしぶでやんす。
その後もちょくちょく城巡りやっております。
私も城めぐのサイト見て初めて知りましたが、なんでも、全く想定外の忍者の城が発見されたとか。
8/3ちょうど時間空いていますので、ぜひ行ってみましょうか。
甲賀忍者非常に興味がありますので、
でも詳しい場所が解らん。
どなたかご存知ではありませんでしょうか?
では、では。http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20140730/CK2014073002000033.html
城めぐ様こんにちは。以前に記帳した千葉の老徒武者です。先日祇園祭と天神祭を見物に関西に行ったので、時間を作り大坂と兵庫の城跡を歩いてきました。3月に歩いたときに尼崎市武庫之荘の西富松城で土塁のような高みをみつけましたが、なんとなく気になり近隣の冨松城2城説と併せて再訪問してきました。現地を仔細に歩いて見て、地図では土塁と思われる竹林の西側に直線の水路がありますが、そこには水は流れておらず、東側の道路に暗渠で水路になっています。よって竹林は城内になり、竹林も底部が6、7mある土塁の名残りで間違いないと確信しました。前回は城跡というより環濠集落ではないかと考えたのですが、城跡で間違いないと思います。どなたか詳しいかたがおりましたらご教示願えれば幸いです。
それと豊中市浜3丁目の飯野藩浜屋敷跡の碑は良く見つけましたね〜。まずわかりませんね。脱帽です。今回も城めぐ様のデータを利用させてもらいました。ありがとうございました。
金光町史に縄張図が掲載されている浅口市佐方の「佐方城(鬼打城)」と「佐方竜王山城」を訪問。
県道171号線新池南側の「竜王山登山口看板」から中池そば
の駐車場にフイットを置く。
南へ約500mの登りで「佐方竜王山城」。
竜王宮に着くと、ここから三段の郭。
主郭から西側の土塁、土橋、堀切を見る。
東側の妙見宮も立ち寄って一旦駐車場まで戻る。
ここから、中池遊歩道を約1.2km北へ歩いて戸神社。
東に約300m登って石鎚神社に至る。
看板には長山城とあるも、この山の北側にも長山城が別にあるので金光町史に従い「佐方城(鬼打城)」としておく。
石鎚神社からの約100mの登り道は最近手入れされていなく半分ヤブ化。
右手の三連の畝状竪堀はパス。
選定鋏と赤テープを使いながら帯曲輪に至る。
すぐに広い主郭。
ヤブ蚊が猛烈に攻撃。
東尾根の三重堀切もパス。
早々に撤退するも全身ボコボコ状態。
本日、美作・神楽尾城のハイキングコースと主郭が刈り払われました。
神楽尾城守ろう会約30名がボランティアで参加されていました。
夏草が無くなって、登りやすくなりました。
1週間もすればワラビも再生しそうです。
鬱陶しい梅雨空を縫って今月5回目の「美作・神楽尾城」。
オカトラノオが満開。
太いワラビもまだ採れる。
キイチゴが三種類ほど実をつけている。
コンビニで買ったアイスクリームにトッピング。
主郭の東屋で食す。
風が出てきて涼しい。
周辺の山城が40箇所は望めるも落葉シーズンまでお預けにしよう。
岡山県の熊の生息域が拡大して、中国道と山陽道の間の山域にも出没して単独行動がしにくくなってしまった。
西尾城シンポジウム−西条城から西尾城
日 時 2014年6月21日(土) 13時〜16時30分
場 所 西尾市文化会館(愛知県西尾市山下町泡原30)
定 員 350名(申込不要)
参加費 無料
内 容
基調講演
「東海地方の織田・豊臣城郭を探る−その成立と展開−」中井均氏(滋賀県立大学教授)
発表
「考古学からみた西尾城」浅岡優氏(西尾市教育委員会)
「文献からみた西尾城」小林輝久彦氏(大倉山精神文化研究所)
「縄張りからみた西尾城」奥田敏春氏(西尾市史執筆員)
パネルディスカッション
パネリスト 中井均氏・浅岡優氏・小林輝久彦氏・奥田敏春氏
紙上報告
「西尾城の構造について」石川浩治氏(西尾市教育委員会)
「出土品からみた西尾城」鈴木とよ江氏(西尾市教育委員会)
「西尾城天守・天守台」(城郭談話会)
「西尾城再建友の会のあゆみ」松井直樹氏(西尾市教育委員会)
「西尾城年表」(西尾市教育委員会)
問合せ
西尾市教育委員会文化振興課
0563-56-6660
ヨーロッパの城も日本の城と同じように
戦乱と象徴の2種類あるみたいですなぁ
旧鴨方町の2城攻略。
ブランコ毛虫大発生のこの時期、登山道の明瞭(と思われる)城を吉備人出版の遙照山・御嶽山・沙美登山詳細図から選定。
最初は「寄島(鴨方)竜王山城」。
鴨方駅から六条院東を経由して県道431号線に入り山王峠の道路脇に駐車。
良く刈り払われた登山道。
ブランコ毛虫がうるさい。
登山道入り口に置かれた沢山の杖から1本お借りする。
赤テープを付けながら登る。
支尾根道を約500mで25番送電鉄塔。
この辺りから郭らしき感じ。
竪堀も点在。
山頂までの約100mには四段の削平地。
三角点の郭。
縄張図にも四段の郭しか書かれていなかったので探索はやめて次の「泉山城」に移動。
二つ目は「備中・泉山城」。
六条院東まで戻り、明王院の広い駐車場。
大きな寺院だ。
明王院の受付でルートをお聞きする。
多宝塔の左手脇の谷に入り、すぐに道から離れて右手の斜面を登る。
すぐに山腹の巻道。
登って行くと次第に谷底道になるも赤いビニールテープが巻いてある。
赤テープ、選定鋏活躍。
倒木をくぐりながら谷を詰めて尾根に出て右手を登ると郭。
切岸を登って主郭。
三角点。
南の腰曲輪に折れのある土塁。
虎口受けの小郭。
これら全体で外桝形風の感じがする。
ヤブになった登城路。
主郭に戻って西側に小土塁。
切岸を降って郭を歩いて、最初の郭に出る。
コンパクトだが防御性は高いようだ。
100名山伊吹山早春の花ウォッチの後、資料持参で2日間近江の4城観光。
最初は彦根市の「佐和山城」。
龍澤寺駐車場から登城開始。
墓地から急斜面になると地形が連続竪堀に見える。
尾根の堀切から西ノ丸に向かうと土塁のある塩硝曲輪の発掘作業現場。
市の職員らしき作業服の2人が遺跡について討議中。
西ノ丸を経て本丸へ。
観光だから、ここでUターン。
先程の2人が堀切の土塁に移動して遺跡の年代討議を続けている。
堀切の土塁は磯野氏時代ではないかとの声が聞こえる。
二つ目は百名城の「彦根城」。
表門付近の内堀の石垣は上端の鉢巻石垣、その下の芝土居、下端の腰巻石垣。
天秤櫓下の堀切と鐘の丸から橋を渡って天秤櫓。
丁度内部が公開されていてグッド。
登り石垣もゲット。
天守閣にはドイツ人観光客多数。
三つめは、こちらも百名城の「安土城」。
駐車料510円、入場料500円/人と高額の割には場内整備がいまいちと相方評価。
城内のヤブには熊のような同病のマニア点在。
ついヤブコギの誘惑にフラフラするも、今回は観光、観光!と心に言い聞かせる。
大手道には登城者が踏みしめるよう石仏多数。
伝二ノ丸の信長廟から天主台へ。
こちらは礎石などを見ながら妄想の世界に没入。
帰路は総見寺経由で駐車場に戻る。
最後は「八幡山城」。
日牟礼八幡宮付近に駐車。
手抜きで往復八幡山ロープウェイ。
スペイン語が聞こえる。
二ノ丸から本丸にたどり着くと寺院になっていて立ち入り禁止。
ハイカーグループが声高に世間話に夢中だ。
石垣の無い所はコンクリートブロック。
気分をそぐこと夥しい。
北の丸、西の丸を巡って八幡堀周辺の散策に山を降りる。
秀次館跡は残念ながらパス。
倉敷の田ノ口城の歴史知る人いますか?
載ってないので
と、隣の向山城行かれた方いますか?
見解を教えて下さい
雨の中、新見市の鬼山城と鳶ヶ城の登城口を探しに行きました。
ともによくわかりませんでした^^;
ご存知の方いらっしゃいませんか?
沖縄の今帰仁城に行ってきました。
石垣しかないけど結構感動しました。
世界遺産に登録されるのも頷けますね。
中城にも行きたかったけれど時間が無くて諦めました。
次回の沖縄旅行時には是非行きたいです。
「備中・福山の土塁囲み他1城と備中1城」のタイトルは「備後・福山の土塁囲み他1城と備中1城」でした。
訂正します。
霄漢様から聞いていた広島県福山市の織豊系的土塁囲みをメインに城めぐり。
山陽自動車道福山東インターを降りて北上。
最初に福山市神辺町徳田の「備後・要害山城」。
伝承では天文年間の陣城となっているが、縄張図を見ると織豊系陣城みたいな土塁囲み構造。
毛利の土塁囲みの陣城と妄想。
中腹の天満神社までフイットで登れる。
駐車場完備。
天満神社裏から整備された擬木階段登城路。
景色が広がると外縁部の切岸。
登り詰めると、全周の横堀を経て山頂部に折れのある土塁囲みに外桝形虎口三か所。
郭内の削平は甘い。
土塁の高さは30〜80cm程度か。
主郭は長さ60m、幅30mのほぼ楕円形。
縄張図の看板のある虎口付近に連続竪堀三本。
横堀の堀底から見上げると土塁の上まで高い所で約5m。
城全体をきれいに刈りはらってある。
大満足の遠征になった。
下の竹林に孟宗竹の伸びすぎた筍が出ている。
二つ目は北上して福山市神辺町西中条にある「備後・編照寺山城」。
山上の編照寺駐車場に駐車。
縄張図を取り出す。
お参りして蛇に出合わないよう安全祈願。
お寺の上に広がる広大な城。
毛利系の拠点城郭風の大きな郭が続く。
全体にヤブは薄く簡単に歩き回れる。
南の郭の連続竪堀からお堂の石積みのある主郭へと廻る。
更に、北へ尾根筋の郭を歩く。
尾根先の急斜面。
段郭を下る。
最後に広い霊園に出て駐車場に戻る。
霊園と寺院で地形が相当改変されているが、元々の城域は相当広かったとようだと勝手に妄想。
三つめは岡山県井原市高屋の「備中・落石城」。
「備後・編照寺城」から峠を越えて井原市へ。
井原市高屋の面白い縄張りが見られる五つの城塞の内、一番北側にあるオーソドックスな連郭式の城。
こだま園より約150m川上の路側に駐車。
縄張図をたよりに小さな橋を渡って墓地裏から尾根に取り付く。
念入りに選定鋏と赤テープで道づくり3時間。
ハの字の堀切に出る。
両側は竪堀。
次に左手に竪堀。
更に登ると段々の郭。
主郭。
西の尾根筋に段々の郭が続く。
堀切。
右側は竪堀になっている。
土橋なって鞍部に。
城域はここまでのようだ。
延長150m程度か。
遅い昼食を食べて井原市の足次山登山に向かう。
過去レスを読んでて軽部山城が書かれてました
自分も挑戦したのですが、遺構らしきは発見できませんでした
反対側から登ると猪罠があり怖い思いしましたし
綿密な計画を立てるのが面倒な自分には、楽な城でないみたいですね
歴史も不明みたいなので妄想家には夢のある城です
どの勢力がと、色々考えてしまいます
猿備中さま
猿掛城に登った時、川を挟んでたかは記憶が曖昧でしたが
城より北隣に出城かな感じた小山は覚えてます
初めて聞いた城なので興味深いです
そことは違うのかも知れませんが自分も挑戦したいですね
妹諏訪山城も藪こきが大変で、支城規模ですが
造成跡はよく残してるので楽しめる思います
はじめまして
今回はじめて訪問いたしました。
淡路島にも沢山の城があったんですね。(地元ですが^^;)
私の住んでる地区に城ノ瀬山というのがあります。昔、その周辺に千軒の家があったという言い伝えが残っておりますが(今では道端に五輪塔が残っているのみ)、伝説と山の名前からして本当に城があったかもしれませんね。
こんばんわ
先日、念願の『利神城』行ってきました
駅の裏手から登るルートです
ちょうど、桜が満開でとても感慨深い探訪となりました
天守丸の石垣が想像以上に崩れていて悲しくなりました
なかなか様
レスありがとうございます^^
妹山城は、妹諏訪山城より、もう一つ西側の山になります。
倉敷市真備町と矢掛町の境の山です。
妹諏訪山城よりマイナーですが、猿掛城の支城かと言われているようで、猿掛城から小田川を挟んだ真北の山になります。
中国電力の山道がありますが、妹山山頂には道がありません。
妹諏訪山城は行ったことないので、また寒くなってきたら
行ってみたいと思っています。
猿備中
総社の蓑越城、馬首城に登られた人おられましたら
見解を教えてください
霄漢氏とT氏のお供で「因幡・河内城」訪問。
東側の道路脇に駐車。
橋を渡って尾根を直登。
T氏は猛烈なスピードで登る。
赤テープと選定鋏活躍。
二段の郭を辿って主郭の土塁囲み。
土塁は1m位、石も使っている。
外桝形虎口、竪土塁、篠ヤブの中に横堀。
尾根先に下って郭、大切岸、郭、小郭、虎口らしき凹み。
横堀の東に谷を削った竪堀。
竪堀の終点の小郭。
素晴らしい出来の織豊系陣城に感動。
二人と別れて鳥取市西桂見の「因幡・西桂見土塁」。
布勢総合運動公園駐車。
持参の縄張図と教わったとおりバイパスのオープンカット脇から竹林を直登。
赤テープ設置。
尾根筋をしばらく登ると土塁。
藪は浅いが選定鋏。
土塁の高い所は1.5m位。
最初の指揮所は段々の小郭。
土塁線が続く。
二つ目の指揮所も三段の郭と竪堀、虎口らしき構造。
土塁線、三つめの指揮所。
郭二段。
ここまでで約300m位か。
その先は大きく削られて消滅。
二つ目の指揮所まで戻り東側の山道を下ると果樹園、東桂見住宅団地。
三つめは智頭町早瀬の「因幡・香音寺城」。
鳥取から国道53号線を岡山方向に南下してJRなぎ駅への分岐を右折。
すぐに右手に橋があるので、橋を渡って路側に駐車。
集落で田起こしをしている親父さんに道を聞く。
「集落の細い舗装路をJR線のトンネルまで進み、トンネル手前で道なりに線路を渡って土手下に降りると小屋がある。
小屋の裏に荒神さんがあるから、その裏手から城まで山道があるよ。」とのこと。
赤テープを付けながら山道を登ると主郭に出た。
主郭の周囲約七割に膝までの低土塁。
搦め手側は削平地とその先の尾根。
堀切は無い。
尾根続きの二つ目のピークは狼煙穴みたい。
尾根の反対側は段々の郭。
一旦、郭が途切れて尾根先の郭二段。
竪堀は気が付かなかった。
猿掛城から小田川を挟んだ北の山、妹山城に行きました。
昔は登山道が南側からのびていたことを何か登山の本で確認したので、南から登れるかなと地図とにらめっこ・・・南は急そうなので南東からがいいかな。
南側の畑仕事をしていた年配の女性に話しを伺い、「知らない、登山道もこちらにはない」という話をきいたうえで、南南西から直登敢行。
尾根近辺は少しの藪&急坂で少々大変でした。
尾根からは鉄塔用の登山道あり。
山頂には再度藪をぬけて。遺構は特にみあたらず・・・リボンは2種類はありましたから、尋ねる人はあるのでしょうが。
このような山城は、どのように判断するものでしょうか?
ところで、とうとうまむしに出会いました。ぶよやはえやアブも多数。
一人で藪を行くことに危機を感じました。藪道は、今シーズンはここまでかなぁ。
立石城では記憶が確かなら2,3mの土塁が途中で途切れ、そこに門を想像したのですが
どうですか?
こんにちは 初めて記帳します。千葉に住む年金生活の老城跡マニアです。関西地区の城跡巡りに「城めぐ様」のデータを良く利用させていただいています。正確なデータで遠方から訪ねる者にとって大変分かりやすく、ありがとうございます。先ごろ早春の京都を訪ね、さらに足を伸ばして大阪と兵庫の城跡を歩いてきました。今回兵庫は尼崎周辺を歩きました。塚口・武庫之荘周辺を歩いたのですが、ほとんど遺構も無かったのですが、歴史のある古い町並みを歩くだけでも楽しいものです。さて、西富松城跡ですが、記録では何も無いようになっておりますが、周囲を歩き回ったところ土塁のような連なりを見つけました。地番でいうと11番地から12番地にかけての東側に南北の細長い竹林があり、ここが6、70センチの高さで連なっていました。西側は水路で東側は道路です。しかし水路が堀跡とするなら城外になるので、土塁か確信がありません。水路は付け替えられたか、出郭があったのかなどと想像しました。いかがでしょうか。土塁跡かわかりませんが、都市部の城跡でこのようなものが見られると思わず嬉しくなります。今後ともよろしくお願いします。
「城めぐり様」の名前を「なかなか様」にしてしまいました。
ごめんね。
「なかなか様」。
岡山市北区久田の「立石城」は、対する南側の「百田城」(織豊系土塁囲み2つ)から尾根伝いに訪問しましたが、三つの砦が連なって一城を形成しているようで備中高松城攻め前半戦の毛利氏の重要な城のようです。
同行のT氏のご意見では、「多分、並立する三人の武将が籠ったのでは」とお聞きしました。
養鶏場らしき建物の造成・建設のため北側を破壊されていますが尾根筋と南側はほぼ残っているので久田集落から城の南側の送電鉄塔巡視路を使って登られたら西側の尾根筋に出て尾根を東にとって返すと全体が見れると思います。
今日は立石城の北東側の「日近城」(織豊系土塁囲み)の北1.2Kmにある「亀山所在城」と「堂坂対岸の城」(縄張図持参)訪問。
「亀山所在城」はおかやまGISによると連郭式山城と記されている。
吉の北側の池の奥の水道施設手前に駐車。
作業道を東に約200mで登り口の峠。
ここから東にヤブコギ約200mで城に到達。
赤テープと選定鋏活躍。
切岸、郭、切岸で三段の主郭。
南側の腰曲輪に祠。
祠までは南側から刈り払い道が来ている。
竪堀は南側に二つ。
東北に堀切。
堀切の向こうは二段の郭。
ここから北の尾根筋を鞍部まで下ると峠の堀切。
城の北東と南西には削平の甘い長郭。
全長約200m程度。
「堂坂対岸の城」は西に浮田温泉に行く道の反対側の細い道から東に川を渡って直進。
車はこのあたりに置いて(大きい車は無理)峠まで山道を歩く。
峠から尾根筋を約500m、二つ目のピークにある。
峠から赤テープ、選定鋏活躍。
峠から「堂坂対岸の城」の手前約100mまで「土塁(土塀)」が約400m続く。
なんでこんな長い土塁を作ったのか不明だが織豊系の陣城ならうれしいと激しく妄想。
高さは膝程度の低土塁。
ピークを下って土橋。
登って堀切、郭。
やっとたどり着いた「堂坂対岸の城」だ。
西に祠のある出郭。
東南方向への尾根続きは藪が濃いようなので未訪。
足を引きずって山を下る。
岡山市の立石城に訪れた方がいれば見解を教えて下さい
自分はよく造成された土の城だ、思うのですが
見え方は違うみたいなので
岡山でも城巡りしてる方いるんですね
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雨の降る前に因幡城攻める。
今日は赤テープを忘れてしまった。
最初は、智頭町の「因幡・富貴谷城」。
木工場脇に駐車。
縄張図片手に小さな橋を渡って切岸に登りつく。
土塁のある二の壇。
郭内は荒れて歩きにくい。
左手に主郭。
東に進んで堀切、郭、竪堀。
その先にも段々の郭。
全長約200m程か。
比較的土工事量は大きい。
さすが淀山城に比定される城だ。
二つ目は鳥取市西桂見の「因幡・桂見土塁」。
総延長1.2Kmの長城だ。
最初に北側の砦を攻めるも攻め口が分からなく敗退。
北側の砦はあきらめて、天文台跡から南の城塞群延長約0.9Kmを目指す。
とっとり出合いの森の広大な駐車場に駐車。
取敢えず尾根筋に出ようと三階展望台を目指す。
三階展望台から東の尾根筋に縄張図にない竪堀、堀切、郭、土塁などが点々と続く。
牧場に出るルート東北端の尾根筋の郭Hの先の送電鉄塔二本に縄張図にない城塞。
郭、堀切、竪堀、土塁が支尾根端まで続く。
戻って郭Gから北への尾根ルートを進む。
トレランのお姉さん。
延々と城塞が続く。
何人ものハイカーと出会う。
選定鋏を持っているので気が引ける。
脇の支尾根に二か所ほど(立ち入り禁止のロープ)入ってみると郭、土塁、竪堀。
稜線の城塞しか縄張図がないが両側に郭群があるようだ。
風の広場の車道出会い。
更に北に進んで天文台跡郭A。
戻って郭B。
東に下って縄張図最後の郭から駐車場に戻って昼食。
昼食後、車を湖山神社の駐車場に移動。
湖山神社は「因幡・浦山城」。
段々の郭。
市街地なので車をここに置きっぱなしにして近所の城攻め。
四つ目、主城の「因幡・天神山城」は学校の裏山。
さすがに縄張図のある看板が出ており登城路も整備されている。
天神山城は、この周辺の諸城を取り込んだ水辺の大規模城塞だが、田圃と住宅地で転々と残る城山にしか遺構は無いようだ。
五つ目は「因幡・北尾山城」。
縄張図を見ながら南側の家の裏から登城路。
段々の郭が続く。
北端が主郭だ。
六つ目は北西約200mの「因幡・吉山城」。
この城は竹林になっており、南側から立ち入り禁止の表示のある作業道が伸びている、
山頂は不明瞭な郭段々。
本日は相当歩いたと思ったが17,000歩で20,000歩に届かず。
陽気が良いのでポツリポツリと毎日のように登城。
岡山県和気町の「備前・中山城(北山城)」(伝・浦上氏の家臣中山氏の城)は山陽自動車道和気インターの東の衣笠山城(伝・浦上氏の家臣中山氏の城)のもう一つ東側の砦。
浦上氏を裏切って宇喜多氏が攻略した伊部城から峠を越えて中山経由で和気の北曽根城に向かう街道を抑える。
おかやまGISに石垣ありと記されていたのを思い出し攻略。
城山は中山サーキットの北だが、更に北側の山陽自動車道作業道に駐車。
ゲートの扉を開閉し、山陽自動車道をくぐって衣笠山との間の谷に降りる。
猪の檻から谷沿いを登る。
赤テープと選定鋏使用。
登山コースにあるので道筋には木に赤いビニールテープが点々と巻きつけてある。
丁度降りてこられた姫路からの登山者夫妻に出会う。
角のある牡鹿の頭蓋骨を括り付けてある木から左折するのをを見落として鞍部に出る。
ここから左折して登山道と合流。
岩場点々の急登。
最後の登り数歩の所に小さな石垣。
山頂は単郭の甘い削平地。
削り残しの岩場に落石防止のワイヤーローブとアンカー多数。
山陽自動車道側(北側)は落石防止工事をしてあるようだ。
主郭に工事で出た石が積んである。
東に尾根を下って平尾根になる辺りに浅い堀切。
隣の衣笠山城(甘い削平の単郭)と街道を抑えるペアの陣城のようだ。
二つ目は岡山市北区浮田の「備中・コジョウヤマ」。
備中高松城攻めに関係あるかもと妄想して訪問。
浮田温泉の200m程東側対岸の丘。
山裾の民家への舗装道を北へ進んでいくと白テープがある木陰に竪堀が見える。
選定鋏・赤テープを使用して、ここから東へ直登。
竪堀は明瞭なのが一本、不明瞭なのが二本で西(南西500mの亀石山城や西4Kmの高馬城方向と西から来る往来)に向いている。
北の鞍部に堀切。
南に戻って山頂は東西に長い(延長約100m)削平の甘い単郭になっている。
西端に小郭一段、東端に小郭三段。
主郭の中間北側に小さなへこみの郭。
小さな内桝形虎口か?
亀石山城に対する陣城のようだ。
三つめは新見市街地のすぐ近くにある「備中・宮田山城」。
JR新見駅の西北西約1Kmの医王寺の裏山。
線路を渡って医王寺の広い駐車場に駐車。
寺の左手の谷の林道を少し登って適当に直登。
選定鋏、赤テープ使用。
長さ約100m程。
削平の甘い単郭。
西側に竪堀三つ。
馬蹄形に道幅程度の帯曲輪、高さ約2mの切岸。
南の尾根筋は高さ1.5m程の土塁、郭、横堀、郭、横堀で終わっている。
全体に下生えが少なくよく見渡せる。
南の尾根の山道を下ると医王寺の墓地に出る。
毛利氏の三村氏攻めに関連して、下流の石蟹山城(連郭式)に対峙する角尾山城(単郭、東西に二重堀切)と同様に北側の新見女子大の裏にある竹野城(連郭式)に対峙していると妄想。
今日もいい天気♪
さて、今日は船か迫山城に行ってみようと思っていたけれど、
首筋を痛めたのがまだ完治してないから、山道のありそうな
ところがいいかな。
どこのお城に行こうかな。
泉山城にしようかな。
新見市草間にあります、”うねだ城”、親戚に案内してもらって登りました。
登るといってもあっという間ですけどね。
ネット検索しても何もでてきません。
どなたかご存知ですか?
山頂は少し前は牛を放牧してたらしいです。
山頂の主郭に堀切と3連の竪堀がありました。
ちっちゃな山城でした。
やぶくぐりさんいつも案内ありがとうございます。
いつの日斉田城も宜しkお願いします。
海を眺めに旧寄島町の「青佐山台場」訪問。
公園化された台場の草はきれいに刈り払ってある。
土塁の間に砲口を覗かせる二つの切込み。
次は荒神社コースで「青佐山城」へ。
荒神社上の舗装駐車場は四台位は駐車可能。
奥の院への急なコンクリート道。
奥の院右手から山道。
このコースは、いくつかある青佐山城への一番の急登。
下草のほとんど無い山道を枝につかまりながら赤いビニールテープを辿る。
山頂に三段の輪郭式砦。
赤い鳥居と神社。
縄張図入り看板。
瀬戸内海が良く見渡せる。
井戸、狼煙穴各一つ。
横堀は見落としたようだ。
下の腰曲輪に小土塁。
城の四方に竪堀。
コンパクトにまとまっている。
三つめは「寄島茶臼山城」。
ネットで縄張図入手。
里庄町千瓜から南下して谷筋の広域農道中止地点に駐車。
谷筋の山道を赤テープを辿る。
途中、ぬかるみに足を取られる。
長靴装備で正解。
主尾根の峠の堀底道から左折。
ピークを一つ越えて登り返すと「寄島・茶臼山城」。
堀切二つ。
切岸、土塁のある郭、主郭。
主郭は北側が高くなっており、南側に狼煙穴二つ。
切岸を下ると長郭。
主郭の岸の尻は左右から浅い堀切。
長郭の南に浅い竪堀。
その先は二の郭を中心に完全な帯曲輪。
郭先から急な岸になって下に「ハ」の字に竪堀で終わっている。
枝を掴んで崖を下り「ハ」の字の根本の小郭まで行くも先は遺構が無いようだ。
総延長約200m程度。
やぶくぐり様
ありがとうございます。山頂からさらに西でしたか。
吉備人出版の地図は、少し前アリオの本屋さんではじめてみました。
2冊おいてありましたが、そのうち1冊が加賀山城跡(浅口市・遥照山の南)へ登るきっかけとなりました。
(もう1冊は鬼の城〜経山城あたりだったきがします)
軽部山のもあるんですね。
今回は登頂途中で鉈を持って歩いている男性(最初はちょっと怖かった)と話ができ、
軽部山は北に降りる道もある・とてもわかりにくいのでお勧めしないが・・・という話もきいたので、
次回は北から登って、軽部神社へおりてみようと考えています。
鉄砲土塁囲みってあるんですね。楽しみです♪
これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m
猿備中様
総社市の備中軽部山城は吉備人出版の「福山・軽部山・日差山登山詳細図/12,500」を参考にして、軽部山山頂から西に登山道で約1.6km離れています。
清音駅南の軽部神社に駐車して谷筋の山道を南に約750m(中間に廃屋)登って、主稜線に出て右折(西)して約100〜200mで到達します。
廃屋からの直登ルートは荒れているので廃屋から東に約470m登り三叉路で右折して約700mで軽部神社からの直登道と合流も可能です。
鉄砲土塁囲みで段々の郭、延長約200m程度。
見どころ満載です。
総社市にある、軽部山、山頂が軽部山城跡という情報から
登ってみたのですが、よくわかりませんでした><;
時間もあまりなく、福山城址側から山頂まで往復したのですが、
もっと西の方にあるのかなぁと思ったり。
でも、山頂は広く、城地としては適しているような気はしましたが。
どうなんでしょう・・・?
備中・井原市の高屋の谷には先日登った高屋城の他に4城あるが、前回搦め手から攻撃したが到達出来なかった「高屋砦」と「山手城」の2城攻略。
最初は山手の「山手城」。
尾根の北東のお堂から登りつく。
しばらくは削平の甘い尾根筋に選定鋏で枝切りと赤テープ設置。
明瞭な三段の切岸と郭。
三段目の郭に倒壊して無くなった神社の瓦と石神。
堀切で主郭。
主郭は約50mある。
北西側に二段の腰曲輪が見える。
主郭から下って堀切・土橋セットで終わっている。
総延長約250m位か。
2時間を費やす。
二つ目が本日メインの「高屋砦」。
明地のお堂脇に駐車。
最初は仲間からいただいたルート図に従ったが、ロッククライミンク゛まがいの猛烈な道だったので往路3時間もかかり登頂ルート省略。
帰りのルート(赤テープと選定鋏で道作りしてある>。)からの登山案内だけ記す。
駐車したお堂脇から20m南の民家の左手から登りつく。
民家の庭先に石を落さないよう注意。
民家の裏から谷に入ると山道。
山道に従い東側の尾根先の岩場。
ここから尾根伝いに登り、左手の谷に沿って山腹を進む。
縄張図に「経丸」(見つけられず。)と記された尾根先に出る。
そのまま尾根を約250m進むと「高屋の砦」。
延長は約100mの土塁囲み。
土塁は高い所で約1m。
立木で見渡せないのと全体が大きいので判別しがたいが、縄張図とは少し形が違うようだ。
二度目のチャレンジでやっと到達できて大満足。
昨年から山城巡りが趣味になりました。
30か所くらい行きました。
好きなのは、猿掛城とか南山城とか。なんとなくですが^^;
先週は、新見のうねだ城というところに行きました。
ネットにもどこにも7のってなさそうですが、みなさんご存知でしょうか?
お城仲間ができるといいなと思っています。
よろしくお願いいたします。
お城巡りの初心者です。
まずは日本100名城から。
まだ半分もいきません。
元気なうちに100城行きたいですね。
沖縄の城が先か愛知の城が先か迷ってます。
T氏グループ2人のお供で岡山市北区首部の「備前・坊主山砦」と岡山市北区上高田の「備中・忍山城南300m砦」訪問。
最初の「備前・坊主山砦」はT氏の調査で土塁囲みがあるとの話し。
市街地周辺なので駐車場所を探すのに難航。
国道53号線首部の交差点脇のコンビニに駐車。
吉備人出版の「操山・半田山・楢津山・矢坂山登山詳細図1/10,000」を見ながら集落の奥の白山神社から登りつく。
No.54送電鉄塔を経由して約400mで山頂。
土塁囲みがある。
北側は砕石場の崖。
辛うじて砦の土塁が残った様子。
廻る土塁はやや丸みを帯びた三角お結び状。
櫓台、虎口、虎口下の郭もある。
お二人は縄張図を描くのに忙しい。
東へ尾根筋を辿って尾根先端まで行ってみたが遺構無し。
二つ目は「備中・忍山城南300mの砦(土塁)」。
民家の庭先に停めさせていただく。
番犬が吠えつく。
民家の方に砦の話を話しをしたらご存じない様子。
[2947]の三つめに詳細記載。
他に無いような面白い形状の砦とのこと。
ここもお二人は縄張測量。
ほろ苦いフキミソ三角お結びで昼食。
お二人は資料探索で県立図書館に行かれるとのこと。
お二人と別れたが時間が余ったので岡山市北区御津石原の「備前・石原城」を攻略。
この城は備前・虎倉城(延長約400m)から宇甘川を隔てて東1.2km程にある対の城。
図書「御津の山城」に南側の石原からのルートと鳥瞰図が出ている。
今回の登城ルート藪漕ぎを避けて西側から。
県道のトンネル手前で左折、虎倉集落の宇甘川にかかる橋のたもとの広場に駐車。
橋から川に沿って上流へ約30m、土蔵のある建物の裏のコンクリート階段から山道に入る(岡山市のGISに破線でルートが書かれている)。
距離は長いが尾根道なので尾根を外さなければ大丈夫。
一応、赤テープと選定鋏使用。
途中に郭二段と南に竪堀。
更に登ると腰曲輪、小ピークに二の曲輪。
低土塁も少しある。
北の支尾根へは一段下がって小郭とハの字の竪堀。
東に少し下がって狼煙穴。
ここから見通しのきく南南東約3kmの金高城新城の狼煙穴と同様の規模。
削平の甘い長曲輪。
登って主郭。
南に長い腰曲輪。
北の主尾根へは急に下って堀切で終わっている。
南の支尾根へ七段の郭と堀切。
総延長約200m程度。
今月の山城会はオジジ3人で備中総社の高梁川沿いの4城攻略。
備中国分寺駐車場9:30集合。
総社市辺りの高梁川沿いの山城で藪漕ぎ無しの山城に行きたいとの希望。
南山城、馬入堂山城、木村山城、荒平山城、志良計城、下倉城の6城を候補に挙げる。
南山城から順に北上することに衆議一致。
最初の「南山城」は織豊系土塁囲みでマニアックな構造。
縄張図を見ているだけで妄想強烈。
旧真備町と船穂町の境の県道ヘアピンカーブに駐車。
距離は短いが最初から急登。
すぐに低土塁の郭、主郭は四方土塁囲みで大きな櫓台、北に腰曲輪、南に桝形曲輪。
西側には折れのある三重堀切とその先の平坦地、堀切。
南側の畝状竪堀。
見どころ満載。
二つ目と三つめは総社市別所の「馬入堂山城」と隣の「木村山城」セット。
近年ハイキングコースとして整備されている。
池の傍の登山口(看板あり)付近に駐車。
東に楽ちんコースを進む。
指導標のある峠から尾根筋を北へ。
土橋、竪堀、連続竪堀、郭10段で広い主郭。
搦手を三段ほど下ってみる。
低土塁。
三つめの木村山城へは先程の峠まで戻り東へ。
分岐から軽トラ道を北上。
軽トラ道終点のお堂から取り付く。
郭三段ほどで主郭。
こちらの方が作りは簡素だが東側の展望良好。
高梁川夕部山城から荒平山城方向までの東側の山城群を見渡せる。
昼食はフキミソを塗った焼きおにぎりとフキノトウのテンプラ。
今年は2月初旬からフキノトウが出ている。
ひと月は早い。
春の香りとほろ苦い味を堪能。
四つ目は総社市藪田の「志良計城」。
橋のたもとに駐車。
民家の駐車場から谷に入る。
送電鉄塔巡視路。
急登で休み休み登る。
最初に左手に竪堀、右手に小郭。
帯曲輪、更に登ると送電鉄塔のある主郭。
石列から切岸を下って右手に竪堀。
尾根は長曲輪。
切岸を登って二の郭。
一段下ると送電鉄塔。
遺構としては物足りないが荒平山城方向への展望最高。
先日の大雪で岡山県南部も山々は真っ白。
残雪登城を目指す。
最初に総社市槇谷の「備中滝山城」攻め。
豪渓と浮田温泉との分岐から約400m北側のゲートボール場付近に駐車。
雪を踏みしめながら西側の集落脇の林道を登る。
終点には水道施設。
水道施設の裏手に回り込み選定鋏と赤テープを設置しながら約40m先の鞍部まで直登。
鞍部から左手(南側)に登ると虎口受け。
山頂部は削平の不正確な主郭と南側(対岸の鍋山城方向)に帯曲輪、腰曲輪。
たったこれだけで田舎の民家の屋敷地程度(20m四方)。
どうやら「滝山城」は鍋山城に対する陣城のようだ。
谷を隔てて見える鍋山城は比高150m、山頂の主郭、切岸とその下約30mに郭の平坦地がある。
その周辺は雪でひと際映える岩場が転々。
とんでもない要害だ。
二つ目は昨年4月に地元の老人に登ってはならないと叱られた「志良計城」。
登城口の総社市小寺の藪田橋西側の民家のご主人に挨拶。
家の脇から中電送電鉄塔巡視路が続いている。
道なりの急登を進むと左手に竪堀、右手に小郭、腰曲輪、帯曲輪、切岸、送電鉄塔のある広い主郭(標高252m、長さ約200m)、石垣。
次の鉄塔を目指して進むと切岸、竪堀を下って広い土橋、再度切岸を登って標高222mの二の郭。
切岸を降って次の送電鉄塔の平坦地。
この城は総延長約500mはありそうだ。
こまごました細工も無いし天正13年以降の高梁川を境目とした宇喜多の城かもと妄想。
三つめは総社市井山の「井山城」。
旧国民宿舎雪舟荘(廃墟)脇の広場に駐車。
ここから西に直登すれば近いのだが、斬る年ながら猪よけのフェンスに阻まれる。
少し北に歩いて西の高梁川を望む崖上の展望台方向へ進む。
峠から南へヤブに入り雪のある尾根を登る。
赤テープ、選定鋏大活躍。
一山超えて鞍部の土橋、堀切。
更に南に尾根を進むと郭、主郭と続く。
ここで引き返すのが順当なのに、そのままどんどん南へ進むと縄張図に無い腰曲輪、堀切など転々。
延々と川に沿った尾根に遺構が続く。
団地の裏手に出る。
なんで防御の必要がない高梁川の方向に竪堀を何か所も入れているのか不思議だ。
どうやら対岸の荒平城への陣城として使われたのではと妄想。
T氏グループ3名を案内して岡山市の備前・備中境目の城訪問
最初は岡山市北区福谷の「大善城」。
前回下った谷筋の道に入るもすぐに道迷い。
登るからルートが違ってもいいかとそのまま登る。
次第に藪が濃くなり木々に摑まり這い上がると遂に岩場も現れる。
へとへとになりながら「大善城」の主郭東15mに至る。
案内人がこのざまでは付いてきた3名に申し訳が立たない。
「大善城」は岩場で郭が少々複雑になっているがコの字型の土塁囲みの陣城。
3人は縄張図の作図に忙しい。
北側の土塁下の斜面を探る。
岩場で良く分からないが竪堀らしき幅広の溝が5つ。
郭みたいな平坦地。
人手が入っているようだが判別不能。
下りは鞍部まで段々の郭みたいな尾根を降りる。
鞍部の十字路から北の谷筋に道らしきものあり。
前回下ったルートを再発見。
そのまま下って最初の取り付き。
二つ目は吉備津神社に駐車。
テレビの同軸ケーブル刈り払いを伝って西峯に至る。
小郭二つで主郭。
ここからは旧山陽道や備中高松城、周辺の諸城が良く見える。
その先の幅広の尾根筋は削平がはっきりしない郭が続く。
T氏が堀切を見つける。
三人は早速縄張測量。
ここも急造の陣城とのこと。
三つめは備中高松城の北西の「小山陣」。
削平地、土塁、大堀切などに見うるが、遺構か後世の改変か判別しがたいとのこと。
ここでT氏グループと別れ、帰路につくも時間が余ったので「備中忍山城南の土塁」探訪。
民家の敷地を通るので挨拶に寄るも出てこられず。
犬に吠えられながらそのままコンクリート歩道を進み、墓地脇を通って竹藪を急降下。
鞍部から竹藪を登り返してすぐに中央の小高い所に櫓台のある延長約40mの土塁線。
土塁線は忍山城に向いている。
土塁線の裏側(南側)は細い郭。
東南端の土塁はくるっと回っている。
西北端は土塁線が消えて小郭に続く。
忍山城との距離は直線で300〜400m程度か。
まるで仕寄のようだ。
今年最初の山城会はオジジ4人で備前東部の山城訪問。
最初は備前市吉永町岩崎の「備前・東山城」。
ふーむ氏の備前東山城縄張図持参。
JR吉永駅先から市役所支所を回り込み春日神社と水道タンク分岐の広場に駐車。
東へ荒れた林道を通り墓地脇から龍泉山登山口と書かれた小さな札が木に結んである水路道に入る。
かなり長いアプローチ。
水溜りでスリップ。
赤テープ印を足しながら谷筋を詰めると地蔵さんの平地。
すぐに鞍部。
鞍部からは東山城縄張図の11郭に到達。
郭9の土塁、横矢掛。
ほぼ直登して最後のシダヤブを通ると主郭1。
以前無かった郭3から岩場方向への道がある。
北方まで整備されているかも。
霰が降り出してしだいに雨になり、郭5から先の郭8までは今回省略。
二つ目は備前市吉永町神根本の「備前・医王山城」。
郵便局北の橋を渡って駐車。
おかやま統合GISだと浦上の重臣、高取備中の居城とあるが、三方崖の上にある織豊系の土塁囲みと想定。
前回付けた赤テープを辿る。
落ち葉と急な斜面で転倒者続出。
枝を掴んで這い上る。
土橋状の細尾根先の二つ目のピークは最初の防衛線のようだ。
三つめのピークを過ぎて左手の岩場方向へ。
向かって右側に低土塁。
右側は横堀から竪堀に変化。
堀の奥は小郭。
坂虎口の上は土塁が廻る。
右手の竪堀は先ほどの入り口への反撃路のようだ。
切岸も2〜3mに切り立つ。
一段高く主郭。
北端は細尾根岩場の見張場。
この城は何度来ても面白い。
三つめは和気町日笠下の「鹿帰前(シリガイ)丸山城」。
農地の中のこんもりした竹藪。
北川の二重堀切から主郭へ。
二つ目の堀切は堀底が帯曲輪になって途中まで続いている。
主郭部は延長約50m程度の畑跡。
南側の小郭は省略して帰路につく。
> 今夜の「極旅6」、大阪はたかじんさんの追悼番組になっ
> てますねぇ。うーん、それは仕方ない(^^;
まーしゃないですよ。延期日が解れば教えてください。
それはそーと毎日新聞の記事読みました?
> 石垣の上に天守閣を築く近世城郭はこれまで、1576年
> に信長が築いた安土城が最初とされてきたが、安土城より
> 早く築かれた小牧山城の可能性が出てきた。
びっくりです。
> 小牧山城は1563年に信長が築城したとされる
とあるように、安土城が築城される約13年前に「石垣の上に天守閣」の城が出来上がっていたとは・・・
ご承知のように、
石垣の城…観音寺城
推定天守…信貴山、多聞山城
これらの城を踏襲して「石垣の上に天守閣」の城として安土城が築城されたのではないかと言われてきましたが、それより前に実は「石垣の上に天守閣」の城、小牧山城があったとは、歴史が変わりましたね。
ただ、1563年当時は、近世城郭技術は始まったばかり、ようやく産声が上げた段階、石垣の技術もまだまだ幼稚な時に「石垣の上に天守閣」ってそんな大胆な城ってできるのかな、という感じはしますね。織田信長はなにかモデルなった城は以前にあったんでしょうか。
またこの新聞記事一つ疑問があります。
> 山頂付近を一周する石垣が発見された
とあるように本丸には確かに石垣があります。
私も見ました、この石垣。ちょうど発掘作業している最中で、石垣が見え始めた段階で、なんか偉いさんがすごく見学に来ていました。「なんかあったんかな」当時、暑さで死にそうになりながら、観察していました。
しかし、山頂に本当に天守が建っていたかは、まだ解っていないのではないでしょうかね。山頂に矢倉のような建物はあったかもしれませんが、天守となるとどーなんでしょうかね。
しかし、今後の研究には大いに期待しています。
では、では。http://mainichi.jp/select/news/20140124k0000m040038000c.html
T氏・H氏のお供で岡山県津山市小桁の「小桁城」と勝央町為本の「神田山城」訪問。
最初の「小桁城」は荒神山城の東北役2Kmの吉井川沿いの標高約180mの尾根先。
小雨と淡い積雪の中、城の南東側の浅黄池から林道を西進。
林道脇はカタクリ保護地。
稲荷神社に入る道から役20mの石積み砂防堰堤から右折して谷沿いに登るべき所、更に林道を進んで林道終点付近から右折して別の谷に入ってしまう。
ぐっしょり濡れながら藪漕ぎをしてピークに出ると郭と井戸、堀切、土橋に見える遺構。
両氏のご意見では鉱山の試掘跡ではないかとのこと。
とりあえず東に尾根を下って「美作国山城」にある堀切と書かれた鞍部に至る。
ここから坂を上っていくと低土塁、甘い削平地。
進むと再び低土塁、甘い削平地の主郭。
両側に帯曲輪。
数段下がって尾根先のピークに郭。
東に二段小郭。南東の浅黄池方向にも二段の郭。
延長約200m。陣城とのこと。
戻って林道入り口に四駆軽トラに地元の方。
挨拶して話し込むと津山盆地への見晴が良いので荒神山の出城と思うとのご意見。
せっかく両氏が書かれた縄張図はぐっしょり。
次は勝央町為本の新造構を訪ねるも畑の跡とのこと。
切岸、折れのある土塁線があるが尾根筋は内側が低くなっているし、平坦過ぎるので畑とご教授。
ここから谷を隔てた県道脇の墓地から「神田山城」に取り付く。
ここも墓地から無理矢理の直登。
竪堀二本。
作業道に出る。
作業道をたどって尾根の堀切、竪堀。
さらに進んで堀底道。
西の尾根側は大きな二重堀切。
広い主郭に神社。
ご両氏は縄張図の測量。
西側に土塁。
土塁は複雑に折れて竪土塁。
下の郭で障壁土塁になって更に下の郭から麓方向に下っている。
主郭の北側には段々の郭のある二本の尾根筋。
一本の尾根筋は折れのある横堀道で主郭と切断。
横堀の脇から竪堀が下っている。
この横堀道からの山道は城を一周している。
かなり広い城だ。
つぶて石のある土橋の鞍部を超えて西の送電鉄塔まで約300m行ってみるも遺構無し。
今日中に城内を全部回ることは無理との結論にて撤退とあいなる。
おーーーー、私今回初めて石組みの雪隠を見ました。
へーーーーー、あんなんあったんか。
あれはどこのお城なんでしょうかね。
さやかさんは、本当にお城に詳しいですねー。
えーーー「お城を作った大工は殺される」って本当かな?
おー、甘崎城。これは全く初見です。まさにこれこそ、こんな城もあったのか、ですね。ピット痕そんなんもあるんですね。
場所から推察すると、村上水軍の城なんだろうか?
いゃー、なかなか面白かったです。非常に解りやすく、テンポよく進んでいました。
どんどんTVに出て、城の魅力をどしどしお伝えください。
では、では。
おーーーーー、城郭研究家さま、現在関西テレビで出演中です。
全然TVに慣れられておられるコメントが続いておられます。
続きがあります。
穴山は武田信玄の部下ですか。
私は大友宗麟軍師、37連勝、戸次道雪にはまっています。
出生地とゆかりの居城「よろいがたけ城」は地元です。
隣市に難攻不落の「豊後竹田、岡(臥牛)城」があります。
鳥取市では史跡鳥取城跡内において崩落の恐れのある石垣の修理を順次実施していますが、平成25年10月から始まった天球丸腰石垣の解体作業中に、内部からこれまで確認されてこなかった石垣が新たに発見されました。この石垣が地上に現れたのは実に約400年ぶりのことです。この機会に新発見石垣や石垣修理工事に関する現地説明会を開催します。とのこと
日時 平成26年1月18日(土)13:00〜15:00
集合場所 史跡鳥取城跡大手橋13:00集合
内容
(1)新発見石垣の説明
(2)石垣修理工事の説明
(3)伝統技術による石割りの実演http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1389329618412/index.html
いよいよ、お待たせの軍師官兵衛始まりましたね。
城めグマちゃんが
> そういや大河の1話目に登場する竹田城は、別のお城とし
> て登場するんだっけ。チェックしておかねば。
としていましたが、答えは「石垣山城」でしたね。
そーそー、その軍師官兵衛に物申す。
今回、小寺氏と滝野赤松氏が反目勢力同士なっていましたが、元々小寺氏と赤松氏は親戚同士じゃない、なんで敵対関係になるのは絶対おかしいやん、と思います。
滝野赤松氏の赤松政秀と赤松氏本流の赤松義祐が対立が決定的になるのが、1558年8月お家騒動で父、赤松晴政を追放する時ですが、少なくてもそれまでは、赤松氏家臣団として、赤松政秀や小寺政職は同盟関係にあり、当然黒田職隆とも同盟関係にあったと思いますね。
元々、赤松晴政と小寺政職は対立関係にあったのではなく、お家騒動の時に、小寺政職は主家である赤松義祐の威光に従っただけではないかと思われます。
そこで、NHKさんの「軍師官兵衛」の設定には、ちと無理があるのではないか、物申す、としておきたいです。
その後につきましては、織田・別所・龍野赤松・宇喜多連合軍と赤松主家・浦上・小寺連合軍との戦いとなります。
これが有名な「青山合戦」となっていきます。
青山合戦につきましては、ウキペティアさんに詳しい記述がありますので、リンク先をお城さんマークに入れておきます。
こん時ですね、軍師官兵衛の片鱗が徐々にあらわになっていき、見事、織田・別所・龍野赤松・宇喜多連合軍を打ち負かします。
なんか、城好きではなく、歴史好きになってしまいましたが、御着城や滝野城など、結構身近な城が出てきて、それはそれで親近感出てきますね。
それは、それで楽しみです。
では、では。
以前、ポリタンクさんにおせーて頂きました、雨山城 土丸城に行ってきやした。
雨山城 土丸城は、その存在事態も全く知りませんでしたが、山城サミットに参加して時に、大阪府下で3番目に国指定史跡に申請中という事を知り、去年の10/17に無事指定されました。ぱちぱちぱち。
大阪府には古墳を利用した城郭はあり、古墳そのものが国指定史跡になっている場合もあり、正確には3つめではありませんが、城オンリーでは3つ目となります。
標高も300mちょっと。ここは大変有名なハイキングコースで、私が登城したのが日曜日という事もあり、多数の登山者と挨拶させて頂きました。
城の印象としては、大変古い印象はあります。楠正正勝も城主だった可能性もありという事で、南北朝のお城ですね。
特に雨山城は、千畳屋敷曲輪や井戸跡などがあるので、戦闘の城というよりも、より住環境を意識した城のようにも思えます。一方、土丸城は、武者隠しや新しい防御施設が多数あり、標高はこちらの方が低いものの、根来寺からはこちらが近いためか、戦闘の城というイメージ、少し土丸城の方が新しい印象はあります。
土丸城と雨山城とも山頂を中心に曲輪があり、両山は二子山のようになっています。
古いタイプの城ではありますが、所々新しい技術も取り入れられている印象もあり、これは戦国時代に根来衆の出城としても使用されていたようで、根来衆が改修したような感じもします。
また城郭とは直接関係ありませんが、ここは国指定史跡の根元となった日根荘遺跡の棚田が見えます。この棚田が日本の原風景を思い起こされ、大変美しかったです。手前の老人ホームは邪魔でしたけどね。
雨山城 土丸城は大感動の城というわけではありませんが、なかなか雰囲気のあるいいお城、という感じはします。
続きがあります。
初めまして!! そして、あけましておめでとうございます!!
今日、このサイトを初めて見て投稿しました(^ω^)
自分もお城巡りが好きなので、今年は就活が無事に済み次第行きたいと思います(>_<)
皆様、城郭研究家さま、明けましておめでとうございます。
本年もいろいろと情報交換させて頂ければと思います。
よろしくお願いします。
城郭研究家さまの[城めグマ]にもありますように、今年は黒田官兵衛なので、近畿の城、伊丹城をはじめて、色々な城が出てきて盛り上がっていくのでと思います。
で、今年一発目の城は「久宝寺城」に行ってきました。
あっそーそー、城郭研究家さまのページには、
> 寺内町内にある久宝寺城についてはこれといって何も書か
> れたものを見つけることができませんでした。
と記載がありますが、まー恐らくですが、
久宝寺城=久宝寺内町
じゃないでしょうか。
見た感じでは、久宝寺内町中に更に久宝寺城があるとは思われませんでした。
だとすれば、ですが、寺内町=市民の城というイメージがありますが、ここは城主に畠山氏、安井氏がいたという事は、寺内町が市民の城ばかりではないのかな、という印象がありました。
この城、天正5年に落城したそうですが、寺内町の印象としては、非常に新しい印象があります。天正5年以降に大きな改修が行われたのではと思います。
カベノ城から始まったお城の旅は、こちらのホームページと共に知識がかなり増えてき、去年は城郭検定試験にもギリギリでしたが、合格することが出来ました。
今年も新しいドキドキ感を求めて、いろいろな城に巡りたいと思います。
では、では。http://www.siromegu.com/castle/osaka/kyuhoujijinai/kyuhoujijinai.htm
本岡様
新年明けましておめでとう御座います。
今年も愛知県の充実に努めて参ります。
本年も宜しくお願い致します!
行って来やしたー。
本当はスマホでナウとやりたかったのですが、携帯の電池の無くなり方が異常で、本丸到達時点ではなくなってしまいました。
無事帰宅は出来たのですが、なんと、滑落しかかりました。いやーこわぃー。竹田城で腰の骨を骨折した人のようにニュースに掲載されてしまう、と思いましたが、なんと偶然手を伸ばしたところに、木の根がありそれを掴んで難を逃れました。
詳しい話は、後程。
無事でしたという報告だけしておきます。
では、ではる
備前市上門出の惣谷山城を目指すも地図を忘れてGPSのみ。
尾根を一つ間違えて南側の下門出の尾根に取り付く。
県道から橋を渡って突き当りの民家の右側から山道を登る。
赤テープ、選定鋏活躍。
尾根に出て左に曲がるとすぐに片堀切、切岸、長さ約20mの単郭。
無名の砦のようだ。
仮に「下門出砦」としておこう。
送電鉄塔の跡のコンクリート基礎。
この時点でも尾根を一つ間違えていることに気が付いていない。
尾根を東へ電波鉄塔二。
どんどん尾根を進んで県境の310mピーク付近の県境道に突き当たる。
やっと間違いに気づき撤退。
二つ目は和気町日笠下の「上見山城」。
記憶を頼りに才ノ峠東約500mの県道脇に駐車。
細い舗装道を歩いて民家前から取り付く。
最初は竹藪だったが次第に道が消えてヤブ漕ぎ。
赤テープ、選定鋏使用。
やっと山道に出て登ると甘い削平の主郭と腰曲輪。
百姓逃げ込み城的イメージ。
三つめは和気町田原下の「西山城」。
ここも資料を忘れて西山集落北の墓地東側の獣避けフェンスの扉から入る。
ここから赤テープ、選定鋏活躍。
すぐに東南の尾根に出る。
尾根に平坦地。
猛烈なヤブを泳ぐように進む。
主郭下に二段の郭。
石積みたいな部分がある。
主郭の削平は甘い。
三角点。
帰りは赤テープを頼りに下る。
四つ目は岡山市東区城東台3丁目の「内山城」。
めぼしを付けていた山畑池公園付近に駐車するも山畑池へのフェンス出入口にはしっかりと鍵。
付近の民家の裏は高いよう壁とフェンスで立ち入り不可能。
よう壁の切れた城東台小学校近くの空き地からヤブに突入。
赤テープ、選定鋏活躍するもシダが濃い。
ズボンに種子が大量に付着。
送電鉄塔に出ると送電線巡視路。
道なりに登って二つ目の送電鉄塔。
南に進むと少し下って鞍部に一文字低土塁。
すぐに切岸と二つ目の低土塁。
東に低土塁が廻る腰曲輪。
主郭は約100m程度。
主郭の西に長い腰曲輪。
切岸を降って送電鉄塔。
送電鉄塔基盤の石垣の先で山道はシダの中に消えている。
明日ちょっと時間があったので、兵庫県篠山市にある金山城にでも行きまひょかー、と思いネットでちょちょい下調べ手をしていましたら、な、なんと、われらの城郭研究者様が、城たび100選というプロジェクトを行っているではありませんか。
おー、すごいですね。
お城さんマークに詳細入れておきました。
これを見ると神戸・阪神地区は、大体行けています。但馬地区、丹波地区、淡路地区は半分程度はいけています。播磨地区は殆ど行けていませんね。
あ、それと城郭研究者様のプロフィールを拝見しました。やったー、城郭研究者様、私と同世代です。多分同じ年ぐらいかなー、と思っていましたが、生年月日がありようやく確認できました。今回それが結構嬉しかったです。あれですよね、ガンダム世代ですよね。
金山城は明日行ってきます。また詳しい報告致します。
では、では。
弘前城の項目で『唯一なぞだったのは西側に設置された、望遠鏡です。』ですが、当日は曇りだったようですね。何を見るためのものなのかなぁって。→『岩木山』を観るものだったのです。晴れた日に、是非ご再訪下さい。春夏秋冬、岩木山の異なる彩りをを真ん前にみることが出来るでしょう。
T氏グルーブ2名の城攻めに便乗し、美作市小野字時兼の「殿屋敷」訪問(城名は山を降りてから、たまたま麓の地主さん宅にて確認)。
砦の北側の舗装道広場に駐車。
三人グループなのでイノシシも出てこないと安心。
南に分岐する四駆作業道を約500m歩いて、おかやま全県統合型GISにある「城名不詳の土塁囲み」に至る。
変形の方形土塁囲みで約50m四方、高さ1〜1.5m程度。
土塁の一部は重機で削られたのか欠損。
虎口は土塁囲みを貫通する道路で破壊されたのか見当たらず。
郭の中央部に作業小屋らしき建物二棟。
西の尾根続きに送電鉄塔。
イノシシ避けの電気柵。
虎口だったと思われる南北2箇所の土塁は二重になっていて小横堀とセットになっている。
お二人は縄張図作成に忙しい。
城域の隅々まで歩く。
周辺には平坦地が広がり兵の駐屯地らしいと妄想。
交通の要衝に位置する織豊系陣城だろうとのお話し。
ついでに、先日訪問の美作市平福の「緑青山城」は織豊系陣城、美作市山口の「比久城」は在地系の城と現地確認されたとのご教授をいただく。
この後、南に国道429号線を挟んでいる「四乳山城」を訪問するも畑地造成で消滅したのか、城郭遺構見当たらず。
畑の隅に小さな供養墓15基あり。
雨が降り出して解散。
お久しぶりです
城めぐ続行中です
本日、奈良県大和高取城行って来ました
猿石があるところから、飛鳥栢森へ抜ける道は
土砂崩落の危険性があるらしく
通行できません!
歩いて飛鳥に行く予定されてる方は
通行できませんのでご注意を!!
大阪市中央区の大阪城西側で、大坂城の石垣に使用されたなかった残念石の現地説明会があるそうなのでご報告しておきます。
場所は、
> 発掘場所は、外堀のすぐ西側で、府立成人病センターの建
> 設予定地。
ということでらしいですが、どの辺だろう?
日時は、23日午後1〜3時です。興味のある方は是非。
では、では。http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/11/19/kiji/K20131119007043870.html