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大館城跡
登城日:(2003.06.28)
所在地: 大館市中城、桂城公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
脇には城門跡が残っています。 緑が美しい水堀跡  大館城は、天文十九年(1550)浅利勝頼により築城されたとされている。
 天正十年(1582)、勝頼が秋田愛季により謀殺されたため以降秋田氏が大館地方を支配するようになり、大館城には家臣の五十目兵庫を城代としておいた。しかし同十五年(1587)には五十目兵庫が南部氏に内応したため、南部方の北信愛が大館城に入城するようになる。その後同十七年には再度秋田実季が奪還を果たした。
 慶長七年(1602)の国替えにより佐竹氏が入封し、以後は佐竹氏が支配を続けるようになった。
 元和元年(1615)の一国一城令の際には「久保田城の支城」として横手城とともに大館城も破却されることなく残された。が、明治元年(1868)の戊辰戦争の際、南部軍に追い込まれた大館城代佐竹大和義遵は自ら火を放ち、大館城の長い歴史に終止符をうつことになったのである。

『日本城郭体系2』新人物往来社刊、参照

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資料
 

私見
もう一つの遺構、土塁跡  大館市役所を目印にして桂城公園に到着しました。この公園こそが大館城跡です。公園がある平地は脇の道路から一段高い位置にあり、道路からはその様子が見えなくなっています。
 公園自体は少しの遊具がある程度の寂れた印象を受けるものでしたが、道路側から公園内にはいって右手側は2メートル以上の高さの土塁跡がまっすぐに続いており、その先には城門跡を示す碑がたてられています。現在はそこには石垣もあるのですが、城郭体系には石垣の遺構があるとは書いてなかったのでおそらく当時のものとは関係がなさそうです。
 そしてその城門を右折すると水堀が広がっています。水面一面に水草が広がっており、緑一色の堀跡として美しく映えています。
 いざ振り返ってみますとたしかに立派な城跡の装いを見せる公園ですが、場所によってはまったく寂れた、面白みの少ない公園であるかのような印象を受けてしまいます。そういった意味ではこの大館城跡は最初の印象を見事に裏切ってくれた、なかなかのものでした。
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