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神吉城跡登城日:(1999.01.16→2013.08.11) 所在地: 加古川市東神吉町神吉、常楽寺 |
歴史 |
城主は神吉民部大輔頼定という人で別所長治の一族として神吉の荘一万余石の領主であったが、織田信長の三木城攻めに際し、その支城として千余騎の軍兵によって善戦したが、総大将信長の嫡子で秋田城主介信忠のひきいる三万余騎の織田兵に攻められて、天正六年十六日、遂に落城した。
「播磨鑑」には『東西五七間、南北四三間、神吉荘神吉村一本二云、右城内ニ法性山常楽寺と云浄土宗ノ寺アリ、慶安元年戊子ニ御朱印ヲ頂戴ス。右城ハ常楽寺ノ境内ニ成、二ノ丸田地ト成』と書かれている。 『神吉城跡案内』より
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資料 |
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私見 |
秀吉の播磨攻めの際、最後まで抵抗を続けた播州武者たち。その中でもこの神吉城城主、神吉頼定は壮絶に戦い、そして散っていきました。現在は民家が立ち並ぶ集落の中にある常楽寺が建っています。道路が狭いので要注意です。久々に訪問すると、2014年の大河ドラマにあわせて幟が設置されていました。相変わらず城跡としての雰囲気は感じにくいですが、南側から門をみあげた姿が好きです。 かつてはお寺の場所だけじゃなく、周辺一帯を含んだ総構えだった神吉城。改めてぶらぶら歩いてみたいですが、地元の方に不審がられないようにしないといけませんね。
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