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黒井城下館跡


登城日:(2005.04.29)
所在地: 丹波市春日町黒井、興禅寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
七間堀と石垣です。 ◆春日局生誕地(興禅寺)案内
 興禅寺は、山号を大梅山といい曹洞宗の別格地で、本尊には仏師春日の作釈加如来を祀り、七堂伽藍がよくととのった名刹です。
 戦国時代、この寺域一帯は、後背の山城黒井城(国指定史跡)の下館でしたが、天正七年八月、明智光秀の丹波攻めで落城。その戦後処理と西丹波一円の統括のため、ここに入ったのが光秀の重臣斉藤内蔵助利三です。今でも斉藤屋敷の伝承が残り、水濠と高石垣・白のねり塀のたたずまいは往時の景観をよく残していて国の史跡の一部となっています。
 この年の暮、母お安との間に生まれたのがお福(後の春日局)で、寺内にはお福の「産湯の井戸」や「腰かけ石」など残り、幼い日の春日局をしのぶことができます。

『興禅寺案内板』より

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資料
 

私見
お福の腰かけ石 産湯の井戸跡  黒井城の駐車場手前右脇にある興禅寺こそが、黒井城の下館跡であり、後に斉藤利三の居館となったところです。七間堀と呼ばれる水濠とその奥には野面積みの石垣が城跡(といっても屋敷跡か)をよく残していますね。
 一時は黒井城よりも春日局のほうが主役であったんだろうな、と思わせるようなNHK大河ドラマのパネルが展示されています。ここであの春日局が生まれたのかと思うと感慨深いものがあります。寺の境内にはお福が遊んだといわれる「腰掛け石」と「産湯の井戸」があり、撮影ポイントとしてはずせませんね。
 しかし、幼少期をすごしていれば石にも腰かけるだろうし、他にも一杯そんなネーミングができるんじゃないの?と思ったのは内緒(^^;
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