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小泉城跡
登城日:(2003.05.04)
所在地: 邑楽郡大泉町城之内二丁目2061番地
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 本丸の周りは美しい水堀が。  小泉城は、延徳元年(1489)冨岡主税介直光が縄張りをしたことに始まり、以後冨岡氏六代、約100年余の居城として栄え、威容を整えたものである。現在の城跡は、小田原北条氏の傘下に入ってから改築されたものと考えられている。
 城の形態は平城で、本丸、二の丸、三の丸からなり、中心部は回字型をもつ囲郭式平城の典型で、県内でも有数の城跡である。
 本丸の水堀と土塁、三の丸の一部の水堀と土塁がかなり良好な形をとどめている。本丸北東隅の「櫓台跡」と西南隅の「折り」と「櫓台跡」は、正面、北面、西南面を防御する横矢櫓の備えを明瞭に残していて、戦国期城郭の特徴をよく遺存している。
 天正十八年(1590)、小田原北条方に組していた冨岡氏は、豊臣氏の小田原攻めとともに破れ、廃城となった。

『小泉城跡案内板』より

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資料  

私見 本丸南西部  この小泉城は少し道路から奥まったところにあるせいでしょうか。じつに静かに存在していました。丸くつくられた本丸とそれを囲んだ水堀の手前まで車で寄せることができるほど現在ではこじんまりしてしまった同城ですが、かつてはほぼ台形を形成しており、面積は約58ha、およそ東京ドームの12倍だったそうです。すごいですね。
 本丸手前にはこの復元図が書かれた資料が用意されています。私は最後の一枚を運よくゲットすることができましたので当時の状況がよくわかってよかったです。
 この日は何故かガイジンさんがやけにバーベキューしてました。なんでだろ・・(^^;。いいんですけどね。
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