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大覚寺城跡
登城日:(2002.08.03)
所在地: 尼崎市寺町、大覚寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
大覚寺  大覚寺は現存する尼崎最古の名刹です。
 創建は推古十三年(605)に聖徳太子が百済の高僧日羅上人に命じて夜々瑞光に輝く長洲の浦(今の大物・東本町)に建立した燈炉堂を母体として成立したと伝えられています。鎌倉時代以降は古文書も残されており沿革もはっきりしています。当寺は東大寺円照上人の弟子の琳海上人が建治元年(1275)石清水八幡・大乗院座主を辞して大覚寺の住持となってやってきたとき、思圓上人(奈良西大寺叡尊)が僧衆百二十人を連れて菩薩戒を興行する程の宗教道場でした。
 また南北朝室町時代には足利二代将軍義詮が半年間在陣し、大覚寺城と呼ばれ、後伏見上皇の中宮ご安産の祈願を行い量仁親王(光厳天皇)がめでたく誕生せられ「貴坊の効験」と大がかりな祝典をあげられるなど政治・経済・文化・軍事の権を握っていました。
 その大覚寺の境内の市庭を起源として中世都市尼崎が形成されたと言われています。

『大覚寺城跡案内板』より

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資料
 

私見
大覚寺横にあった佐々成政公墳墓  阪神尼崎駅を降りて、南西へ約5分ほど歩いていくとお寺が集まった、名前通りの寺町に入り込んでいきます。尼崎を治めた戸田氏鉄がとり行った町割りのようですが、それ以来ここにはずっとお寺が立ち並ぶ、尼崎とはかなり印象の違う町並みを残していました。
 よく見ていくと大覚寺のほかにも、「秀吉由緒の寺」だの、「佐々成政公墳墓之地」を示す石碑があったりとしっかりと歴史とともにあったことを感じさせてもくれます。予想通り、最初の目的地である大覚寺には城跡らしい面影はありませんでしたが、整然とした寺町の中がとても居心地よく感じられたのが予想を大きく裏切られました。
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