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中山城跡


登城日:(2006.12.16)
所在地: たつの市新宮町善定
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
城跡らしいですが、中山寺跡の削平地ともいう・・ ◆中山寺跡の宝篋印塔と板碑
 当寺は正暦年中(990〜994)開基と伝えられる真言宗の寺院で、慈観上人がこの地で入定(即身成仏)したという伝承がある。戦後、廃寺となったが、境内に宝篋印塔と板碑が残る。
 宝篋印塔は流紋岩製で現高54センチ(相輪欠矢)。塔身には月輪を刻み、中に胎蔵界四仏の種子を印刻する。基礎に「当寺開山時観上人(右束)、永正七年二月十八日(左束)」の銘文がある。
 板碑は全長202センチで、底面に直径9.5センチ、深さ9センチの柄穴が穿たれている。碑身の四面には次の銘文が刻まれている。
 南無阿弥陀仏 光明遍照 十万世界 念仏衆生 摂取不捨(正面)
 南無阿弥陀仏 願以此功徳 平等施一切 文明九年丁酉(左側面)
 南無阿弥陀仏 同発菩提心 往生安楽国 十一月二日(右側面)
 南無阿弥陀仏 二千日不断念仏供養 願主時観上人 敬白(裏面)

 南無阿弥陀仏は名号で、その下は仏の教えや徳を讃える詩句の偈頌が刻まれた例は県下では非常に珍しい。
 宝篋印塔・板碑とも時観上人の名前が見え、同上人は文明九年(1477)〜永正七年(1510)の約33年間当地に止住していた可能性があり、伝承の慈観上人と同一人物と思われる。なお、当地は明応八年(1499)に落城したという記録がある中山城跡の可能性もある。

『中山寺跡案内板』より

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資料
 

私見
腰曲輪のように削平地が段々になっていますが。  中山城跡とされているところは道の駅「しんぐう」の前を走る国道179号線を西へ約800メートルほどいった1つ目の信号を左折します。まっすぐ進んでいくと善定地区にはいってすぐに道路が左右に分かれる地点に差し掛かりますが、城跡はその中央にある小高い丘陵上にありました。
 標高108.2メートルのこの山は建武四年(1337)頃に赤松円心の命により築城されたらしいというのはわかっていますが、城主は不明のようです。明応四年(1499)に浦上則宗と浦上村国とが争った際、当城は村国派となり則宗派によって落城させられてしまった。その後に中山寺が建てられ、その寺も昭和初期になってなくなってしまったらしいです。(『栗栖里』新宮町教育委員会刊参照)
 頂上へは車止めはされていますが、車でいけるコンクリート道が整備されており、簡単にあがることができます。広い削平地は寺の遺構なんでしょうね、南東側へ数段の削平地が並んでいますし、又西側には堀切状の地形が見られます。長い間お寺として存在していた同地だけに、城跡の遺構なのかどうかはとてもいえませんが、城山城の裏手側を守る砦としてはなかなかいい場所にあるものだなとは思いますね。
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