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道場城跡
登城日:(2001.02.12)
所在地: 神戸市北区道場町日下部字西山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
神鉄道場駅から見下ろした道場城跡。  道場城は武庫川の上流、有野川と有馬川が分岐したあたりにあり、国道176号線が脇に走っている交通の要衝にある。築城者は南北朝時代に播磨の守護赤松円心則村の四男弾正少弼氏範であり、三田城主だったときに有馬郡一帯に城砦群を設置し、この道場川原にも城を築いたのであった。
 氏範は父円心が北朝側だったにもかかわらず、生涯南朝側につき、戦ってきたが最後はその息子氏春とともに切腹して果ててしまう。よってしばらく道場城は城主を失うのであるが、応仁元年(1467)赤松政則にしたがって功績をあげた松原越前守貞基がこの城(当時は草下部城)を貰い受けた。こうしてしばらく松原氏による統治が続けられたのであったが、天正七年(1579)、羽柴秀吉の大軍が押し寄せあっという間にその軍馬に蹂躙されてしまった。秀吉の播磨攻めである。
 以降は秀吉の後方基地としていたようだが、やがて有馬氏の所領となり城は廃城となった。

「ひょうごの城紀行(上)」神戸新聞総合出版センターより参照

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資料
 

私見
荒れ放題の道場城跡。  道場城は別名を蒲公英(タンポポ)城と呼ばれており、非常に愛らしいその名称とはうらはらにとっくに世間からは忘れ去られた存在であるかのように一切の案内板はなく、また城域内は荒れ放題の廃墟となっています。
 車を神鉄道場駅近くに置き、城跡のまわりをぐるりと歩いてみました。私有地も含まれていることもあったのですが、それ以上に荒れ放題となっているこの城に足を踏み入れる気になれませんでした。歴史にいくつかその名も出、またこうして遺構が残っているにもかかわらず一切の保護をしようとしない神戸市に疑問を感じましたが、今からでも遅くないのでぜひこの地を大切にしていってほしいものです。
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