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安祥城跡登城日:(2009.02.21) 所在地: 安城市安城町、大乗寺他 |
歴史 |
室町時代中期の1440年(永享十二)和田親平の築城と推定され、はじめ森城と呼ばれていました。三方を湿地に囲まれた台地突端に位置し、北部接続部に濠を掘った中世の本格的城郭(平山城)でした。 1471年(文明三)頃、松平信光が攻め取り、以後五十余年間、安城松平四代(親忠・長親・信忠・清康)の居城となりました。また、松平氏の本拠が岡崎城へ移ると、この城をめぐって松平・今川氏と織田氏との間に、1540年(天文九)から10年の間に五度に及ぶ攻防戦がくりひろげられました。 桶狭間の戦い以後廃城となったと、考えられますが、1584年(天正十二)小牧・長久手の戦いにあたり、徳川勢によって改修工事を受けたとする説が有力です。 『安祥城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
安城市歴史博物館を目指していくと、そこが安祥城跡ですので非常にわかりやすくていいですね。ただ周囲には明らかに真新しい土塁や石が腰巻状になっているものがあり、整備されすぎた城跡公園なのかなと軽く落胆してましたが『安城市史研究第1号』(安城市)を見ながら周囲を見渡すと結構想像で補えてしまえるものです(^^;。 現在、大乗寺が建っている小丘が主郭だったようで、周囲を濠がめぐらさえれておりました。現在も博物館側の斜面が遺構だったのか、そういう見せ方をしているのか「切岸」という看板があったような(気がします)。南側にも独立した小丘がありこちらも郭跡です。面白いのはそれらの間の濠は堀底が中央で二分しており、畝状の仕切りがみつかっています。現在は綺麗な通路になっていますが、それくらい説明板があってもいいと思うんですけどねぇ。
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