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亀ヶ城跡 登城日:(2002.05.21) 所在地: 耶麻郡猪苗代町 |
歴史 |
三浦氏の一族である佐原義連は「奥州征伐」の軍功により、頼朝から会津四郡を与えられました。その子盛連には六男があり、長男である大炊介経連が猪苗代を領して猪苗代氏を称しました。経連は、磐梯山南麓の弦峯の地に建九二年(1191)亀ヶ城を築いたと伝えられています。 以後、十四代盛胤まで猪苗代氏代々の居城でしたが、天正十七年(1589)「摺上原の戦い」で芦名方が伊達勢に敗退したことにより、盛胤も湖南横沢に引退し、猪苗代城主はここに終わりを告げました。 しかし亀ヶ城は、江戸初期に出された一国一城令にも破却されず、近世を通じて城代が置かれ、幕末の戊辰戦争によって焼失するまで会津藩東の要として残された名城です。 『亀ヶ城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
亀ヶ城は別名を猪苗代城といい、猪苗代氏が治める城として存在していました。亀ヶ城という名称は、同じく猪苗代湖に程近い位置にある若松城の通り名が鶴ヶ城であったことによるものです。なんか安易ですね(笑)。 現在の亀ヶ城は本丸、ニの郭、帯郭、石垣、掘跡など実によく遺構が残っています。石垣は野面積みのものが見事に復元されており、またおりしも本丸では年配の方々が復元工事(?)というか、掃除をされていました。この石垣も雇用調整事業による工事が行われたそうなんですけど、いずれにせよこうした地元の方の丁寧な作業によるものの賜物によって今日の亀ヶ城があるんでしょうね。 私が訪れました5月21日は帯郭に一面つつじが満開になっていました。しかしなぜか場違いな児童遊戯施設が角櫓跡にあったのがちょっと、いただけませんでした。
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