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山崎城跡登城日:(2009.02.21) 所在地: 安城市山崎町、神明社 |
歴史 |
山崎町神明社一帯に築かれた戦国時代の典型的な方形城館です。幅13メートル、深さ2メートルの堀が約50メートル残っていますが、もとは、この堀の内側に接して、幅15メートル、高さ3.5メートルの土塁がめぐらされていました。今の神明社本殿は土塁の上に築かれています。周囲を取り囲む土塁は東西100メートル、南北90メートル、その北東の約2.3メートル高くなった端には、隅櫓をおいていました。 この城は、三ツ木城の松平信孝が、岡崎城の松平宏忠に敵対して織田方に通じたとき、岡崎城にそなえて1543年(天文十二)に築いたものです。しかし、1549年(天文十八)今川・松平連合軍が安祥城を攻撃したとき落城しましたが、1585年(天正十三)小牧長久手の戦い後の緊張状態の中で、徳川勢により改修工事を受けたとする説が有力です。 『山崎城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
山崎城の訪城予定は全然なかったのですが、安祥城に行く途中で地元の方に連れていっていただけました。城跡には神社と小さな公園が作られてはいますが案内板とその前には大きな堀が残されていました。堀の内側であり、神社社殿が建っている土台には城の土塁が使われているのもわかりますね。ただその下、堀底そばにある大きな石は当時のものなのでしょうか。よくよく見れば石の1つに「バカ」と書かれています(-_-;。刻印ではないでしょうから、心ない人のイタズラ、いや史跡破壊行為なのでしょうか。堀が良く残っているなぁと嬉しくなっていたところだっただけに非常に悲しくなりました。
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