Check |
天筒山城跡登城日:(2006.05.03) 所在地: 敦賀市泉 |
歴史 |
天筒山城がいつ頃誰の手によって築城されたのかは不明である。南北朝の時代、延元元年(1336)に新田義貞が金ヶ崎城に拠った際、この城には足利勢が陣を張ったという記録が残っている。 下って元亀元年(1570)京を出立した織田信長は敦賀に侵攻し朝倉方の天筒山城と金ヶ崎城を攻略した。 『日本城郭体系11』新人物往来社刊参照
|
資料 |
私見 |
金ヶ崎宮の駐車場に車を停め、神社の参道をあがっていきます。このコースだと金ヶ崎城経由となりますので天筒山城へいくには遠回りになります。参道にある「難関突破と恋の宮」と書かれた金ヶ崎宮の看板が面白いですね。 神社境内には地元の高校が製作した金ヶ崎城と天筒山城のジオラマがあります。よくできていますのでぜひチェックです。 そこから先は金ヶ崎城の城域となります。詳しくは金ヶ崎城のページに書くとして先に進みます。そもそも天筒山城と金ヶ崎城は1つの城として考えてもよさそうなほど隣接してつくられています。『日本城郭体系』にもあえてわけるならというくだりがありましたが、一の城戸や北西郭までを金ヶ崎城扱いとしてその先から話を続けることにします。(異見歓迎(^^;) 天筒山城は標高174.3メートルの主郭をはじめ、稜線にそって郭群が伸びている大きな縄張りを持っています。それぞれの郭群ははっきりと分けられており、それぞれを堀切や竪堀がつくられているのがよくわかります。金ヶ崎城には時折案内板があるのに対して天筒山城には一切なく、公園化してしまっているのが残念ですが市内で入手可能なパンフにもしっかりと竪堀や堀切が書かれている縄張り図がもらえますので安心して城めぐできますよ(^-^V 元々は金ヶ崎城の支城だったようですが、主郭から見た景色は金ヶ崎城を見下ろせる絶好の眺めです。こちらのほうが主城じゃないの?と思ってしまえるほどです。
|