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新谷藩陣屋跡


登城日:(2006.08.13)
所在地: 大洲市新谷町 、新谷小学校
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
新谷藩陣屋跡となる新谷小学校  寛永十九年(1642)、新谷藩初代藩主となった加藤直泰は、大久保川を付け替えて、藩主や家臣の屋敷・町人住区等の区割りを行い、庭園からの水を防火用にするなど、陣屋の体制を整えた。
 新谷藩は、武術とともに学問を奨励し、中江藤樹の教えや和算の普及に勤め、廃藩置県(明治四年)まで続いた。
 この陣屋跡に、学制頒布(明治五年)によって、新谷小学校の前身である「令教小学校」が設立された。「令」の字は、九代藩主加藤泰令の徳をしたってその一字が付けられた。
 この藩から、和算学者別宮猶重、蘭医鎌田明澄、産業の発展に尽くした岡丈四郎(岡大明神)、儒学者児王輝山・宇都宮龍山、国学者平田(翠川)銕胤(かねたね)、明治維新に活躍した香渡晋(こうどすすむ)、宮脇通赫(みちてる)等を輩出し、学問を重んずる気風が藩の伝統となった。

『新谷藩陣屋跡案内板』より

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資料
 

私見
新谷藩陣屋跡となる新谷小学校  大洲藩の二代目加藤泰興の代に弟加藤直泰に1万石が分知され、新谷藩が誕生しました。現在新谷小学校の敷地となっている新谷藩陣屋は国道56号線を新谷大橋で矢落川を渡った、山間の集落内にありました。現在も残る麟鳳閣はかつての御殿であったものです。残念ながら写真を撮ってませんでしたが・・最大のミスです。暑すぎるお盆の太陽にヤラれてたのでしょう。(;_;)
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