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郡山古城跡


登城日:(2006.10.29)
所在地: 安芸高田市吉田町吉田
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
尾根先に広がる旧城へは堀切を越えていかねばなりません 旧本城の案内板がある本丸跡  郡山の南東麓にあり、建武三年(1336)毛利時親が吉田荘地頭として城を築いて以来元就が郡山全山を城郭とするまで、十一代約190年間毛利氏が本城とした城である。
 旧本城は、背後を3本の堀切で画し、半島状の尾根を独立させたもので、長さ約400メートルの尾根の上部長さ約200メートル、面積約400平方メートルを直線的な階段状に利用した、鎌倉時代の山城の形態がよくわかる城跡である。
 頂部本丸は、標高293メートル、比高約90メートルで、一辺約37メートルの平地の背後には櫓台跡があり、南に二段の付曲輪がある。
 二の丸は、本丸の東下方約9メートルにあり、南北70メートル東西13メートルの大きな曲輪で、北寄りに井戸がある。その東に三の丸と呼ばれる二段の平壇がある。

『郡山古城跡案内板』より

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資料
 

私見
旧城の堀切跡  念願だった毛利元就の郡山城に来ることができました。だだっ広い城域を見て、どこから登ろうかと考えていますと城域南東部の尾根上に「旧本城」という表記が目に付きます。後に毛利元就が本城とした郡山城の前身がこの旧本城(ここでは便宜上、郡山古城とさせていただきます。)でした。
 広大な郭が何段にも作られ、土塁と石垣で守られたほかの郭とは明らかに違いがわかるこの古城は、まず堀切で明確に尾根筋を断ち切っているところから足を踏み込んでいきました。この時点ですでに郡山城を一回りしてきていますので両者の時代の差がよくわかります。
 堀切を過ぎると急な登りとなりますが、ここからはかなり藪化してしまっていますね。あまりここまでは人が来ないのでしょうが、もっと草を刈っていただけていると遺構がわかりやすくなり面白いと思うのですが、残念です。しかし、城跡としてはよく残っていますので、訪れる人はこちらにも是非足を伸ばしてみていただきたいですね。
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