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浅瀬山城跡 登城日:(2003.04.06) 所在地: 佐用郡上月町下秋里 |
歴史 |
浅瀬山城は天文年間(1532−55)に赤松円心(則村)の九代の孫孝橋新五郎季時が築城したといわれている(『赤松家播備作城記』)。その後、岡田市越智通隆が居住したともいわれ(『播磨古城記』)、また天正年間(1573−92)の頃は間島左馬助が城代として居城したともいわれている(『赤松家播備作城記』)。
天正五年(1577)に上月城を攻略した羽柴秀吉軍が毛利方の援軍を追って秋里谷に迫った際、浅瀬山城主上月権正恒織は城から撃って出、羽柴勢の側面をついたのだったが、結果恒織は討ち死にし、城は落城し、以後は廃城となった。 『日本城郭体系12』新人物往来社刊参照
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資料 |
私見 |
日本一の滑り台(ほんとか?)という笹ヶ丘公園をめざせば浅瀬山城は迷わずくることができます。山のふもとには駐車場代500(円/日)を要求するおばさんが立っているので手前で停めることができたらお得かもしれません(笑)。 さて、浅瀬山城は標高350メートルの「大の山」の頂上にあり、本丸跡は南北31メートル、東西12.5メートルを有し、周囲には高さ1.5メートルの石垣が築かれていたようです。第二駐車場に車を停め、そこからジグザグに山を登っていきます。きれいに整備された幅広の登山道は頂上にテレビ塔を建てた際に車が通れるようにしたおかげでしょうか。かなり楽に登っていくことができました。が・・・、めちゃめちゃ長いです。いつになったら頂上にでれるんだと何度もつぶやきながらの登山行は約20分ほどでしょうか。途中、小粒の石が表面を覆っているようなほどごろごろとしている個所があり、はてな?と思いましたがなんだったんでしょうか・・。 ようやく郭跡にたどりついたあたりで石垣かな、と思われるところに遭遇しましたが、それ以上に360度の周囲を見渡すことができる眺望の素晴らしさにしばし時を忘れることができました。 私はこの城跡にくる前は「上月城を攻撃した際の羽柴軍の付け城だ」とたいした期待をしてませんでしたが、天文からの歴史があったんですね。まさか秀吉もここが「日本一の滑り台」を持つようになるとは思ってなかったでしょうね。
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