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白山平泉寺城跡
登城日:(1998.11.21)
所在地: 勝山市
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
白山平泉寺です。 福井・石川・岐阜の三県にまたがる白山(標高2702メートル)は、富士山や立山とともに古くから信仰の山とされてきました。「越の大徳」といわれた泰澄大師は、養老元年(717)この地の「林泉」(御手洗池)で神託を得て白山を開き、平泉寺を創建されました。平泉は中宮平泉寺とも呼ばれて白山信仰の中心地となり、越前馬場として栄えるようになりました。中世には、白山神社境内を中心に48社36堂6千坊が建ち並び、また多くの荘園を持って強大な勢力を誇っていました。源義経・弁慶らの一行も、この平泉寺に立ち寄ったと伝えられています。ところが一乗谷の朝倉義景が滅んだ翌天正2年(1574)一向宗徒の一向一揆勢が乱入して、一山ことごとく焼失してしまいました。11年後顕海僧正が平泉寺を再興され、江戸時代には平泉寺から白山にいたる広い地域を、平泉寺の白山社領として支配しました。明治5年(1872)には白山は石川県になり、平泉寺の支配から離れることになりました。これより先の神仏分離令により、明治3年(1870)平泉寺の寺号を廃して白山神社になりました。
 参道の石畳、直立する菩提林の老杉、白山の神が現れたと伝える御手洗池、大拝殿の礎石、本社前の大石垣は、全盛時代の平泉寺の面影を残しています。また、六百数十年前に建てられた楠正成の供養塔、永平寺奉納の石灯篭、拝殿の奉納額などが歴史の古さを伝えています。社務所の「旧玄成院庭園」は室町末期に細川高国により造園されたといわれ、国の名勝に指定されています。白山国立公園の一角をなす白山神社の境内一帯は、「白山平泉寺城跡」として国の史跡となっています。杉木立に囲まれた神域は、青苔におおわれて静寂をなし、白山信仰の霊場として、いまなお多くの崇敬を集めています。

『白山平泉寺城跡案内板』より

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資料
 

私見
改修中だった本社 白山平泉寺城は、越前にはこういった寺社が力を持っていた国であったということが理解しやすい城跡ではないでしょうかと思います。現存する城跡のほとんどが織田勢力が築城した城であるということを考えると、この寺(城跡)は貴重な存在だと思います。
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