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舞子台場

舞子砲台跡


登城日:(2005.12.18→2013.08.03)
所在地: 神戸市垂水区東舞子町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
舞子台場前面  幕末に外国船の侵攻に備えて、文久三年(1863)に幕府の命を受けて、勝鱗太郎(海舟)の指導のもと、明石藩が築造した砲台です。対岸の淡路島にある松帆台場と協力して、明石海峡を通過する外国船をはさみ撃ちにしたと考えられます。
 発掘調査の結果、現在の海岸護岸の石垣が当時のものであり、砲台の石垣全体が埋まっていることもわかりました。
 砲台の形式は稜堡式と呼ばれ、石垣の平面形がW字形となる西洋の要塞を参考にして設計されています。すべて石で積まれた例は国内では他になく、たいへん貴重なものです。
 大きさは東西幅約70メートルで、現在残っている石垣は下層部分にあたり、高さは約6メートルです。幕末から明治初め頃の写真資料から、もともとの高さは海岸から約10メートルであったと推測できます。

 砲台跡 天端の石敷きの遺構
露出展示されている当時の天端の石  発掘調査の結果、発見された遺構をそのまま公開保存しています。
 この石垣は砲台背面の天端のもので、直角方向には幅1.2メートルで石が敷かれています。この石敷は大砲が据えられた場所か、大砲を据える部屋の壁を支えた基礎部分かと推定されます。

『舞子砲台跡案内板』より

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資料 【地図を表示する】
 

私見
舞子砲台跡碑 かわいい砲台が3つ。  明石海峡大橋の西側に小さな展望台のような公園になっているのが舞子砲台跡です。私の記憶では以前はマクドナルドがあったのですが、現在はマンションが上に建ってしまっていました。
 当時の頃に比べるとかなり規模が縮小させられています(地下に埋め戻されてます)が、今でもW字形に海に突き出した格好を容易に感じることができる程度には残っています。また、発掘された石垣が見れるようにしてあるのはありがたいですね。今でも海に向けられた三台の大砲が有事に備えて据えられています(笑)。
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