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新善光寺城跡


登城日:(2007.05.04)
所在地: 越前市京町2丁目、正覚寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
当時の土塁跡らしきものが残っています。 新善光寺城跡である正覚寺  南北朝の動乱期、越前国守護斯波高経は新善光寺跡に新善光寺城を築城し、南朝方に備えた。延元元年(1336)、南朝方の杣山城(南条城)主瓜生生保の軍勢により落城したが、すぐ奪回した。さらに延元三年、金ヶ崎城(敦賀市)の落城で杣山城に逃れていた新田義貞等は勢いを盛り返し、高経の軍勢と日野川で激戦を交えた。この戦いで府中(武生)の町は焼け、高経は敗走し新善光寺城は義貞の手に落ちてしまった。義貞が新田塚で戦死後、南朝方の勢力は衰え、義貞の弟脇屋義助は美濃へ敗走した。貞治五年(1366)浄土宗の良如により、この城跡に正覚寺が創建され、現在にいたっている。
 現在は、境内北部の駐車場に沿う東西と境内西部の墓地内に南北に、僅かに盛り上がった土塁の跡を留めるのみであるが、正徳元年(1711)の府中図によれば、寺域は、東西九十間南北七十六間で、土塁の外に堀が巡らされていた。

『新善光寺城跡案内板』より

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資料
 

私見
正覚寺正門脇には城址碑がありました。  越前市街の中にある新善光寺城跡は、JR北陸本線「武生」駅の西方約500メートルの場所にある正覚寺境内にありました。城の背景を知らないまま訪れたのですが丁寧な案内板があり助かりました。また土塁跡も拝むことができるのは、市街地にある平城としては大変貴重なものですね。正覚寺の裏手から来ると、案内板と土塁だけ見て帰ってしまう可能性もありそうですが、ぜひ正門も見て帰ってください。現在の正門はかつての府中城の移築門だったようです。この写真もおさえておいてから、府中城跡(越前市役所)を訪れるといいですね。
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