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蟲生城跡
登城日:(2005.02.12)
所在地: 多可郡黒田庄町福地
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
蟲生城、主郭跡  蟲生城の城主は、村上源太広直である。先祖の村上霜台は応永年間に九条家から黒田庄内に采地を与えられ、守護赤松氏の被官となったが、嘉吉の乱(1441)で没落してしまう。が、康正二年(1456)の赤松家再興のための吉野討ち入りの際に村上源三郎の名が出てくる。
 やがて、天正年間の村上広直の代では三木合戦では秀吉側について働いたようである。

『播磨・水尾城跡の調査と研究』西脇市教育委員会刊参照

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資料
 

私見
主郭南側の虎口跡 東側郭とその先の掘切  蟲生城跡は標高159メートル(比高74メートル)の山上にある小規模な単郭式の山城です。登城口は2つありますが、主郭内には稲荷神社がたち、かなり破壊されているようです。登城道もその参道のようでした。集落がある南側からあがっていくと足場が悪く非常に滑りやすくなっています。手元の縄張り図では堀切の横を通ったあとでその次の堀切はそのまま参道として使っているようですね。堀底道を通り、西郭へ。郭といっても主郭の東西に小さく鉢巻状の帯郭として存在している程度です。
 主郭は石垣があり、二段構成の稲荷神社となっていますがこれは神社を建てる際に変わってしまったのでしょうね。主郭で注目すべきは南側の土塁が虎口となっており、それが主郭の西側をぐるりとまわっていて平入虎口を形成しています。(って何が平入なのかよくわかってません。)
 主郭の東側にも小さく郭があり、その先に浅い堀切がありました。小ぶりですがそこそこ堅牢な城だったんだなと感じました。自然と神社の中に溶け込んでいってるような気がするのが残念ではありました。
 それにしても・・・なんで”蟲が生まれる”みたいな名前なんでしょうね(笑)。
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