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後野城跡
登城日:(2004.08.16)
所在地: 氷上郡氷上町新郷
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
見事な土塁がよく残っています。  白山神社は天文二年(1533)当地の豪族赤井氏によって白山山麓に創建せられ、文禄元年(1592)山頂に奉斎したと伝えられる。
 祭神は菊理媛神・伊耶那岐神・伊耶那美神であって、加賀の白山を神体として鎮祭する白山比刀iしらやまひめ)神社の御神霊を勧請したと伝えられる。
 例祭日は6月14日から八朔(8月1日)に変わっているが、宵宮から当日にかけては参詣者が多く、古くは、山南町や播州から山越えの尾根伝えに詣でたものである。
 祭神はその御事績から結びの神・下の病の神として崇められ、下の病すなわち「瘡」と同音相通する「笠」を供えて祈願する習俗がいまも残っている。
 昭和28年、山麓に現在の社殿を造営し奉斎した。
 赤井為家が築造した後谷城の砦はこの付近にあった。また、神社を創建したと伝えられる赤井伊賀守忠家の墓は、社の東方、現在の谷村伊賀町にあるが、異見もある。後谷城は天正七年(1579)六月明智光秀の軍によって落城している。

『現地案内板』より

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資料
 

私見
白山神社付近が城跡  後野城(後谷城、後屋城とも)跡は、白山神社一帯にあったとされ、同神社社殿が建つ場所に隣接した南側が本丸跡です。本丸台の南側には石積みが残っていたようですが確認するのを忘れてしまいました。
 後野城は俗に「下の城」「赤い館」と呼ばれ、赤城山(白山)山頂を「上の城」又は「高城」と呼ばれていたようです。山麓にあったのは屋敷跡だったのでしょうね。当地は赤井氏発祥の地であり、ここから勢力をのばしていったのでしょう。やがては荻野悪右衛門尉直正は叔父の黒井城城主荻野伊予守秋清を殺し、黒井城を乗っ取りました。
 現在の様子でまず目をひくのが白山登山口のすぐ南に見える高さ2メートル以上の土塁が続き南へと折れまがっています。先端部分が櫓台跡のようです。さらにそこから神社内を進んでいきますと緩やかな段差があり、郭跡の地形を残しています。また、社殿手前には空堀跡が残っています。普段は動物よけの柵により閉鎖されている神社ですが、それが一層現在との隔たりであるかのように思えて、柵をはずして足を踏み込んだ瞬間、なんだか一瞬で戦国の世の雰囲気に包まれた気がしたのでした。
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