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城山城跡登城日:(2006.11.04) 所在地: たつの市揖西町中垣内、新宮町馬立/下野田/市野保など |
歴史 | ![]() ![]() 古代山城の遺構は主に西斜面に残っており、石塁(a〜d)や「門の築石」と呼ばれる門礎等があります。中でも石塁Cは全長41メートル、高さ3メートルの規模をもち、当山城の石塁としては最大です。また「門の築石」は唐居敷と呼ばれる形式のもので、同形のものが日本では山口県の古代山城「石城山神籠石」にあるものだけです。 十四世紀の中頃、播磨国守護赤松則祐は播磨支配の拠点とするため大規模な山城を当地に築きますが、嘉吉の乱(1441)で赤松満祐が幕府軍に攻められ当城で自害し、城山城も落城します。 城山城には、この時の遺構(郭・堀切等)が多数残っており、当時使用していた遺物も出土しています。 城山城は県下唯一の古代山城として、また播磨屈指の中世山城として大変貴重な遺跡といえます。 『城山城跡案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() ![]() ってことで今回はご近所にお住まいのKさんのご案内で攻めてきました。ルートは搦め手から祇園嶽を経由して尾根上を進み、亀山、亀池、そして石塁を見てまわり、り兵糧道で降りるという縦走コースになりました。約5時間(^^;、やっぱり一人じゃつまらないですね、実感しました。 搦め手道を少し歩いていくと門の礎石があります。中央に凹みのある四角い石です。ここから城域なのかと身の引き締まる瞬間です。さらにしばらくいくと分岐点がありました。今回は祇園嶽城も目的の1つですので左折し、倒木の激しい道を進んでいくことになります。いつかの台風の影響がまだ色濃く残っているということなんでしょうか。 ![]() ![]() ![]() 少し奥に行くと巨大な石が綺麗に一定間隔で並べられた館跡らしき礎石が残っていました。古代のものということですが、門礎にしてもそうですが実に綺麗に切りだされているものですね。どこから持ってきたのでしょう。城山城を歩いているうちに一気に古代山城への興味が出てきました。案内板の文章にもひっかかる点もありますし(笑)、西日本各地に残る古代山城への旅を考えてみようかなぁ。
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