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帰雲城跡登城日:(2011.08.22) 所在地: 大野郡白川村保木脇 |
歴史 | ![]() ![]() 埋没前の、帰雲城の位置は確認されていないが、地勢・堆積土砂等からしてこの周辺地域と推測される。 ![]() 流れる雲は常にこの山頂に至りもと来た空に帰るという。対岸の帰雲山は、天正十三年(1583)十一月二十九日夜、大地震にて崩壊、時の帰雲城主内ヶ島兵庫頭氏理、主従一族(数百人)と山麓の城下町は一瞬にして、この地に深く埋没したと伝えられている。 祠は、霊夢を感じた平瀬の、田口勇一氏と保木脇部落の有志が、地下の霊を弔うため建立された。 『帰雲城跡案内板』より
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資料 |
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私見 | ![]() 山深いこの地にあって、その天険を城砦として利用した内ヶ島は、萩町城、向牧戸城など要所に城を築いて周囲からの脅威に備えていました。その本城として築かれたのが標高1622メートルの帰雲山上にあったとされる帰雲城です。国道156号線脇に設置された埋没地は、帰雲山から見て庄川の対岸にありますが、この場所一帯でいいのでしょうか。城とともに麓の城下にあった人家約300戸が人馬もろとも一瞬で生き埋めとなったと言いますが、遠く聳える帰雲山のえぐれた山肌を見ますと、そのすさまじさが伝わってくるようです。 白山方面から流れてきた雲が、山肌にぶつかって帰っていくことから名づけられた帰雲山。雲の目線で俯瞰してみたいものですねぇ。それにしても城址碑の脇にある「この位置から姫の横顔が見られます」「この位置から武将の面影が見られます」はなんとも間抜けな感じがしますね(^^。
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