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来住城跡
登城日:(2003.01.02)
所在地: 小野市来住町小字沖ノ西416〜424番地
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
主郭を囲む水堀跡。右手が主郭  「播州古城軍記」等によると城主は清和源氏多田満仲の後裔が下向し、代々来住姓を名乗ったとあるが、「赤松家播備作城記」では正和二年(1313)、来住安芸守惟友が築城したとあり、実際のところ不明である。
 はっきりしているのは天正年間に別所氏に属した景政やその嫡子源三郎景利である。両人とも三木城に籠城し、天正八年(1580)三木城落城とともに戦死。以後城は廃城となる。

『中世城館調査報告』より

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資料
 

私見
 城があったところには現在家老戸谷(からとだに)公会堂が建てられています。地形は「南西から北東に長く伸びる低い丘陵上突端にあり」と中世城館調査報告には書いてあります(笑)。なんとも表現しにくかったのでそのまんまいただきました。
 ほぼ方形状の主郭跡のまわりには水堀が取り囲んでいたようですが、地形は一段低くなっています。その北側の郭跡には公民館があるのですがこちらのほうが広くて少し高い位置にあります。どうもこのシンプルな構造だけみてますと城跡というよりは館跡といった感じですねぇ。かなり破壊されているんだとは思いますが、よくよく見ると雰囲気はあるかな・・・(^^;
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