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角館城跡
登城日:(2003.06.27)
所在地: 仙北郡角館町古城山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
駐車場脇にたつ城址碑  角館城は標高166メートルの古城山の上にある山城であるが、その築城時期については明らかでない。
 いつごろかは不明だが戸沢氏が居城としたことはわかっており、天正十八年の豊臣秀吉による北条小田原攻めの際には城主戸沢盛安が参陣したが、病没。ついでその弟光盛が跡を継ぎ、文禄元年(1592)の秀吉の文禄の役に参加したが、播磨にて病没した。
 慶長七年(1602)、軍功により徳川家康から常陸古河城へ国替えを命じられ、以後は須田美濃守盛秀が受け取り、さらに翌年には芦名盛重が城主となった。た戸沢政盛の代わりに角館に入城したのは、佐竹義宣であった。
 元和六年(1620)、幕府の命により角館城は破却させられ、その幕を閉じた。

『日本城郭体系2』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
頂上にある主郭  46号線を田沢町から角館町にはいってすぐの下り坂の途中で小さな路地を右折します。そこから山をしばらく登っていくと駐車場があり、その手前には角館城を示す城址碑が建てられています。ここに入る路地がちょっと分かりにくいかもしれません。
 さて車を降りると、あとと舗装された道をひたすら歩いていくことになります。砂利道ですが、夏場でも安心して歩けるほどの整備ぶりとなっていました。10分ほど歩きつめると頂上に出ます。そこが主郭跡となる削平地となり、主郭の手前は土塁跡のような土盛りが見えました。
 はっきりいって、非常に寂しい状態で保存されています。角館町は古い城跡よりも、46号線を挟んで向いにある武家屋敷群をメインの観光地として力をいれているようで、完全に城跡は見捨てられてしまっているかのようでした。
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