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小浜城跡


登城日:(2006.1.08)
所在地: 宝塚市小浜四丁目、五丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
大堀川が深い堀となる北門跡 小浜城の中核となる毫摂寺  小浜城は、一般には本願寺の僧善秀が明応年間(1492〜1501)に建立した毫摂寺を中心とした寺内町である。軍事拠点として利用されたことはほとんどないようだが、小浜集落の立地条件やその極めて高い防御性は城跡と呼ぶにたるものをもっている。
 この地が戦乱に巻き込まれたのは、天正六年(1578)の有岡城の戦いの時になる。この荒木村重の反乱により付近の集落が焼かれた。同八年に有岡城が落城した後は、小浜の地は池田信輝(恒興)、之助・輝政父子が領有した。同十一年には池田氏が美濃に移封されると、尼崎城の三次秀次(のちの豊臣秀次)が領有し、その後は秀吉の蔵入地になったとされている。
 江戸時代になってからは宿場町として栄えてゆくことになる。

『ひょうごの城紀行(上)』神戸新聞総合出版センター刊参照

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資料
 

私見
宿場町の雰囲気がよく残っています。 櫓台のようにのこる東門跡  宝塚市内では数少ない城跡である小浜城にやってきました。現在は宿場町跡として整備されているような印象ですね。東門跡を通り城域に入りましたがなかなか駐車スペースを見つけることができませんでした。少し離れたところから歩いていくしかないんでしょうね。
 さて城跡はというと北門、南門、東門が櫓台らしき高まりとともに残っており、西から南にかけては外周を大堀川がめぐらされています。また土塁や切岸を施し城郭都市としての様相をそのままに今に伝えています。北を走る中国自動車道の下をくぐった先にこんな城跡が残されているんですね。そのギャップに驚かされます。
 私が訪れた日がたまたまなのか分かりませんが、何人もの方が散策にこられていました。ちょっとした観光地?なんでしょうかねぇ。でも資料館には城跡や寺内町に関する情報がなかったと思いますし、それぞれ残る門跡がどう小浜の宿場町と関係するのかが一切説明されていません。無料で運営されているのは素晴らしいと思いましたがもう少し頑張っていただきたいと思います。(っていうかそういう路線でやってらっしゃるのかもしれませんね。)
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