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向牧戸城

向牧戸城跡


登城日:(2011.08.22)
所在地: 高山市荘川町牧戸
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
 向牧戸城
駐車場からの登城道 向牧戸城主郭  向牧戸城は、寛正のはじめ(1460)将軍足利義政の命を奉じた、内ヶ島上野介為氏が信濃国松代から白川郷に入り、当地に城を築いた。白川郷はもとより、川上郷、小鳥郷、さらには越中国砺波までを征する勢力の拠点となった城である。
 寛正五年(1464)内ヶ島氏は、保木脇(現白川村)に帰雲城を築き、これに移った。
 向牧戸城は、家臣の川尻備中守氏信が城主となり、郡上及び高山方面からの侵入に対する備えとした。
 天正十三年(1585)豊臣秀吉の命により、飛騨攻略に向った、越前大野城主金森長近が飛騨に入り、最初に攻めたのが向牧戸城で天正十三年八月十日落城した。
 向牧戸城は、築城以来百二十数年間にわたり白川郷の守りの要であった。
 川尻家の墓
 川尻家は、寛正のはじめ当地に「向牧戸城」を築き、白川郷を支配した内ヶ島氏の重臣であった。
 寛正五年(1464)内ヶ島氏が、白川村保木脇に「帰雲城」を築き移ってからは、川尻備中守氏信が向牧戸城主として内ヶ島家に仕え、天正十三年金森長近が飛騨を平定してからは金森家に仕えたが、子孫の代に帰農し、代々牧戸村の名主等をつとめてきた。明治三十七年八代久三郎のとき北海道に移住し今日に至っている。
 川尻家の墓は、住居のあった牧戸橋附近に設置されていたものを、墓守を依頼されていた高山市在住の森慶二氏により、昭和六十二年当地に移設されたものである。

川尻家系図(川尻備中守)
氏信−勘平−勘四郎−久左衛門−武左衛門−久左衛門−宇之助−久三郎−清

『向牧戸城跡案内板』より

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資料
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私見
向牧戸城の堀切 川尻家の墓石  飛騨と美濃、そして越中国の国境そばに向牧戸城がありました。見事にいい位置にありますね。しかも蛇行した庄川がうまく堀の役割をはたしています。とはいえ現在は国道156号線、飛騨街道から2分で攻略できる楽チン城址です。駐車場から続く登城道をあがるとすぐに堀切を歩き、左へ折れると主郭です。南側の郭は藪がひどくて眺めるだけにしましたが、主郭は綺麗に整備されていますね。とは言えここから白川郷などの周辺地域を抑えていたとはちょっとイメージしにくいです。
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