HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

お茶屋屋敷跡
登城日:(2004.10.09)
所在地: 大垣市赤坂町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
お茶屋屋敷跡。  ここは慶長九年(1604)、徳川家康が織田信長の造営した岐阜城御殿を移築させた将軍専用の休泊所である。
 お茶屋屋敷は中仙道の道中四里毎に造営され周囲には土塁、空濠をめぐらしその内郭を本丸といい厳然とした城郭の構えであった。
 現在ここが唯一の遺構でその一部を偲ぶことができる交通史上重要な遺跡である。

『お茶屋屋敷跡案内板』より

【戻る】

資料
 

私見
北側堀跡。 土塁跡。  お茶屋屋敷跡には、赤坂中学校を目指してくれば間違いないです。中学校裏手の道路に入っていくと駐車場が用意されていますのでゆっくりとあたりを散策することができます。
 将軍の休泊所ということでかなり立派なものだったと思いますが、家康で慶長10、11、16、19年に、秀忠で元和元年(1615)に休泊しています。規模は東西約155〜170メートル、南北約137〜164メートルの外郭と、東西122〜137メートル、南北約118〜126メートルの内郭を持つ二重構造の方形状の城郭でした。現在は西側半分が中学校建設により破壊されてしまっていますが、内郭の東、北側および南側の土塁、堀跡と外郭帯曲輪南辺の堀が残っています。
 現在も竹林とボタン園として手入れされている落ち着いた雰囲気を持つお茶屋屋敷跡。将軍が見る風景に浸ることができるかもしれません?!
(『岐阜県中世城館跡総合調査報告書第1集』岐阜県教育委員会刊参照)
【戻る】