城めぐドットコム HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

上野上村城

上野上村城跡


登城日:(2009.08.29)
所在地: 豊田市上郷町薮間、城山稲荷
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
上野上村城跡  応仁の頃(1467)伊勢貞親の被官であった戸田弾正左衛門宗光による築城と伝えられている。城の周囲には、自然地形を利用した掘が巡り、南西に本丸、北東に二の丸が配されている。
 宗光は文明七年(1475)に次男の家光を残して渥美郡大津に移り、田原城を築いて田原城主となった。その後家光も程なくして田原に移っている。
 明応二年(1493)上野城に在った阿部孫次郎は寺部の鈴木氏、挙母の中條氏、八草の那須氏、伊保の三宅氏等と連合して松平親忠と井田野(岡崎市)に戦い、破れて、松平氏に服属した。その後この城には松平内膳正信定と、その子清定が在城した。
 清定は天文十四年(1545)松平広忠と戦い、同十五年に降伏して桜井(安城市)に蟄居の身となり、代って、酒井将監忠尚が入城する。しかし、永禄六年(1563)三河一向一揆が起こると忠尚は一揆方に味方したため、隣松寺に本陣を敷いた徳川家康によって攻められることになる。永禄八年、一揆が鎮まって忠尚は駿河に逃れ、上野城は落城した。落城後は家康により、上野七人衆と呼ばれる在番衆が置かれた。

『上野上村城跡案内板』より

【戻る】

資料
【地図を表示する】
 

私見
稲荷神社が建つ丘は櫓台跡か  上野城は、この日巡っていた平地城館の中では城址碑や案内板、土塁跡や櫓台跡らしきものもあるというすばらしい城跡でした。しかし、それにしても石碑が多い・・。こんなにいらないのに。
 城跡には城山稲荷に隣接している上郷区民会館の駐車場を利用させていただきました。稲荷神社が建つあたりは周辺からみて微高地になっているようで、東側に流れる川は城跡を守るようにカーブしているので以前からこの状態だったとしたら掘の役割を果していたと言えますね。
 案内板にある城の歴史にはあまり触れられていませんが、ひときわ立派な石碑が「榊原康政生誕の地」でした。愛知県内はあちこちに”生誕の地”があるので面白いですね。
【戻る】