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駒山城跡 登城日:(2004.05.30) 所在地: 赤穂郡上郡町山野里・井上 |
歴史 |
標高263メートルの駒山山頂にあり、上郡の市街地を一望の下に見渡すことができます。南の尾根づたいと東の麓からの登山道が設けられています。 南北朝時代(14世紀)の築城とも伝えられていますが、現在残る縄張りは、戦国時代(16世紀)の後半頃のものと思われます。二つの尾根を中心に、曲輪跡や石積・土塁・堀切・井戸跡などが残っており、瓦や備前焼き等の戦国時代の遺物も採集されています。 瓦や石積など、後の近世城郭につながる特徴をもつ中世の山城として、町内でも数少ない貴重な城跡です。 駒山城の歴史ははっきりとされていないが、『播磨古城記』には「赤松律師則祐妙善が居城」とあり、『赤松家播備作城記』には「安室五郎義長が天文年間に築城した」とある。いずれにせよ、赤松氏が築城したことは間違いがないようで、白旗城の出城の一つとして築城され、建武三年の新田義貞の白旗城攻めの際の有力な防衛拠点を果たしていたようである。 『駒山城跡案内板』『日本城郭体系12』新人物往来社刊参照
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資料 |
私見 |
駒山城跡は、JR上郡駅から北へ約1キロメートルほどの羽山口に登城口がありました。南端の尾根上をひたすらまっすぐに上っていくことになるのですが、実によく整備されており、夏場でも苦にならずに登れることでしょう。また、もう一つの登城口として井上登山口があるのですが、ここは九十九折れが続く山道なようで、羽山口から登るのが無難だと感じました。 途中に「馬の蹄跡」に代表される大岩がごろごろしており、急いで登っていたのでふらぁと足がもつれ、下まで転げ落ちそうになってしまいます(汗)。1キロ強ほど歩いたでしょうか、すぐに本丸が見えてきます。本丸を形成している高台には石垣が見えています。そこから西へ視線をやると、二の丸跡が見えます。この城はどちらが敵に陥落してもまだ戦える『一城別郭』の構えをとっています。戦うための出城にふさわしい縄張りと言えますね。 本丸を降り、二の丸へと続く道を進んでいくと大きな空堀跡が出現します。堀の底は段差になっており、一番深いところは井戸跡のようです。石垣も見えていますがこれは後世のものなんでしょうね。土橋の上を慎重に歩いていきます。 そして二の丸跡へ。ここは三段の削平地をもつ広い郭ですね。天気がよければ遠くの山々まで見渡せるのでしょうが、今日はあいにくの天気なのがとても残念です。 駒山城は規模でこそ、白旗城に負けますがその遺構や縄張りは実に見事なものでした。ここは夏場でも訪れることができますのでぜひ天候のいい日に訪れてみてください。私は偶然きつねと遭遇できたこともうれしいハプニングでした。
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