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木崎正法寺城跡


登城日:(2006.09.24)
所在地: 豊岡市山王町、日吉神社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
木崎正法寺城跡に建つ日吉神社  木崎正法寺城の詳細は不明である。承応年間(1652〜55)に正法寺が退転したことにより、その跡地に同寺の寺域内鎮守であった山王権現が祀られ、現在の日吉神社へと続いていく。
 南北朝期、伯耆の山名時氏はたびたび京を脅かすようになった。その侵攻ルートは海岸線を進み、但馬を南下し丹波へと続く。南朝と北朝とで一進一退が続いていた中、延文元年(1356)越前の斯波高経が北朝に帰順したのを機に、足利尊氏は山名時氏、足利直冬の掃討を開始した。手始めに実施したのが山名時氏の侵攻ルート上にある但馬国内の南朝方の諸城の攻略であった。
 伊達朝綱などの活躍により、温泉城(春来城)、宿南城に続いて、海岸部から円山川流域の中枢部への連絡路上にある八代城、木崎性法寺が次々と陥落していった。
 後の長享二年(1488)、播磨に攻め込んだ山名政豊が但馬に敗退してきた際に、木崎城城主田公豊職、新左衛門らは政豊をしばらく正法寺に住まわせたという。

『但馬の中世史』神戸新聞総合出版センター刊参照

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資料
 

私見
木崎正法寺城跡に建つ日吉神社  JR「豊岡」駅がすぐ目の前にある、日吉神社が建つ小丘は標高40メートル程の小さな独立丘陵です。元々は木崎正法寺(木崎性法寺とも書くの?)があり、城郭を兼ねた役どころを担っていたようですね。近くにある豊岡城も木崎城と呼ばれていたこと(前身か)もありますので非常にややこしいですね。(^^;。
 私は南側の山王公園から立ち入り、北の日吉神社へと歩いていきます。藪の中から突然現れた私にびっくりした高校生カップルの挙動がおかしかったですが、のぞき趣味はありませんので無視します(むしろ私が怪しいかも)。途中、大きな堀切跡かと見まがう道路がありますがこれは違うのでしょうね。そこから北が日吉神社です。
 頂上の平坦部は完全に何もありませんが、よく見れば北側斜面上には階段状の小郭らしきものが数段確認できます。また西側にも腰曲輪状の畑があります。これらが南北朝期の山城遺構のようです。また、東側斜面には竪堀も見えますが、資料に載っていた縄張り図を見ると4条もの竪堀があったようです。
 城跡としての認知があまりないような木崎正法寺城でしたが、よくよく見ればわずかに残る遺構がめまぐるしく変わる南北朝期の混乱を物語っているように思うのは私だけでしょうか。
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