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神木構居跡
登城日:(2002.10.14)
所在地: 加古川市平荘町神木
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
三段の段差が見える神木構居跡  神木構居は加古川本流と権現川の合流点の北方、台地斜面の先端部に位置している。
 城主は嘉吉元年(1441)の頃、播磨守護赤松満祐麾下の竹中弥五郎の名が知られている。その後、志方城の櫛橋氏の幕下として高橋平左衛門が城主であったが、天正六年(1578)の羽柴秀吉の侵攻に対して別所氏と共に三木城に篭城して戦った。
 

『日本城郭体系12』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
ほとんど読めない神木構居跡案内板  約1年ぶりに神木構居をおとずれました。いままでは位置がよくわからなかったんですが、偶然にも案内板があることがわかりましたのでようやく正確な場所がわかりました。
 場所は以前比定地として考えてました熊野神社よりもやや北西に位置する高台にあり、三段の段差がありました。さらにその脇には堀跡を思わせるような溝が続いているのですが、まぁこれは違うんだろうなぁ。
 案内板は一番低い段に建てられていましたが、さびがひどくて文字がほとんど読めません。同じ加古川市内の城跡や構居跡にある案内板とは比べものにならないほどの状態です。構居碑もなかったのでひょっとしたら朽ちはててなくなってしまったのかもしれませんね。
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