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護持構跡 登城日:(2003.12.29) 所在地: 飾磨郡夢前町護持 |
歴史 |
この地は因幡街道に面し、置塩城防衛上重要な地であった。多可郡妻披絵(比延山城)の城主本郷四郎左衛門宗安は、明応三年(1494)置塩城主赤松政則の命により、この地に構居を築き構主となった。構居は西の台地と西谷口にあった。 足利将軍が西国征伐の軍を催し、帰陣の際、構主本郷四郎左衛門は、ふとしたことより将軍家と口論し、果は戦となり、宗安をはじめ一族郎党ことごとくこの地において討死す。 『護持構跡案内板』より
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資料 |
私見 |
護持構跡へは、護持の集会所を目指していくと例によって標柱が道路脇にありますのですぐわかります。ほんと助かりますね。構跡とされているのはその標柱があるところから南側に広がる段々の畑と宅地一帯です。少し石垣もありますが、ほんとに当時のものなんでしょうかねぇ。地形もかなり整地されてしまっているとは思いますが、それでも大規模なものであったことは感じとれます。また、ここより500メートル北にいくと飛び地ですが、そこにも構跡とされている地点があります。石垣もあるようで正直「本当かなぁ・・」って感じの状態です。
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