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中島構跡登城日:(2006.04.15) 所在地: 姫路市夢前町前之庄 |
歴史 |
中島構は置塩城がいくつかもつ砦の一つである。天正期には赤松一族の釜内氏の家臣吉岡十太夫(主計)親元が城主として居城していたとされている。おそらく羽柴秀吉の播磨攻めの際に落城したものと考えられているがはっきりしていないようである。
『夢前町史』夢前町教育委員会刊参照
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資料 |
私見 |
中島構についてはどうやらはっきりわかっていないようですが、同じ夢前町にある塚本構の案内板には中島構の吉岡親元と共に英賀城の援助に出向いたとあります。近隣の小さな城館が連携して羽柴勢にあたったのでしょう。 場所は「夢前町前之庄」の信号を西へ中国自動車道と平行して600メートルほど走ったあたりで細い農道を左折、中国自動車道をくぐり右手に見える丘陵地になります。鶏舎がたっている台地とその北側の畑地、そしてさらに1段高くなっている墓地が城域のようです。墓地の西側にも広がりを感じますが、はっきりいってそこまで見極められません(^^; 中島構は同じ夢前町内の城跡としては珍しく案内板がないようです。何でなのでしょうね、まさか場所が違っているのでは?・・・ご存知の方ご一報お待ちしております。m(_ _)m
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