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吉田城跡 登城日:(2000.8.26) 所在地: 豊橋市 |
歴史 |
当吉田城は、はじめ今橋城と称し永正二年(1505)牧野古白によって構築された。以来、東三河の要衝として今川、武田、徳川ら戦国武将の攻防を経て天正十八年(1590)に池田照政(輝政)が入封し、十五万二千石の城地にふさわしい拡張と城下町の整備が行われた。しかし照政は在城十年で播州姫路に移封され、のちに入封した大名は譜代ながら少禄のため照政によって大拡張された城地も未完成のまま明治に至った。 この城の縄張りは背後に豊川をひかえ本丸を中心に二の丸・三の丸を配置しそれで堀が同心円状にとりかこむ半円郭式の後堅固の城といわれるもので本丸は三九三一平方メートル(1189坪)、二の丸は一五一五四平方メートル(4584坪)、三の丸は五○一四二平方メートル(15168坪)腰郭は一八六四平方メートル(564坪)堀土手敷は五三五三四平方メートル(16194坪)総面積は一二四六二五メートル(37699坪)である。 現在みられる遺構は、照政時代の旧態を残している。 『吉田城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
豊橋市の市役所横に大きく広がる公園内に吉田城跡はあります。朝が早かったおかげ(?)で適当に公園の入り口付近に路駐して(^_^;本丸へ向かいました。
三の丸、二の丸と意外と遺構があちこちに残っているのが確認できます。土塁、石垣、空堀など見ごたえがありますねぇ。 しかしこの吉田城、一番の撮影ポイントは川向かいからだそうですね。私は残念ながら時間がなくてそちらにはいってませんが。
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