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新城城跡
登城日:(2000.08.26)
所在地: 新城市入船
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
市役所奥にある二の丸跡。現在はただの駐車場です。 長篠城をなんとか死守することができた奥平信昌はその功績により新城城を築城しました。また、家康の娘亀姫を室として迎えることで徳川家の一族として認められるほどの確固たる地位を築いたのです。
 のちに上州富岡へと転封となるまでの短い期間であったが初代城主としてこの新城城に居を構えたのでした。その後は同じ「山家三方衆」である菅沼氏が入封し、宿場町として明治維新まで発展していったのです。

『日本の名城・古城事典』TBSブリタニカ刊参照

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資料
 

私見
本丸跡。小高い丘の上にあります。  新城市の市役所南側に位置する駐車場に車を止め、新城城を探して歩き回りました。市役所横の道を左に折れ、すぐに二の丸跡はわかりました。しかし本丸跡は全然わかりません。37度はあったと思われる炎天下の中、あちこち歩き回りましたが全然違うところを捜してました。
 一旦車に戻り、再度地図を見なおすとすぐにわかりました。新城小学校の校庭を横切り、プールのすぐ裏手の細い道を進んでいき、NTTの施設が設置してあるところの後ろの小高い丘の上でした。そこに城石碑があります。
 高さは約3mほどでしょうか。ぐるっとまわってみると本丸跡であるそこには道がついているので上まであがることができます。4メートル四方程度の大きさの小さな郭跡ですが、丸く整えられたそこはなんとか城跡であることは感じられます。また脇には豊川が流れ、城の堀となっていたのですね。ひっそりと藪のなかに立つ新城城跡。ほとんど忘れ去られている様子ですが、石碑横の同じく朔平地に立てられた稲荷神社が静かに見守ってくれているのでしょうね。
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