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中西台地遺跡登城日:(2009.06.21) 所在地: 加古川市東神吉町神吉字北谷 |
歴史 |
中西台地遺跡の詳細は不明である。1993年からの発掘調査により四周を堀で囲まれた単郭居館があったことがわかった。また土師器、瓦質土器、備前焼、瀬戸美濃焼、鉄製品などが出土していることから16世紀後半に存続していたであろうと考えられている。 『城館からみた中世の播磨』第8回播磨考古学研究集会実行委員会発刊参照
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資料 |
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私見 |
志方町「投松」の信号、県道43号線を南下すること約2.4キロメートルのあたり、片側二車線の道路のところがかつて居館があったところでした。神吉城がちょうど東方300メートルの距離にあるので、神吉氏と関係する城館だったのでしょうか。1辺40メートルほどの居館は北西部が開口部となり、堀が喰い違い構造になっていたそうです。なお、内部は柱穴が検出されたものの残存状態が悪くて、あまりよくわかっていないとか。 あまりにマイナーすぎるネタで申し訳ないですが(^^;、これも平地城館の一つですね。 なお、関係ないですがすぐ南には那須与一の石仏が置かれていました。なんでこれが那須与一なのかはよくわかりません。
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