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柏原城跡登城日:(2007.04.01) 所在地: 宍粟市山崎町上比地、他 |
歴史 |
柏原城は新宮町と山崎町との境に連なる山間の中に標高約500メートルの山頂部に築かれている。『播磨鑑』によれば早瀬帯刀正義が城主であったが、天正八年(1580)に落城したとある。
遺構の状況から見て、長水城攻めの際の羽柴秀吉方の陣城となっていた可能性も考えられている。
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資料 |
私見 |
柏原城へ行く為にはまず山崎町にある国見の森公園を目指すことになります。いつからOPENしたのか知りませんが、綺麗に整備された公園が国見山山上にあるようです。麓には駐車場がありますので、そこに車を停めます。ここから無料のケーブルカー(?)が出ており、約20分かけて国見山山上までつれていってくれるのですが、事前予約がないと乗ることができませんでした。非常に残念ですが、ここから歩いてあがることにしました。(後で知りましたが、国見山から柏原城に行くにはかなり尾根上を歩かないといけませんので、歩いてあがって正解でした。) ちなみに約2時間彷徨い歩いて城域に到達したのですが一人でここを攻めようとするのはやめたほうがいいですよ。かなり山深いので迷うとキケンです。それに城跡の状態がすばらしいので是非誰かと共有して盛り上がられたらと思います。ちなみに「山へは勝手に入るな」と書かれていましたので麓の事務所で入山のための記名をしてからの登山となります。 話が長くなりますので途中経過は省略しますね(笑)。城域への突入は突然やってきました。かなり歩いてますので疲れきった中、重くなった足をひきずるように(笑)、登り坂をあがりました。すると「段差がある!?」という軽い驚きとともに、城跡らしき痕跡が目の前に広がってきました。城跡から見て東側斜面から登っていくことになりますが数段の小さな郭があり、土塁が見えています。 さらに上には横堀が弧を描いて延びており、その先は郭と繋がっていてまるで通路状の遺構となっています。頂上は削平が少し甘い気もしますがかなり広いものでした。そのまままっすぐ西へと進みます。約50メートルほどでしょうか。少し段差を下がったところから郭、そして堀切が2重。引き返しながら今度は南側へと回り込んでみます。こちらも深い横堀が綺麗に残っていますので堀底を歩いて進みます。主郭の南側をぐるりと廻っている横堀の先には土橋があり、南側には完全に独立した郭が残っていました。一見すると大きな馬出しという表現が浮かびます。その馬出し状の郭は南側から東側にまでぐるりと横堀が作られており、西側には虎口が残ります。郭内は倒木がひどくて確認が難しいのですが、少し土塁も見えます。 同行していた人が縄張り図を書いていましたが、私も書いてみたくなる城跡でした。なんども城域をうろうろしては「ほほーーー!!」とか「へぇ〜!」と感動していました(笑)。ここまで大規模(東西約100メートル、南北約60メートル)で極めて手がこんだ遺構が良好に残る山城がこんな奥地にあるなんて、というのとこれはやはり秀吉側が改変したのだろうかなぁと考えながら長水城方面を眺めていました。播磨では赤松系で有名な山城がいくつもありますが、この柏原城もそれらに匹敵するほど(と言いたい、ここまでの苦労も込みでww)のいい山城でした。石垣さえないですが、土の城としての意匠はかなりのものです。 帰りは道なき道をひたすら滑り降りて下りてきました。なんと30分で麓の事務所に(^^;。戦果は酷い筋肉痛に・・・。
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