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八幡神社浜砲台跡登城日:(2006.01.22) 所在地: 明石市大蔵八幡町 |
歴史 | ![]() さきに鉄人九州を通過せし時これを防ぐことも得さりし者の末裔此社前を通るとき馬籠より下り益躬に敬意を表せり又これをさけ気の毒に思い越智神社を穂蓼八幡と改む。尚同時に神社を建て替をした。この年号は宝永二年(1705)にて城主は松平右兵衛門直常その後諸大名馬又籠のまま通行した。 又八幡神社社領に権現山あり。東西共宮山で西山の小神祠は熊野三社権現を祀る。西の登り口に水を湧き出る所を大蝮谷と言い、人丸小学校前の家の建っている谷である。 八幡神社の東に空地あり。八幡の森と言い明石藩の大砲練習場ありたり 『八幡神社案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() またこの神社の東側「八幡の森」で大砲の練習場があったというのですからこの当たりに砲台が築造されたということでいいでしょうね。当時は弾の重さが100匁(約375グラム)以上のものを大筒、一貫目(3.75キロ)以上のものを石火矢と呼んでいたようで、大砲という呼び名は幕末になってから使われだしたそうです。 ![]() 一通り細くなんども向きを変えつつ入り組んだ路地を歩いてみました。残念ながら幕末の息吹を感じることはできませんでした。12砲台を追いかけているとどこかに何か感じ取れるものがあるんでしょうか。もう少し調べていきたいと思います。 (「講座明石城史」神戸新聞総合出版センター刊参照)
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