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光竜寺山城跡
登城日:(2002.08.13)
所在地: 多可郡八千代町中野間
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
見事な状態で保存されている堅掘  この山城は戦国時代、在田氏によって築かれ「野間城」の中心とみられ居城としてお客を迎えたり大切な儀式に使われたのでしょう。
 山頂に「本丸」、北に「二の丸」、南に「出丸」の三つの郭を中心にして防衛力も充分に備わっていおりました。
 南から「大手道」、北から「搦手道」が通じていて本丸には、建物も造られており、城下が一望できました。

 光竜寺山城は在田筑前守村長が本拠地を野間に移した際、野間山城の整備と同時に築いた城である。主に政治的、経済的権威を示すために造られた見せるための居城だったようだ。
 但馬街道や丹波街道が通る要衝の地であったことから、経済的基盤がしっかりしていたこと、都とのつながりが深かったことがうかがえる。山頂には建物が建っていたと想像される広がりがあり付近一帯を見渡すことができる。

『光竜寺山城跡案内板』他より

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資料
 

私見
光竜寺山城本丸  多可郡八千代町には野間山城、光竜寺山城の2山城が野間川を挟んだ形で隣接して建てられていたようです。光竜寺山城には大手道と搦め手道」の2本の登城道があるんですが、私はガルテン八千代が建つ搦め手側から登っていきました。
 夏場に山城ということで、藪がひどくて足元が見えなかったらやめておこうと思ったんですがここはきれいに整備されていて安心してハイキング感覚で山城を攻めることができます。5分ほどで登れてしまうお手軽な山ではありますが、見事な堅掘が4本も掘られていて、十分に山城の醍醐味を感じることもできました。ところどころに「番所跡」などの看板がたてられていること、登城道がきれいに整備してあること、しかし遺構は綺麗に保存されているという、理想的な状態にしてくださっている地元の方に感謝せずにはいられない、そんな城跡でした。
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