五社城居館跡 登城日:(2004.11.07) 所在地: 神戸市北区有野町有野 |
歴史 |
元弘三年、播磨国領主赤松円心則村は苔縄城でが兵をあげると順調に勝ち進み摂津国摩耶山に本拠を構えた。やがてこの地に山城を築き諸豪族の後襲に備えると共に、八幡社を復興し社殿を勧請した。
天正年代になると、三木城主別所長治はその臣小野三郎義晴をこの地に使わしめ三木城の東の出堡として切畑城を築く。小野三郎は五社八幡神社境内に居館を設けて南進する敵の防衛にあたった。 羽柴秀吉征伐の途、その臣中川清秀、荒木村重が大軍を率いてこの城を攻め、居館社屋宝物はことごとく消失し、小野一族は討死した。
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資料 |
私見 |
神戸電鉄三田線「五社」駅にあるバスターミナルに車を停めるとすぐ裏手にある五社八幡神社に立ち寄りました。ここがかつての五社城の居館跡だったと言われています。五社城がどこにあったのかが分からないですがおそらく現在の状態からみても大規模に開拓された住宅街の中に消えてしまったのではないでしょうか。とはいえまだ山が残っている部分はありますので詳細の調査は後日に回したいと思います。 しかし三木城の出城のような使われ方をしたんでしょうか。有馬温泉手前の人目を避けるように存在する人影のない神社にしばしたたずみ、遠く三木城を思い出していたのでした。 それにしてもここにある案内板、貴重な文章なのにかなり消えかかっています。至急修復をお願いいたします。
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