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加茂構跡 登城日:(2004.04.04) 所在地: 姫路市加茂字小寺 |
歴史 |
加茂遺跡は、昭和四十七〜八年にかけて、都市計画街路岡田線建設工事に伴う発掘調査で、加茂字太ノ前(津田小学校東側)から見つかりました。 遺跡は、堀と土塁に囲まれた中世武士の館跡で、南北六十六メートル、東西百メートル前後の規模が推定されます。内部から掘立柱建物跡九棟、井戸三基、池などが検出され、備前焼などの陶磁器や石臼、砥石、鎌、うるし塗りの木椀、はし、げた、ぞうり、古銭、鎧の一部などさまざまな遺物が出土しました。 このような加茂遺跡は、西方約1キロメートルにあった英賀城の出城の一つ「加茂構居」に該当し、英賀城とともに天正八年(1580)頃、羽柴秀吉の軍勢に攻め滅ぼされたと考えられています。 『加茂構跡案内板』より
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資料 |
私見 |
加茂構は、三木氏の家臣得能(野)与左衛門が築城したと言われています。嘉吉二年(1442)三木通武が恋の浜城から英賀城へ移ったときに、ともに英賀城に入り、その後英賀城の守りとして加茂に構居を構えたようですね。案内板が非常に分かりにくいところに設置されているので見つけにくいです。ちょうど小学校の裏手(裏門だったかな?)にあります。そこにある概略図や調査された一帯を把握した上で、まわりを散策するといいでしょうね。 でもほんと今は何もないので何の感想もないかもしれませんが・・(^^; あ、そうそう案内板文中にある西暦が間違ってます。恥ずかしいので直してほしいなぁ・・
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