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鞍谷御所跡登城日:(2011.06.19) 所在地: 越前市池泉町 |
歴史 | 室町末期の鞍谷氏の館(鞍谷御所址)の一部である。現在は味真野神社の境内をコの字に囲むようにして北・西・南面の土塁と、北・西面の空堀を残している。 いい伝えによれば、古代の男大迹王(継体天皇)の宮居の跡といわれ、中世になっては足利将軍義満の次男義嗣が上杉禅秀の乱(1416)に連座して殺され、その子嗣俊がこの地に住み、鞍谷氏と称し三代栄えたという。 最近の説では、斯波義俊の館跡といわれる。義俊は、応仁の乱の原因にもなった斯波家家督相続争いの斯波義廉の子息で、朝倉氏によって名目上の守護として越前に迎えられ、はじめ一乗谷に在住したが文明十八年(1486)にはこの地に移っている。 子孫は代々鞍谷氏を称し朝倉氏と婚姻関係を結びながら居住し、朝倉氏滅亡後は小丸城を築城した佐々成政と臣従関係をむすんでいった。
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資料 |
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私見 |
現在の味真野神社境内を中心にして、鞍谷氏の館(あるいは斯波氏の?)がありました。約100メートル四方の方形をなす城域に、かつては土塁が巡らされていたようです。現在もそれは容易に想像することができますね。土塁と空堀が非常によく残っていて、安心して散策することができます。 ただちょっと油断してしまいましたが、日本城郭体系によれば、南側の土塁がもっとも状態がよく、一部に二重土塁の構造をもっているとか。いずれにしてもお手軽でいいお城ですね。
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