
尼崎市は、特に中世には細川両家の主戦場となったために、外敵からの防禦を意識した環濠集落が至るところに形成されていた。環濠集落とは住民の屋敷の周囲にほぼ方形に環濠をめぐらせたものであり、外敵からの防禦のほかに、稲作の灌漑用水の機能も兼ね備えているものである。そうしたものが次第に集まり集合体を築くようになって大きな一つの集落になっていった。
七松城もこうした環濠集落のひとつであり、戦国時代には合戦の陣所として、また天正期に城攻めの「付城」として使用されていた。すなわち、信長の
有岡城攻めの際には、有岡城の支城である
尼崎城を攻めるために城を囲んでいた織田信忠がその半分の兵を連れて七松に二ヶ所の「付城」を設けることとなった。
七松城の特徴として水堀のラインが直線的で各コーナーはほぼ直角に曲がっており、東及び北の虎口には「横矢掛り」を意識したような構造になっている。また「字別井」「字カイチ」を含む大きな環濠とは離れた別の位置に、それに付属するように南側に「字シリア」の方形状のものが確認されており、全体として「環濠屋敷群」としての形態も残している。
また、現在の七松八幡宮は寛仁三年(1019)に源頼信によって創建され、また真宗弘誓寺は享禄四年(1531)に開基されたと伝えられている。
『ひょうごの城紀行(上)』神戸新聞総合出版センターより