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比延山城跡 登城日:(2002.09.14) 所在地: 西脇市比延町字城山 |
歴史 |
ほぼ独立した急峻な山である比延山(標高289m、比高220m)の山頂に延長180mにわたって曲輪が築かれています。大きく北郭群と南郭群に分けられ、両者とも階段状に小さな曲輪を連ねている点が共通していますが、細かく観察すると、北郭群は曲輪の削平が不十分で曲輪の斜面(切岸)も緩やかであるのに対し、南郭群はそれぞれの曲輪がはっきりし、曲輪間をつなぐ通路も設けられています。以上の点から北郭群は南北朝時代に築城されたまま残され、南郭群は室町時代に改修されたことがうかがえるのです。このころの山城は合戦の時にこもるための城で普段は見張り番がいるだけでした。そのため建物も粗末な小屋程度しかなかったようです。
比延山城の城主は本郷氏です。本郷氏は南北朝時代に当地に配置された赤松一族で、初代は本郷直頼といい、頼兼、頼木?と続きますが嘉吉の乱(1441)で没落し、復興後も比延山城には帰らなかったと伝えられています。この本郷氏の歴史は比延山城の現状とも一致しています。つまり、北郭群は直頼が築城したままのものが残り、南郭群は嘉吉の乱ごろの改修にかかるものと考えられるのです。このように比延山城は、歴史と城郭の年代観が一致する貴重な例です。 なお、秀吉から炭の礼状をもらった比延氏は野村町の野村構居城主上原氏の被官人で、戦国時代に京都から比延に来た一族ですが、比延氏が比延山城を使用した痕跡や記録はありません。 『比延山城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
比延山城へは城山公園の標識に導かれていけばまず迷わずいけると思います。駐車場には城跡の案内板がつくられ、また縄張り図もありだいたいの地形をイメージしつつ登ることができるようになっています。登城口は駐車場よりさらに奥にあるグラウンドの一番奥にありました.標高289メートル、比高220メートルの比延山は案内板によると山頂まで約40分だそうです。かなり時間がかかりそうです。が、登城道は予想以上に整備されており、数度の蜘蛛の巣を木の枝でふりはらう程度ですいすいいくことができますので案外楽そうだなぁと思って進んでいきます。 が、それが甘かったことはすぐに思い知らされました。目の前に空堀跡が横たわる先辺りから傾斜がきつくなってきました。そしてその先にはロープが!そうです。傾斜がさらに厳しくなり、ロープをつかんであがらないと登れないようになっているのです。最初こそワンポイントの利用だったロープが上にいけばもう常につかまって登ってるという印象さえ受けるほどです。途中視界が開けた岩場がしばしの休憩場所としては最適でしょう。そこで体力の回復をはかり、さらなる上を目指します。 やがて南郭のある頂上部に出ました。そして、一度はなくなったとされる城址碑が見えました。比延山城の驚くべきところは山頂部の郭部分がやけに長いんです。南郭と北郭の二つの郭からなる連郭構造をなしており、何段かの段差がはっきりと見てとれる状態で残っています。そして北郭の奥には大岩壁が大きく突き出ていました。うまく写真に撮りたいのですがうっかりすると下まで落ちてしまいそうで恐ろしい。この岩をみていると岩殿山城の巨岩を思い出してしまいました。 山頂の巨大岩に腰掛け、さわやかな風に身をさらしつつ、西脇市内を一望します。野村城跡だけでなく西脇城跡も望むことができますね。
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