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貴志城跡


登城日:(2005.08.27)
所在地: 三田市貴志字坂ノ下ほか
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
台地先端部にあるW字型の土塁  貴志城は貴志氏の館城であると考えられているが詳細は不明である。

『三田市史』三田市刊参照

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資料
 

私見
民家の脇に残る土塁  貴志城は武庫川が流れる西側、三田盆地が広がる台地上にありました。そのまま西に進むと釜屋城五良谷城などが隣接しており、また武庫川を渡れば大原城もすぐそこです。まさに城跡の密集地帯ですね。
 城跡は比高15メートルのちょっとした高台ですが車で上まであがれますのでほぼ平行移動のみです。城域内で確認できるのは台地の先端部と、少し入ったところにあるの2箇所に分かれた遺構です。まずは先端部に踏み込んでみます。民家の裏手になるので不審なことをしているような気になり、地元の方にあって挨拶しないと不安にかられます(^^;。小さな池の先に大きな空堀(?)があり、その東側の3メートルほどの高台にあがると空堀にそってW字型の土塁がありました。今の季節では草が伸び放題で綺麗にW字を確認できませんが、高さ3メートルと言われる土塁の存在感は見事です。
 さらに西に進むと墓地になっていますがここも郭の一つです。一番奥に進むと東側に土塁と空堀が残されているのがよくわかります。残念ながら写真が非常に撮りにくいアングルです。かなり立派な遺構なので往時にはかなり大きかったのかなと思いましたが、地元の方は城跡だと認識されているのでしょうか。微妙です。
 そして、今度は台地中央部にある遺構を見に行きました。現在の貴志公民館が建つところです。かなり破壊されているようですがそれでも土塁がしっかりと残されていました。
 あまり期待していませんでしたが、そういうときにめぐり合えるとすごく得した気分になれる城跡でした。メインを大原城でその前にセットで立ち寄るといったパターンでお奨めです。
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