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堀江公番田館跡


登城日:(2006.05.04)
所在地: あわら市番田
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
番田にあった堀江氏館跡の碑です。  この史蹟は、中世の頃、坂井郡一帯を支配した堀江公一族の居館跡である。その系譜は、大織冠藤原鎌足公の流れ、鎮守府将軍藤原利仁より出る。次代の斎藤叙用より越前押領使伊傳と下り、利仁九世の孫實嗣の時、堀江郷名を以って姓としその始祖となる。軈て景經に至りて祖よりの故地番田に館を造り住したのは長録年中であるといわれる。一乗谷城主朝倉敏景に従い郡内二千五百貫を領し勢力を張る。一時兵庫郷井向村に住せしが、石見守景實に至りて再びこの地に移り加賀の一向一揆と対峙した。後に下番村に移るが、代々斯波氏朝倉氏方に属してその武功を以って鳴る。

『堀江公番田館跡案内板』より

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資料
 

私見
 えちぜん鉄道三国芦原線「番田」駅そばにはかつて堀江氏の居館がありました。現在は耕地整理の結果よくわからなくなってしまっていますが、石碑と案内板が置かれています。非常にわかりにくい文体の案内板で、読むのが疲れます(^^;。
 朝倉氏に属した堀江氏でしたが、永禄十年(1567)に加賀一向一揆と手を結んで朝倉義景に背くという風説が流れました。風説を信じた義景は軍勢2000を差し向けたのですが堀江側を攻め落とすことはできませんでした。その後本流院の仲介により和議が成立し、堀江氏は能登へ退きました。(「日本城郭体系11」)
 なかなか智勇に優れた一族だったようですね。この一帯は平坦な平野が広がる田園地帯ですが、こうした居館跡がよく作られていたみたいです。
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