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中筋構居跡
登城日:(2002.02.11)
所在地: 高砂市中筋四丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 中筋構居とされる一帯  「播磨鑑」によると、中筋構居は長さ九十間、横五十間をほこり、伊保庄中筋村にあった。領主は曽根藤四郎義宗で、三木城主別所長治の幕下であった。
 三木合戦の際には藤四郎の末裔である藤市郎が三木城内に篭り一族郎党とともに戦ったが、三木城落城寸前に自害するに至った。またこの中筋構居も天正六年(1578)に運命をともにした。

三木市教育委員会刊「別所氏と三木合戦」参照

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資料
 

私見  なにもありません・・ただの田圃です(T_T)。日本城郭体系では田園が広がるなかに土塁跡が見られるといった記述がありましたが、30近くも経てばそりゃなんもないでしょうね・・・。
 まだ、場所が特定できただけでもヨシとしますか。
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