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曽根城跡
登城日:(2004.10.09)
所在地: 大垣市曽根町1、華渓寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
曽根城本丸跡である華渓寺 曽根古城跡図  この地は天正のはじめ、春日局の父、斉藤利三が、城主稲葉一鉄の重臣として住んだところである。
 春日局は稲葉一鉄の姪、お安と斉藤利三との間に生まれた子であり、のちに一鉄の子、重通の養女となって稲葉正成に嫁した。
 曽根城の創業年代は不明だが、西美濃三人衆の一人として活躍した稲葉一鉄が永禄十年(1567)織田信長に仕え、五万石を領したという。
 その後、この城は一鉄の子、貞通と孫の典通を経て、天正十六年(1588)から西尾光教が在城した。
 光教は関が原合戦(1600)に西軍の守備する大垣城を攻略する等の戦功をたて戦後揖斐城に移り、曽根城は廃城になった。
 一鉄の母の菩提寺である華渓寺も享保十九年(1734)に本丸跡に移転した。
 なお、華渓寺所蔵の曽根古城跡図の中央部に「斉藤内蔵佐」と利三の屋敷が記されているから春日局は、ここで生まれたのではないかといわれている。

『曽根城跡案内板』より

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資料
 

私見
 曽根城跡は、現在本丸跡に華渓寺が建てられていますがその周囲は駐車場や畑、民家などになってしまっています。曽根城公園としてショウブが美しいところとして有名のようですが、遺構はあまりなさそうです。
 本丸跡である華渓寺のあるところが一段高くなっている地形がいい雰囲気ではあります。
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